ブルックナー/メモランダム⑤の2ーR.ハース

 ロベルト・ハース(Robert Haas)の1934年「ブルックナーと神秘主義」(井形ちづる訳/出典は⑤の1と同じ)では、「音楽は、その根源的本質からして神秘的芸術である」と主張し、ブルックナーの音楽をその視点から解釈しています。
 西欧の宗教史への知識や宗派を問わず自らの厳格な宗教体験のない者にとって、宗教とその根源に横たわる神秘主義は、知のレベルでも感情のレベルでも理解は難しいものではないでしょうか。
  ハースの文章は、それらを一応の与件にしていますから、私には文脈が十分に理解できない部分もありますが、特徴的な次の指摘をメモしておきたいと思います。
 
 「ほとんど全ての神秘主義者たちと同様に、厳格な正教信奉が彼の思想の高翔の確固たる基礎を形成している。それは、司教座修道院ザンクト・フローリアンでの故郷の体験を通して、少年の頃から彼に植えつけられたものである。少年の信仰告白は、修道院長の庭の碑銘に刻まれている。『精霊だけが、われわれに生命を与えてくれるーー神の御腕だけがわれわれを抱いてくれるーーこれ以上何を欲するというのか。』それは修道院の信仰の絆に対する告白であり、その絆の中にブルックナーの宗教的態度がしっかりと錨をおろしている」(p184)
 
  しかし、その一方で「ブルックナーは彼の交響曲のクライマックスでコラールを使用しているが、これによって彼がプロテスタント教会の会衆歌に近づいていたことがわかる。彼は、プロテスタントのコラールを、既に早くから特別な音楽的神聖さの表現と評価し、模造した」(p.185)
 
 カトリック教徒として生きたブルックナーが、音楽的にプロテスタント的な聖歌、民衆歌に強く惹かれていたのは、ルターの宗教改革の旋風をうけたドイツ、オーストリア地方における「ドイツ神秘主義」への共感であり、それはブルックナーの実生活においても厳格なカトリシズムとは一線を画していたとハースは主張しているように思えます。そして、ハースは次のように言い切ります。
 
 「したがってブルックナーの感情の高まりは、今まで誤ってなされてきたように、純粋に宗教的表現として理解されるべきではない」(p.187)
 
 その帰結は「ドイツ的気質・精神」にいきつき、ドイツ人がブルックナーの音楽に自然に傾倒する要素(他方で「他の国民の敬遠」p.187)をここに見いだしています。この論文の書かれた特有な時代の影響が強くでているのかも知れませんが、ハースがこうした考え方をもって校訂を行っていたとすれば、それはそれで実に興味深いことではあります。
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