ブルックナー/メモランダム⑤の3ーL.ノヴァーク

 レオポルド・ノヴァーク(Leopold Nowak)の1962年「ブルックナーにおける交響様式と教会様式」(礒石雅訳/出典⑤の1と同じ)は、先のR・.ハースの論文から約30年後に執筆されています。時代は下って、より実証的な研究論文といった構成が強くなっています。
 
 ノヴァークは、ここで「宗教的 geistlich」と「教会的 kirchlich」という言葉を使い分けています。「宗教的」にはハースがいう神秘的な様相もあるでしょうが、「教会的」という言葉には「神聖で、真実で、普遍的であるべき」という基準があり、これは例えばブルックナーの時代よりも少し後ですが、1903年の「教皇自発教令」で明定されています。それは、いまで言えば一種の厳しいマニュアル的な基準であり、ミサ曲などの宗教音楽はこれに沿って作曲されることが必要になるとされます。
 
 次にノヴァークは、ブルックナーの交響曲とミサ曲などの宗教音楽の作曲年代に注目します。ブルックナーの番号のあるすべての交響曲の作曲年次は1864年のミサ曲二短調から1892年の詩編第150篇の間にくるまれ、かつ交響曲と宗教曲はあるまとまりをもって交互に作曲されている点が示されます。
 
 ブルックナーは愚直に、あるいは厳格に基準にそって宗教曲をつくりますが、その一方で世俗的な、しかし自由に自己実現ができる交響曲を作曲していくというパターンが示され、前者の「抑制」と後者の「高揚」ともに彼の特色であることが明らかにされます。これこそが、表題にある交響様式と教会様式の相違と区別されるわけです。
 
 「宗教的」という意味においては、ノヴァークは「ゴチック的人間、ブルックナーは、すべてを神にかかわらせた」(p.198)といい、その敬虔さはかわらないとしながらも、スコアを考証しながら作曲法の違いを分析することによって、ブルックナーの交響曲と宗教曲の違いを浮き彫りにしていきます。ここに、ノヴァークの校訂の考え方の一端を見ることができるのかも知れません。この論文は次の言葉によって結ばれます。
 
 「アントーン・ブルックナーの強力な個性において統一されている二つの異なった世界は、神に、心寄せる深い信仰について同時に、俗世に開かれた心ばえについて語っている。双方が強力な言葉によってわれわれに語りかけてくる。われわれはその双方を、巨匠が考えた通りに受容しようではないか。教会空間においては神に捧げられたものを、俗世の空間においては人間に贈られたものを」(p.199)。
 
 ハースもノヴァークも深くブルックナーを研究しながら、その根底ではキリスト教に対する暗黙の受容があります。しかし、現代、東アジアに位置し宗教的なバックグラウンドでも全く異なる日本でブルックナーがこのように熱心に聴かれることは夢想だにしなかったのではないでしょうか。ブルックナーの魅力の解析はその意味でも奥深いといえそうです。 
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