ブルックナー/ミニ・コラム③ーブラームス

 1833年生まれのブラームスは、ブルックナーよりも9歳年下です。そのブラームスの第1番交響曲が21年の歳月をへて完成し(それ以前の「習作」などは廃棄したとも言われます)1876年に初演された時、彼は43歳でした。さかのぼって1868年、ブルックナーは第1番交響曲を自らの手で初演します。時に44歳でした。年齢差こそありますが、交響曲作曲家としてのデビューは2人ともほぼ同年代であったわけです。
 北ドイツのハンブルク生まれのブラームスが活動の拠点を音楽の都ウイーンに移したのは1862年、ブルックナーは7年遅れて1869年にウイーンに入ります。ブラームスが満を持して1番のシンフォニーを発表する以前、彼は「ドイツ・レクイエム」を世に問い自信を深めたと言われます。ブルックナーも同様に、ミサ曲二短調(1864年)、ミサ曲ホ短調(1866年)、ミサ曲へ短調(1867年)と相次いで作曲したうえで翌年1番のシンフォニーを期待とともに送り出します。
 ブラームスの最後の交響曲第4番は1884年から翌年にかけて作曲されますが、この年還暦を迎えたブルックナーは交響曲第7番をライプチッヒの市立歌劇場で、アルトゥール・ニキシュ指揮で初演し輝かしい成功を飾っています。さらにその後、ブルックナーは交響曲の作曲に10年に歳月をかけ1894年第9番のシンフォニーの第1から3楽章を完成させています。
 こうして見てくると稀代の交響曲作曲家としての2人の同時代性がよくわかります。有名な2人にまとわるエピゴーネン達の論争や足の引っ張り合いなどは一切捨象して、お互いの作風の違いや共通するその高い精神性への相互の思いなどをタイムスリップして聞いてみたくなります。
 両者の音楽理論的な異質性の論評は専門家や評論家の仕事でしょうが、両者の名演を紡ぎ出す指揮者がフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、シューリヒトはじめ多く共通しているのは興味深いと思います。これは、広義のドイツ文化圏のなかで捉えるべきものなのか、同時代性のもつ意味なのか、あるいは双方なのかーーブルックナー、ブラームスともにこよなく好きな日本の一リスナーといえどもやみがたく関心のそそられる問題ではあります。
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