ブルックナー/ミニ・コラム④ーフランツ・リスト

 落語の八つぁん、熊さん風に言えば、「ところで、当代随一のピアノの名手は誰でい」、「そりゃ、なんて言ったって、自ら超絶技巧練習曲てなのを作ったリスト(Franz Liszt)旦那だろ」、「じゃあ、オルガンはどうだえ」、「そうさなあ、一回りかた歳は若いが、即興演奏では右に出る者なしのブルックナーて、おあ兄さんが街道一という噂だよ」とでもなりましょうか。
 
 リストはワグナーの岳父、そのリストの娘コジマがワグナーに出奔する前の夫がハンス・フォン・ビューローで、捨てられた夫ビューローはのちにブラームスの熱烈な信奉者。ブルックナーはリスト、ワグナーを尊敬し急接近。それゆえ、本人の意思とは別に、ブラームス派VSワグナー・ブルックナー派といった抗争に巻き込まれていくといった構図。いささか複雑な人間関係ですが、さて、リストは度量のある人間ということか、はたまた大人物であったか、ブルックナーのみならず、ブラームスに対しても屈託なく付き合っています。
 
 1882年2月2日でウイーンでハンス・フォン・ビューロー主催の「ブラームスの夕」が開催され、リストはこれに来賓として参加しましたが、その後、ブラームスに新しいピアノ協奏曲の楽譜を送ってくれるように頼み、ブラームスも快諾。譜面を検討したリストから賛辞を述べた4月15日付のお礼の手紙が残っています(カール・ガイリンガー/山根銀二訳『ブラームスー生涯と作品』音楽之友社pp.73ー74,p.188)。
 
 ふたたび八つぁん、熊さんに登場してもらいましょう。「リスト旦那をブルックナー兄はえらく敬っていたらしいじゃねか」「そうよ、なんでも第2番の交響曲をリスト旦那に恭しく献呈します、て段取ったんだが、あろうことかリスト旦那はうっかりこれを宿屋に置き忘れちまって、さすがのブルックナー兄もこれには鶏冠に血が上って、そいつはチャラだ!つうことになった」「そりゃ、リスト旦那の落ち度だねえ」「もっとも、ブルックナー兄はその後リスト旦那の葬儀でオルガンの追悼演奏をしたっていうから真に慕っていなさったんだよ」「ところで、献呈がチャラになった交響曲はその後、どうなった?」「誰にも捧げなかった。なんてったって『2番』煎じじゃいただけませんや!」ーお後が宜しいようで・・・。
 
 
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