ブルックナー/メモランダムⅡ⑦ーH.ヴォルフ(4)

 ヴォルフは気性の激しかった人のようで「ブルックナーのシンバルの音一つはブラームスの4つの交響曲にセレナードを加えたもの全部に匹敵する」※1と論評したと言われます。

 「親に似ぬ子を鬼っ子と言うが、親に似すぎた子も鬼っ子だ」といった台詞をかって聞いたことがありますが、ブルックナーとヴォルフは36歳の違い、いわば親子ほどの年齢差があったわけですが、ヴォルフはブルックナーにとって実に「鬼っ子」だったかも知れません。

 人と争うことを嫌ったブルックナーに対して、ヴォルフは同業者に対しても仮借なき批判者でした。小さな資格でもこまめにとり続け安心立命を願ったブルックナーに対して、そうしたことに無頓着でウイーン音楽院を放校になったヴォルフ。生涯不犯と言われるブルックナーに対して、梅毒が原因で狂い死するヴォルフ。40歳を超えてから本格的に交響曲の作曲をはじめるブルックナーに対して、結果的に30代までに全ての音楽的な仕事を終えてしまったヴォルフ。交響曲と宗教曲の作曲に集中したブルックナーと歌曲に傾注したヴォルフ・・・。こうして見てくるとその生き方においては「親に似ぬ子」としてのヴォルフ像が結ばれます。

 他方で、ともにワグナーを崇拝し、ワグナーへの共感とともにブルックナーも深く敬慕したヴォルフ、その極端な言い方が冒頭のブラームス批判にもなります。ハンスリックを向こうにまわして、ヴォルフはブルックナーのために徹底して戦った闘士でした。2人は一緒に旅行もしています。1894年のベルリン紀行では70歳のブルックナーに34歳のヴォルフが同行し、彼地の1月8日のコンサートでは7番のシンフォニーとともにヴォルフの合唱曲「火の騎士」「妖精の歌」が演奏されました。「ブルックナーの名前が初めて作曲家としてのヴォルフの名前と並んだ」※2と言われます。作曲家としての異常な集中力でも2人は共通する部分があります。ある意味では「親に似すぎた子」という側面をヴォルフはもっていたのかも知れません。最晩年、ブルックナーはヴォルフを遠ざけたようですし、カール教会での葬儀でも、「正式」な音楽協会の会員ではなかったゆえに、ヴォルフは教会に入ることが許されなかった※3とのことです。

 2人の愛憎する思いは知るよしもありませんが、この2人の間にもう一人の重要人物がいます。それがマーラーです。ヴォルフと同年生まれで同じ音楽院で学び、ともにブルックナーの音楽に共感したマーラーは、両作曲家とも強く意識していたことでしょう。これが、マーラーの音楽の「複雑性」に、何らかの影を投じているのかどうかはミステリアスな問題です。

 

※はH.シェンツェラー本(メモランダム⑥の3:各p.85,p.132,pp.137-138)を参照しています。

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