ブルックナー/メモランダムⅢ②ーR.ワーグナー(2)

 属啓成『音楽の鑑賞』(<音楽鑑賞全集第1巻>1949年 千代田書房)という第二次大戦後、比較的早いタイミングで出版された本があります。この時代に書かれたことを考えても体系的であり名書であると思います。ブルックナーも紹介されていますが、交響曲で取り上げられているのは4番と7番です。その7番の紹介文を以下、引用します(漢字は新字体に直しますが、それ以外は原文です)。
 
 「第7交響曲変ホ長調は、特に第3楽章のアダジオを以て名高い。この楽章は彼が崇拝するヴーグナーの死を予感しながら書いていたと云われるが、果せるかな完成半ばにして、ヴーグナーの訃報がヴェニスからウインにもたらされた。
 『矢張りそうであったのか。自分は泣いた。おお如何に泣いたことか。それから自分はこの哀悼の音楽をかいたのだ』
と友人にもらした。この交響曲の初演は、1884年ライプチッヒに於てヴーグナー記念碑建造資金募集のために行われ、初演の時既に非常に人気を呼んで(第2楽章は3回もアンコールされたと云う)今日に至っている」(p.240)
 
 ここで興味深いのは、ブルックナーの紹介がワーグナーとの強い関係において語られていることです。属氏は別のところで標題音楽と絶対音楽をクリアに切り離して解釈しており、ブルックナーに関しても第4番について「彼は標題音楽的な交響曲を書いたのはこの1曲以外にない」(p.239)と言っています。
 ワーグナーとブルックナーが、その音楽的な特質とは別に「ある意味」で一体的に捉えられている点については、ナチスのプロパガンダの影響があると思います。
 
 伊藤嘉啓『ワーグナーと狂気』(1989年 近代文芸社)では「反ユダヤ主義」との関係においてワーグナーとナチズムの関係を考察しています。ワーグナーの反ユダヤ感情や攻撃的なユダヤ人批判を半世紀をへてナチズムが利用したにせよ、その萌芽がワーグナーの音楽のなかにあることもアドルノなどの言葉を引いて明らかにしています。
 一方、ブルックナーはどうでしょうか。ブルックナーの人生は、非政治的なものであったと言えるでしょうし、何よりも彼には反ユダヤ的な言動などはありませんでした。しかし、ヒトラーはワーグナーとともにブルックナーの音楽を熱愛し、1937年にはヴァルハラにブルックナーの胸像を入れてその前で写真も撮っています。また、伝えられるところによれば、ハンブルクラジオは、先に引用したエピソードを踏まえて、ヒトラーの死を告げる放送の前に、ブルックナーの7番のシンフォニーの演奏を流したとのことです。
 枢軸国たる日本でも、ワーグナーとともにブルックナーの音楽もドイツからの映像のバックで鳴っていたかも知れません。ワーグナーの標題音楽やライトモティ-フLeitmotivとブルックナーの絶対音楽性の違い、純然たるドイツ人たるワーグナーとオーストリア人たるブルックナーの違いなどもあり、戦後、ワーグナーに比べてブルックナーは「鉤十字(ハーケンクロイツ)の呪縛」からは早く解放されたようですが、こうした歴史的な足跡でも両者の関係は浅からぬものがあります。
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