ブルックナー/メモランダムⅢ④ーR.ワーグナー(4)

バイロイト音楽祭で1986年8月19日にマイスタージンガーを聴きました。以下は終演後の夜、ホテルで記した拙文です。
 
 「文句なく面白かった。これがドイツなのだなという想いが強い。Wagnerを聴いたというよりは、Wagnerをとおして少しくドイツ的なるものに触れたという感じである。そこに登場する人物の生来の特質は、日常接しているドイツ人のいくつかの要素分解という側面があろう。ハンス・ザックスにWagnerが自己投影されているかどうかなどは、かかる観点からは些末な問題であり、意識的にか無意識的にかWagnerは、ここでドイツ的なるものの本質を見事に描ききっていると想う。
 バイロイトの音とはまさに劇場が醸し出す音なのだということを次に学んだ。そこには強大かつ壮麗な音の洪水はなかったが、美しく、ときに繊細でなにより『自然』を感じる柔らかな音があった。Wagnerがもとめていたものがこれだとすると、通常われわれがWagnerの音楽にイメージする管弦楽の最強音は幻影なのかなと想った。大きな音を求めなくなっている自分の年齢についても少しく考えさせられた。
 本当のワグネリアンは少数なのではないかとも感じた。Wagnerの音楽を最後まで集中して聴きうるのは、Wagnerの類い希な作劇上の巧みさとともに、ヨーロッパ人の舞台芸術への接し方の伝統なのだという気がした。
 Wagnerはいまもアクチュアルなのかどうかーそれは留保したいし、そうした聴き方の人が一般的なのだろうと想う。しかし、最良の古典に属することには異論の余地はないだろう。古典中の古典たる由縁は、その作品の切り取っている本質が、いまも息づいていることにあるのではないだろうか。
 中世のドイツにWagnerが見たもの、あるいはWagnerの時代に投影しようとしたものはいまも喪われていないのだろう。ヒトラーやゲッペルスがこの曲を利用しようとした着眼点は鋭いと想うし、ヒトラーの帰趨にかかわらず、ドイツ人がドイツ人たる矜持をもちつづける限り、この曲は彼らにとっての最良の『浪花節』であり、またドイツを愛する者にとっても憧憬を与える曲なのであろう」。
 
 甚だ論旨不明解、陶然とワインに酔って書いた与太文ですが、率直な感想でした。バイロイトは小さな街ですがこの期間は祝祭音楽祭で見るからに華やいでいて、来訪者が明るくとても楽しそうだったことを覚えています。私は家族旅行の一環で、自分のみバイロイトで1泊し、家内と2人の子供は前日からバンベルクに別に宿をとり、翌日朝に電車で迎えに行きました。
 ちょうど100年前の1886年の夏にブルックナーがここバイロイトにて、リスト追悼のオルガン演奏をしたといった事実は当時は全く意識していませんでしたが、ワーグナーという巨星が世界各国からファンを呼び寄せる凄まじい発光力をもつことには驚愕した次第です。
 
<コンサート等の記録>
1986年8月19日 バイロイト祝祭劇場:H.シュタイン バイロイト祝祭Or&Ch
◆ニュルンベルクのマイスタージンガー
(Parkett Rechts,Tuere Ⅵ,Reihe 27,PlatZ 15 )
 
1988年11月13日 NHKホール:W.サバリッシュ バイエルン シュタッツオペラOr&Ch
◆ニュルンベルクのマイスタージンガー
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