ブルックナー/メモランダムⅢ⑨ー中世的なもの

 例えば、ベルリオーズ/「幻想交響曲」:ワルプルギスの夜の夢、ムソルグスキー/「はげ山の一夜」、「展覧会の絵」:こびと、カタコンブ、ババヤガの小屋、グリ-ク/「ペール・ギュント」:山の王の宮殿にて、レスピーギ/「ローマの松」:カタコンブ付近の松などは、一種の怪奇系の音楽です。ワーグナーの楽劇のなかにも、こうした怪奇系音楽のフラグメントはふんだんにあります。西欧における宗教的な恐れやおののきの深部には、われわれの想像を超えるものがあるのではないでしょうか。
 
▼クルト・バッシュビッツ(川端豊彦・坂井洲二訳)『魔女と魔女裁判』(1970年 法政大学出版局)
▼『魔女とシャリヴァリ』(アナール論文選/二宮宏之他 1982年 新評論)
▼ジュール・ミシュレ(篠田浩一郎訳)『魔女』(1983年 岩波文庫)
▼『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(高山一彦編・訳/1984年 白水社)
▼ブライアン・イーズリー(市場泰男訳)『魔女狩り対新哲学』(1986年 平凡社)
▼ジャン-ミシェル・サルマン(池上俊一監修)『魔女狩り』(1991年 創元社)
▼ローズマリ・エレン・グィリー(荒木正純・松田英訳)『魔女と魔術の事典』(1996年 原書房)
▼阿部謹也『西洋中世の愛と人格ー「世間」論序説』(1992年 朝日新聞社)
▼立木鷹志『媚薬の博物誌』(1991年 青弓社)
 
 上記は最近、眼を通した西欧の中世の(そして現代にも続く)、魔女ないし魔女狩り関係の本ですが、敬虔な宗教ー神秘学・オカルティズム、聖なるものー呪われたもの、聖女ー魔女、祝祭ー狂宴は、実は紙一重ではないかという感想を持ちます。あるいは一つの事象をベクトルの正、負どちらの方向から見るかの違いかも知れません。
 
 ブルックナーの交響曲の特色は、対置した前者、即ち、<敬虔な宗教性>、<聖なるもの>、<聖女>(彼が実際に「現世」で巡り会ったかどうかはわかりませんが)、<祝祭>のイメージが強いですが、彼の伝記を読んでも、後者の要素(あるいは意識)も当然強く持ちあわせていたと思います。
 勝手な想像ですが、ブルックナーにおいては正・負の振幅の幅が常人よりもはるかに大きく、それゆえに作曲においては、おそらく意識して前者の要素を強烈に反映した、あるいはそれができたのではないかと思います。
 ブルックナーファンのリスナーは、そうした彼のベクトルの方向性のはっきりした音楽に惹かれます。一方で、マーラーやヴォルフの音楽は、一意的な方向性を持たない複雑な、フラクタルな音楽という気もします。それは現代人の心象を、すなおに、あるがままに表出しているともいえます。ブルックナーもマーラー(やヴォルフ)もなんら抵抗感なく受容するのは、歴史的な連続性よりも、異なったものを両方の秤にかけて、心のバランスを無意識のうちに水平化しようとするからではないでしょうか。
広告
カテゴリー: 本・論考・インタビュー パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中