ブルックナー/メモランダムⅢ⑩ー目次<総括>

 このメモランダムⅢは先のメモランダムのシリーズと同じく、ブルックナーに関する私の備忘録です。
 
 ①から⑦までは、ワーグナーとブルックナーの関係についてのエピソードを中心に拾遺してみました。ウエーバー「魔弾の射手」、ワーグナーでは「マイスタージンガー」「神々の黄昏」「パルジファル」の各曲とブルックナーとの関係がここでの主な関心テーマです。
 
 ワーグナーが初期の作品「リエンツィ」を後年、「泣き虫」と呼んでクールに評価していたエピソードとブルックナーが第1シンフォニーを「小生意気なあまっちょ」と斜に構えて言っていたことになにか「符牒」があるようにも感じ、ひそかに苦笑したりしながらの、自室に籠もってのささやかな「ワーグナー紙上紀行」でしたが、ゴールデンウイークはほとんどこれで終わってしまいました。
 
 ⑧1~4の「古き名盤」は第1シリーズ(メモランダム④の1)の続きです。1993年時点まで、データは異なりますが、時点をジャンプさせてみました(Ⅲ⑧の1で概要がわかります)。その時々の指揮者の勢いや来日演奏などによる一種のブームもありますから、なにがベストか・・とは、あくまでも主観的なものでしょう。それでも長き年月を経ても根強い人気を保ち、また、変わらぬ高い評価があるものはやはり端倪すべからざるものと言えるでしょう。ここはいつもの「天の邪鬼」ではなく、自分の考えが一致したときは、素直に喜んで「そう、そう!」と頷いています。
 
 ⑨は未だ、もやもやしている部分ですが、ブルックナーのなかに西欧の「中世」をみ、その「中世」のポジティブな面が彼の作品に投影されているのではないか、という全くの仮説をもっています。それはネガティブな面の一典型である「魔女と魔女狩り」の本を読んでいての閃きですが、考えてみれば、ワーグナー/ブルックナーVSブラームス「論争」も、論争というより精神構造においては魔女狩りに近いような気がしますし、その後のナチスの台頭とユダヤ人への迫害は、明らかに当時の異端審問、魔女裁判だったと思います。バタイユの言葉でいう「呪われた部分」(La part maudite)に通じるものです。
 
 クルト・バッシュビッツ(川端豊彦・坂井洲二訳)『魔女と魔女裁判』(1970年 法政大学出版局)が特に参考になりますが、「魔女妄想」が「大衆妄想」に転換されていく過程は恐ろしいものです。しかし、それはいまもなんら根絶はされずに心理の襞に眠っているのかも知れません。ブルックナーの音楽は、それに<対置する>精神性があるのではないか、とまで思ってしまうのですが、贔屓の引き倒しでしょうか。
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