ブルックナー/メモランダムⅣ③ー ウイーンフィル(3)

 ウイーンフィルを創設したのは、オットー・ニコライ(1810-1849)でした。彼が初代の指揮者ですが、それ以降、第二次世界大戦までの主要な指揮者の「バトン・タッチ」は以下のとおりです。
 
 カール・ニッケルト、オットー・デソフ、ハンス・リヒター、グスタフ・マーラー、フランツ・シャルク、リヒャルト・シュトラウス、ブルーノ・ワルター、フェリックス・ワインガルトナー、ウィルヘルム・フルトヴェングラーなど。
 
 このうちブルックナーと関係が深いのは、まずオットー・デソフ(1835ー1892)です。彼はブルックナーの交響曲の第2番、第3番を試演で指揮しましたが、それ以前の第0番についての評価も辛辣で、第2、3番とも試演どまりで本演はやりませんでした。その意味では、ブルックナーにとっては、本質的には理解しあえず、そりの合わないあまり有り難くなかった人だったかも知れません。
 続くハンス・リヒター(1843-1916)は、第4番(1881年)、第1番(ウイーン稿/1891年)、第8番(1892年)のウイーンフィルとの初演指揮者で、ブルックナーにとっては大恩人です。ハンス・リヒターはウイーンで学びウイーンフィルでホルン奏者だったこともあり、待望の「地元出身」指揮者の登板だったでしょう。
 グスタフ・マーラー(1860ー1911)は第6番を初演しました(メモランダム/Ⅱ⑧ーG.マーラー(1)を参照)。ブルックナーの最大の理解者の1人です。
 フランツ・シャルク(1863ー1931)は兄のヨーゼフ・シャルク(1857ー1911)、レーヴェ(1865ー1925:第9番の初演指揮者)とともに「ブルックナー3使徒」の一人といわれ、ウイーンフィルとではありませんが、グラーツの市立歌劇場で1894年に第5番を初演しています。また、シャルクはカラヤンの指揮の「先生」でした。
 こうした先人の努力もあって、その後、フルトヴェングラーまでの群像をみても、ブルックナーの作品はウイーンフィルの主要なプログラムにしっかりと根をおろしていくことになります(ミニ・コラム⑤ーブルックネリアーナ指揮者を参照)。
 
 前掲の「125周年記念ウイーン・フィルハーモニー展」目録集(1969年)所収の属啓成「ウイーン・フィルハーモニーの歴史と伝統」には、各指揮者が何回、ウイーンフィルを振ったかの記載があります。最後にこれをメモしておきます。
 
 ハンス・リヒター(23年、定期演奏会数243回)、フランツ・シャルク(30年、171回)、リヒャルト・シュトラウス(85回)、ブルーノ・ワルター(154回以上)、フェリックス・ワインガルトナー(19年、420回)、ウィルヘルム・フルトヴェングラー(330回)。なお、トスカニーニも通算46回の登壇となっていますが、「継続は力なり」でしょうか。
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