ブルックナー/メモランダムⅣ⑤ーW.フルトヴェングラー(2)

 カルラ・ヘッカー(薗田宗人訳)『フルトヴェングラーとの対話』(1967年 音楽之友社)におけるブルックナー演奏について少し長いですが引用します。
 
「彼の練習の特徴は、どんな様式の曲にもそれぞれに含まれている特殊な問題点を、彼がたちまち見てとったという所にある。たとえばブルックナーの場合。『ブルックナーでもっともむつかしいのは、なめらかな静かな楽句を拍子正しく演奏することだ。ブルックナー独特のルバートがあるので、そんな所を勝手にくずして弾くと、まるで台なしになってしまう。』
 ブルックナーの第7交響曲を練習している時、彼は『原典版はほとんど無意味だ、ほんの些細な点しか違っていないのだから』と言っていた。そして『カランド(しだいに音と速度を減じる奏法)は、まったく自然になされねばならぬ。その意図が見えてはだめだ』と注意した。
 別の練習の時、ブルックナーの第5交響曲をやりながら、彼はこんな意見を述べた。『ブルックナーは強調記号を、おそろしくふんだんに使っている。だから、それをあまり正直に強く奏さないように。』曲が一つの頂点に達した所で、『金管楽器はやたらと大きなしまりのない音を出してはいけない。いつもくっきりと、上品に!』そして彼は伴奏部にあたる各パートに対して言った。『あなた方がただ旋律を聞き、それに合わせている時が一番正しく奏している時なのだ!』(pp.121-122)
 
 別の部分ではこんなエピソードも紹介されています。
 
 「フルトヴェングラーは、今ブルックナーの第6交響曲を指揮したところだ。外ではまだ拍手が続いている。ハンカチで顔や首のあたりをふきながら、思いに沈んだ声で彼が言う。『この交響曲を演奏するまでに、私は57歳になってしまいました。しかし、この年でこんなことを体験できるとは、なんとすばらしいことではありませんか。』」(pp.135-136)
 
 次は、ブルックナーの「総休止(ゲネラルパウゼ)」に関してのフルトヴェングラーのコメントです。
 
 「たしかにブルックナーは、じつにしばしば総休止を使っています。しかしよく考えてみなければならないのは、ブルックナーの音楽には、いくつかの大きなアーチがあって、それを建てるには偉大な知性が必要だということです。なるほど彼の音楽には、しばしば何か公式的なものが、しかしまた同時に、何か崇高なものが前面に現れています。」
(pp.179-180)
 
 そうしたブルックナーの特質を引き出すのはフルトヴェングラーの指揮における左手の動きです。 
 
 「指揮に際しては、右手が構成的な意志を表現するのに対し、左手は私たち生来の習慣どおり、より受動的に、繊細に、感情的な要素を表現した。・・・左手はなによりも、旋律の線を形作った。楽曲の魂に訴える力を受けもち、ダイナミックな力に対応する静かな炎を絶やさず保つのが旋律である。ブルックナーが管楽器のコラールと対置させた弦楽器のあの旋律、あるいはシューベルトが甘美なレントラー主題に与えた魅惑的な夢想的な旋律が、そのいい例である。」(pp.83-84)
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