ブルックナー/メモランダムⅣ⑧ー K.シューリヒト

 ブルックナーのもつ「許容量」の大きさでしょうか、多くの版、さまざまな解釈論、そして演奏スタイルの選択肢があります。その典型が8番のシンフォニーで、クナッパーツブッシュやチェリビダッケがミュンヘン・フィルを振った名演は、どこまでもテンポを遅くとり、これでもかというくらいブルックナーサウンドをじっくりと奏でていきます。その対極ともいうべき演奏がシューリヒトだと思います。


            シューリヒト     クナッパーツブッシュ


版           1890年      レーヴェ等の改訂版 


第1楽章      15´31"      15´51"


第2楽章      13´58"      15´54"


第3楽章      21´42"      27´42"


第4楽章      19´42"      26´00"


録音        196312月    1963年1月  


 版の違いは前提ですが、楽章ごとに両者の演奏時間は乖離していきます。第1楽章は20秒の僅差、第2楽章は約2分の差、第3楽章は6分の差、第4楽章は6分18秒の差ですから小曲なら1曲がすっぽり入ってしまう位の大差です。よって聴き手にとっては、後半になればなるほど、じわり、ずしりとそのテンポの差が累積してきます。また、オケも重たい音色のミュンヘン・フィルに対して、柔らかなウイーン・フィルですから、その違いも大きいです。

 シューヒリヒトは、「大器晩成」型の演奏家です。律儀で真面目な人で1944年までドイツの小都市ヴィスバーデンの音楽監督を30年以上も務めていました。同時代人でありながら、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのようなナチズムとの切迫した関係についてもあまり語られていません。ここを退任した時点で64歳。指揮者の世界は「50、60(歳)は洟垂れ小僧・・」のようですから、その後活躍することは珍しくはないにせよ、シューリヒトの場合、先に記したベイヌム(57歳で逝去)との比較でも、どちらかと言えば悠々自適な第二の人生で「突然大ブレイク」したような印象です。

 シューリヒトは1956年のウイーン・フィルのはじめての米国への遠征に同行し盛名を馳せます。これはあらかじめ予定されていたわけではなく、直前に急逝した大指揮者エーリッヒ・クライバーの文字通りの「ピンチ・ヒッター」として急遽首席に選出され登壇したためでした。しかし、この成功が、その後の飛躍の大きなモメンタムになります。時に76歳、遅咲きを超えて普通であればすでに枯淡の年齢です。

 高校生の時ですが、「コンサートホール・ソサエティ」というレコードの頒布会があり、ここではじめてシューリヒトのブルックナー(7番/ハーグ管弦楽団)を聴きました。日本におけるブルックナーブームを静かながら浸透させたLPでした。しかし、その後、相次いで発売されるブルックナーの幾多の名盤に接しているうちに、このレコードのインパクトは薄れ隅に追いやっていました。

 それが、ウイーン・フィルとの晩年の8番や9番を聴くに及んで、改めてシューリヒトの軽快なテンポ、絹のような手触りの弦楽器の響き 、小鳥の囀りに似た木管のよくぬけるアクセント、金管の抑制されつつも十分なダイナミクスに惹かれるようになりました。作為がない、いかにも自然の音楽の流れが心地よく、しかもそれがゆえに一度なじんでしまうと、その精逸な演奏の独自性が他に代えがたいものに思えてきます。シューリヒトは天才肌の指揮者ではありませんが、しかし人間国宝的な「至芸」をもった音楽家なのだと考えます。ブルックナーの良さを教えてくれた名人にいまは感謝したい気持ちで一杯です。

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