ブルックナー/メモランダムⅣ⑨ー R.ケンペ

 ブルックナーで地味ながら味わい深い名演を残したのが、ルドルフ・ケンペ(Rudolf Kempe:1910ー1976年)です。ケンペは、古都ドレスデン近くに生まれ、地元の音楽学校で専門的な教育をうけたのち、1929年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団にオーボエ奏者として入団します。当時の首席指揮者はブルーノ・ワルターでした。指揮者に転じたのち1950年にはドレスデン国立歌劇場の音楽監督として帰省します。
 冷戦下、1952年には「西側」のバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任します。一時米国でも活躍しますが、1960ー63年のシーズンには、バイロイト音楽祭で『ニーベルングの指輪』を振っています。
 東独で専門的な教育をうけ実力で地位を築いたのち、「西側」に転じたキャリアはテンシュテットと共通します。また、その後、イギリス(ロイヤル・フィル、BBC交響楽団)でも高く評価され長きにわたり活躍しますが、1965年-1972年チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団首席、1967年ミュンヘン・フィルの首席と、スイスをふくめ広くドイツ圏にもしっかりと軸足をおいて活動した指揮者です。1976年、チューリッヒにて逝去しますが、円熟の境地をもっと示して欲しかったと惜しまれました。ベイヌム同様、いささか蒲柳の質であったのでしょうか。
 イギリスでは巨匠トーマス・ビーチャムの跡目をつぎ、またミュンヘン・フィルではクナッパーツブッシュ時代とチェリビダッケ時代の中間に位置します。メインの活動の時期は、カラヤンやベームらの全盛期であり、ほかにもミュンシュ(ミュンシュがゲヴァントハウスのコンサート・マスター時代にケンペはオーボエ奏者として仕えています)、バルビローリ、アンセルメはじめそれこそキラ星の如く、国別にスペシャリティの高い領域では大家がいまだ各所で健在でしたから、ケンペの活動は相対的には地味に見えます。しかし、今日、振りかえってみると、ケンペは堂々のドイツ正統派の実力を有し、レコードでもドイツ古典派・ロマン派を中心に多くの成果を残しています。
 ブルックナーでは、4番、5番のシンフォニーをミュンヘン・フィルで、8番をトーンハレで聴くことができます。 5番が特に良い演奏だと思います。ブルックナーのこの曲への複雑な感情表出が、陰影を感じさせる深い響きから浮かび上がってきます。全体にデューラーの少し暗い色調の絵を観賞するような趣きがあります。また、ミュンヘン・フィルの重量感のある低弦が美しい第2楽章のアダージョは、これぞドイツ的な音の渋さ、くすみ、幾分の暗さが微妙にブレンドされていて、全くぶれず程良い一定のテンポで持続していきます。聴いていてケンペならではの独自の音づくりには静かな感銘を受けます。
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