ブルックナー/メモランダムⅥ③ー ハプスブルク帝国(2)

 フランツ・ヨーゼフは、実質栄光のハプスブルク帝国最後の皇帝です。しかし、この皇帝は大きく歴史が転回していく時代にあって、勤勉に職務を全うした君主であったようです。
 朝は4時に起床し、夜9時就寝、公務は10時間という規則正しい生活をおくり、また請願者には厭うことなく会い、時には1日100名に及んだとも言われます。
 1848年3月革命を契機として18歳で即位しその後帝位68年という長期政権でしたが、国際的な、内政的な状況は厳しくとも、帝都ウイーンはこの皇帝の努力によって支えられ世紀末文化の大輪を咲かせます。ブルックナーはフランツ・ヨーゼフの6歳年上の同時代人です。後にこの皇帝との個人的な関係もみていきますが、以下はフランツ・ヨーゼフ個人および家族についての年譜を記します。
 
1848年 即位
1853年 マジャール愛国者に襲われて負傷
1857年 2歳の長女を喪う
1867年 メキシコ皇帝の弟マクシミリアンが現地で処刑(皇位継承権は事前放棄)
1889年 皇太子ルドルフがマリー・ヴェツェラと情死(皇位継承者の死)
1898年 皇后エリーザベトがジュネーブで暗殺さる
1914年 甥フランツ・フェルディナントがサラエボで暗殺さる(皇位継承者の死)
1916年 逝去(2年後に帝国終焉)
 
 本メモランダムを書くにあたって参照している池内紀監修『オーストリア』(1995年 新潮社)によれば、「夭折、処刑、情死、暗殺と、まるで不幸の見本市のごとく・・」(p.36)ということになりますが、よくこれだけの試練に耐えて国政に専心できたものです。
 執務は軍服でおこない「カール6世がウイーンにもちこんだスペイン風の慣習を好み、電話、自動車、タイプライターは避け、電気を用いず、最後までランプのもとで仕事をし、バス・ルームは作らせず、旧式のバス・タブをそのつど運ばせていた、という」(同)古風な生活スタイルをあくまでも堅持した皇帝でした。
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