ブルックナー/メモランダムⅥ④ー ハプスブルク帝国(3)

 ブルックナーが生きた時代は、彼個人の生活史とは別に激動の時代でした。オーストリアをめぐる外交事項※1を以下、ピック・アップしてみます。
 
1848ー1849 ウイーン暴動(3月革命)。メッテルニヒ失脚。オーストリアはロシアの助けを得て、ハンガリー民族運動を鎮圧
1848ー1916 フランツ・ヨーゼフ(Franz Joseph)皇帝の治世
1852ー1870 ナポレオン三世の干渉。オーストリアはマジェンタとソルフェリーノで敗北、その結果、ロンバルディアを失う
1853ー1856 クリミア戦争。オーストリアが介入し、ロシアはバルカン侵略から撤退をしいられる
1861ー1865 アメリカ・南北戦争
1866 プロイセン=オーストリア戦争。オーストリアはケーニヒグレーツの戦いに敗北。ドイツ政策から撤退
1867 オーストリア=ハンガリー二重帝国成立
1878 オーストリア、ボスニア・ヘルチェゴヴィナを占領
1914 第一次世界大戦開戦
1916ー1918 カール一世(Karl Ⅰ)の治世。オーストリア=ハンガリー二重帝国の解体。ハプスブルク帝国の終焉
 
 一方、帝都ウイーンでは都市改造の槌音が大きく響いていました。※2 1840ー1880年にかけて、古い防御施設がとり壊され、リング(Ring)と呼ばれる環状道路が整備されます。とともにリングにそって多くの建造物がつくられますが、これは復古調の「歴史主義」(Historismus/Historisme)によるものでした。
 
凹 オーストリア応用美術博物館:ハインリヒ・フォン・フェルステル(Heinrich von Ferstel) /フィレンツェ・ルネサンス様式
凹 奉納教会:同上 /フランス・新ゴチック様式
凹 国会議事堂:テーオフィール・ハンゼン(Theophil Hansen) /ギリシア新古典主義様式
凹 市庁舎:フリードリヒ・シュミット(Friedrich Schmidt) /フランドル・新ゴチック様式
 
 こうした建造物需要とともに彫刻も盛んにつくられました。市民生活では椅子やテーブルなどビーダーマイヤー様式の家具(機能的な形態、明るい色調に特色)がもてはやされますが、これは、Bummelmeier(のらくら者)、Biedermann(愚直者)と非常にありふれたファミリーネームMaierの合成語からDas Biedermeierとなったとのことで「あまり名誉ではない名前」のようです。
 
(出典)『オーストリア ミシュラン・グリーンガイド』(1999年 実業之日本社)
※1:p.27、※2:pp38-39から引用、作成
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