ブルックナー/メモランダムⅥ⑨ー 帝都ウイーン物語(3)

 ブルックナーの音楽はよく壮大な建築物にたとえられます。ここには「比喩」としての意味以上のものがあると思います。
 まず幼年期から決定的な影響をうけたザンクト・フローリアン修道院(St.. Frorian)ですが、純粋バロック様式により、1686ー1751年にかけてカルロ・アントニオ・カルローネによって建築された由緒正しき遺産です。
 
 リンツ時代、もっともながくここで過ごしたであろう旧大聖堂ー聖イグナティウス教会(Alter Dom St. Ignatius)は17世紀後半、ピエトロ・フランチェスカ・カルローネ設計による市内でもっとも著名なバロック教会であり、ここにはブルックナーが12年のながきにわたってオルガニストとして務めたことを標す記念章(medallion)があります。
 
 ブルックナーがバイロイト祝祭歌劇場の建築現場の視察に熱中するあまり、ワーグナーとの待ち合わせの時間に遅れてしまったことは以前書きました(メモランダムⅢ③ーR.ワーグナー(3)を参照)が、彼はロンドンではかねてから楽しみにしていたロンドン塔の見学にも行っています。そのロンドンでブルックナーが7万人の聴衆をオルガン演奏で唸らせた水晶宮(1851年竣工)ですが、この建物は当時、大量生産が可能となった鉄とガラスによる画期的な建築物で、ジョセフ・パクストンによる強大な温室であり装飾要素を一切排除したモダニズムにも特色があったと言われます。
 
 さて、帝都ウイーンです。すでにハプスブルク帝国論でみてきたとおり、ブルックナーが生きたこの時代は、ウイーンの近代都市改造の最盛期にだぶっています。従来のランド・マークたるザンクト・シュテファン大聖堂、ホーフブルク(王宮)を核に、①フォーティフ・キルヒェ(奉献聖堂)、②国立歌劇場、③ノイエ・ホーフブルク(新王宮)、④裁判所、⑤美術史博物館、⑥自然史博物館、⑦国会議事堂、⑧市庁舎、⑨大学、⑩ブルク劇場、⑪銀行協会、⑫証券取引所、⑬営舎、⑭技術・職業学校が環状道路にそって相次いで建築されました。また、これらの建築物は、イタリア、フランスのルネサンス、ネオ・バロック、グリーク・リヴァイヴァルと復古調の様式がことなり、当時のウイーンっ子はブルックナーに限らず、きっと眼を白黒させたことでしょう。帝都ウイーンが最後の残り火を強く絢爛と燃やした白昼夢のような時代だったと思います。
 それはまた、ブルックナーが黙々と自室で、音符によって壮大な音楽空間の設計に勤しんだ時代でもありました。
 
(参考文献)
▼ヴォルフガング・ブラウンフェルス(日高健一郎訳)
『西洋の都市ーその歴史と類型』(1986年 丸善)
▼熊倉洋介他『西洋建築様式史』
(1995年 美術出版社)
▼『オーストラリアーミシュラン・グルーンガイド』
(1999年 実業之日本社)
▼ハインリヒ・プレティヒャ(関楠生訳)
『中世への旅 都市と庶民』(1982年 白水社)
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