ブルックナー/メモランダムⅦ③ ーE.ハンスリック

 E.ハンスリック(Eduard Hanslick:1825-1904年)といえば、ブルックナーファンにとって憎き敵役で、不倶戴天の人物でしょう。しかし、彼の代表的な論文『音楽美論』(原題:Vom Musikalisch-Schönen/渡辺謙訳 岩波文庫 1960年)を読んでみると、少しちがった印象をもつのではないでしょうか。
 
 ハンスリックはプラハ生まれでチェコ系のユダヤ人。はやくからピアノで音楽的な才能に開花するものの、ブラハ大学では法律を専攻し、またその一方で音楽評論を手がけていました。1849年法学のドクターの資格をえるとともに司法官試験に合格。1850年にクラーゲンフルトの税務署に勤務、その後、1952年にはウイーンの大蔵省に転任し、1856年にウイーン大学の美学および音楽史の講師、1861年に文部省の官吏からウイーン大学の助教授に転任、1870年にウイーン大学教授に昇進し、さらに1886年に宮中顧問官となり1895年に楽界から引退するまでウイーンでは音楽批評家として活躍しました。 
 この『音楽美論』は評論などをのぞけば、単著としては彼のデビュー作ですが、1854年大蔵省の役人時代に苦労して出版、生存中にフランス、スペイン、イタリア、英語、ロシア語などに翻訳され結果的に彼の代表作になったものです。
 
 ハンスリックの考え方は序言で簡潔にかたられており、①音楽は「感情を表現すべきである」という考え方の否定と、②「音楽作品の美は音楽以外の、音楽にとって異質的な思想範囲になんら関係なく、音の結合に内在している」ということです。そこで「音楽的に美なるもの(das Musikalisch-Schöne)とはなにかを解明しようとする試みが本書の意義であるとされます。序言の最後では痛烈なワーグナー批判をおこない、その音楽を「阿片陶酔」と言い切っています。
 「音楽美」の内容の分析として、ハンスリックはベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲をとりあげて、その音符のシンメトリーな構造が聴き手に精神的な満足感をあたえることを説明します。
 音楽の原要素は快音(Wohllaut)であり、音楽の本質はリズムである、とされ、さらにリズムとは「シンメトリーをもった構築の各部分が統一整合されていること」と「一定の時間尺度内の個々の構成要素が合法的に交代する運動」と定義されます。音楽の原料となる素材は楽音(Töne)で、ここに「旋律や和声やリズムに対する可能性が潜在して」おり、「旋律は音楽美の根本形体として無尽蔵であり、和声は無数の変転と転回と強化をもってたえず新しい基盤を提供する。リズムはこの2つを合して動き、音楽的生命の動脈となり、多様の音色の魅惑を色づける」と語られ、「音楽の内容は響きつつ動く形式である」と結論づけられます(pp75-76)。
 さらに、この形式については、「音楽のように短期間にそしてまた多くの形式を使用しつくしてしまう芸術はないであろう。多くの転調、終止法、音程進行、和声進行等が50年はおろか30年の中に陳腐なものとなり、聡明な作曲家はそれらを利用できないことになり、つねに新しい、純音楽的な特性を作り出すように迫られる」(p.90)といった革新性を肯定します。
 そこから古典的なシンメトリーに固執していては駄目で「音楽的な感性は常に新しいシンメトリックな形成を要求するのである」(p.100)と指摘します。
 後段の部分では、心理学、生理学と音楽との関係にもふれ、音楽療法(「音楽の身体にたいする作用とこれを治癒目的のために使用する」p.123)といった可能性にも言及し博覧強記ぶりをアピールします。音楽と「自然美」との関係性や「哲学」的な意味での「形式」と「内包(Gehalt)」の関係性などもその後に取り上げられますが、こうした展開は、上記の考え方の枠内を繰り返し確認する作業のように思われ、そこからは新たな考え方の表出は乏しいように感じます。
 
 さて、ハンスリックの以上の指摘からブルックナーは批判されるべき対象でしょうか。ハンスリックの矛先はもっぱらワーグナーの標題音楽、詩的なパッションに対して向けられていますが、ブルックナーの音楽が一部、メロディの転用やアナロジーをのぞきワーグナーの音楽と異なっていることは明らかです。ブルックナーは、当時最高の音楽学者ジーモン・ゼヒター(1788-1867年)に弟子入りし30代後半の5年間にわたり、時には日に7時間も根を詰めて和声・対位法を研鑽したのち、はじめて本格的な作曲活動をはじめます。ブルックナーの交響曲のいささか煩瑣で度をすぎた場合すらあると言われるシンメトリー性も多く指摘されるところです。そして、同時代からみたその独創性も、ヴォルフをはじめ多くのブルックナー支持者ですら、その真価を知るのに一定の時間を要したこともあるいは傍証材料かも知れません。
 ハンスリックは、はじめブルックナーのミサ曲などを高く評価しさまざまな便宜をはかっていた時期もあります。愛憎紙一重で、ブルックナーのワーグナーへの傾倒と反比例して、ハンスリックの容赦のないブルックナー批判が展開されることになりますが、ブルックナーも多分読んだであろうこの『音楽美論』からみて、「どこが批判されなければならないのか・・」、人知れずブルックナーは悩んだのではないでしょうか。
 
 さらに、音楽理論を知らないわたしのような素人の立場からの勝手なレトリックで言えば、この『音楽美論』こそ、皮肉にもブルックナーの音楽の素晴らしさを浮き彫りにする当時の最良のテキストではないか、とさえ思えるのですが。
広告
カテゴリー: 魅力の源泉 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中