ブルックナー/メモランダムⅦ⑤ー朝比奈隆(1)

朝比奈隆氏(19082001年)の略歴

 関西の指揮者界の大御所として知られた朝比奈氏だが生まれは東京牛込旧制東京高等学校卒業を経て旧制京都帝国大学(現・京都大学)法学部を卒業(1931年)後、2年間阪急電鉄に勤務。電車の運転や車掌、百貨店業務などを行う。その後、改めて京都帝国大学に学士入学で入り直し、同大学文学部を卒業(1937年)。法学部在学中には同大学のオーケストラに参加し、ヴィオラとヴァイオリンを担当。やがて指揮をロシア人指揮者エマニエル・メッテルに師事、その他、レオニード・クロイツァーアレクサンダー・モギレフスキーの影響を受けた。卒業の1937年に、京大オーケストラを指揮して指揮者デビュー。文学部在籍中より大阪音楽学校(現大阪音楽大学)に勤め、卒業後教授に就任。なお、1908年生まれはカラヤンと同年齢。法学部卒業はベームらと共通する。 

 1940年1月31日、新交響楽団の演奏会でチャイコフスキー交響曲第5番他を指揮し、公式にデビュー。その後1942年からは大阪放送管弦楽団の首席指揮者、その後大陸に渡り、上海交響楽団(1943年)や満州国において新京音楽団(新京交響楽団)・ハルビン交響楽団(1944年1945年)で指揮活動を行い、1945年春には満州に移住するも、間もなく終戦、日本本に引き揚げた。中国大陸の広大の気を吸い込んだという点では小澤征爾も共通する。その後、大阪フィルを実質、立ち上げ常任指揮者から音楽監督をへて半世紀以上にわたりこれを育てた。1954年以降、ブルックナーをしばしばコンサートで演奏し、1973年には大阪フィルの東京公演では5番のシンフォニーを取り上げ大成功を収める。

 その後、ブルックナー全集を録音し日本におけるブルックナー演奏の第一人者の地位を確立する。ブルックナーの交響曲の演奏のほかに、主要レパートリーであったベートーヴェンやブラームスの交響曲の連続演奏会や全集の制作も盛んに行った1995年阪神・淡路大震災に遭遇、また、同年6月には終戦以来50年ぶりにハルビンを訪問し、満州時代に朝比奈の下で演奏していた元楽員と再会した。

 1996年にはシカゴ交響楽団に客演。これはピエール・モントゥーの記録を抜く同オーケストラの最高齢の客演指揮者であった。2001年10月24日の名古屋公演におけるチャイコフスキー交響曲第5番が結果的には最後の舞台となり、演奏会後体の不調を訴えて入院。そのまま復帰することなく12月29日に死去した。没後、大阪フィルハーモニー交響楽団創立名誉指揮者となった。デビューと白鳥の歌が奇しくもチャイコフスキー交響曲第5番であった。2002年2月7日ザ・シンフォニーホールで行われた「お別れの会」では朝比奈千足の指揮で、遺志に従ってベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章が演奏された(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より作成)。

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