ブルックナー/メモランダムⅩ⑥ー大自然

ウイーンの森wi14

 
  ブルックナーはオーストリアの郡部の地方出身で、壮年から晩年までを過ごした当時の<帝都ウイーン>での都市生活にはあまり馴染めなかったかも知れない。いくども当時の固陋かつ老獪なウイーン音楽界で辛酸な苦労を舐めつつ、ときに生まれ育った大自然やその近郊の懐にいだかれ、その心の傷や制御の難しい緊張感を癒してきた。朝比奈隆がブルックナーを「田舎の坊さん」と言ったのは至言だろう。
 
  ディーター・ケルナー『大音楽家の病歴ー秘められた伝記2』(音楽之友社)を読むと、彼の神経衰弱は加齢ともにひどくなっていったようだが、温泉への転地療法、日頃の、自然へ接触するための山歩きや散歩は彼にとって、精神の安定をたもつうえで必須に日課でもあったといえよう。
  彼の作品には、ときに大河の流れのような滔々たるスケール感、雷の戦慄き(わななき)にもにた切迫感、小鳥の囀り(さえずり)を連想させる心和む旋律などがあるけれど、これらの曲想の<ヒント>をそうした大自然との接触から得ていたとの記述は彼のエピソードのなかにもみてとれる。
 
  メビウスの帯(Möbius strip)のように<はじめ>と<おわり>が結節し、またどこが表で裏かの区別がない性格はブルックナーの音楽を連想させる一方、この音楽の<無限循環性>は有限、一個の人間に対して、四季の移ろい、年月の周期性から大自然のもつ神秘を感しさせる。はじめから大自然を意図的に描こうとした標題音楽とはことなるが、ブルックナーの音楽そのものが、宇宙、山脈、大渓谷、大河などの大自然のなかで呼吸しているような感じをもっているのは、彼一個がいつもそうした風景のなかに溶け込んでいるからではないだろうか。 
 
  さて、いま聴いているのはケンペ指揮ミュンヘン・フィルの交響曲4、5番である。ケンペといえば、R.シュトラウスのアルプス交響曲の名演を即座に思い出す。叙事的な描写とでもいうべきか、この演奏でもこうしたブルックナー・サウンドの特質をよく思い起こさせる。
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