ブルックナー//メモランダムⅢ②ーカラヤンとフルトヴェングラー

ブルックナー:交響曲第8番(第2~4楽章)、ベートーヴェン:『英雄』 
 ブルックナー:交響曲第8番ハ短調~第2、第3、第4楽章
 録音:1944年6月28日(第2、3楽章)、9月29日(第4楽章)  
 第4楽章のみステレオ
 プロイセン(ベルリン)国立歌劇場管弦楽団
 
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
 
 『カラヤンとフルトヴェングラー』(中川右介著 幻冬舎新書 2007年)を読む。本書は、フルトヴェングラー、カラヤン、チェリビダッケの3人の指揮者の折りなす人生ドラマが、ナチズムという辛酸かつ強大な官僚機構とおどろおどろしい人間関係を軸に展開される労作だが、ここではブルックナーに関しても参考になる多くの記述がある。まず、表記の8番が録音された1944年についてだが、この時期のカラヤンの活動について、少し長いが以下を引用する。
 
 「ベルリンに代わる新天地としてカラヤンが目をつけたのは、オーストリア第三の都市であるリンツだった。ここはブルックナーの生地で、帝国ブルックナー交響楽団があった。
 
 リンツはヒトラーが育った町でもあった。ヒトラーは、この町を音楽の町にしようと考え、1939年に、リンツ・ブルックナー管弦楽団を創設させた。ゆくゆくは、バイロイトのワーグナー協会のように、ブルックナー協会をつくり、ブルックナー音楽を聴くための音楽祭も開催したいと考えていた。管弦楽団結成はそのための第一歩だった。歌劇場のオーケストラを母体にしたもので、当初は地元の音楽家だけで構成されていた小規模なものでしかなかった。これを飛躍的にレベルアップさせたのが、音楽監督として就任したゲオルク・ルートヴィッヒ・ヨッフム(オイゲン・ヨッフムの弟)だった。1942年には、ドイツ・オーストリア全土から優秀な演奏家が集められ、放送局に所属するリンツ帝国ブルックナー管弦楽団として再結成された。
 
 1944年7月23日、リンツ郊外のザンクトフローリアン修道院で、カラヤンはこのオーケストラを指揮してブルックナーの交響曲第8番を演奏した。彼はこのオーケストラが気にいった」(pp.109-110)。
 
 「10月にベルリンで州立歌劇場を指揮した8番も好評だった。カラヤンはますますブルックナーに自信を深めた。そこで、リンツを拠点に、ブルックナー指揮者として再起するという計画を立てた。
 カラヤンのこの野望は、リンツのオーケストラの生みの親ともいうべき、放送局の幹部ハインリヒ・グラスマイヤーの意向とも一致した。グラスマイヤーはヨッフムの音楽家としての才能は認めながらも、もっと派手でカリスマ性のある指揮者を求めていた。そこにカラヤンが登場したのだった」(pp.110-111)。
 
 しかしながら、このカラヤンの「野望」はフルトヴェングラーによって打ち砕かれる。10月、フルトヴェングラーはザンクトフローリアンでこのオーケストラとブルックナーの9番を共演し、召集令状の来ていたヨッフムの留任をゲッペルスに頼み、その地位を保全することによって、カラヤンの芽を摘んだといわれる。カラヤンはこの時期、フルトヴェングラーの逆鱗にふれて事ごとに進路を邪魔されたと記述されている。
 
 そのカラヤンが、戦後の1947年ウイーン・フィルと記念すべき活動再開にあたり、ウイーン楽友協会で演奏したのは、10月26、27日のブルックナーの7番だった(p.168)。
 
 また、バイロイトでの1951年デビューでの5月28日ウイーン交響楽団とのコンサートではローエングリン前奏曲とふたたびブルックナーの8番を取り上げている(p.216)。
 
 さらに、フルトヴェングラーが死の床にあった1954年11月21、22日のベルリン・フィルとの非常に重要な局面での定期コンサートで、カラヤンが演奏し大成功を収めたのはブルックナーの9番であった(p.269)
 
 それから35年後、あまりに有名だが、カラヤン最後のコンサートとなったウイーンでの1989年4月23日ウイーン・フィルとの共演で演奏されたのはブルックナーの7番であった(p.302)。
 
 カラヤン亡き後、チェリビダッケが1992年3月31日、4月1日に1954年以来、実に38年ぶりのベルリン・フィルとの演奏で取り上げたのも奇しくもこのブルックナーの7番であったのも「ドラマの符牒」としては考えさせられる(pp.303-304)。
 
最後は本書以外ですが、フルトヴェングラー追悼文の一部です・・・
 
■エンリコ・マナルディ

・・・死に先立つ数ヶ月前、ルツェルン音楽祭での、最後のコンサートを、思い起こしながら、この文を閉じたいと思います。プログラムには、ブルックナーの第7交響曲とありましたー純化されて、神々しいまでに天国的なあの演奏!あの作品を演奏するのは、これが最後だと、彼自身が知っていたかのようでした。
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