ブルックナー//メモランダムⅤ④ーカラヤン 再考

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調第2~4楽章

●プロイセン(ベルリン)国立歌劇場管弦楽団
■録音年月日:1944年6月28日(第2、3楽章)、9月29日(第4楽章)
■録音場所:ベルリン
■録音:モノラル/ステレオ(第4楽章)
■原盤所有社:ドイツ帝国放送協会(RRG)
■発売:KOCH SCHWANN
■タイミング:II:16:10、III:27:21、IV:27:34
http://www.karajan.info/cgi/index.cgi?sort=up32&keys3=%83u%83%8B%83b%83N%83i%81%5B+%8C%F0%8B%BF%8B%C8%91%E6%82W%94%D4%83n%92Z%92%B2&not3=%8EB%89e%95%97%8Ci
 
 カラヤンはこの44年盤のあと、57年に名演と褒めそやされた再録をベルリン・フィルと行っています。さて、57年盤の録音時間を確認してみると、I:17:05、II:16:04、III:27:31、IV:26:17 となっています。驚くべきことに、欠落している第1楽章を別として、この44年盤との比較では、第2楽章は00:06差、第3楽章は00:10差、第3楽章で01:17差という「僅差」です。この間、星霜13年、かつオーケストラも違うこの「2つの録音」は根底では、ほぼ一致した内容といってもよいと思います。カラヤンのブルックナー第8番解釈は、既に44年盤の段階でほぼ完成していたと言えるのかも知れません。
 この点は同じく戦前、プロイセンを振った「英雄」でも、同様な印象をもったことがあります。もっとも、ここで敢えてコメントをしておくべきでしょうが、カラヤンはライヴでは全く別の顔を見せることもあること(特に、テンポ設定については大きく可変的)です。

 44年盤、57年盤ともに、近現代の指揮者として、はじめてレコードという「電気」媒体にもっとも高い感度と深い知識をもっていたカラヤン(ここが、クナッパーツブッシュやフルトヴェングラーとの大きな違いです!)にとって、特別な意味がありました。44年盤第4楽章は、世界初の実験的なステレオ録音です。これを事後モニターしたカラヤンは、強く前楽章の再録を主張して関係者とかなり揉めたと伝えられています。戦時中ながら、ステレオという新技術の将来に、カラヤンは秘かに強い思いを馳せました。また、57年盤はベルリン・フィルを統率した本格的なステレオ録音の「はしり」です。どちらも、カラヤンにとって、同時代の指揮者が理解できないくらい先導的、重要な意味のある記録であったと思います。なお、57年盤を中心とする8番の演奏評および戦中・戦後のカラヤンの活動については下記を参照して下さい。

http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!943.entry?&_c02_owner=1
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1181.entry?&_c02_owner=1

  ところで、フルトヴェングラーは、ベルリン・フィル、ゲヴァントハウスのドイツ最強の2大オケで、大御所ニキシュの後任として、ブルックネリアーナ指揮者の名声を継ぎました。クナッパーツブッシュの「先生」はかのハンス・リヒターであり、これもブルックナー使徒として、正統な伝承者たる資格があったと言えるでしょう。では、カラヤンは・・・。フランツ・シャルクの演奏を学生時代よく聴いたようですが、弟子ではありませんでした。

 カラヤンのブルックナー解釈は、さまざまな先人の内容を意欲的に吸収しつつも、若き日からスコアを読み尽くし、自分自身で築いたものであったと言えるのではないでしょうか。後に援軍が現れます。ブルックナー改訂で名をとどめたハースは、カラヤンの演奏を聴いて、彼の校閲の考え方からこれを高く評価しました。カラヤンにとって、泰斗ハースのこの見解は大きな自信に繋がったでしょう。

 カラヤンは、ブルックナー交響曲第8番を得意中の得意の演目としていました。戦前から一貫して8番こそ、フルトヴェングラーともクナッパーツブッシュとも異なる「スコア重視派」カラヤンの金看板でした。いま、アナロジカルに例をあげれば、今日のピリオド奏法くらいの衝撃があったかも知れません。それについで、9番、7番、5番をよく取り上げました。録音は9番(日本でのレコード芸術推薦盤1967年)、4番、7番(同1971年)がはやく世評も高かったのですが、カラヤンは実は、これ以前から交響曲全集(除く00,0番)の収録に意欲をもっていたようです。

 しかし、これは時期尚早でした。何故かと言えば、当時ドイツグラモフォンは、ブルックナーではブルックナー協会会長オイゲン・ヨッフムの名盤(いまもその価値は変わりません。全集ではカラヤンと双璧と思っています)がありましたし、なによりも、ブルックナーのレコードは当時、全く売れなかったようです。後に、カラヤンが満を持して全集を出した頃は、ブルックナー受容がはるかに進むとともに、誰も文句なし、「カラヤンの名前」で十分に売れるようになっていたからでしょう。ここにも当時の興味深いブルックナー事情があります。

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