ブルックナー//メモランダムⅥ⑨-2 Amazon最近の売れ筋から

ブルックナー:交響曲第8番

 クナッパーツブッシュのブルックナーはその種類も多く、演奏、録音ともに良いとなると慎重なチョイスが必要な場合もありますが、ミュンヘン・フィルとの8番は素晴らしいものです。
 クナッパーツブッシュは練習嫌いで有名、多くの逸話も残っていますが、それは1回の演奏への集中度、燃焼度を高めるうえでの「方法論」といった視点もあるのではないでしょうか。深くえぐり取られるような音の「沈降」と一気に上昇気流に乗るような音の「飛翔」のダイナミクスの大きさは他ではなかなか聴けません。音楽の設計スケールの大きさが「桁違い」で、こういう演奏をする人にこそ巨匠(ヴィルトゥオーソ)性があると言うのでしょう。歴史的な名盤だと思います。

(参考)◆クナッパーツブッシュ:桁違いの演奏スケール◆

http://www.amazon.co.jp/%E2%97%86%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%EF%BC%9A%E6%A1%81%E9%81%95%E3%81%84%E3%81%AE%E6%BC%94%E5%A5%8F%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%AB%E2%97%86/lm/R14V48RM962HTF/ref=cm_lmt_dtpa_f_2_rdssss0

ブルックナー:交響曲第8番

 シューリヒトで8番を聴く。おそらくスコアを読み尽くした深い解釈があるのだろう。83歳の老巨匠である、タクトの微妙な振れによる隠された手練れの曲つくりもきっと・・!?
 否、である。耳を傾けるとそうした通俗っぽい「思考の夾雑物」を一切合切、洗い流してしまうような演奏である。リスナーの全神経が音楽に知らぬ間に引きよせられていく。それ以前に、演奏するオーケストラの面々も、もしかしたら同じカタルシスの状況にあるのかも知れない。シューリヒトは一途に、只ひたすらに、ブルックナーの音楽空間にリスナーを連れて行ってくれる音楽の伝道師のようだ。
 クナッパーツブッシュを聴くと桁違いの音の設計スケールの大きさに驚くが、シューリヒトの演奏の「至高」とは、例えばアルプスの山稜を遠望しながら清浄な大気を胸一杯吸い込んでいるような幸福感にひたれるところではないかと思う。精妙かつ快活感ある名演である。

ブルックナー:交響曲第7番

 ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 WAB107(ハース版) 
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 

 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮) 
 録音時期:1989年4月18~23日(デジタル) 
 録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール

 第1楽章、テンポが遅く、低弦が少し裾を引き摺るように重い足取りですすみ、重心の位置の低い演奏という感じである。その傾向は第2楽章アダージョにいたり特に顕著となり、どんな難解な曲も聴き手にとって明解かつ軽快に表現してみせた往時のカラヤンのスタイルとは違った一種の「忍耐」を聴き手に要求する。
 フルトヴェングラー的な大胆な緩急をつけたテンポの動かし方をまったくしない。第3楽章も速度は遵守され厳格なテンポを崩さぬ演奏であり、ダイナミクスの振幅もあえて抑制されているように感じる。
 その一方、ディテールについては、全ての音が細密画を見るように、まさに「細大漏らさず」再現されており、特にブルックナーのメロディの美しさをあとう限り際だたせている。演奏によってここまでメロディは磨かれ、生き生きと息づくのかと思うし、同業の指揮者ならその高度な技法に打ちのめされ溜息をつくだろう。
 第4楽章も以上の傾向は基本的に変わらないながら、低弦の重さが減じテンポも少しく自由度を与えられウイーン・フィルらしい美しい響きが前面に出てくる。フィナーレも音が崩れず冷静さを失わない処理である。

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」

(以下は上記とは別、ケルン放送響を振っての同番演奏評です) 

1976年12月10日ケルンで地元のケルン放送交響楽団を振っての録音。この当時、日本でヴァントのブルックナーに注目する人はほとんどいなかった。また、当時、ブルックナー自身、広く聴かれる作曲家ではなかった。ヴァントは1968年に来日し読売日本交響楽団を指揮しているから、76年の時点で日本では、けっして無名ということはなかったろうが、よもや晩年、その演奏がかくも熱狂的に迎えられることを予測した向きは多くはなかったはずである。
 CD附属のライナー・ノートによればケルン放送交響楽団は1947年に創設、ケルンと縁の深いヴァントは当初からこのオケと演奏をともにしてきた。録音時点でヴァントは既に64才になっており、オケも放送響として30年近い実績を有していた。その意味では相性の良いコンビによる得意の演目の録音であったといえよう。
 感情を抑制しつつもその実、熱っぽく、一方でしっかりとツボを押さえた抑揚のきいた佳演である。良く「練られた演奏」とでもいうべきだろう。ヴァントはその後、晩年のシューリヒトがそうであったように年とともに著名度をあげ、大家と目されるようになる。ベルリン・フィルやミュンへン・フィルなどとも同番の名演を残しており、それとの比較では本演奏はいわゆる「旧盤」といえようが、その解釈は一定でどのオケを振ってもそうブレは感じない。じっくりと作品に沈潜して、内在する音楽を見事に引き出すことに関しては、プロとしての安定性ある練達の技能者である。これは4番に限らないが、いま聴き返して、ブルックナーの荘厳な世界を見事に表現している技倆に改めて驚き、また敬慕する気持ちを抱く。

ブルックナー:交響曲第9番

 日本には根強いシューリヒト・ファンが多い。自分もその末席に座しているなと思うこともある。いま、もう何度もお世話になっているブルックナーの9番を聴いている。
 なんとも精妙な音づくりに、これぞシューリヒトならではと膝を打つ一方、一種の「軽みの美学」は、待てよ、これってクナッパーツブッシュ的じゃないか?と感じることもある。あるいは両巨頭に<共通した部分>があるというべきか。後期3曲、7,8,9番は、両巨頭とも双璧の拮抗をみせる世紀の名演を残してくれている。どちらが上かはナンセンスな質問であり、リスナーの好みの問題といえるだろう。

 軽快なテンポで、音楽を重くせず、オーケストラの溜まっていくエネルギーを、ヒラリ、ハラリといなしていくような独特のやり口にそうしたことを思う次第だが、その反面、クナッパーツブッシュは時に大爆撃のようなこともやってみせるが、シューリヒトの演奏は最強音でも独特の品の良い美しさを失わず常軌を逸することがない。
 「1958年公演直後のウィーン・フィル、クナッパーツブッシュ、シューリヒトとのヨーロッパ演奏旅行の楽団員用スケジュール小冊子」なるものがあるという。この2人の関係が気になる。
 シューリヒトは典型的な大器晩成型で、晩年になってから大舞台で活躍したので、クナッパーツブッシュの方が直観的にははるか年上に思えるが、実は、シューリヒトはクナッパーツブッシュよりも8才年長であり、しかも2年近く長生きしていることに驚く。

◆カール・アドルフ・シューリヒト(Carl Schuricht, 1880年7月3日1967年1月7日
◆ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch, 1888年3月12日1965年10月25日

 ウイーン・フィルとの関係では、シューリヒトは、その活動の最盛期が、クナッパーツブッシュより後になるので、この「ヒラリ、ハラリの技法」は、もしかするとクナッパーツブッシュ流のウイーン・フィル操舵術を、シューリヒトが、その実、よく心得ていたからかもしれないなと勝手に思ってみたりする。
 ちなみに、この2人は、「難物中の難物」ウイーン・フィルのメンバーが心から敬したという数少ない生粋のドイツの指揮者でもあった。

(参考)ブルックナー~「標準的」廉価盤コレクション考

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%80%9C%E3%80%8C%E6%A8%99%E6%BA%96%E7%9A%84%E3%80%8D%E5%BB%89%E4%BE%A1%E7%9B%A4%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E8%80%83/lm/R3B7QDC2ZDGHXD/ref=cm_lmt_dtpa_f_3_rdssss0

ブルックナー:交響曲第8番

ブルックナー:交響曲第6番

(参考)ブルックナー~ヨッフムの名盤~

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ブルックナー:交響曲第9番

①ヨッフム/ベルリン・フィル、1964年(23:11,9:43,27:39)
②ジュリーニ/ウイーン・フィル、1988年(28:02,10:39,29:30)
③シューリヒト/ウイーン・フィル、1961年(25:30,10:25,20:15)
 
 上記3枚の9番を聞き比べている。②はとにかく遅く、フレーズをこれでもかと引っ張る演奏、③は同じウイーン・フィルを振りながら第3楽章などは実に恬淡、スッキリと運行しており時間も短い。①はさまざまなオーケストラとの演奏があり、2回目の全曲録音のドレスデン盤を普段は聴いているが、ベルリン・フィルとの旧盤も解釈に基本的な違いはない。しかしベルリン・フィルの個々のプレイヤーの音はクリアでとにかく巧い。時折、その名技に参ったなあ!と感心する。カラヤン君臨時代のベルリン・フィルはカラヤン以外の録音のときはここぞと存分に技を披露している場合があるのではないか。だが、時に巧すぎて、私だけだろうか、<音楽>ではなく<音>に注意がいってしまうという贅沢な悩みもある。
 今日の気分ではシューリヒトがいい。同じウイーン・フィルで聞き比べると②は濃厚すぎて、少しく「けれん味」を感じてしまう。それにブルックナーなら、いくら遅くしてもよいということはないはずだ。第3楽章はいささかテンポが重すぎて疲れる。カラヤン、ジュリーニに共通するが完璧な音の再現のためにテンポを犠牲にしているような部分がないだろうか。それに対して、③は音楽の流れが自然であり、凝縮感も十分である。①もこの点は同様で心が「たゆとうて」くつろいで聴ける。②、③に共通してウイーン・フィルの柔らかな音色は喩えようがなく美しい。この9番に本当にあっている。多くのブルックナー指揮者がこの曲ではウイーン・フィルと共演したい気持ちがわかる気がする。

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」

 1981年9月ドレスデンのルカ協会での演奏。2回目の全集を同じドレスデン・シュターツカペレで収録中のヨッフムの4番は翌1982年録音だから、この時期シュターツカペレはブルックナーに実に集中して取り組んでいたことになる。薄墨をひいたような弦楽器の少しくすんだ音色も、ルカ協会特有の豊かな残響ともに共通するが、ブロムシュテット盤も秀逸な出来映えで両盤とも甲乙はつけがたい。

 ブロムシュテットは全般にヨッフムよりも遅く、かつテンポはベーム同様、実に厳しく一定に保つ(いずれもノヴァーク版使用。ヨッフム:ブロムシュテットで各楽章別に比較すれば、第1楽章、17’48:18’23、第2楽章、16’40:16’30、第3楽章、10’02:10’51、第4楽章、20’22:21’06)。

 ブルックナーの音楽は本源的に魅力に溢れ聴衆に必ず深い感動をあたえるという「確信」に裏打ちされたように、小細工など一切用いず、素直に、しかし全霊を傾けてこれを表現しようとする姿勢の演奏。どの断面で切っても音のつくりに曖昧さがなく、全体にダイナミズムも過不足ない。

 ブルックナー好きには、演奏にえぐい恣意性がなく、作曲家の「素地」の良さを見事に表現してくれた演奏と感じるだろう。ヨッフム盤とともにお奨めしたい。

(参考)ブルックナー~ドイツ的な重厚な響きを求めて

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%80%9C%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E7%9A%84%E3%81%AA%E9%87%8D%E5%8E%9A%E3%81%AA%E9%9F%BF%E3%81%8D%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%A6/lm/R9BK25L4GP4SN/ref=cm_lm_byauthor_title_full

ブルックナー:交響曲第3番《ワーグナー》

 作曲者の最終稿をベースとしたノヴァーク版(1958年「ブルックナー協会版」)を使用したベーム/ウイーン・フィルの演奏。アインザッツから、これは凄いぞ!と思わせます。1970年の録音ですがウイーン・フィルの瑞々しい音楽が充溢しておりこの年代の録音としては不足はないと思います。

 演奏の「質量」の充実ぶりが本盤の決め手です。フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ時代のように、指揮者とオケが音楽にのめり込んでいく行き方とは異なり、クール・ヘッドな、しかもノー・ミスが前提の演奏ながら、抜群の構築力を誇ります。ベームのこの手法はかってのベルリン・フィルとのブラームスの1番などとも共通し、テンポは一定、それを与件としてダイナミック・レンジは最大限にとります。弦と管のバランスも申し分なし。音に丹念な「入魂」を行うこともベーム流。3番は何故か大家の名演の少ないなか、この1枚は現状まで、おそらくベスト盤といえる出来だと思います。

 ベームが実は周到に準備した演奏でしょうが、彼はこれ以降、この音源をオーバーヘッド(再録音)する必要がなかったと思います。そうした意味では会心の演奏と自己評価していたのではないでしょうか。ベームの代表的なメモリアルであるとともに3番でベームが築いた金字塔とでも言える名演です。

(参考)ブルックナー~「名演」志向派

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%80%9C%E3%80%8C%E5%90%8D%E6%BC%94%E3%80%8D%E5%BF%97%E5%90%91%E6%B4%BE/lm/R37XTKNHQ9HSAQ/ref=cm_lmt_dtpa_f_2_rdssss0

ブルックナー:交響曲第5番

ブルックナー:交響曲第8番 

 ベームのブルックナー交響曲第8番、終楽章。これは実に見事な演奏である。ブルックナーは当初、この交響曲を自信をもって書いた。しかし、ブルックナーを取り巻くシンパはこの作品について厳しい評価をした。7番は成功した。そのわかりやすさ、ボリューム感からみると、8番は晦渋であり、なんとも長い。ブルックナー使徒達は、8番での評価の低下を懼れて、いろいろとブルックナーに意見をした。ブルックナーは深刻に悩み自殺も考えたと言われる。悩みは続き、9番が未完に終わったのも、この桎梏からブルックナー自身が脱けられなかったからかも知れない。
 さて、ベームの演奏が見事なのは、ブルックナーの当初の「自信」に共感し、それを最大限、表現しようとしているからではないかと感じる。もちろん8番の名演はベームに限らない。このブログでも繰り返し取り上げてきたように、クナッパーツブッシュ、フルトヴェングラー、シューリヒト、クレンペラー、ヨッフム、チェリビダッケ、ヴァント、初期のカラヤンなど大家の名演が目白押しであり、どれが最も優れているかといった設問自体がナンセンスとすら思う。皆、このブルックナー最後の第4楽章に重要な意味を見いだし、魂魄の演奏をぶつけてきており火花が散るような割拠ぶりである。
 ベームの演奏は、そうしたなかにあってベームらしい「オーソドックス」さが売りかも知れない。テンポは一定、ダイナミズムの振幅は大きくとり、重厚かつノーミスの緻密さを誇る。しかし、それゆえに、「素材」の良さをもっとも素直に表出しているように思う。飽きがこない、何度も聴きたくなるしっかりとした構築力ある演奏。いまはこれに嵌っている。

ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(ハース版)

ブルックナー:交響曲第8番

(参考)ブルックナー~広角度の演奏スタイルの楽しさ!

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%80%9C%E5%BA%83%E8%A7%92%E5%BA%A6%E3%81%AE%E6%BC%94%E5%A5%8F%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%95%EF%BC%81/lm/R39DI45WEZ2JTI/ref=cm_lm_byauthor_title_full

(参考)ブルックナー~実演!の迫真力

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ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ノヴァーク版)

(以下は上記とは別、シュトゥットガルト放送交響楽団 を振っての同番演奏評です) 

・ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調 録音:1981年11月25,26日 シュトゥットガルト、リーダーハレ
・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 録音:1976年11月23日 シュトゥットガルト、リーダーハレ
シュトゥットガルト放送交響楽団 
セルジウ・チェリビダッケ(指揮)
2曲を続けて聴く。ここには、例えば、カラヤンの晩年の演奏では物足りなかった「強きエモーション」がふんだんに満ち溢れている。時に破裂し、時に失速しそうなスリリングな音楽。でもこのギリギリとした「攻め方」はなんとも凄い。音は割れ、アンサンブルも戸惑い乱れる瞬間もあるが、おかまいなしのパッショネイトな感情がどくどくと底流に疼く。
 遅い点ではカラヤン同様だが、「拘り」の方法論が全く違う気がする。こよなく美しく全音が細密画のように再現されるカラヤンに対して、逆に「美しく奏でることに固執するな、むしろ音符一音一音に全力で最大の熱量を込めよ」と言っているような演奏。
 そこに(ライヴで居合わせて)嵌ったら、金縛りで多分抜け出せないような演奏。聴衆の好悪などははじめから決然と無視した独自の音響世界の展開。チェリビダッケの強烈な個性に久しぶりに接した気がした。

ブルックナー:交響曲第4番<ロマンティック>

ベームの4番は、その求心力ある演奏によって、この曲のスタンダード盤とでもいって良いものです。テンポのコントロールが一定でどっしりとした安定感がある演奏です。
 ベームはその著『回想のロンド』になかで、「ブルックナーのように孤独で独特な存在に対して、オーケストラ全体が目標を決めていることこそ決定的なことなのだ。もしも壇上のわれわれみなが納得してさえいれば、われわれは聴衆をも納得させずにはおかない」旨を語り、特にウイーン・フィルとの関係では、この点を強調しています。
 ブルックナーにおいて3番、7番、8番とも、ウイーン・フィルとのコンビではこうした強固な意志を感じさせます。同国オーストリア人の気概をもっての魂魄の名演と言えるでしょう。

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