ブルックナー//メモランダムⅦ⑤ 5番ークレンペラー

 クレンペラー/ウイーン・フィルでブルックナー交響曲第5番を聴く。
 クレンペラーのブルックナーは、4番(ウィーン交響楽団、バイエルン放送交響楽団)に加えて4~9番はフィルハーモニア管弦楽団で録音、その他の音源もリリースされており、幸いかなり数多く耳にすることができる。この盤の魅力は1968年6月2日ウイーン・フィルとのライブ録音であることである。バレンボイムの8番を聴いたあとで接すると「格が違う」ことが良くわかる。
 クレンペラーらしく音楽の構築が実に大きく、テンポは遅く安定しており滔々とした大河の流れのような演奏。その一方、細部の音の磨き方にも配慮は行きとどき、ウイーン・フィルらしいサウンドの艶を抑えてむしろ抜群のアンサンブルを引き立たせている。ウイーン・フィルがこの巨匠との演奏に真剣に対峙している緊張感が伝わってくる。
 また、聴いていてブルックナーの交響曲の特色である大きな枠組みをリスナーは自然に意識していくことになる。マーラーから薫陶をうけたクレンペラーだが、そのマーラーが私淑していたブルックナー解釈が、クレンペラーを通じて現代に甦っているのでは・・と連想したくなるような名演であり、晩年のクレンペラーの面目躍如たるものと言えるだろう。

(参考)
 オットー・クレンペラー(Otto Klemperer,1885-1973年)はドイツ出身のユダヤ人指揮者。その略歴は、ポーランドのヴロツワフ(当時はドイツ領ブレスラウ)に生まれ、ハンブルク移住後、ピアニストの母親の指導をうけ、その後ベルリンの音楽院では作曲とピアノを学ぶ。1905年にはルビンシュタイン・ピアノコンクールにも出場するが、この時の勝者はかのバックハウスだった。マーラーから指導をうけ、プラハのドイツ歌劇場の指揮者を振り出しに活動を開始するも、1933年ナチス・ドイツ政権樹立に伴い、スイスを経由しアメリカへ亡命。戦後、ヨーロッパに帰還を果たし、62歳(1947年)ブダペスト国立歌劇場、1954年(69歳)にフィルハーモニア管弦楽団の音楽監督となる。1972年に公開の演奏活動から引退、翌年チューリッヒにて逝去。

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