ブルックナーについて考える1

ブルックナー:交響曲第8番(2CD)

 ブラームスは、反ワーグナー派の取り巻きの影響もあってブルックナーに対しては批判的であったようだ。ブルックナーの伝記に登場するブラームスは、それゆえどうも狭量の人間に描かれる場合もある。たとえば、以下の発言は気になるところである。

 ブルックナーの場合は、「作品」といったようなものではなくて、それは一つの「陶酔」状態であり、1年か2年のうちに消え去って、忘れ去られてしまうものであろう。ブルックナーの「作品」が不滅だとか、あるいは、交響曲さえそうであろうとは言ったことは、全く笑うべきことだ。ーフリードリッヒ・クローゼ著「ブルックナーのもとでの修業時代」によって伝えられた発言。https://mituhirousui.wordpress.com/2011/01/09/%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%83%a2%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%a0%e2%85%a5%e2%91%a4%e3%80%80%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%81%b8/

 はたして本当にこうした発言があったかどうかは、いまや闇のなかだが、ウイーン気質というのは、ヨハン・シュトラウスのワルツやポルカのように明るく楽しい側面ばかりでなかったのは事実である。その典型がヴォルフである。

 ヴォルフは気性の激しかった人のようで「ブルックナーのシンバルの音一つはブラームスの4つの交響曲にセレナードを加えたもの全部に匹敵する」※1と論評したと言われます。

 「親に似ぬ子を鬼っ子と言うが、親に似すぎた子も鬼っ子だ」といった台詞をかって聞いたことがありますが、ブルックナーとヴォルフは36歳の違い、いわば親子ほどの年齢差があったわけですが、ヴォルフはブルックナーにとって実に「鬼っ子」だったかも知れません。

 人と争うことを嫌ったブルックナーに対して、ヴォルフは同業者に対しても仮借なき批判者でした。小さな資格でもこまめにとり続け安心立命を願ったブルックナーに対して、そうしたことに無頓着でウイーン音楽院を放校になったヴォルフ。生涯不犯と言われるブルックナーに対して、梅毒が原因で狂い死するヴォルフ。40歳を超えてから本格的に交響曲の作曲をはじめるブルックナーに対して、結果的に30代までに全ての音楽的な仕事を終えてしまったヴォルフ。交響曲と宗教曲の作曲に集中したブルックナーと歌曲に傾注したヴォルフ・・・。こうして見てくるとその生き方においては「親に似ぬ子」としてのヴォルフ像が結ばれます。

 他方で、ともにワグナーを崇拝し、ワグナーへの共感とともにブルックナーも深く敬慕したヴォルフ、その極端な言い方が冒頭のブラームス批判にもなります。ハンスリックを向こうにまわして、ヴォルフはブルックナーのために徹底して戦った闘士でした。2人は一緒に旅行もしています。1894年のベルリン紀行では70歳のブルックナーに34歳のヴォルフが同行し、彼地の1月8日のコンサートでは7番のシンフォニーとともにヴォルフの合唱曲「火の騎士」「妖精の歌」が演奏されました。「ブルックナーの名前が初めて作曲家としてのヴォルフの名前と並んだ」※2と言われます。作曲家としての異常な集中力でも2人は共通する部分があります。ある意味では「親に似すぎた子」という側面をヴォルフはもっていたのかも知れません。最晩年、ブルックナーはヴォルフを遠ざけたようですし、カール教会での葬儀でも、「正式」な音楽協会の会員ではなかったゆえに、ヴォルフは教会に入ることが許されなかった※3とのことです。

※はH.シェンツェラー本(メモランダム⑥の3:各p.85,p.132,pp.137-138)を参照しています。https://mituhirousui.wordpress.com/2006/04/29/%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%83%a2%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%a0%e2%85%a1%e2%91%a6%e3%83%bc%ef%bd%88%ef%bc%8e%e3%83%b4%e3%82%a9%e3%83%ab%e3%83%95%ef%bc%88/

 ブラームスはブルックナーをあまり歯牙にもかけたくなかったろうし、訳のわからない「論争」は迷惑であったろう。しかし、ブラームスは全般に、横綱然として大人の対応を行っているように見える。対して、ブルックナーは実生活では、ハンス・リックにいじめ抜かれたこともあって、周章狼狽気味である。ブルックナー被害者説もあるが、公平にみれば、超然としているかに見えるブラームスの方が割を食っていたのではないだろうか。

  ブルックナーのあとでブラームスの交響曲を聴くと、ブラームスの音楽は、引き締まった筋肉質で、特有の凝縮感があるように感じる。交響曲でも、ブルックナーは実に長く、ブラームスは(その相対比較において)短く感じる。当時のオーケストラ・メンバー(ウイーン・フィルが典型だが)にとって、程良い演奏時間からも、また聴衆の「受け」方でも、ブラームスが好かれブルックナーが当初不評だったことも理解できる。もっと端的に言えば、ブラームスは当時のウイーン音楽界の諸事情をキチンと洞察し、1作品の時間管理にしても、管弦楽団のモティベーションを高めるオーケストレーションの方法論にしても、心憎いばかりに踏まえて作曲をしていたと言えるかも知れない。合理的で無駄がなく、かつ、その音楽は堅牢でありながら情熱も気品もある。だからこそ、反ワーグナー派が血道をあげる熱中をしたのだろう。

  さて、ブルックナーはその点で大いに不利である。日本的な比喩では「独活(うど)の大木」という言葉が連想されるが、ブラームス愛好家からすれば、当時のウイーンではハンス・リックのみならず、こうした世評があったとしても不思議ではない。ブラームスのスタイリッシュさに魅力を感じる向きには、ブルックナーの音楽は時に無骨に響くのだろう。https://mituhirousui.wordpress.com/2009/04/19/%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%83%a2%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%a0%e2%85%a2%e2%91%a0%e3%83%bc%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%81%a8/

 しかし、時代は移る。いまやブルックナーはマーラーとともに交響曲演目のメインに置かれる場合がおおく聴衆も集まる。この当時感じた長大性も、マーラー、ショスタコーヴィッチらの登場によって「普通」感覚になってしまった。

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