ブルックナーについて考える2

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 ブルックナーのことを考えていて、ふとベルリオーズの名が浮かんだ。

 ルイ・エクトル・ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz, 1803年12月11日 – 1869年3月8日)は、『幻想交響曲』で知られているフランスのロマン派音楽の作曲家。フランスでは、同時代人として、ヴィクトル=マリー・ユゴー(Victor-Marie Hugo, 1802年2月26日 – 1885年5月22日、ロマン主義の詩人、小説家。七月王政時代から第二共和政時代の政治家)やフェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugène Delacroix, 1798年4月26日 – 1863年8月13日、フランス19世紀ロマン主義を代表する画家)がいる。いずれも生前中からその巨大な知性が光る。 

 かつて、楽聖ベートーヴェン(1770年12月16日 – 1827年3月26日)と同時代にベルリオーズが活躍を開始していたというのがなんとも信じられなかった。ベルリオーズの音楽はドイツ音楽とはまったく別の天才的な閃きに満ち、現代音楽にも直結する強烈な先進性がある。もっともっと近い時代の人と思っていた。

 クラシック音楽で名をなした作曲家は言うまでもなく、いずれも天才的であろう。また、天才と狂気は紙一重。ベルリオーズの『幻想交響曲』はまさにそれを感じさせる。それに対して、ブルックナー(Josef Anton Bruckner, 1824年9月4日 – 1896年10月11日) も違った意味で<天才的>なのだが、ベルリオーズ的な閃きや先進性とはどうも別系統という気がする。でも、両者はどこが違うのか?また、ブルックナーのそれはどう表現されるべきか? 

 時代ははるかに下るが、ジャン・デュビュフェ(Jean Dubuffet, 1901年7月31日 – 1985年5月12日)という20世紀のフランスの画家が提唱したアンフォルメル、「アール・ブリュット=生の芸術」という考え方を知った。英語ではアウトサイダー・アートと呼ぶが、もちろんこれはブルックナーを語る言葉ではないけれど、底流で水脈がつながっているようにも感じる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88

 http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1879612.html

 陽と陰。いかにも燦然と輝く天才らしい天才ー作曲家ベルリオーズやワーグナーを<陽の天才>とすれば、一見、地味で天才らしからぬ、でもその成果をつぶさに見ればやはりこれは天才的としか表現できない作曲家ブルックナーは<陰の天才>か。また、別の見方では、もしかするとそれは<(本源的な)狂気>と<(精神の)病気>の違いに起因するのかも知れない。

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