ブルックナーランキング ベスト 31~40

31.
ブルックナー:交響曲第7番 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (演奏者)、ジュリーニ(カルロ・マリア)、ジュリーニ(カルロ・マリア)、 ブルックナー (作曲者) (CD – 2006)
 
 ジュリーニは1930年に、ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団でヴィオラを弾いていたときに、ワルター、クレンペラーそしてフルトヴェングラーらブルックナーの泰斗の指揮を経験しています。その後、聖チェチーリア国立アカデミーで指揮を専攻します。
 1914年生まれのジュリーニがブルックナーをはじめて録音したのは60歳の時で、1974年にウイーン交響楽団と2番のシンフォニーを取り上げています。この年、ボストン交響楽団の客演でも同曲を取り上げ、また、ニューヨーク・フィルとでは9番を演奏しています。1976年にはシカゴ交響楽団とこの9番を録音、1982ー83年にはロンドンで7番、8番を演奏しています。ジュリーニが他の番を好まなかったかどうかはわかりませんが、7ー9番は曲の完成度の高さと美しいメロディの聴かせどころでジュリーニ好みだったのかも知れません。
 この7番(1986年6月ウィーン/デジタル)の録音では第2楽章の静寂さの表現が抜群です。孤独な心情、歩み寄る死への道程ではあっても、この遅い遅い楽曲に込められているものは、この世への絶望でもなければ、死への戦慄でもない。透明な空気のなかにほの明るく陽光がさしているような感じ。朝日ではなく黄昏の残映にせよ、それはあくまでも肯定的なものであることを確信させる・・・。ジュリーニの演奏からはそうした人生のもつ重みが伝わってきます。この値段ではもったいない名盤です。
32.
Bruckner: Symphonies 3-9, Te Deum, Mass in F Minor Sergei Celibidache、Sergei Celibidache、Münchner Philharmoniker (オーケストラ)、 Anton Bruckner (作曲者) (CD – 2011)
33.
ブルックナー:交響曲第8番/シューマン:交響曲第4番 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (演奏者)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン)、カラヤン(ヘルベルト・フォン)、ブルックナー (作曲者)、 シューマン (CD – 2009)
 
 全般に受ける印象は先に記した7番と変わらない。テンポが遅く、細部の彫刻は線描にいたるまで周到である。しかし、このなんとも美しい8番を聴いていて、不思議とブルックナー特有の感興が湧いてこない。チェリビダッケの8番の「どうしようもない遅さ」には一種の「やばい」と思わせるスリリングさがある。東京の実演でも感じたが、もはや「失速寸前」まで厳しく追い込んでいく演奏の危険性と裏腹に獲得する、得も言われぬライヴの緊張感といった要素がある。
 一方、カラヤンの8番には失速懸念があるわけではない。磨きに磨きあげる音の彫琢のためには、このテンポが必要なのかも知れない。しかし、クナッパーツブッシュを、シューリヒトを、ヨッフムを、あるいはヴァントを聴いてきたリスナーにとって、この演奏の「到達点」はどこにあるのだろう。遅くて、こよなく美しいブルックナー。

 カラヤンは20世紀の生んだ天才的な指揮者である。世界政治の坩堝としてのベルリンで、その「孤塁」の安全保障を、結果的にたった一人、1本のタクトで保ってきた稀有な才能の持ち主でもある。時代の先端を疾駆し、常にセンセーショナルに、旧習にとらわれ変化の乏しいクラシック界に新たな「音楽事象」を自ら作り出してきた。
 初期には、トスカニーニ張りと言われたその素晴らしいスピード感、常任就任以降の精密機械に例えられたベルリン・フィルの合奏力の構築、また、瞑目の指揮ぶりは聴衆を惹きつけずにはおかず、そのタクト・コントロールのまろやかな巧みさには世界中の音楽ファンが魅了された。
 エンジニアとしての知識と直観に裏付けられたCDからビデオに、そしてデジタル化にまでいたる映像美学へのあくなき関心。いくつも並べられるこうしたエピソードとは別に、レパートリーの広さと純音楽的で類い希な名演の数々、その厖大なライブラリー。スタジオ録音でもライヴでもけっしてリスナーを裏切らない均一な演奏水準・・。
 カラヤンの演奏にある意味で育てられてきたような世代の自分にとって、また、大阪で、東京で、そして忘れえないザルツブルク音楽祭でそのライヴに感動した過去の体験に思いを馳せつつ、カラヤンの「凄さ」にはいつも圧倒されてきた。

 さて、そんなことを考えながら8番を聴いている。一般に大変高い評価のこの最晩年の演奏は、もちろんカラヤンらしい完璧志向は保たれているが、ブルックナーの一種の「狂気」に接近する演奏の「エモーション」が物足りない気がする。かってのカラヤンの演奏では感じなかった落ち着きとも諦観ともいえる心象が随所に出ていると思う一方、フル回転の内燃機関のような白熱のパッション(その「内実」は神のみぞ知るだろうが)は遠い残り火のように時たま瞼に映るのみである。

 かってバレンボイムの8番をなんども聴いたうえでだが酷評した。このカラヤンの8番も自分にとって、なくてはならない1枚ではないようだ。ここ一番、第4楽章の見事なフィナーレにはかっての感動を追体験しつつも、壮年期の覇気が懐かしい。自らの加齢の影響もあるかも知れないが、悲しみとともに、老いたりカラヤン!との感情を隠しがたい。

34.
ブルックナー:弦楽五重奏曲 ウィーン弦楽五重奏団 (CD – 2005)
35.
名演コレクション:ブルックナー:交響曲全集 インバル(エリアフ)、 フランクフルト放送交響楽団 (CD – 2010)
 
 インバルの全集は全般に「初稿」にスポットを当てているほか、9番は未完の第4楽章にも挑戦するなどユニークさに特色がある。その後、「初稿」路線は継承者がつづくという点でその先駆的な取り組みは十分評価できよう。 以下各番演奏について。00番はめったにかけないが、聴く場合はインバル盤を標準としている。0~2番は特にコメントすべき点なし。1、2番ともいつもはヨッフム、ヴァントを聴く。インバル盤もけっして悪くはないが、両者のブルックナー演奏への熱い思い入れとメローディアスな美しさには及ばない。5~7番も標準的な演奏だが、なかでは6番が見事。6番では、なかなか良い演奏に巡り会わないがこれは素直に心に響く。以下、3,4,8番について。 「3番」:世界ではじめて初稿(1873年版、ノヴァーク版第1稿)による録音。最近、話題のシモーネ・ヤング&ハンブルク・フィルにいたるまで、ケント・ナガノ、ロジャー・ノリントン、ジョナサン・ノット、ゲオルク・ティントナー、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ヨハネス・ヴィルトナー、ヘルベルト・ブロムシュテット、マルクス・ボッシュなどがこの路線を踏襲している。インバルの先駆者としての貢献は大きい。

 「4番」:1874年(初稿:ノヴァークIV/1版)による演奏(これは1975年にクルト・ヴェスが世界初録音した)。この第3楽章はその後、結果的に抹殺されてしまった(ボツになった)音楽でそうした<珍品>が聴けるのが本全集の楽しみのひとつだろう。

 「8番」:遺稿問題が複雑といわれる8番だが、インバルはよく初稿での演奏を行ってくれたと思う。なお、3,4番の初稿と改訂版の非常に大きな乖離に比べると、もちろん違いはあるが8番での違和感の落差は、相対的には小さくなっている。インバルによるノヴァーク版第1稿を用いての初演は、1980年2月29日にフランクフルト・アム・マインにて(1998年7月8日には東京都交響楽団を指揮して日本での初演も)実施。

 最後にフランクフルト放送交響楽団について。現地でもなんどかライヴで聴いたし東京公演にも行った。フランクフルトは、戦後アメリカに統治され米軍基地もあることもあってか、幾分くすんだようなドイツ的な音響ではなく、アメリカのオケのような透明度の高い音を出し、機能主義的な印象が強い。この全集は、そうした特質が前面にでた代表的な記録といえよう。

36.
ブルックナー:交響曲第3番 バイエルン放送交響楽団 (演奏者)、クーベリック(ラファエル)、クーベリック(ラファエル)、 ブルックナー (作曲者) (CD – 2005)
 
 3番の秀演である。テンポは全般にかなり早い。そのうえでアゴーギクは相当大胆に用いられる。ブラームスはブルックナーの音楽は買っていなかったがドヴォルザークの「メロディ創造力」は高く評価していたと言われるが、クーベリックの演奏を聴いているとブルックナーのメロディがドヴォルザークと二重写しで錯覚して聞こえるような気すらする。クーベリックの織りなすメロディは生気に満ち実に溌剌としている。個々のメロディに愛着をもって音楽を再現している姿が眼に浮かぶような演奏である。弦や管の各パートも、アド・リビトウム(自由度のあるテンポ)で情感たっぷりにメロディを奏でているように聞こえるが、それでいて全体のバランスや統一感はきりりとしている。こんなにも胸に迫るメロディが満載された曲だったのかと思う一方、弛緩された部分が一切ないのが不思議だ。これぞ音楽に熱い「血のかよった」クーベリック・スタイルなのかも知れない。
37.
ブルックナー:交響曲第8番 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (演奏者)、ジュリーニ(カルロ・マリア)、ジュリーニ(カルロ・マリア)、 ブルックナー (作曲者) (CD – 2004)
38.
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ノヴァーク版) ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 (演奏者)、チェリビダッケ(セルジュ)、チェリビダッケ(セルジュ)、 ブルックナー (作曲者) (CD – 2001)
39.
ブルックナー:交響曲第7番 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (演奏者)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン)、カラヤン(ヘルベルト・フォン)、 ブルックナー (作曲者) (CD – 2007)
40.
Bruckner: 9 Symphonies A. Bruckner (CD – 2003)
 
 ヨッフムの偉業はなんと言っても2組のブルックナーの交響曲全集や多くの宗教曲集を残してくれたことでしょう。しかも、彼がブルックナーの交響曲や宗教曲を体系的、系統的に録音しはじめた頃は、誰も今日のようにはブルックナーへの熱い視線は送っていなかったと思います。 ヨッフムが本交響曲全集を完成させたのは1966年ですが、その後に続く代表的な指揮者の全集をいくつか拾ってみると、ハイティンク/コンセルトヘボウ(63-72)、朝比奈隆/大阪フィル(75-78)、マズア/ゲバントハウス管弦楽団(74-78)、バレンボイム/シカゴ響(72-80)、ヴァント/ケルン放送響(74-81)、カラヤン/ベルリン・フィル(74-81)となりますが、この時にはヨッフムは2度目の全集をドレスデン国立管弦楽団で収録済みですから驚きです。 4番や後期のブルックナーを定着させたのは、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、ワルター、クレンペラーらの先人ですが、1~3番や5番の素晴らしさを教えてくれたのはヨッフムの飽くなき挑戦あればこそと思います。その意味でもこの全集の価値はいまや歴史的な遺産と言っていいでしょう。私は他比較でも最高レベルの全集と思っています。

 2つの追加コメントがあります。第1に、本全集録音進行中は、しかしながら、今日のヨッフムへの正当な評価は(少なくとも日本では)一部の鋭利な観察者しかなかったと思います。同時代は、一般にいつもジャーナリスティックで、進行中の地味ながら画期的な営為には気づきにくい面があります。だからこそ、本全集選択にあたっても、ブルックナー演奏の後継者への配慮とそれとの比較考量が必要だと思います。第2に、私は長いヨッフム・ファンですが、その「規範的な解釈」に堅苦しさを感じる向きもあろうかと思います。そこは一応の留意事項として、本全集がいまも一つの規準盤である事実は動かしがたいと考えます。

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