フルトヴェングラー 交響曲第5番 (1942年盤)

Symphony No. 5-Live 1942

Symphony No. 5-Live 1942

(備忘録)

◆交響曲第5番(BPO、1942年10月28日、ベルリン・ベルンブルガ・フィルハーモニー)

 ウイーン・フィルとの1951年盤(下記)がよく知られているが、戦前のこの録音は意外に音がクリアで迫力に富む。ハース版準拠。ライヴならではの即興性はあるものの、それ以前に強固な演奏スタイルを感じる。フレーズの処理が実に生き生きとしており、オーケストラは常時に変化するテンポ、リズムにピタッとあわせ、その一方でメロディは軽く、重く、明るく、暗く、変幻自在に波打つ。凡庸な演奏では及びもつかない凝縮感と内容の豊穣さである。

 第1楽章、ブルックナーに特徴的な「原始霧」からはじまり、順をおって登場する各主題をフルトヴェングラーは意味深長に提示していく。それは深い思索とともにあるといった「纏」(まとい)とともに音楽は進行していく。この曲は極論すれば第1楽章で完結しているかの充足感があるが、つづく中間2楽章では、明るく浮き立つメロディ、抒情のパートはあっさりと速く奏でて感情の深入りをあたかも回避しているようだ。ここでも主題の重量感とダイナミックな展開は常に意識され、金管のぶ厚い合奏がときに前面にでる。終楽章は、第1楽章の<対>のようにおかれ、各楽章での主題はここで走馬灯のように浮かび、かつ中断される。そののち、主題は複雑なフーガ、古式を感じさせるコラール風の荘厳な響き、そしてブルックナーならでは巨大なコーダへと展開され、ながい九十九折(つづらおり)の山道を登り峻厳なる山頂に到達する。もちろん、これは自分の乏しいイメージにすぎないが、リスナー各人が自分のオマージュを抱くような魔術(デーモン)をフルトヴェングラーの演奏スタイルを感じる。それは5番の本演奏に限らないが、1942年にベルリンで奏でられる一夜のコンサートに参集する人々の心中は、一期一会の複雑な思いにきっと満ちていたことだろう。もしかするとそれをもっとも意識していたのはフルトヴェングラー、その人であったかも知れない。

Bruckner Sym No 5

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