シノーポリ ブルックナー

ブルックナー:交響曲選集

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ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli)は、存命していれば現在のクラシック音楽界の風景を大きく変えたであろう逸材である。戦後の1946年イタリアのヴェネチア生まれ。ユダヤ系移民と言われるが、天才肌の音楽家。

ヴェネチア音楽院で音楽を、パドヴァ大学で精神医学と人類学を、ドイツのダルムシュタットでマデルナ、シュトックハウゼンから現代音楽を学び、1972年弱冠26歳にして母校のヴェネチア音楽院で現代音楽・電子音楽の教授に就任。同年、ウィーンでハンス・スワロフスキーから指揮法を学び、31歳にパリ音楽院で指揮を教えるようになる。

翌1978年ヴェネチアでアイーダを振ってヴェルディ指揮者として本格デビュー(なお、2001年4月20日、ベルリン・ドイツオペラで同じアイーダを演奏中、第3幕に心筋梗塞で倒れ不帰の人となった)。

1980年にはマクベス(ベルリン・ドイツオペラ)、アイーダ(ハンブルク国立歌劇場)、アッティラ(ウィーン国立歌劇場)のヴェルディの3オペラを、83年マノン・レスコー(コベントガーデン王立歌劇場)、85年タンホイザー(バイロイト音楽祭)を指揮するが未だ39歳の若さだった。また、同時期に作曲家として、1981年自作「ルー・サロメ」をバイエルン国立歌劇場にて初演。

オーケストラ指揮者としては、1984年にフィルハーモニア管弦楽団(カラヤン、クレンペラーらが手塩にかけた時代を経て、前任ムーティエの後を継いでの就任)、1992年からはドレスデン国立管弦楽団の首席を務めたほか、当代一流のオケと組んだ多彩な名演を送り出した。

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シノーポリとドレスデンとのブルックナー録音は、4番 (1987年9月)、3番(1990年4月)、7番(1991年9月)、8番(1994年12月)、9番(1997年3月)とつづき最後の5番(1999年3月)にいたる。

シノーポリは、ドレスデンを振った先人の仕事(代表的な首席指揮者:1934–1943年 カール・ベーム、1945–1950年 ヨーゼフ・カイルベルト、1949–1953年 ルドルフ・ケンペ、1953–1955年 フランツ・コンヴィチュニー、1956–1958年 ロヴロ・フォン・マタチッチ、1960–1964年 オトマール・スウィトナー、1964–1967年 クルト・ザンデルリンク、1975–1985年 ヘルベルト・ブロムシュテットなど)をよく研究しており、その奥行きのある深き響きに魅せられていた。この地へのデビューもブルックナー(4番)であり、このチクルスは大変重要な意味をもっていた。録音の経過をみても、後期3曲は順に録音しており、(もちろん超多忙であったということもあるが)慎重に時間をおいて、7番のあと3年をへて8番を、さらに時間をおいて9番を取り上げ、最後の5番まで12年の時が流れている。

シノーポリのブルックナーでは、なにより重厚で緻密な音の響きを重視しているように思う。それは伝統あるドレスデンとの共演ということもあるが、ブルックナーの本源的な魅力をそこに見ているからであり、よって、速度の可変、フレージングの技法は意識的に抑制されている。この流儀は残された録音すべてに共通する。過度に劇的な様相を感じることがない一方、滔々たる流れは聴きこめば心地よき快感にかわる。じっくりとブルックナーの楽曲にふれたい向きにはこのアプローチは得心できるのではないかと思う。以下では各曲別に若干のコメントを。

【第3番】

第3番で良く演奏される稿としてノヴァーク第2稿(1877年)と第3稿(1889年)がある。この第3稿では相当なカットが行われていることから、演奏時間に影響しどちらをとるかには否応なく関心の集まるところだ。最近はワーグナーの影響の濃い第1稿(1873年)を演奏するのも一種のブームだが、シノーポリ盤はブルックナーの自主的な改訂を踏まえた第2稿(ノヴァーク版)を採用している。

全般にテンポの可変性を抑えた運行である。第1楽章、ヴァイオリンを中心とする第2主題の提示ではドレスデンの良質な弦のアンサンブルを際だたせ、第3主題の管の強奏ではこれを存分に響かせるなど、この楽章は、オーケストラの力量をみせるいわば「顔見せ興業」のような印象をうける。

第2楽章以降もこの傾向はつづくが、録音のせいかやや管楽器の物量が大きく出すぎているような場面もある。弦楽器の残響の美しいルカ教会での収録なので、ドレスデンの薄墨を引いたような上品な良さがある弦楽器がもっと前面にでても良いのにと思う。また、ある楽章にアクセントをおき、それをもって全曲の隈取りをはっきりさせるといったヨッフム、クレンペラー的なスタイルをとらず、シノーポリは楽章毎に実に淡々とこなしていくといった流儀とみえる。

【第4番】

第4番の第2楽章。静寂な朝靄のなか、ほの明るき黎明、そして一気に立ち上がる日の出をへてふたたび静謐な空気に包まれていく・・・といったイメージが丹念な音の積み重ねによって見事に表現されている。他方、終楽章での激しい盛り上がりを期待すると肩透かしをくう。一種ユニークだが、背後の一貫した音響美を最後まで追い求めようする姿勢を感じさせる。

【第7番】

素材の良さを丹念に引き出せば、そこから自然に感動が生まれると、しかと確信しているような演奏である。第2楽章の音響美がそうした特質をもっとも端的にあらわしているが、楽章ごとにかくあるべしというイメージはもっており、第3楽章の「ほどよき」快活さ、終楽章の「節度ある」盛り上げ方とも落ち着いた演奏スタイルを堅持する。

【第8番】

テンポの一定性はたとえばベームと同様である。では、メロディづくりの特色はどうか。本曲では、第1楽章「死の予告」や「あきらめ」、第2楽章の「ドイツの野人」、終楽章「コサック隊の進軍」といった作曲者が語る標題性がある。しかし、シノーポリは標題にとらわれるのでなく、その背後にある音楽そのものに迫る。ここがシノーポリの真骨頂で、彼は作曲家が創造的なメロディを記譜できるのは一種の「天啓」と思っていたのかも知れない。

彼自身がすぐれた作曲家であったゆえに、ブルックナーの音楽の捉え方も、(ブルックナー自身がいくどもそう言っているように)その独特のメロディは天からの授かりものであり、同じ作曲家の感性で、それを徹底して追体験し再現してみようと思っていたのではないか。それは、「心情」に寄り添う(情緒的)というよりも、いわば作曲家の「頭」で考える(分析的)ということかと思う。

全体として作為的な要素がなく、アゴーギグなどの技法も抑制的。原曲の特性を深く掘り下げた演奏という印象が強い。

【第9番】

すでにドレスデンと10年の関係をへての9番の収録であり、確固たるアプローチにくわえて円熟味が増している。ライヴ録音ゆえか、第1楽章にはいつになく熱気を感じさせるが、テンポの安定、内省的で深い音響はかわらない。第2楽章では強烈なリズムが刻まれ、諧謔的表情も垣間見せるが、全体としてはダイナミズムの総決算といった集約度で一気に駆け抜ける。第3楽章の詠嘆的なアダージョは、響きにいっそうの深みがあるが、それはいささかも混濁せず見事な透明感がある。清浄さのなかに救済の予感がこめられているかのようだ。遅めの運行、弦楽器と管楽器が融合した濃密な響き、素晴らしい充実度である。

<収録情報>

ブルックナー:交響曲選集

第4番 変ホ長調《ロマンティック》(1878/80年ノーヴァク版)1987年9月

第3番 ニ短調《ワーグナー》(1877年ノーヴァク版)1990年4月

第7番 ホ長調(ノーヴァク版)1991年9月

第8番 ハ短調 (1890年ノーヴァク版)1994年12月

第9番 ホ長調(ノーヴァク版)1997年3月※

第5番 変ロ長調(ノーヴァク版)1999年3月※

※ライヴ・レコーディング

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