ロスバウト ブルックナー

ハンス・ロスバウト  Hans Rosbaud

2014年6月23日にロスバウトについて略歴を中心に上記に書いた。この人は実力に比して、セッション録音の数が極端に少なく、その結果、これまで日本で話題になることがあまりなかった。今日、ライヴを中心に紹介される機会が徐々に増えつつあるが、ブルックナーに限らずマーラーや現代音楽でも、1950年代から先駆的な取り組みを行っており、今後再評価が必要な名指揮者の一人である。今回、改めてブルックナーのBOXを聴きなおして、素直に良い演奏であると思った。

まず全体の印象からだが、ロスバウトはフランクフルト響や南西ドイツ放送交響楽団(含むフライブルク)の初代のシェフである。たまたまドイツ在住地(フライブルク、その後フランクフルト)でお世話になったこうした管弦楽団と所縁のある指揮者だったことを改めて認識する。

ブラームスにせよブルックナーにせよ、ドイツの田舎で自前の管弦楽団で聴く演奏には滋味溢れたいわゆる土着の魅力がある。バンベルク響などはその最たるものであろう。そうした意味ではバーデン・バーデンはドイツ有数の保養地で富裕層も集まりやや異質だが、そこを本拠とする南西ドイツ放送交響楽団には、温浴療法のあとコンサートで心身ともにリフレッシュしたいといった潜在的なニーズは高いだろう。

もちろん富裕な湯治客だって「ここで最高の音楽を!」とまでは期待はしないだろうが、耳のこえたリスナーに満足のいく一定のレヴェルは要求される。

ロスバウトは、現代音楽紹介の第一人者で幅広いレパートリーを誇った手堅き匠であり、ブルックナー演奏にもドイツ内では定評があった。

◆第2番

はじめに初出の第2番(1956年12月10日、13日)について。1877年稿・ハース版を使用。この版による演奏では、コンヴィチュニーやレーグナー(いずれもベルリン放送響)がある。

本盤は録音が悪く音がやせている(特に管楽器が弱い)のだが、弦楽器の響きは比較的きれいに録れている。全体として落ち着いた演奏である。ともすれば平坦な演奏になりがちで、聴かせどころの処理の難しい第2番だが、第2楽章の生き生きとした表現ぶりは好感がもて、細かく気をつかいながら一時も飽きさせない。第4楽章に入るとオーケストラのノリが俄然良くなり、陰影に富み濃淡のはっきりとついた豊かな表現が迫ってくる。これで管楽器の質量があって録音がもう少し良かったら本当に素晴らしいのにと惜しまれる。

◆第5番

次に5番を聴く。野太いブルックナーで骨格線が透視できるような演奏。低弦の厚みある合奏が強調されて全体に重量感がある。

第2楽章はコラール風の親しみやすいメロディよりも、リズムの切れ味のほうが先立つ感じ。音に弛みがない。ヨッフム同様、オーケストラにエネルギーが徐々に蓄積されていくようなブルックナー特有の緊張感が次第に醸成されていく。南西ドイツ放送交響楽団はけっして上手いオケではないが、一徹にブルックナー・サウンドづくりに集中していく様が連想され好感がもてる。

思い切り明るい色調の第3楽章はテンポをあまり動かさず、小細工を用いずに「素」のままのブルックナーの良さを自信をもって提示している。

第4楽章もリズムの切れ味のよさが身上で、フーガ、二重フーガ、逆行フーガといった技法も、リズミックな処理と自然な「うねり」のなかで生き生きと息づく。最強音の広がりは本録音の悪さでは実は十分には把捉はできないのだが、以上の連続のなかでフィナーレの質量の大きさは想像しうるしそれは感動的。ロスバウトの根強いファンがいることに納得する1枚。

◆第7番

これは卓越した演奏である。はじめはなにげなく聴いていたのだが、徐々に引き込まれロスバウトのブルックナーのアプローチに強い魅力を感じた。

沈着冷静にして、細部をゆるがせにしない丹念な演奏である。その一方で、曲想を完全にわがものとしており、その表現ぶりに曖昧さがない。第1楽章の終結部の音量の規則的リニアな増幅の効果、第2楽章アダージョのきらめきを感じさせつつも滔々たる流れ、第3楽章の厳格なテンポのうえでの凛としたスケルツォ(実に気持ちの良い整然さ)、終楽章も小細工なく、ある意味恬淡にキチンとこなしていくが、ニュアンスは豊かでブルックナーらしい律動感が保たれて心地よい。聴き終わったあとの爽快感がひとしおである。

◆第8番

2番、5番、7番と順に聴いてきて最後に8番を手にとる。ロスバウトの演奏の基本は少しも変わらない。沈着冷静に作品を捉え、即物的(ザッハリッヒ)に忠実に再現していく。この人が並々ならぬ熱意をもって、現代音楽の先駆的な紹介者であったことがわかる気がする。おそらく古典であろうと現代音楽であろうと、どの作品に対しても向かう姿勢が一貫し、読譜能力が抜群で、音楽の構成要素を解剖して、それを組み立て直して再現する能力に長けていたのだろう。

しかし、そればかりではない。大指揮者時代を生きたロスバウトの演奏には、音楽の霊感といった技術を超えるものの自覚ももちろんあったと思う。8番ではそれを強く感じさせる。それはブルックナーの8番が宿している「天上と地上の架け橋のような音楽」でこそ顕著にあらわれる。

諦観的、瞑想的な第3楽章ははるかに「天上」を仰ぎ見ているかのようだが、第4楽章は、ふたたび「地上」に舞い戻り、激しくも強靭なブルックナー・ワールドがそこに展開される。好悪を超えて、優れた演奏成果であることはブルックナー・ファンなら誰でも首肯するだろう。現代の若手指揮者にも聴いてほしいブルックナー音楽の真髄に迫ろうとする内容の豊かな演奏である。

以上、日がな一日、ロスバウトを聴いてきて、その丹念な音作り(とモノラル録音での共通点)からベイヌムをまず連想した。一方、分析的ともいえる演奏スタイル(音の分離と融合の見事さ)ではシノーポリのはしりとも言えそうだ。同時代のフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュとは明らかに異質であり、シューリヒトやヴァントよりも理知的なスタイルが際立ち、またブルックナーの泰斗ヨッフムよりも演奏仕儀に一定感がある。

一方で、熱情的なブルックナー演奏によって、はじめてブルックナーの受容が進んできた当時にあっては、ドイツでも地方部で活動していたロスバウトは、録音の場も限られ、かつ南西ドイツ放送交響楽団との演奏はいかにも地味にうつったかも知れない。

しかし、この録音集を聴く限り、その解釈には今日的にみても共感をもつことができる。もっと多くのブルックナー音源が世に出ることを期待したい。

ロスバルト、手堅き匠のブルックナー選集

ロスバウト ブルックナー BRUCKNER, A.: Symphonies Nos. 2, 5, 7, 8 (South West German Radio Symphony, Baden-Baden, Hans Rosbaud) (1953-1957)

http://www.naxos.com/person/Hans_Rosbaud/31068.htm

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