§ プロローグ / ブルックナー 指揮者の系譜

ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Joseph Anton Bruckner, 1824年9月4日生まれ~1896年10月11日逝去)は、19世紀に活動したオーストリアの作曲家です。生涯に11曲の交響曲と多くの宗教音楽などを世に送りました。本書では、このうち主として第1番から第9番までの9曲の交響曲の演奏録音について取り上げます。

ブルックナーの作曲の中心は、長大な交響曲であったことから、その受容、普及にあたっては、指揮者とオーケストラの影響力が決定的に重要でした。

 ここでは、はじめに少し指揮者の系譜についてふれておきたいと思います。

以下の各章で、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、ベームやカラヤンといった指揮者の演奏について考えていきますが、では彼らの「お師匠筋」についてはどうでしょうか。

1.先駆者たち

ニキシュ(Nikisch Artúr, Arthur Nikisch, 1855~1922年)

ハンガリー生まれのニキシュは、ブルックナーが教えていたウィーン音楽院の学生でした。彼は若き日にウィーン・フィルの楽員として、ブルックナーの交響曲を演奏したこともあります。そのニキシュは、ハンス・フォン・ビューロー(Hans Guido Freiherr von Bülow, 1830~94年)にはじまるドイツ正統派の指揮法の継承者であり、それをフルトヴェングラーにバトンタッチしました。ニキシュは1884年に第7シンフォニーを初演しブルックナーの名声を一気に高める貢献をしました。

 ニキシュは、R.シュトラウスやマーラー、チャイコフスキーなどの作品も多く紹介する一方、ベートーヴェンの第5番のシンフォニーなどをベルリン・フィルと録音(1913年)したことでも知られています。 

ハンス・リヒター(Hans Richter, 1843~1916年)

ハンス・リヒターもハンガリー出身、19世紀後半から20世紀初頭を代表する大指揮者です。リヒターはウィーンで学びウィーン・フィルでホルン奏者をへて指揮者になります。第4番(1881年)、第1番(ウィーン稿/1891年)、第8番(1892年)のウィーン・フィルとの初演指揮者で、ブルックナー自身がもっとも信頼していた指揮者でした。特に1892年、彼はハンスリックの批判も覚悟で第8シンフォニーを初演しますが、その歴史的な名演、成功によって68才のブルックナーは人生の頂点を極めます。彼はどんなにかリヒターに感謝したことでしょう。

 一方、彼は、ワーグナーの『ニーベルングの指輪』もブラームスの第2、第3番のシンフォニーも初演しています。彼にとって、当時のワーグナーVSブラームス論争などは、指揮者の職業上、顧慮すべきことではあったとしても、本質的ではないと思っていたかも知れません。熱烈なるワーグナー信奉者であったリヒターは、ブルックナー交響曲の紹介も積極的に行いました。その弟子がクナッパーツブッシュです。

クナッパーツブッシュとハンス・リヒターの関係についてですが、従来はクナッパーツブッシュが1909年、バイロイトにもぐりこみ、3年ほどハンス・リヒターの助手を務めたなどといわれていました。大学時代に何度もバイロイト詣でをしていたことは確からしく、1910年1月にジークフリート・ヴァーグナーから「音楽祭の最終稽古に居合わせてください」との手紙をもらったとの話もありますが、1910年には音楽祭は開かれていません。

奥波一秀(2012)『クナッパーツブッシュ』みすず書房.によれば、ハンス・リヒターの謦咳に接したのは1911年の音楽祭だったと推察されています。彼がアルフレートではなくハンスの名を用いるようになったのはリヒターの影響だろう、と奥波氏は書かれていますが興味深い指摘です。

カール・ムック(Karl Muck,  1859~1940年)

カール・ムックは、ダルムシュタットに生まれシュトゥットガルトに没したドイツ人指揮者です。ムックのレパートリーの中心はワーグナーで、『パルシファル』のほか、『ニーベルングの指輪』を含む主要作品はすべて指揮しました。彼は、スコアに忠実な近代的な指揮者の祖ともいわれるようですが、ワーグナーのほか、ボストン交響楽団を指揮したチャイコフスキー、ベルリオーズ、エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ等の小品集の録音もあるようです。

ブルックナーも積極的に取り上げました。なかでも、ウィーンに先駆けグラーツで第7番のオーストリア初演(1886年)、アメリカにおけるブルックナー作品の紹介などで貢献しました。アメリカでの初期のブルックナー受容は、アントン・ザイドル、ニキシュ、マーラー、そしてムックらによって行われました。その弟子筋がカール・ベームです。

ベームは1917年、グラーツ市立歌劇場でデビューし首席指揮者の座を約束されていました。しかしカール・ムックがベームの『ローエングリン』を聴いて感激し、当時バイエルン国立歌劇場音楽監督だったブルーノ・ワルターにベームを紹介しました。1921年にワルターの招きにより、ベームはバイエルン国立歌劇場の指揮者に転任します。ワルターとベームとの交遊関係は戦中戦後を通じて続くことになります。

このように、ベームにとってムックはワルターとともに恩師です。そして、ワルターの「先生」がグスタフ・マーラーです。

 

マーラー(Gustav Mahler,  1860~1911年)

マーラーはウィーン音楽院に在籍しブルックナーの講義を登録していました。その後、ビューローの後任としてウィーンの宮廷歌劇場、ウィーン・フィルの指揮者に就任します。1899年2月26日、ウィーン楽友協会ホールにて、マーラーはウィーン・フィルを指揮して初めて第6番の全曲演奏(但し大幅カットと改訂後)を行います。

◆ザイドル(Anton Seidl, 1850~1898年)

リヒター、ニキシュ同様、ハンガリー出身の指揮者です。1872年バイロイトでワーグナーのアシスタントとなり『ニーベルングの指輪』の初演に貢献しました。その後、渡米し1885年9月にヴァルター・ダムロシュの後任指揮者としてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の指揮者となり、同年12月6日アメリカではじめてブルックナーの交響曲第3番を取り上げました。1891年にはニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者になりますが40才代の若さで逝去しました。

 さて、以上の5人の指揮者は、ブルックナーの交響曲を広めた功績も大きいですが、彼らのレパートリーからすれば、ブルックナーは主要演目の一部でしかありませんでした。ワーグナーを中心に、いわゆるドイツ・オーストリア系(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど)の古典はしっかり押さえていたほか、ロシアもの、イギリスものなど同時代音楽にも積極的な関心をはらっています。職業的指揮者の「はしり」として、ある意味、オールラウンダーであったというべきでしょうか。

また忘れてはならないのは、「ブルックナー3使徒」とも呼ばれたヨーゼフ・シャルク(Joseph Schalk, 1857~1911年)、フランツ・シャルク(Franz Schalk, 1863~1931年)の兄弟とレーヴェ(Ferdinand Löwe, 1865~1925年:第9番の初演指揮者)です。フランツ・シャルクは、グラーツの市立歌劇場で1894年に第5番を初演しています。また、後進の指揮者育成にも尽力し、ベーム、カラヤンに強い影響をあたえたといわれます。

ブルックナーの交響曲は、このように先進的な指揮者の努力によって普及し、さらにそうした指揮者の後継者達が次の時代を築いていくことになります(ショーンバーク,H.C.(1980)『偉大な指揮者たち 指揮の歴史と系譜』中村洪介訳,音楽の友社.ほかを参照)。

2.本書の内容

多彩なブルックナー・ワールドを登山に譬えれば、10に及ぶ高山の連峰(交響曲群)があり、さまざまな登山家(指揮者)は、どの山からそれを攻略していくかの登攀戦略を練りそれに挑んでいく。その醍醐味は、これを眺めている立場(リスナー)からも格別のものがあります。

交響曲全集の完成は、いわば連峰制覇記録ですが、登攀ルートについては、概ね3通り(原典版、ハース版、ノヴァーク版)とその派生形があり、それぞれの山(交響曲各番)によって、どれを選ぶかも重要なメッセージとなっています。また、第1番から第9番までを標準とすれば、00番や0番を含むかどうか、作曲家自身が多くの改訂を行っているので、どの時点での稿を採用するか、さらに第9番については、輔筆の第4楽章を入れるかどうかといったさまざまな選択肢があります。

登攀にあたってのクルー(オーケストラ)の優秀さは重要です。3つのメジャー(ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、コンセルトヘボウ)のほかプロ・ドイツ系(ライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデン、ミュンヘン・フィル、バイエルン国立歌劇場管弦楽団など)は古くからの登攀記録(スコア)をもっています。

一方で、アメリカ系(シカゴ交響楽団、クリーグランド管弦楽団など)もハンガリー出身の名人(ショルティ、セル、ドホナーニ)によって鍛えられ、3メジャーやプロ・ドイツ系に伍しています。また、ときに名アルピニストによっては専門のクルーが設けられる場合(ワルター/コロンビア交響楽団、クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団)もあり、これも一流の記録を誇ります。

名アルピニスト列伝という観点からは、まず2人の大御所がいます。❶フルトヴェングラーと❷クナッパーツブッシュです。次に、早くから2度の全集をつくった❸ヨッフムは押しも押されもしないブルックナーの大家でした。

ワーグナーとともにブルックナーでも重要な足跡を残したご当地オーストリアの巨匠、❹ベーム、❺カラヤン、さらに同時代には、❻チェリビダッケ、❼ヴァント、❽シューリヒトなどの名指揮者がひしめいていました。

また、ブルックナーの音楽価値を見抜き、それに続こうとしたマーラーの弟子筋の❾クレンペラー、❿ワルターは別格の地位をしめています。

ブルックナーもマーラーも積極的に取り上げた⓫ロスバウト、⓬シノーポリ、⓭インバルも分析的で特色ある名演を残しています。

 ブルックナー指揮者は、ドイツ、オーストリア以外にも広がりをみせています。日本人および日系人として、⓮朝比奈隆、⓯若杉弘、⓰ケント・ナガノが、イタリアでは⓱ジュリーニが、オランダでは⓲ベイヌムが、チェコではクロアチア出身の⓳マタチッチは先駆的、積極的にブルックナーを取り上げました。そしてイギリスで活躍した、旧東ドイツ出身の⓴テンシュテットも忘れられない巨匠です。

本書第1章から第9章では、以上の20人を中心に見ていきます。

第10章では旧東ドイツのオーケストラを含めて①アーベントロートから⑱サヴァリッシュまで18人の指揮者についてふれています(表4参照)。

欧州以外でも、いまやブルックナー受容には枚挙にいとまがありません。かつてフルトヴェングラーが、ドイツ文化圏外でのブルックナー理解の困難さを嘆いたことが嘘のように、ブルックナーは世界中で奏でられる演目です。

アメリカのオーケストラでは、⑲ショルティ、⑳セル、㉑ドホナーニらハンガリアン・ファミリーはシカゴ響やクリーヴランド響とともに水際だった素晴らしいサウンドを残してくれています。

ロシアといえば、㉕ムラヴィンスキーですが、このロシアの巨匠のブルックナー演奏への傾注はただならぬものがあります。手兵レニングラード・フィルとの演奏は、このオーケストラの十八番であるチャイコフスキーやショスタコーヴィッチ流の、鋼のような強靱な音と魂をゆさぶる抒情性によって、魅力的なブルックナー像を構築しています。そしてそのバトンはロシアでは、㉖ロジェストヴェンスキーに渡されました。

 第11章 多彩なるブルックナー・ワールドではこうした指揮者群像についてふれ、第12章では若干の歴史的な概観をしています。

 現代の若手、中堅指揮者もブルックナーを取り上げる際には、指揮者のヴィルトゥオーソを強く意識するでしょう。また、多くのブルックナーファンが指揮者にこだわりをもつ源流はこうした系譜とけっして無関係ではないでしょう。

次章から各指揮者によるブルックナー演奏の特色について私見を述べていきたいと思います。はじめに一覧表を掲げますが、約50名の指揮者と全集をふくめ約150枚(それ以外の全集をふくめ約200枚)のCDがその対象です。

また、その合間に15のミニコラムを入れました。それでは、気軽に、指揮者のプロフィールでも、関心のあるコラムからでもご一瞥いただけたら幸いです。 

<表1>本書で取り上げる指揮者一覧 

  取り上げた指揮者生年没年生誕地終焉地 
第1章 ➊フルトヴェングラー Wilhelm Furtwängler1886年 1月25日1954年 11月30日ベルリンバーデン=バーデン) 
第2章 ❷クナッパーツブッシュ Hans Knappertsbusch1888年 3月12日1965年 10月25日エルバーフェルトミュンヘン 
第3章 ❸ヨッフム Eugen Jochum1902年 11月1日1987年 3月26日バーベンハウゼントゥッツィング 
第4章 ❹ベーム       Karl Böhm1894年 8月28日1981年 8月14日グラーツザルツブルク 
 ❺カラヤン Herbert von Karajan1908年 4月5日1989年 7月16日ザルツブルクザルツブルク 
第5章 ❻チェリビダッケ Sergiu Celibidache1912年 7月11日1996年 8月14日ルーマニア ローマン ラ・ヌーヴィ・シュルエソンヌ 
 ❼ヴァント Günter Wand1912年 1月7日2002年 2月14日エルバーフェルトスイス ウルミウ 
第6章 ❽クレンペラー Otto Klemperer1885年 5月14日1973年 7月6日ポーランド ヴロツワフチューリッヒ 
 ❾ワルター Bruno Walter1876年 9月15日1962年 2月17日ベルリンビバリーヒルズ 
 ❿シューリヒト Carl Adolph Schuricht1880年 7月3日1967年 1月7日ポーランド グダニスクスイス ブベー 
第7章 ⓫ロスバウト Hans Rosbaud1895年 7月22日1962年 12月29日グラーツルガノ 
 ⓬シノーポリ Giuseppe Sinopoli1946年11月2日 2001年 4月20日)ヴェネツィアベルリン 
 ⓭インバル Eliahu Inbal1936年 2月16日 エルサレム  
第8章 ⓮朝比奈 隆1908年 7月9日2001年 12月29日東京都神戸市 
 ⓯若杉弘1935年 5月31日2009年 7月21日ニューヨーク東京都 
 ⓰ケント・ナガノ Kent George Nagano1951年 11月22日 バークリー  
第9章 ⓱ジュリーニ Carlo Maria Giulini –1914年 5月9日2005年 6月14日イタリア バルレッタイタリア ブレシア 
 ⓲ベイヌム Eduard van Beinum1901年 9月3日1959年 4月13日アルンヘムアムステルダム 
 ⓳マタチッチ Lovro von Matačić1899年 2月14日1985年 1月4日クロアチア スシャククロアチア ザグレブ 
 ⓴テンシュテット Klaus Tennstedt1926年 6月6日1998年 1月11日メルゼブルクハイケンドルフ 
第10章 ①アーベントロート Hermann Paul Maximilian Abendroth1883年 1月19日1956年 5月29日フランクフルトイェーナ 
②コンヴィチュニー Franz Konwitschny1901年 8月14日1962年 7月28日チェコ フルネクベオグラード 
③ノイマン Václav Neumann1920年 9月29日1995年 9月2日プラハウィーン 
④マズア Kurt Masur1927年 7月18日 2015年 12月19日ポーランド ブジェク米国 グリニッジ 
⑤シャイー Riccardo Chailly1953年 2月20日 – ミラノ  
 ⑥カイルベルト Joseph Keilberth1908年 4月19日1968年 7月20日カールスルーエミュンヘン 
⑦ケンペ Rudolf Kempe1910年 6月14日1976年 5月12日ドレスデンチューリッヒ 
⑧スウィトナー  Otmar Suitner1922年 5月16日2010年 1月8日インスブルックベルリン 
⑨ザンデルリング Kurt Sanderling1912年 9月19日2011年 9月18日アリス(旧)ベルリン 
⑩ブロムシュテット Herbert Blomstedt1927年 7月11日 米国スプリングフィールド  
⑪ハイティンク Bernard Johan Herman Haitink1929年 3月4日 アムステルダム  
⑫アイヒホルン Kurt Peter Eichhorn1908年 8月4日1994年 6月29日ミュンヘンムルナウ 
⑬ライトナー Ferdinand Leitner1912年 3月4日1996年 6月3日ベルリンチューリッヒ 
⑭ケーゲル Herbert Kegel1920年 7月29日1990年 11月20日ドレスデンドレスデン 
⑮スクロヴァチェフスキ Stanisław  Skrowaczewski 1923年 10月3日2017年 2月21日ポーランド ルヴフ米国 ミネアポリス 
⑯レーグナー Heinz Rögner1929年 1月16日2001年 12月10日ライプツィヒライプツィヒ 
⑰シュタイン Horst Stein1928年 5月2日2008年 7月27日エルバーフェルトスイス バンドゥーブル 
⑱サヴァリッシュ Wolfgang Sawallisch1923年 8月26日2013年 2月22日ミュンヘングラッサウ 
第11章 ⑲ショルティ Sir Georg Solti1912年 10月21日1997年 9月5日ブダペストフランス アンティーブ
⑳セル George Szell1897年 6月7日1970年 7月30日ブダペストクリーヴランド
㉑ドホナーニ Christoph von Dohnányi1929年 9月8日 ベルリン 
クーベリック Rafael Jeroným Kubelík1914年 6月29日1996年 8月11日チェコ ビーホリルツェルン
アーノンクール Nikolaus Harnoncourt1929年 12月6日 2016年 3月5日ベルリンザンクト・ゲオルゲン(アッターガウ)
㉔アバド Claudio Abbado1933年 6月26日2014年 1月20日ミラノボローニャ
㉕ムラヴィンスキー Evgeny Aleksandrovich Mravinsky1903年 6月4日1988年 1月19日ペテルブルクレニングラード
㉖ロジェストヴェンスキー Gennady Rozhdestvensky1931年 5月4日2018年 6月16日モスクワモスクワ
㉗ブーレーズ Pierre Louis Joseph Boulez1925年 3月26日2016年 1月5日モンブリゾンバーデン=バーデン
㉘メスト Franz Welser-Möst1960年 8月16日 リンツ 
㉙ネルソンス Andris Nelsons1978年 11月18日 ラトビア・リガ 
㉚白神典子1967年 7月5日2017年 1月13日東京都 

(注)㉚白神典子はピアニストだが、例外として掲げた。

<表2>本書で取り上げるCD一覧

 指揮者名番数 オーケストラ 録音時点 
1❶フルトヴェングラー第4番 VPO 1951年10月  
2 第5番 VPO 1951年8月   
3 第5番 BPO 1942年10月  
4 第6番(第2~4楽章) BPO 1943年11月 
5 第7番 BPO 1949年10月  
6 第8番 BPO 1949年3月  
7 第9番 BPO  1944年10月  
8❷クナッパーツブッシュ第3番 VPO 1954年4月  
9 第3番 バイエルン国立歌劇場管 1954年10月 
10 第4番 BPO 1944年9月8日 ベルリン 
11 第4番 VPO 1955年4月  
12 第5番 VPO 1956年6月  
13 第5番 MPO  1959年3月 
14 第7番 VPO 1949年8月  
15 第8番 MPO  1963年1月 
16 第8番 BPO 1951年1月 
17 第8番 バイエルン国立歌劇場管 1955年12月 
18 第9番 BPO 1950年1月28日  
19❸ヨッフム第1番 シュターツカペレ・ドレスデン 1978年12月 
20 第3番 シュターツカペレ・ドレスデン 1977年1月 
21 第4番 BPO 1965年6月  
22 第5番 バイエルン放送響 1958年2月  
23 第5番 シュターツカペレ・ドレスデン1980年3月  
24 第6番 シュターツカペレ・ドレスデン 1978年6月  
25 第7番 シュターツカペレ・ドレスデン1976年12月  
26 第8番 BPO 1964年1月  
27 第9番 シュターツカペレ・ドレスデン 1978年1月 
28 初期録音集 JOCHUM/ THE LEGENDARY EARLY RECORDINGS 
29 宗教録音集 
30❹ベーム第3番 VPO 1970年9月   
31 第4番 VPO 1973年11月  
32 第4番 ザクセン国立歌劇場管 1936年 
33 第5番 ザクセン国立歌劇場管 1937年 
34 第7番 VPO 1976年9月  
35 第7番 VPO 1943年 
36 第8番 VPO 1976年2月 
37❺カラヤン全集(第1~9番)BPO 1975~1981年  
38 第8番 プロイセン国立歌劇場管 1944年6月、9月 
39 第8番 BPO 1957年5月  
40 第8番 BPO 1975年1月、4月  
41 第8番 VPO 1988年11月  
42❻ チェリビダッケ第3番 MPO  1987年3月 
43 第4番 MPO  1988年10月  
44 第5番 MPO  1991年2月  
45 第7番 BFO 1992年3月、4月   
46 第8番 MPO  1993年9月   
47❼ヴァント全集  ケルン放送響 1974~1981年 から第1~3番  
48 第4番 ケルン放送響 1976年12月 
49 第6番 ケルン放送響 1976年8月 
50 第5番 ベルリン・ドイツ響 1991年10月 
51 第9番 シュトゥットガルト放送響 1979年6月 
52❽クレンペラー第4番 ケルン放送響 1954年4月  
53 第5番 VPO 1968年6月  
54 第6番 ニュー・フィルハーモニア管 1964年11月 
55 第8番 ケルン放送響 1957年6月  
56❾ワルター第4番 コロンビア響 1960年2月 
57 第4番 NBC響 1940年2月 
58 第7番 コロンビア響 1961年3月 
59 第9番 コロンビア響 1959年11月 
60❿シューリヒト第3番 VPO 1965年12月 
61 第7番 ハーグ管 1964年 
62 第8番 VPO 1963年  
63 第9番 VPO 1961年 
64⓫ロスバウト第2番 南西ドイツ放送響 1956年12月 
65 第5番 南西ドイツ放送響 1962年5月 
66 第7番 南西ドイツ放送響 1957年12月 
67 第8番 南西ドイツ放送響 1955年11月 
68⓬シノーポリ第3番 シュターツカペレ・ドレスデン 1990年4月 
69 第4番 シュターツカペレ・ドレスデン 1987年9月 
70 第7番 シュターツカペレ・ドレスデン 1991年9月 
71 第8番 シュターツカペレ・ドレスデン 1994年12月 
72 第9番 シュターツカペレ・ドレスデン 1997年3月 
73⓭インバル第3番 フランクフルト放送響 1982年9月 
74 第4番 フランクフルト放送響 1982年9月 
75 第8番 フランクフルト放送響 1982年8月 
76⓮朝比奈 隆第1番 大阪フィル 1994年5月 
77 第2番 大阪フィル 1994年1月 
78 第3番 大阪フィル 1993年10月 
79 第9番 テ・デウム 東京交響楽団 1991年3月 
80⓯若杉 弘第2番 ザールブリュッケン放送響 1992年4月 
81 第9番 ザールブリュッケン放送響 1994年12月 
82⓰ケント・ナガノ第3番 ベルリン・ドイツ響 2003年3月 
83 第4番 バイエルン国立管 2007年7月 
84 第7番 バイエルン国立管 2010年9月 
85 第8番 バイエルン国立管 2009年7月 
86⓱ジュリーニ第2番 ウィーン交響楽団 1974年12月 
87 第7番 VPO 1986年6月 
88 第9番 VPO 1988年6月 
89⓲ベイヌム第5番  コンセルトヘボウ管 1959年3月 
90 第7番  コンセルトヘボウ管 1953年5月 
91 第8番  コンセルトヘボウ管 1955年6月 
92 第9番  コンセルトヘボウ管 1956年6月 
93⓳マタチッチ第5番  チェコ・フィル 1970年11月 
94 第7番  チェコ・フィル 1967年3月 
95 第8番  NHK交響楽団  1984年3月 
96⓴テンシュテット第3番  バイエルン放送響 1976年11月 
97 第4番 BPO 1981年12月 
98 第8番  ロンドン・フィル 1982年9月 
99アーベントロート第4番  ライプチッヒ放送響 1949年11月 
100コンヴィチュニー第5番  ゲヴァントハウス管 1960年 
101 第7番  ゲヴァントハウス管  1961年 
102 第8番 ベルリン放送響 1959年 
103ノイマン第1番 ゲヴァントハウス管 1965年12月 
104マズア全集  ゲヴァントハウス管 1974~1978年 
105シャイー第1番 ベルリン放送響 1987年2月 
106 第6番 コンセルトヘボウ管 1997年2月 
107 第9番 コンセルトヘボウ管 1996年6月 
108カイルベルト第6番 BPO 1963年 
109ケンペ第4番 MPO   1976年1月 
110 第5番 MPO 1975年5月 
111⑧スウィトナー第4番 シュターツカペレ・ベルリン 1988年10月 
112⑨ザンデルリング第4番 バイエルン放送響 1994年11月 
113⑩ブロムシュテット第4番 シュターツカペレ・ドレスデン 1981年9月 
114 第7番 シュターツカペレ・ドレスデン 1980年6月 
115⑪ハイティンク第4番 VPO  1985年2月 
116 第6番 シュターツカペレ・ドレスデン 2003年11月 
117⑫アイヒホルン第5番 バイエルン放送響 1990年 
118⑬ライトナー第0番 バイエルン放送響  1960年6月 
119⑭ケーゲル第4番 ライプツィヒ放送響 1960年4月 
120⑮スクロヴァチェフスキ第2番 ザールブリュッケン放送響 1995年6月 
121⑯レーグナー第4番 ベルリン放送響1983年7月、1984年11月 
122 第5番 ベルリン放送響 1983年9月、1984年1月  
123 第6番 ベルリン放送響 1980年6月 
124 第7番 ベルリン放送響 1983年5月、8月  
125 第8番 ベルリン放送響 1985年5月、7月      
126 第9番 ベルリン放送響 1983年2月 
127⑰シュタイン第2番 VPO 
128⑱サヴァリッシュ第1番 バイエルン国立管 1984年10月 
129 第5番 バイエルン国立管 1990年 9月、1991年3月 
130 第9番 バイエルン国立管 1984年12月 
131⑲ショルティ第0番 シカゴ響  1995年 
132 第1番 シカゴ響  1995年 
133 第2番 シカゴ響  1991年 
134⑳セル第3番 シュターツカペレ・ドレスデン 1965年8月  
135 第7番 VPO 1968年8月 
136㉑ドホナーニ第3番 クリーヴランド管 1993年6月 
137 第4番 クリーヴランド管 1989年10月 
138 第5番 クリーヴランド管 1991年1月 
139 第6番 クリーヴランド管 1991年10月 
140 第7番 クリーヴランド管 1990年8月 
141 第8番 クリーヴランド管 1994年2月 
142 第9番 クリーヴランド管 1988年10月 
143㉒クーベリック第3番 バイエルン放送響 1980年 
144㉓アーノンクール第3番 コンセルトヘボウ管 1994年12月 
145㉔アバド第1番 VPO 1996年1月 
146㉕ムラヴィンスキー第8番 レニングラード・フィル 1959年6月 
147㉖ロジェストヴェンスキー全集  ソヴィエト国立文化省響 1983~1986年 
148㉗ブーレーズ第8番 VPO 1996年9月 
149㉘メスト第5番 ロンドン・フィル 1993年 
150㉙ネルソンス第4番 ゲヴァントハウス管 

(注)略号はVPO:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、BPO:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、MPO:ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

<表3> 指揮者別、交響曲番号別の掲載分マトリックス

演奏家/番数全集1  2  3456789その他 共 計
フルトヴェングラー    ★★7 
クナッパーツブッシュ   ★★★★★★ ★★★11
❸ヨッフム ★★11※
❹ベーム   ★★ ★★ 7
❺カラヤン       ★★★★ 5
❻チェリビダッケ     5
❼ヴァント  5
❽クレンペラー      4
❾ワルター    ★★   4
❿シューリヒト      4
⓫ロスバウト      4
⓬シノーポリ     5
⓭インバル      4
⓮朝比奈 隆      4
⓯若杉 弘        2
⓰ケント・ナガノ      4
⓱ジュリーニ       3
⓲ベイヌム      4
⓳マタチッチ       3
⓴テンシュテット       3
①アーベントロート         1
コンヴィチュニー       3
ノイマン         1
マズア         1
⑤シャイー      3
⑥カイルベルト         1
⑦ケンペ        2
⑧スウィトナー         1
⑨ザンデルリング         1
⑩ブロムシュテット        2
⑪ハイティンク        2
アイヒホルン         1
ライトナー          1※
⑭ケーゲル         1
スクロヴァチェフスキ         1
レーグナー    6
⑰シュタイン         1
⑱サヴァリッシュ       3
⑲ショルティ        3※
⑳セル        2
㉑ドホナーニ   7
㉒クーベリック         1
アーノンクール         1
㉔アバド         1
㉕ムラヴィンスキー         1
㉖ロジェストヴェンスキー         1
㉗ブーレーズ         1
㉘メスト         1
㉙ネルソンス         
㉚白神典子 例外
   計881724209192515150

※第0番ショルティ、ライトナー、ヨッフムの初期録音集、宗教音楽集の4点を含むこと等から合計と内訳は一致しない。☆は文中で全集としてふれたものを示す。

<表4>ブルックナーと関連の深いドイツ5大オーケストラの指揮者

 ライプツィヒ・ ゲヴァントハウス 管弦楽団シュターツカペレ・ ドレスデンミュンヘン・フィルバイエルン国立 歌劇場管弦楽団バイエルン 放送交響楽団
1895~1922年 ニキシュ1914-1921 フリッツ・ライナー1908–1914 レーヴェ 1919–1920 プフィッツナー1904–1911 フェリックス・モットル 1913–1922 ❾ワルター 
1922~1928年 フルトヴェングラー1922-1933 フリッツ・ブッシュ1920–1938 ハウゼッガー1922–1935 ❷クナッパーツブッシュ 
1929~1933年 ワルター1934-1943  ❹ベーム 1937–1944 クレメンス・クラウス 
1934~1945年 ①アーベントロート1943-1944 エルメンドルフ1938–1944 オズヴァルト・カバスタ1945  クナッパーツブッシュ 
1946~1948年 アルベルト1945-1950 ⑥カイルベルト1945–1948 ⓫ロスバウト1946–1952 ⑲ショルティ 
1949~1962年 ②コンヴィチュニー1949-1953 ⑦ケンペ 1953-1955 ②コンヴィチュニー 1956-1958 マタチッチ 1960-1964 ⑧スウィトナー1949–1966 フリッツ・リーガー  1952–1954 ⑦ケンペ 1956–1958 フリッチャイ1949 – 1960 ヨッフム
1964~1968年 ③ノイマン1964-1967 ⑨ザンデルリング 1966-1968 トゥルノフスキー1967–1976 ⑦ケンペ1959–1968 ⑥カイルベルト1961 – 1978 クーベリック
1970~1996年 ④マズア1975-1985 ⑩ブロムシュテット 1985-1990 ハンス・フォンク 1992-2001  ⓬シノーポリ1979–1996 ❼チェリビダッケ1971–1992 ⑱サヴァリッシュ 1992–1998 ペーター・シュナイダー1982 – 1992 デイヴィス
1998~2005年 ⑩ブロムシュテット2002-2004 ⑪ハイティンク1999–2004 レヴァイン1998–2006 メータ1993 – 2002 マゼール
2005~2016年 ⑤シャイー2007-2010 ファビオ・ルイージ 2012- ティーレマン2004–2011 ティーレマン 2012-2014 マゼール 2015- ゲルギエフ2006–2013 ⓰ケント・ナガノ 2013–2020 ペトレンコ2003 – ヤンソンス
2017年~    ネルソンス  2021 ユロフスキ 

(注)ベルリン・フィルを除く。他にも多くの著名な楽団があるが、ここでは指揮者の系譜をみるうえで選択している。

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