ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Joseph Anton Bruckner, 1824年9月4日生まれ~1896年10月11日逝去)は、19世紀に活動したオーストリアの作曲家です。生涯に11曲の交響曲と多くの宗教音楽などを世に送りました。本書では、このうち主として第1番から第9番までの9曲の交響曲の演奏録音について取り上げます。
ブルックナーの作曲の中心は、長大な交響曲であったことから、その受容、普及にあたっては、指揮者とオーケストラの影響力が決定的に重要でした。
ここでは、はじめに少し指揮者の系譜についてふれておきたいと思います。
以下の各章で、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、ベームやカラヤンといった指揮者の演奏について考えていきますが、では彼らの「お師匠筋」についてはどうでしょうか。
1.先駆者たち
◆ニキシュ(Nikisch Artúr, Arthur Nikisch, 1855~1922年)
ハンガリー生まれのニキシュは、ブルックナーが教えていたウィーン音楽院の学生でした。彼は若き日にウィーン・フィルの楽員として、ブルックナーの交響曲を演奏したこともあります。そのニキシュは、ハンス・フォン・ビューロー(Hans Guido Freiherr von Bülow, 1830~94年)にはじまるドイツ正統派の指揮法の継承者であり、それをフルトヴェングラーにバトンタッチしました。ニキシュは1884年に第7シンフォニーを初演しブルックナーの名声を一気に高める貢献をしました。
ニキシュは、R.シュトラウスやマーラー、チャイコフスキーなどの作品も多く紹介する一方、ベートーヴェンの第5番のシンフォニーなどをベルリン・フィルと録音(1913年)したことでも知られています。
◆ハンス・リヒター(Hans Richter, 1843~1916年)
ハンス・リヒターもハンガリー出身、19世紀後半から20世紀初頭を代表する大指揮者です。リヒターはウィーンで学びウィーン・フィルでホルン奏者をへて指揮者になります。第4番(1881年)、第1番(ウィーン稿/1891年)、第8番(1892年)のウィーン・フィルとの初演指揮者で、ブルックナー自身がもっとも信頼していた指揮者でした。特に1892年、彼はハンスリックの批判も覚悟で第8シンフォニーを初演しますが、その歴史的な名演、成功によって68才のブルックナーは人生の頂点を極めます。彼はどんなにかリヒターに感謝したことでしょう。
一方、彼は、ワーグナーの『ニーベルングの指輪』もブラームスの第2、第3番のシンフォニーも初演しています。彼にとって、当時のワーグナーVSブラームス論争などは、指揮者の職業上、顧慮すべきことではあったとしても、本質的ではないと思っていたかも知れません。熱烈なるワーグナー信奉者であったリヒターは、ブルックナー交響曲の紹介も積極的に行いました。その弟子がクナッパーツブッシュです。
クナッパーツブッシュとハンス・リヒターの関係についてですが、従来はクナッパーツブッシュが1909年、バイロイトにもぐりこみ、3年ほどハンス・リヒターの助手を務めたなどといわれていました。大学時代に何度もバイロイト詣でをしていたことは確からしく、1910年1月にジークフリート・ヴァーグナーから「音楽祭の最終稽古に居合わせてください」との手紙をもらったとの話もありますが、1910年には音楽祭は開かれていません。
奥波一秀(2012)『クナッパーツブッシュ』みすず書房.によれば、ハンス・リヒターの謦咳に接したのは1911年の音楽祭だったと推察されています。彼がアルフレートではなくハンスの名を用いるようになったのはリヒターの影響だろう、と奥波氏は書かれていますが興味深い指摘です。
◆カール・ムック(Karl Muck, 1859~1940年)
カール・ムックは、ダルムシュタットに生まれシュトゥットガルトに没したドイツ人指揮者です。ムックのレパートリーの中心はワーグナーで、『パルシファル』のほか、『ニーベルングの指輪』を含む主要作品はすべて指揮しました。彼は、スコアに忠実な近代的な指揮者の祖ともいわれるようですが、ワーグナーのほか、ボストン交響楽団を指揮したチャイコフスキー、ベルリオーズ、エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ等の小品集の録音もあるようです。
ブルックナーも積極的に取り上げました。なかでも、ウィーンに先駆けグラーツで第7番のオーストリア初演(1886年)、アメリカにおけるブルックナー作品の紹介などで貢献しました。アメリカでの初期のブルックナー受容は、アントン・ザイドル、ニキシュ、マーラー、そしてムックらによって行われました。その弟子筋がカール・ベームです。
ベームは1917年、グラーツ市立歌劇場でデビューし首席指揮者の座を約束されていました。しかしカール・ムックがベームの『ローエングリン』を聴いて感激し、当時バイエルン国立歌劇場音楽監督だったブルーノ・ワルターにベームを紹介しました。1921年にワルターの招きにより、ベームはバイエルン国立歌劇場の指揮者に転任します。ワルターとベームとの交遊関係は戦中戦後を通じて続くことになります。
このように、ベームにとってムックはワルターとともに恩師です。そして、ワルターの「先生」がグスタフ・マーラーです。
◆マーラー(Gustav Mahler, 1860~1911年)
マーラーはウィーン音楽院に在籍しブルックナーの講義を登録していました。その後、ビューローの後任としてウィーンの宮廷歌劇場、ウィーン・フィルの指揮者に就任します。1899年2月26日、ウィーン楽友協会ホールにて、マーラーはウィーン・フィルを指揮して初めて第6番の全曲演奏(但し大幅カットと改訂後)を行います。
◆ザイドル(Anton Seidl, 1850~1898年)
リヒター、ニキシュ同様、ハンガリー出身の指揮者です。1872年バイロイトでワーグナーのアシスタントとなり『ニーベルングの指輪』の初演に貢献しました。その後、渡米し1885年9月にヴァルター・ダムロシュの後任指揮者としてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の指揮者となり、同年12月6日アメリカではじめてブルックナーの交響曲第3番を取り上げました。1891年にはニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者になりますが40才代の若さで逝去しました。
さて、以上の5人の指揮者は、ブルックナーの交響曲を広めた功績も大きいですが、彼らのレパートリーからすれば、ブルックナーは主要演目の一部でしかありませんでした。ワーグナーを中心に、いわゆるドイツ・オーストリア系(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど)の古典はしっかり押さえていたほか、ロシアもの、イギリスものなど同時代音楽にも積極的な関心をはらっています。職業的指揮者の「はしり」として、ある意味、オールラウンダーであったというべきでしょうか。
また忘れてはならないのは、「ブルックナー3使徒」とも呼ばれたヨーゼフ・シャルク(Joseph Schalk, 1857~1911年)、フランツ・シャルク(Franz Schalk, 1863~1931年)の兄弟とレーヴェ(Ferdinand Löwe, 1865~1925年:第9番の初演指揮者)です。フランツ・シャルクは、グラーツの市立歌劇場で1894年に第5番を初演しています。また、後進の指揮者育成にも尽力し、ベーム、カラヤンに強い影響をあたえたといわれます。
ブルックナーの交響曲は、このように先進的な指揮者の努力によって普及し、さらにそうした指揮者の後継者達が次の時代を築いていくことになります(ショーンバーク,H.C.(1980)『偉大な指揮者たち 指揮の歴史と系譜』中村洪介訳,音楽の友社.ほかを参照)。
2.本書の内容
多彩なブルックナー・ワールドを登山に譬えれば、10に及ぶ高山の連峰(交響曲群)があり、さまざまな登山家(指揮者)は、どの山からそれを攻略していくかの登攀戦略を練りそれに挑んでいく。その醍醐味は、これを眺めている立場(リスナー)からも格別のものがあります。
交響曲全集の完成は、いわば連峰制覇記録ですが、登攀ルートについては、概ね3通り(原典版、ハース版、ノヴァーク版)とその派生形があり、それぞれの山(交響曲各番)によって、どれを選ぶかも重要なメッセージとなっています。また、第1番から第9番までを標準とすれば、00番や0番を含むかどうか、作曲家自身が多くの改訂を行っているので、どの時点での稿を採用するか、さらに第9番については、輔筆の第4楽章を入れるかどうかといったさまざまな選択肢があります。
登攀にあたってのクルー(オーケストラ)の優秀さは重要です。3つのメジャー(ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、コンセルトヘボウ)のほかプロ・ドイツ系(ライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデン、ミュンヘン・フィル、バイエルン国立歌劇場管弦楽団など)は古くからの登攀記録(スコア)をもっています。
一方で、アメリカ系(シカゴ交響楽団、クリーグランド管弦楽団など)もハンガリー出身の名人(ショルティ、セル、ドホナーニ)によって鍛えられ、3メジャーやプロ・ドイツ系に伍しています。また、ときに名アルピニストによっては専門のクルーが設けられる場合(ワルター/コロンビア交響楽団、クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団)もあり、これも一流の記録を誇ります。
名アルピニスト列伝という観点からは、まず2人の大御所がいます。❶フルトヴェングラーと❷クナッパーツブッシュです。次に、早くから2度の全集をつくった❸ヨッフムは押しも押されもしないブルックナーの大家でした。
ワーグナーとともにブルックナーでも重要な足跡を残したご当地オーストリアの巨匠、❹ベーム、❺カラヤン、さらに同時代には、❻チェリビダッケ、❼ヴァント、❽シューリヒトなどの名指揮者がひしめいていました。
また、ブルックナーの音楽価値を見抜き、それに続こうとしたマーラーの弟子筋の❾クレンペラー、❿ワルターは別格の地位をしめています。
ブルックナーもマーラーも積極的に取り上げた⓫ロスバウト、⓬シノーポリ、⓭インバルも分析的で特色ある名演を残しています。
ブルックナー指揮者は、ドイツ、オーストリア以外にも広がりをみせています。日本人および日系人として、⓮朝比奈隆、⓯若杉弘、⓰ケント・ナガノが、イタリアでは⓱ジュリーニが、オランダでは⓲ベイヌムが、チェコではクロアチア出身の⓳マタチッチは先駆的、積極的にブルックナーを取り上げました。そしてイギリスで活躍した、旧東ドイツ出身の⓴テンシュテットも忘れられない巨匠です。
本書第1章から第9章では、以上の20人を中心に見ていきます。
第10章では旧東ドイツのオーケストラを含めて①アーベントロートから⑱サヴァリッシュまで18人の指揮者についてふれています(表4参照)。
欧州以外でも、いまやブルックナー受容には枚挙にいとまがありません。かつてフルトヴェングラーが、ドイツ文化圏外でのブルックナー理解の困難さを嘆いたことが嘘のように、ブルックナーは世界中で奏でられる演目です。
アメリカのオーケストラでは、⑲ショルティ、⑳セル、㉑ドホナーニらハンガリアン・ファミリーはシカゴ響やクリーヴランド響とともに水際だった素晴らしいサウンドを残してくれています。
ロシアといえば、㉕ムラヴィンスキーですが、このロシアの巨匠のブルックナー演奏への傾注はただならぬものがあります。手兵レニングラード・フィルとの演奏は、このオーケストラの十八番であるチャイコフスキーやショスタコーヴィッチ流の、鋼のような強靱な音と魂をゆさぶる抒情性によって、魅力的なブルックナー像を構築しています。そしてそのバトンはロシアでは、㉖ロジェストヴェンスキーに渡されました。
第11章 多彩なるブルックナー・ワールドではこうした指揮者群像についてふれ、第12章では若干の歴史的な概観をしています。
現代の若手、中堅指揮者もブルックナーを取り上げる際には、指揮者のヴィルトゥオーソを強く意識するでしょう。また、多くのブルックナーファンが指揮者にこだわりをもつ源流はこうした系譜とけっして無関係ではないでしょう。
次章から各指揮者によるブルックナー演奏の特色について私見を述べていきたいと思います。はじめに一覧表を掲げますが、約50名の指揮者と全集をふくめ約150枚(それ以外の全集をふくめ約200枚)のCDがその対象です。
また、その合間に15のミニコラムを入れました。それでは、気軽に、指揮者のプロフィールでも、関心のあるコラムからでもご一瞥いただけたら幸いです。
取り上げた指揮者 | 生年 | 没年 | 生誕地 | 終焉地 | ||||||
第1章 ➊フルトヴェングラー Wilhelm Furtwängler | 1886年 1月25日 | 1954年 11月30日 | ベルリン | バーデン=バーデン) | ||||||
第2章 ❷クナッパーツブッシュ Hans Knappertsbusch | 1888年 3月12日 | 1965年 10月25日 | エルバーフェルト | ミュンヘン | ||||||
第3章 ❸ヨッフム Eugen Jochum | 1902年 11月1日 | 1987年 3月26日 | バーベンハウゼン | トゥッツィング | ||||||
第4章 ❹ベーム Karl Böhm | 1894年 8月28日 | 1981年 8月14日 | グラーツ | ザルツブルク | ||||||
❺カラヤン Herbert von Karajan | 1908年 4月5日 | 1989年 7月16日 | ザルツブルク | ザルツブルク | ||||||
第5章 ❻チェリビダッケ Sergiu Celibidache | 1912年 7月11日 | 1996年 8月14日 | ルーマニア ローマン | ラ・ヌーヴィ・シュルエソンヌ | ||||||
❼ヴァント Günter Wand | 1912年 1月7日 | 2002年 2月14日 | エルバーフェルト | スイス ウルミウ | ||||||
第6章 ❽クレンペラー Otto Klemperer | 1885年 5月14日 | 1973年 7月6日 | ポーランド ヴロツワフ | チューリッヒ | ||||||
❾ワルター Bruno Walter | 1876年 9月15日 | 1962年 2月17日 | ベルリン | ビバリーヒルズ | ||||||
❿シューリヒト Carl Adolph Schuricht | 1880年 7月3日 | 1967年 1月7日 | ポーランド グダニスク | スイス ブベー | ||||||
第7章 ⓫ロスバウト Hans Rosbaud | 1895年 7月22日 | 1962年 12月29日 | グラーツ | ルガノ | ||||||
⓬シノーポリ Giuseppe Sinopoli | 1946年11月2日 | 2001年 4月20日) | ヴェネツィア | ベルリン | ||||||
⓭インバル Eliahu Inbal | 1936年 2月16日 | エルサレム | ||||||||
第8章 ⓮朝比奈 隆 | 1908年 7月9日 | 2001年 12月29日 | 東京都 | 神戸市 | ||||||
⓯若杉弘 | 1935年 5月31日 | 2009年 7月21日 | ニューヨーク | 東京都 | ||||||
⓰ケント・ナガノ Kent George Nagano | 1951年 11月22日 | バークリー | ||||||||
第9章 ⓱ジュリーニ Carlo Maria Giulini – | 1914年 5月9日 | 2005年 6月14日 | イタリア バルレッタ | イタリア ブレシア | ||||||
⓲ベイヌム Eduard van Beinum | 1901年 9月3日 | 1959年 4月13日 | アルンヘム | アムステルダム | ||||||
⓳マタチッチ Lovro von Matačić | 1899年 2月14日 | 1985年 1月4日 | クロアチア スシャク | クロアチア ザグレブ | ||||||
⓴テンシュテット Klaus Tennstedt | 1926年 6月6日 | 1998年 1月11日 | メルゼブルク | ハイケンドルフ | ||||||
第10章 ①アーベントロート Hermann Paul Maximilian Abendroth | 1883年 1月19日 | 1956年 5月29日 | フランクフルト | イェーナ | ||||||
②コンヴィチュニー Franz Konwitschny | 1901年 8月14日 | 1962年 7月28日 | チェコ フルネク | ベオグラード | ||||||
③ノイマン Václav Neumann | 1920年 9月29日 | 1995年 9月2日 | プラハ | ウィーン | ||||||
④マズア Kurt Masur | 1927年 7月18日 | 2015年 12月19日 | ポーランド ブジェク | 米国 グリニッジ | ||||||
⑤シャイー Riccardo Chailly | 1953年 2月20日 – | ミラノ | ||||||||
⑥カイルベルト Joseph Keilberth | 1908年 4月19日 | 1968年 7月20日 | カールスルーエ | ミュンヘン | ||||||
⑦ケンペ Rudolf Kempe | 1910年 6月14日 | 1976年 5月12日 | ドレスデン | チューリッヒ | ||||||
⑧スウィトナー Otmar Suitner | 1922年 5月16日 | 2010年 1月8日 | インスブルック | ベルリン | ||||||
⑨ザンデルリング Kurt Sanderling | 1912年 9月19日 | 2011年 9月18日 | アリス(旧) | ベルリン | ||||||
⑩ブロムシュテット Herbert Blomstedt | 1927年 7月11日 | 米国スプリングフィールド | ||||||||
⑪ハイティンク Bernard Johan Herman Haitink | 1929年 3月4日 | アムステルダム | ||||||||
⑫アイヒホルン Kurt Peter Eichhorn | 1908年 8月4日 | 1994年 6月29日 | ミュンヘン | ムルナウ | ||||||
⑬ライトナー Ferdinand Leitner | 1912年 3月4日 | 1996年 6月3日 | ベルリン | チューリッヒ | ||||||
⑭ケーゲル Herbert Kegel | 1920年 7月29日 | 1990年 11月20日 | ドレスデン | ドレスデン | ||||||
⑮スクロヴァチェフスキ Stanisław Skrowaczewski | 1923年 10月3日 | 2017年 2月21日 | ポーランド ルヴフ | 米国 ミネアポリス | ||||||
⑯レーグナー Heinz Rögner | 1929年 1月16日 | 2001年 12月10日 | ライプツィヒ | ライプツィヒ | ||||||
⑰シュタイン Horst Stein | 1928年 5月2日 | 2008年 7月27日 | エルバーフェルト | スイス バンドゥーブル | ||||||
⑱サヴァリッシュ Wolfgang Sawallisch | 1923年 8月26日 | 2013年 2月22日 | ミュンヘン | グラッサウ | ||||||
第11章 ⑲ショルティ Sir Georg Solti | 1912年 10月21日 | 1997年 9月5日 | ブダペスト | フランス アンティーブ | ||||||
⑳セル George Szell | 1897年 6月7日 | 1970年 7月30日 | ブダペスト | クリーヴランド | ||||||
㉑ドホナーニ Christoph von Dohnányi | 1929年 9月8日 | ベルリン | ||||||||
㉒クーベリック Rafael Jeroným Kubelík | 1914年 6月29日 | 1996年 8月11日 | チェコ ビーホリ | ルツェルン | ||||||
㉓アーノンクール Nikolaus Harnoncourt | 1929年 12月6日 | 2016年 3月5日 | ベルリン | ザンクト・ゲオルゲン(アッターガウ) | ||||||
㉔アバド Claudio Abbado | 1933年 6月26日 | 2014年 1月20日 | ミラノ | ボローニャ | ||||||
㉕ムラヴィンスキー Evgeny Aleksandrovich Mravinsky | 1903年 6月4日 | 1988年 1月19日 | ペテルブルク | レニングラード | ||||||
㉖ロジェストヴェンスキー Gennady Rozhdestvensky | 1931年 5月4日 | 2018年 6月16日 | モスクワ | モスクワ | ||||||
㉗ブーレーズ Pierre Louis Joseph Boulez | 1925年 3月26日 | 2016年 1月5日 | モンブリゾン | バーデン=バーデン | ||||||
㉘メスト Franz Welser-Möst | 1960年 8月16日 | リンツ | ||||||||
㉙ネルソンス Andris Nelsons | 1978年 11月18日 | ラトビア・リガ | ||||||||
㉚白神典子 | 1967年 7月5日 | 2017年 1月13日 | 東京都 | |||||||
(注)㉚白神典子はピアニストだが、例外として掲げた。
<表2>本書で取り上げるCD一覧
指揮者名 | 番数 オーケストラ 録音時点 | ||
1 | ❶フルトヴェングラー | 第4番 VPO 1951年10月 | |
2 | 第5番 VPO 1951年8月 | ||
3 | 第5番 BPO 1942年10月 | ||
4 | 第6番(第2~4楽章) BPO 1943年11月 | ||
5 | 第7番 BPO 1949年10月 | ||
6 | 第8番 BPO 1949年3月 | ||
7 | 第9番 BPO 1944年10月 | ||
8 | ❷クナッパーツブッシュ | 第3番 VPO 1954年4月 | |
9 | 第3番 バイエルン国立歌劇場管 1954年10月 | ||
10 | 第4番 BPO 1944年9月8日 ベルリン | ||
11 | 第4番 VPO 1955年4月 | ||
12 | 第5番 VPO 1956年6月 | ||
13 | 第5番 MPO 1959年3月 | ||
14 | 第7番 VPO 1949年8月 | ||
15 | 第8番 MPO 1963年1月 | ||
16 | 第8番 BPO 1951年1月 | ||
17 | 第8番 バイエルン国立歌劇場管 1955年12月 | ||
18 | 第9番 BPO 1950年1月28日 | ||
19 | ❸ヨッフム | 第1番 シュターツカペレ・ドレスデン 1978年12月 | |
20 | 第3番 シュターツカペレ・ドレスデン 1977年1月 | ||
21 | 第4番 BPO 1965年6月 | ||
22 | 第5番 バイエルン放送響 1958年2月 | ||
23 | 第5番 シュターツカペレ・ドレスデン1980年3月 | ||
24 | 第6番 シュターツカペレ・ドレスデン 1978年6月 | ||
25 | 第7番 シュターツカペレ・ドレスデン1976年12月 | ||
26 | 第8番 BPO 1964年1月 | ||
27 | 第9番 シュターツカペレ・ドレスデン 1978年1月 | ||
28 | 初期録音集 JOCHUM/ THE LEGENDARY EARLY RECORDINGS | ||
29 | 宗教録音集 | ||
30 | ❹ベーム | 第3番 VPO 1970年9月 | |
31 | 第4番 VPO 1973年11月 | ||
32 | 第4番 ザクセン国立歌劇場管 1936年 | ||
33 | 第5番 ザクセン国立歌劇場管 1937年 | ||
34 | 第7番 VPO 1976年9月 | ||
35 | 第7番 VPO 1943年 | ||
36 | 第8番 VPO 1976年2月 | ||
37 | ❺カラヤン | 全集(第1~9番)BPO 1975~1981年 | |
38 | 第8番 プロイセン国立歌劇場管 1944年6月、9月 | ||
39 | 第8番 BPO 1957年5月 | ||
40 | 第8番 BPO 1975年1月、4月 | ||
41 | 第8番 VPO 1988年11月 | ||
42 | ❻ チェリビダッケ | 第3番 MPO 1987年3月 | |
43 | 第4番 MPO 1988年10月 | ||
44 | 第5番 MPO 1991年2月 | ||
45 | 第7番 BFO 1992年3月、4月 | ||
46 | 第8番 MPO 1993年9月 | ||
47 | ❼ヴァント | 全集 ケルン放送響 1974~1981年 から第1~3番 | |
48 | 第4番 ケルン放送響 1976年12月 | ||
49 | 第6番 ケルン放送響 1976年8月 | ||
50 | 第5番 ベルリン・ドイツ響 1991年10月 | ||
51 | 第9番 シュトゥットガルト放送響 1979年6月 | ||
52 | ❽クレンペラー | 第4番 ケルン放送響 1954年4月 | |
53 | 第5番 VPO 1968年6月 | ||
54 | 第6番 ニュー・フィルハーモニア管 1964年11月 | ||
55 | 第8番 ケルン放送響 1957年6月 | ||
56 | ❾ワルター | 第4番 コロンビア響 1960年2月 | |
57 | 第4番 NBC響 1940年2月 | ||
58 | 第7番 コロンビア響 1961年3月 | ||
59 | 第9番 コロンビア響 1959年11月 | ||
60 | ❿シューリヒト | 第3番 VPO 1965年12月 | |
61 | 第7番 ハーグ管 1964年 | ||
62 | 第8番 VPO 1963年 | ||
63 | 第9番 VPO 1961年 | ||
64 | ⓫ロスバウト | 第2番 南西ドイツ放送響 1956年12月 | |
65 | 第5番 南西ドイツ放送響 1962年5月 | ||
66 | 第7番 南西ドイツ放送響 1957年12月 | ||
67 | 第8番 南西ドイツ放送響 1955年11月 | ||
68 | ⓬シノーポリ | 第3番 シュターツカペレ・ドレスデン 1990年4月 | |
69 | 第4番 シュターツカペレ・ドレスデン 1987年9月 | ||
70 | 第7番 シュターツカペレ・ドレスデン 1991年9月 | ||
71 | 第8番 シュターツカペレ・ドレスデン 1994年12月 | ||
72 | 第9番 シュターツカペレ・ドレスデン 1997年3月 | ||
73 | ⓭インバル | 第3番 フランクフルト放送響 1982年9月 | |
74 | 第4番 フランクフルト放送響 1982年9月 | ||
75 | 第8番 フランクフルト放送響 1982年8月 | ||
76 | ⓮朝比奈 隆 | 第1番 大阪フィル 1994年5月 | |
77 | 第2番 大阪フィル 1994年1月 | ||
78 | 第3番 大阪フィル 1993年10月 | ||
79 | 第9番 テ・デウム 東京交響楽団 1991年3月 | ||
80 | ⓯若杉 弘 | 第2番 ザールブリュッケン放送響 1992年4月 | |
81 | 第9番 ザールブリュッケン放送響 1994年12月 | ||
82 | ⓰ケント・ナガノ | 第3番 ベルリン・ドイツ響 2003年3月 | |
83 | 第4番 バイエルン国立管 2007年7月 | ||
84 | 第7番 バイエルン国立管 2010年9月 | ||
85 | 第8番 バイエルン国立管 2009年7月 | ||
86 | ⓱ジュリーニ | 第2番 ウィーン交響楽団 1974年12月 | |
87 | 第7番 VPO 1986年6月 | ||
88 | 第9番 VPO 1988年6月 | ||
89 | ⓲ベイヌム | 第5番 コンセルトヘボウ管 1959年3月 | |
90 | 第7番 コンセルトヘボウ管 1953年5月 | ||
91 | 第8番 コンセルトヘボウ管 1955年6月 | ||
92 | 第9番 コンセルトヘボウ管 1956年6月 | ||
93 | ⓳マタチッチ | 第5番 チェコ・フィル 1970年11月 | |
94 | 第7番 チェコ・フィル 1967年3月 | ||
95 | 第8番 NHK交響楽団 1984年3月 | ||
96 | ⓴テンシュテット | 第3番 バイエルン放送響 1976年11月 | |
97 | 第4番 BPO 1981年12月 | ||
98 | 第8番 ロンドン・フィル 1982年9月 | ||
99 | アーベントロート | 第4番 ライプチッヒ放送響 1949年11月 | |
100 | コンヴィチュニー | 第5番 ゲヴァントハウス管 1960年 | |
101 | 第7番 ゲヴァントハウス管 1961年 | ||
102 | 第8番 ベルリン放送響 1959年 | ||
103 | ノイマン | 第1番 ゲヴァントハウス管 1965年12月 | |
104 | マズア | 全集 ゲヴァントハウス管 1974~1978年 | |
105 | シャイー | 第1番 ベルリン放送響 1987年2月 | |
106 | 第6番 コンセルトヘボウ管 1997年2月 | ||
107 | 第9番 コンセルトヘボウ管 1996年6月 | ||
108 | カイルベルト | 第6番 BPO 1963年 | |
109 | ケンペ | 第4番 MPO 1976年1月 | |
110 | 第5番 MPO 1975年5月 | ||
111 | ⑧スウィトナー | 第4番 シュターツカペレ・ベルリン 1988年10月 | |
112 | ⑨ザンデルリング | 第4番 バイエルン放送響 1994年11月 | |
113 | ⑩ブロムシュテット | 第4番 シュターツカペレ・ドレスデン 1981年9月 | |
114 | 第7番 シュターツカペレ・ドレスデン 1980年6月 | ||
115 | ⑪ハイティンク | 第4番 VPO 1985年2月 | |
116 | 第6番 シュターツカペレ・ドレスデン 2003年11月 | ||
117 | ⑫アイヒホルン | 第5番 バイエルン放送響 1990年 | |
118 | ⑬ライトナー | 第0番 バイエルン放送響 1960年6月 | |
119 | ⑭ケーゲル | 第4番 ライプツィヒ放送響 1960年4月 | |
120 | ⑮スクロヴァチェフスキ | 第2番 ザールブリュッケン放送響 1995年6月 | |
121 | ⑯レーグナー | 第4番 ベルリン放送響1983年7月、1984年11月 | |
122 | 第5番 ベルリン放送響 1983年9月、1984年1月 | ||
123 | 第6番 ベルリン放送響 1980年6月 | ||
124 | 第7番 ベルリン放送響 1983年5月、8月 | ||
125 | 第8番 ベルリン放送響 1985年5月、7月 | ||
126 | 第9番 ベルリン放送響 1983年2月 | ||
127 | ⑰シュタイン | 第2番 VPO | |
128 | ⑱サヴァリッシュ | 第1番 バイエルン国立管 1984年10月 | |
129 | 第5番 バイエルン国立管 1990年 9月、1991年3月 | ||
130 | 第9番 バイエルン国立管 1984年12月 | ||
131 | ⑲ショルティ | 第0番 シカゴ響 1995年 | |
132 | 第1番 シカゴ響 1995年 | ||
133 | 第2番 シカゴ響 1991年 | ||
134 | ⑳セル | 第3番 シュターツカペレ・ドレスデン 1965年8月 | |
135 | 第7番 VPO 1968年8月 | ||
136 | ㉑ドホナーニ | 第3番 クリーヴランド管 1993年6月 | |
137 | 第4番 クリーヴランド管 1989年10月 | ||
138 | 第5番 クリーヴランド管 1991年1月 | ||
139 | 第6番 クリーヴランド管 1991年10月 | ||
140 | 第7番 クリーヴランド管 1990年8月 | ||
141 | 第8番 クリーヴランド管 1994年2月 | ||
142 | 第9番 クリーヴランド管 1988年10月 | ||
143 | ㉒クーベリック | 第3番 バイエルン放送響 1980年 | |
144 | ㉓アーノンクール | 第3番 コンセルトヘボウ管 1994年12月 | |
145 | ㉔アバド | 第1番 VPO 1996年1月 | |
146 | ㉕ムラヴィンスキー | 第8番 レニングラード・フィル 1959年6月 | |
147 | ㉖ロジェストヴェンスキー | 全集 ソヴィエト国立文化省響 1983~1986年 | |
148 | ㉗ブーレーズ | 第8番 VPO 1996年9月 | |
149 | ㉘メスト | 第5番 ロンドン・フィル 1993年 | |
150 | ㉙ネルソンス | 第4番 ゲヴァントハウス管 |
(注)略号はVPO:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、BPO:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、MPO:ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
<表3> 指揮者別、交響曲番号別の掲載分マトリックス
演奏家/番数 | 全集 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | その他 共 計 |
➊フルトヴェングラー | ★ | ★★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 7 | ||||
❷クナッパーツブッシュ | ★★ | ★★ | ★★ | ★ | ★★★ | ★ | 11 | ||||
❸ヨッフム | ☆ | ★ | ★ | ★ | ★★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 11※ | |
❹ベーム | ★★ | ★ | ★ | ★★ | ★ | 7 | |||||
❺カラヤン | ☆ | ★★★★ | 5 | ||||||||
❻チェリビダッケ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 5 | |||||
❼ヴァント | ☆ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 5 | ||
❽クレンペラー | ★ | ★ | ★ | ★ | 4 | ||||||
❾ワルター | ★★ | ★ | ★ | 4 | |||||||
❿シューリヒト | ★ | ★ | ★ | ★ | 4 | ||||||
⓫ロスバウト | ★ | ★ | ★ | ★ | 4 | ||||||
⓬シノーポリ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 5 | |||||
⓭インバル | ☆ | ★ | ★ | ★ | 4 | ||||||
⓮朝比奈 隆 | ★ | ★ | ★ | ★ | 4 | ||||||
⓯若杉 弘 | ★ | ★ | 2 | ||||||||
⓰ケント・ナガノ | ★ | ★ | ★ | ★ | 4 | ||||||
⓱ジュリーニ | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||
⓲ベイヌム | ★ | ★ | ★ | ★ | 4 | ||||||
⓳マタチッチ | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||
⓴テンシュテット | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||
①アーベントロート | ★ | 1 | |||||||||
②コンヴィチュニー | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||
③ノイマン | ★ | 1 | |||||||||
④マズア | ★ | 1 | |||||||||
⑤シャイー | ☆ | ★ | ★ | ★ | 3 | ||||||
⑥カイルベルト | ★ | 1 | |||||||||
⑦ケンペ | ★ | ★ | 2 | ||||||||
⑧スウィトナー | ★ | 1 | |||||||||
⑨ザンデルリング | ★ | 1 | |||||||||
⑩ブロムシュテット | ★ | ★ | 2 | ||||||||
⑪ハイティンク | ★ | ★ | 2 | ||||||||
⑫アイヒホルン | ★ | 1 | |||||||||
⑬ライトナー | 1※ | ||||||||||
⑭ケーゲル | ★ | 1 | |||||||||
⑮スクロヴァチェフスキ | ★ | 1 | |||||||||
⑯レーグナー | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 6 | ||||
⑰シュタイン | ★ | 1 | |||||||||
⑱サヴァリッシュ | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||
⑲ショルティ | ★ | ★ | 3※ | ||||||||
⑳セル | ★ | ★ | 2 | ||||||||
㉑ドホナーニ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 7 | |||
㉒クーベリック | ★ | 1 | |||||||||
㉓アーノンクール | ★ | 1 | |||||||||
㉔アバド | ★ | 1 | |||||||||
㉕ムラヴィンスキー | ★ | 1 | |||||||||
㉖ロジェストヴェンスキー | ★ | 1 | |||||||||
㉗ブーレーズ | ★ | 1 | |||||||||
㉘メスト | ★ | 1 | |||||||||
㉙ネルソンス | ★ | 1 | |||||||||
㉚白神典子 | ― | ― | ― | ― | ― | ― | ― | ― | ― | 例外 | |
計 | 2 | 8 | 8 | 17 | 24 | 20 | 9 | 19 | 25 | 15 | 150 |
※第0番ショルティ、ライトナー、ヨッフムの初期録音集、宗教音楽集の4点を含むこと等から合計と内訳は一致しない。☆は文中で全集としてふれたものを示す。
<表4>ブルックナーと関連の深いドイツ5大オーケストラの指揮者
ライプツィヒ・ ゲヴァントハウス 管弦楽団 | シュターツカペレ・ ドレスデン | ミュンヘン・フィル | バイエルン国立 歌劇場管弦楽団 | バイエルン 放送交響楽団 | |
1895~1922年 | ニキシュ | 1914-1921 フリッツ・ライナー | 1908–1914 レーヴェ 1919–1920 プフィッツナー | 1904–1911 フェリックス・モットル 1913–1922 ❾ワルター | |
1922~1928年 | ➊フルトヴェングラー | 1922-1933 フリッツ・ブッシュ | 1920–1938 ハウゼッガー | 1922–1935 ❷クナッパーツブッシュ | |
1929~1933年 | ❾ワルター | 1934-1943 ❹ベーム | 1937–1944 クレメンス・クラウス | ||
1934~1945年 | ①アーベントロート | 1943-1944 エルメンドルフ | 1938–1944 オズヴァルト・カバスタ | 1945 ❷クナッパーツブッシュ | |
1946~1948年 | アルベルト | 1945-1950 ⑥カイルベルト | 1945–1948 ⓫ロスバウト | 1946–1952 ⑲ショルティ | |
1949~1962年 | ②コンヴィチュニー | 1949-1953 ⑦ケンペ 1953-1955 ②コンヴィチュニー 1956-1958 ⓳マタチッチ 1960-1964 ⑧スウィトナー | 1949–1966 フリッツ・リーガー | 1952–1954 ⑦ケンペ 1956–1958 フリッチャイ | 1949 – 1960 ❸ヨッフム |
1964~1968年 | ③ノイマン | 1964-1967 ⑨ザンデルリング 1966-1968 トゥルノフスキー | 1967–1976 ⑦ケンペ | 1959–1968 ⑥カイルベルト | 1961 – 1978 ㉒クーベリック |
1970~1996年 | ④マズア | 1975-1985 ⑩ブロムシュテット 1985-1990 ハンス・フォンク 1992-2001 ⓬シノーポリ | 1979–1996 ❼チェリビダッケ | 1971–1992 ⑱サヴァリッシュ 1992–1998 ペーター・シュナイダー | 1982 – 1992 デイヴィス |
1998~2005年 | ⑩ブロムシュテット | 2002-2004 ⑪ハイティンク | 1999–2004 レヴァイン | 1998–2006 メータ | 1993 – 2002 マゼール |
2005~2016年 | ⑤シャイー | 2007-2010 ファビオ・ルイージ 2012- ティーレマン | 2004–2011 ティーレマン 2012-2014 マゼール 2015- ゲルギエフ | 2006–2013 ⓰ケント・ナガノ 2013–2020 ペトレンコ | 2003 – ヤンソンス |
2017年~ | ㉙ネルソンス | 2021 ユロフスキ |
(注)ベルリン・フィルを除く。他にも多くの著名な楽団があるが、ここでは指揮者の系譜をみるうえで選択している。