第2章 クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch, 1888~1965年)

フルトヴェングラーより2才若いクナッパーツブッシュは、エピソードを読む限り、人間的な魅力に富んでいたようです。ナチスに対してはぎりぎりまで節を曲げずに一定の距離をおき戦時中は一時「干されて」苦労もしますが、戦後はそれがゆえに比較的早くから音楽活動を再開することができました。 

 練習嫌いでは「名うて」ながら、一回の演奏に燃え上がるライヴ派からは絶対の評価があります。オーケストラも練習に血道をあげて成果がいまいちのうだつの上がらない指揮者に比べ、事前に「楽して」、本番勝負で名演であれば人気があったこともわかります。

 お顔はどちらかといえば、魁偉な風貌でとっつきにくい印象ですが、茶目っ気があり気さくな人柄が愛されたとの多くの証言があります。フルトヴェングラーと同時代を生きながら、暗い苦闘の時代のマエストロといった悲愴な雰囲気とはことなり、結構、人生の楽しみ方を心得ていた達人といったイメージを醸し出してもいます。

 しかし、その音楽の構成力の「桁違い」の大きさや、ときに超スローな演奏スタイルといい、また、突然の急降下・急上昇ができる戦闘機の高度なパイロットのようなオーケストラの操縦術といい、まさに天衣無縫な偉丈夫ぶりです。

 トスカニーニが抜群の記憶力を誇り、暗譜で指揮することを旨としていたことー実は強度な近眼だった!ーを皮肉って「俺は眼が見えるからね(暗譜はしない)」と言ったとか言わなかったとか・・・。しかし、実際は譜面台の総譜を全くめくらなかったとも。面白い人です。

 その明るさがブルックナーの“善なる魂”と、もしかすると共鳴する部分があるのではないでしょうか。これこそが聴き終わったあとのスカッとした爽快感の理由かも知れません。破顔大笑したチャーミングな表情がジャケットになったり、多くのファンから「クナ」と愛称されたことなども、その吸引力のなせる技でしょうか。

【第3番】

Symphony 3 / Siegfried Idyll 第3番 VPO 1954年4月 ウィーン楽友協会大ホール Testament SBT1339

第3番がいかに類い稀なる作品であるか、これを録音芸術において世に認識させたのはクナッパーツブッシュの功労であるといっても過言ではないでしょう。同番についてステレオ録音をふくめ複数の記録がありますが、1954年盤(1890年シャルク改訂版)は珍しくスタジオ収録です。

第1楽章、主題の展開とともに金管楽器は怪鳥音のように空間を劈き、その後、全楽器が獅子吼を連想させるような思い切った強奏でリスナーを圧倒します。録音がもっと良かったら、その迫力いかばかりか、と思うような展開です。第2楽章は、ブルックナー交響曲のひとつの特色、優しさ、慈しみを包んだ牧歌的なメロディが弦と木管楽器の融合によって奏されますが、テンポは軽快です。第3楽章、鋭角的で歯切れの良いスケルツォをへて、複雑な表情をもつ第4楽章へ。第1楽章と対で、ここは大見得を切り、大向こうを唸らせるような演奏でクナッパーツブッシュ好きなら、堪らない節回しです。

 その一方、クナッパーツブッシュの演奏には一瞬、肩の力を抜いて、「ひらり」「はらり」とかわすような所作があり、これが他の指揮者にはないオーケストラの高度な操舵法ではないかと思います。クナッパーツブッシュ自身、ブルックナーが好きで、各曲の解釈に大いなる自信をもち、かつ、ある意味、こうしたトリッキーさをご本人はこよなく楽しんでいるような大家の風情があります。

 しかも、ときにパッショネイト丸出しのように全力ドライブするかと思うと、一転、沈着冷静に深い懐で構えたりと変幻自在で一筋縄ではいきません。その意外性こそ、この晦渋なる精神を吐露する第3番でのクナッパーツブッシュの面目躍如といえるでしょう。

[2013年8月10日]

SINFONIE 3 D-MOLL 第3番 バイエルン国立歌劇場管 1954年10月11日 ミュンヘン Orfeo D’Or C576021DR

第3番の初演は、悲惨な失敗でブルックナーは奈落の底におとされたような敗北感をあじわうこととなりますが、その第3番を自信をもって繰り返し取り上げたのがクナッパーツブッシュです。

本ORFEO盤はその魅力を見事に引き出してくれています。モノラルながら1954年の録音とは思えない鮮度です。同年にはウィーン・フィルを振った音源もありますが、双方ともに気力充実し、「どうだ、この曲の素晴らしさは!」といわんばかりの迫力です。

クナッパーツブッシュの第3番はすべて、1889~90年のSchalk-Loewe edition(シャルク改訂版、一部ではシャルク「改竄版」と酷評されるもの)ですが、その後の峩々たるブルックナー・ワールドへの登攀にあたって、さしたる瑕疵とは思えない魂魄の演奏です。

[2016年12月31日]

なお、第3番では、ライヴ演奏で、VPO盤(1960年2月14日、ムジークフェライン大ホール)やミュンヘン・フィル盤(1964年1月16日)もあります。

【第4番】

ブルックナー:交響曲第4番 第4番 BPO 1944年9月8日 バーデンバーデン(放送用) DLCA-7013

 蚊のなくようなか細いイントロからいかにも録音は貧しいのですが、無意識に補正して聴けば、演奏は実に立派なものです。なにより表題のとおり、全篇クナッパーツブッシュ流の「ロマンティック」な雰囲気に包まれています。

第1楽章アッチェレランドのかけ方は絶妙です。第2楽章は比較的遅いイン・テンポ気味で静謐なヴァイオリンの響きが心地よいです。主題の展開が低弦から次第に管楽器に移るにつれ音色は次第に明るくなり音量も自然に増していきます。後半の印象的なピチカート部分もキチッとした端正な処理です。このあたりの差配の上手さは格別なものです。第3楽章、冒頭の金管からリズムの振幅が増して、弦楽器の表情が豊かになります。第4楽章、冒頭からふたたびアッチェレランドを強調、弦楽器の陰影はさらに深くなりオーケストラが音楽に没入しているさまがはっきりと看取できます。微妙なニュアンス付けとともに緊張感を醸成し、極めて迫力あるエンディングを迎えます。レーヴェ改訂版(ノヴァーク版は1953年以降)であること、ライヴゆえの細かなミスも気になるかも知れませんが、全体を俯瞰すればまぎれもなく秀逸な名演です。

[2016年1月25日]

Symphony 4 Romantic: Revised Version 第4番 VPO 1955年4月 ウィーン楽友協会大ホール Testament SBT1340

前記のとおりレーヴェ改訂版というオリジナル重視派にとっては、批判すべきバージョンによる演奏でしょう。また、最近の優れた録音に慣れたリスナーにとっては、壁1枚隔てて聴いているような、いわれぬもどかしさが部分的にあるかも知れません。

しかし、以上の要素を考慮したとしても、この第4番は名演です。どの版を採用するか以前に、作曲者への共感がどれくらいあるかが根本的に重要でしょうし、レーヴェもシャルクもブルックナーの忠実な使徒でした。「師匠」の音楽をなんとか多くの聴衆にわかってもらいたいと念じて奔走しました。そうした改訂者の思いを全て「込み」で受けて、クナッパーツブッシュが指揮台に立ったとしたら・・・。

そうしたことを想起して本盤を聴かれたら、まずは素朴な演奏と思われるのではないでしょうか。テンポは遅く、メロディはとても美しく(特に弦楽器のふくよかな音の響きはウィーン・フィルならではのものです)、曲の組み立てのスケールは大きく、蕩々と音楽が奏でられます。想像の世界ですが、古き良きウィーンの息吹が底流に脈々と流れてくるような駘蕩とした感があります。多少の音の荒さは無視して、少しだけ音量を上げて補正すれば、指揮者もオーケストラもブルックナーに深く没入している様が伝わってきます。

[2012年4月30日]

第4番では、ほかにVPO盤(1964年4月12日)もあります。非常に遅い運行でいたるところにクナッパーツブッシュ流の手が入っており、ライヴならではの自由な解釈が特色です。クナッパーツブッシュのファンには晩年の姿を知ることができ興味があるでしょうが、全体としての格調からは正規盤の折り目正しさを選択すべきかと思います。

【第5番】

ブルックナー:交響曲第5番 第5番 VPO 1956年6月 ウィーン ゾフィエンザール Decca UCCD-9634

1956年の古さながら、セッション録音でクナッパーツブッシュのライヴラリーのなかでは音質は比較的良好です。第1楽章冒頭から気力漲り、壮大な構えを誇り、第5番ではヨッフムと双璧の名演です。音楽の“うねり”の満ち引きが自然で、その反復が次第に高揚感を誘っていきます。第2楽章は録音のせいか、ピチカートがやや強調されていますが、オーボエによる印象的な主要主題の提示から、その展開にはべたつく感傷はなく、すっきりとした均整のとれた演奏です。

ブルックナーの交響曲では抑揚感というか、ダンスのステップを踏むような軽快さが心地よく気持ちを盛り上げてくれるスケルツォも楽しみの一つです。第3楽章のモルト・ヴィヴァーチェは早いテンポのなか、畳み込むようなリズム感にあふれ、かつ特有の明るい和声が身上ですが、ここでクナッパーツブッシュ/ウィーン・フィルはなんとも見事な名人芸を披露してくれます。

 第4楽章はシャルクの手が大幅に入り、原典版に比して100小節以上のカットがあるといわれますが、峨々とした峡谷をいく流量の多い大河の流れにも似たクナッパーツブッシュの運行では、そうした割愛の不自然さをあまり意識させません。あるいは、自分がこの演奏に慣れすぎているせいかも知れませんが、これはこれで納得し良いと思ってしまいます。そこも大家の腕かも知れません。

[2008年11月12日]

ブルックナー:交響曲第5番 第5番 ミュンヘン・フィル 1959年3月19日  DLCA-7012

上記ウィーン・フィルとの1956年盤同様、このミュンヘン・フィルのライヴ演奏も基本線は変わりません。シャルク改訂版であることも同様ですし最近の優れた録音に慣れた耳には1959年の録音の古式蒼然さは覚悟せねばならないでしょう。

しかしながら、クナッパーツブッシュの、ときに大胆にして奔放、その反面、全体としてみれば直情的にみえて実は緻密な解釈は、聴くたびに驚きに満ちています。第5番は演奏者にとって難曲であり、弛みなく最後まで聴衆を引っ張っていくためには、並々なる技量がいると思います。

この演奏の凄さは、そんな懸念は毛ほども感じさせず、強靭なるブルックナー・ワールドを見事に描いていることです。第1、第2楽章では大翼を広げたような構え、後半にいたって第3楽章のモルト・ヴィヴァーチェは1956年盤同様のリズミックさ、そして終楽章は、一部クナッパーツブッシュ流のスパイスの利かせ方が気になるかも知れませんが、目眩くスリリングさと圧倒感があります。

[2015年12月14日]

【第7番】

ブルックナー:交響曲第7番 第7番  VPO 1949年8月30日 ザルツブルク音楽祭 Orfeo D’Or  C655061DR

ザルツブルク音楽祭でのライヴ録音です。雑音こそすくないものの、収録音域がせまく第4楽章のフィナーレなどもっとよい録音で聴ければなあとの感じをいだきます。しかし、演奏そのものの質は高く一聴に値するものです。

第1楽章、冒頭の短い“原始霧”から第3主題までの長い呈示部で、クナッパーツブッシュは、まるで自然にハミングするように朗々と歌っていきます。その抒情性は優しく、豊かな詠奏は、第2楽章 アダージョのいわゆる“ワーグナーのための葬送”で頂点をむかえ静かな感動を醸成します。

第3楽章のスケルツォは、力感があり明るい曲想に転じますが、この変わり舞台を見るかのような明暗のコントラストのつけ方こそクナッパーツブッシュの自在の技という気がします。第4楽章、コラールふうの旋律で、ふたたび弦のハミングは厚みをもって再開され、いっそうの感情表出ののち、速度を落としてのコーダからブルックナーにしては短い終結部までは、ある意味、すっきりとした運行です。録音の制約からあくまで直観ながら、ライヴ演奏であり、クナッパーツブッシュは、ここではウィーン・フィルらしい柔かく豊かな響きを存分に生かしているのではないかとの想像がはたらきます。

[2012年10月2日]

第7番では、ほかにケルン放送響盤(収録:1963年5月10日)もあります。 

【第8番】

ブルックナー:交響曲第8番 第8番 ミュンヘン・フィル 1963年1月 PROC-1639

 

クナッパーツブッシュのブルックナーはその種類も多く、演奏、録音ともに良いとなると慎重なチョイスが必要な場合もありますが、ミュンヘン・フィルとの第8番は素晴らしいものです(ライヴ盤もありますが本盤はスタジオ録音で音質は比較的良いと思います)。

 クナッパーツブッシュは練習嫌いで有名、逸話を読むと特に気心のしれたオーケストラではあえて斜に構えてそうしていたふしもあるようです。これはうがった見方ですが1回の演奏への集中度、燃焼度を高めるうえでの「方法論」といった視点もあるのではないでしょうか。深くえぐり取られるような音の「沈降」と一気に上昇気流に乗るような音の「飛翔」のダイナミクスの大きさは他ではなかなか聴けません。かつ、音が過度に重くならずスカッとした聴後感があります。音楽の設計スケールの大きさが「桁違い」で、こういう演奏をする人にこそ巨匠(ヴィルトゥオーソ)性があるというのでしょう。

 本曲では長大な第3楽章のアダージョ(モーツァルトの交響曲1曲分がすっぽりと入る長さ!)こそ、演奏の質を決めると思っています。この点でもベートーヴェンの第9番を連想させますが、クナッパーツブッシュの凄さは、この第3楽章を滔々と流しながら、しかし、いかに遅くとも失速感がなく、一方で過度な緊張もしいず、飽きさせずに自然に響かせることにあります。

 そこから浮かび上がるのは、なんと良き音楽なのだろうという、作品自身に対する深い満足感です。技術的には、連音符の繰り返しが慎重かつ巧みに処理され、同種テーマの再現でも、局面によって全て表情が違い、肌理の細かい配慮がなされています。その細部にいたるまでの表情の多様性が、即興的に響くからこそ、新鮮な魅力をたたえているのだと思います。桁違いの音楽スケールという点もさることながら、もう一つの隠れた技法を、この第3楽章にみる思いです。

[2006年5月14日]

Bruckner: Symphony No.8 第8番 BPO 1951年1月7~8日 イエス・キリスト教会 ベルリン Archipel ARPCD36

 

1963年のミュンヘン・フィルとのスタジオ録音およびライヴ演奏があまりにも有名で、かつ録音時点も本盤は古いことから一般にはあまり注目されませんが、ベルリン・フィルを振った本盤(1892年改訂版)も素晴らしい演奏です。 

 クナッパーツブッシュの魅力は、うまく表現できませんが、独特の「節まわし」とでもいうべきところにあるのではないかとも感じます。特に変調するときの大きなうねりに似たリズムの刻み方などに彼特有のアクセントがあるような気がします。それがいまはあまり演奏されない「改訂版」の採択と相まって、通常の演奏とかなり異なった印象をあたえる一因になっていると思います。 

 ベルリン・フィルの演奏は今日の精密機械のような機能主義的ではなく、もっとプロ・ドイツ的な古式の響きを感じさせますが、しっかりと第8番の「重さ」を受け止めて質感あるブルックナー像を浮かび上がらせています。

[2013年8月10日]

SINFONIE 8 C-MOLL 第8番 バイエルン国立歌劇場管 1955年12月5日 Orfeo D’Or C577021DR

未完に終わった第9番の演奏では終楽章をどうこなすかは至難ですが、第8番の長丁場と最後の第4楽章の大団円をどう乗り切るかも指揮者にとって大きな試金石でしょう。厳密な解釈と丁寧な処理があたりまえになっている最近の録音に接して好ましいと思う一方、いにしえの録音の強烈な感動とは違うなあと感じることも多い昨今です。

この曲はクールヘッド一辺倒な演奏だけでは不足で、一種の「天啓」が必要な気がします。それは、ブルックナーの全交響曲やミサ曲にも通じますが、音楽の神様の降臨の瞬間があるかどうか(リスナーにかかる感興を想像させうるかどうか)が決め手であると思います。

クナッパーツブッシュはフルトヴェングラーとともに、そうした降臨をしばしば呼びこむことができる法力をもった指揮者であり、第8番の第3楽章や終楽章のここぞというフレーズでそのカタルシスが出現するかどうかはリスナーの密やかな期待です。

Orfeo レーベルの本盤は、音質補正はされていますが、原盤の集音そのものに問題があり、一般には前述の1963年のミュンヘン・フィルとのスタジオ録音およびライヴ演奏を選択すべきと思います。しかし、ライヴ独特のクナッパーツブッシュ節の魅力は得がたく、「天啓」を感じる瞬間ももちろんあります。多くの音源のある彼の第8番ですが、聴き比べたい選択肢のひとつであることに変わりはありません。

[2016年1月11日]

【第9番】

Bruckner: Symphony No.9 第9番 BPO 1950年1月28日 ティタニア・パラスト ベルリン Archipel  ARPCD34

 

第1楽章“荘重かつ神秘的に”(Feierlich, misterioso)とはこうした解釈によって可能となるのか、といった逆説的な思いを抱くくらい強い説得力があります。不安定な調性、半音階の多用などの手法でリスナーに安寧をなかなか与えない原曲のもつ斬新さが、明確かつ強烈なサウンドによってより倍加されます。ベルリン・フィルの色調は暗く、重く、しかも弦楽器の音色は独特のくすみのなかに深い哀切さがあります。まさに作曲家の指示どおり一切の曖昧さなく“荘重かつ神秘的に”運行されます。

第2楽章はいかにもクナッパーツブッシュ的な、ダンスをするような軽やかなステップ感に満ち音楽がときに跳躍します。色調が明るく変化し、聴かせどころの強烈なトゥッティは迫力がありますが、むしろ全体のリズムの見事な生かし方とメロディアスな部分の豊かな表情こそ重視されているようです。

 第3楽章は、原典版にくらべてかなり改変がありますが、各種のクナッパーツブッシュ盤に親しんできたリスナーには、最後の部分を除いては突然の違和感は少ないでしょう。ワーグナーチューバを用いた荘厳なコラール風の主題の部分ではオーケストラが集中し一つになり、存分に歌っています。

クナッパーツブッシュの解釈は、全体を通して、悲壮さよりも強靭な精神を感じさせ、ブルックナーの最後の交響曲のもつ斬新さをより抽出せんとしているようです。しかも、それは作曲家への心からの共感と熱い思いからでているとリスナーに感じさせます。なればこそブルックナー好きには胸打つ演奏です。

[2018年11月24日]

なお、第9番では、本盤収録の2日後、 ティタニア・パラストのライヴのほか、1958年のバイエルン国立管とのOrfeo音源もあります。

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ブルックナー・コラム Ⅱ

<作曲家シリーズ> ヨハン・シュトラウス   クナッパーツブッシュは、ヨハン・シュトラウスも実は得意の演目で、ワルツ『バーデン娘』がいわば出囃子のようなものでした。そのヨハン・シュトラウスはブルックナーとも浅からぬ関係がありました。シュトラウス一族の音楽の魅力には、ワーグナーもブラームスも、そしてブルックナーも強い共感をもっていました。  心浮き立つとはこのことで、3人の「重い」音楽を聴いたあとで、シュトラウスの音楽に接すると、フルコースのディナーのあとのシャンパン・ベースのシャーベットを味わうような気がします。ご婦人とのダンス好きだったブルックナーは、それでなくともシュトラウスの洒脱で軽快な音楽には実生活でも随分とお世話になったのではないでしょうか。  ワルツ王ヨハン・シュトラウス(Ⅱ世)とブルックナーは同時代人であり、二人ともウィーンで活動しました。しかし、両人の人生航路は大きく異なります。  ヨハン・シュトラウスは1825年、ウィーンの下町生まれ。ブルックナー出生の翌年です。父(Ⅰ世)の影響もあってか、彼は早熟で6歳で最初のワルツを書いたといわれます。ウィーンの名門の子弟が通うショッテン・ギムナジウムで学び本格的な音楽教育を受けたのち、1845年に自らの楽団を結成してヒーツィングの「カジノ・ドムマイヤー」でダンス音楽家としてデビューします。ほぼ二十才で世にでることになりますが、ダブルスコアの40才をこえて交響曲を作曲しはじめたブルックナーとはいかにも対照的です。  1849年、父の楽団を受け継ぎ、1852年には初めて宮廷で演奏、1862年、銀行家の愛人で元歌手のイェッティ・トレフツと結婚、翌年には念願の宮廷舞踏会音楽監督の称号を与えられ、早くから社会的な成功者でした。結婚に憧れながらも失恋の連続で生涯独身のブルックナーに対して、シュトラウスは若き日から浮名を流し多くの恋と生涯数度の結婚を経験しています。  1867年、ワルツ『美しく青きドナウ』を作曲、1874年には4作目のオペレッタ『こうもり』がアン・デア・ウィーン劇場で初演され、空前の大成功を収めます。一方、ブルックナーは1868年にウィーンに移り、73年に自らの指揮、ウィーン・フィルの演奏で第2シンフォニーを初演し成功します。しかし、翌年は、ウィーン大学に求職するも失敗するなど、この年はさぞや辛い年だったことでしょう。  シュトラウスは1872年には渡米、ボストンの平和祭に出演し、モンスター・コンサートで『美しく青きドナウ』を指揮するなど活動の場を新大陸に広げます。その後、宮廷歌劇場への本格進出こそうまく行きませんでしたが、1894年には、シュトラウス2世のデビュー50周年記念イベントも大々的に行われ、ほぼ順風満帆な人生を歩みます。また、ブラームスは親しい友であったようです。1899年73歳で死去。遺体はウィーンの中央墓地に埋葬され、彼の死は世界中で報じられたとのことです。ブルックナーは生涯の活動圏が狭く、晩年は地位も得、生活は安定しますが1896年に逝去、遺体は聖フローリアンの大オルガンの下の地下納骨所に眠ります。  シュトラウスが当時ウィーンの寵児だったとすれば、ブルックナーにも熱狂的な信奉者はいたものの、こちらはなかなか理解されなかった異端児でした。しかし、ともにウィーンの同じ時代に生き共通する部分もあります。ワルツの源流は前世紀、ボヘミア、バヴァリア、チロルというウィーンを囲む3つの地方に生まれた民族舞曲にあるといわれますが、村々の宿場や酒場の楽団でも大いに演じられたようです。ブルックナーも田舎で過ごした青年期、酒場の楽士アルバイトでこうしたフォークロアと接していたでしょう。ブルックナーの交響曲の牧歌的な旋律のなかにシュトラウスと通じる親しみやすいメロディを感じることがあります。  また、CDでの長いブルックナー体験にいささか疲れたあと、シュトラウスのポルカやワルツで気分転換するのも一興ですが、それに違和感がないのはたぶん小生だけではないと思います。もしかすると、当時のウィーンの音楽通もこうした感覚をもって二人の音楽を受容していたのでは…と勝手に連想することも楽しき哉、です。   <参考文献> ・團伊玖磨(1977)『オーケストラ』朝日新聞社 ・宝木範義(1991)『ウィーン物語』新潮社 ・森本哲郎(1992)『ウィーン』文藝春秋.
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