第9章 ジュリーニ、ベイヌム、マタチッチ、テンシュテット

◆ジュリーニ(Carlo Maria Giulini, 1914~2005年)

ブルックナーについては、ドイツ、オーストリア系の指揮者は、程度の違いこそあれ、すすんで取り上げる傾向がありますが、フランスやイタリアの指揮者においては、かつては敬遠気味でした。様々な理由が考えられますが、戦後まもない時期はナチス(ハーケンクロイツ)の影響も当然あったことでしょう。

そうしたなかにあって先駆的な役割を果たしたのがジュリーニです。その後、キャリアや楽団こそ異なりますが、アバド、シノーポリ、シャイーなどのイタリア出身の秀でた後進が続きます。その意味でもジュリーニの慧眼と決断は大きかったと思います。

【第2番】

ブルックナー:交響曲第2番 第2番 ウィーン交響楽団 1974年12月8~10日  ムジークフェラインザール、ウィーン EMI Classics TOCE-3394

いまでこそ、ジュリーニ指揮のブルックナーには確立した評価がありますが、本盤は初期ブルックナーをジュリーニがはじめて取り上げたという意味で貴重な1枚です。全般にかなり個性的な印象ですが、表情がとても豊かでウィーン交響楽団からなんとも心地よいサウンドを引きだしています。

ジュリーニは1930年に、ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団でヴィオラを弾いていたときに、ワルター、クレンペラーそしてフルトヴェングラーらブルックナーの泰斗の指揮を一奏者として経験しています。その後、自ら聖チェチーリア国立アカデミーで指揮を専攻します。

1914年生まれのジュリーニがブルックナーをはじめて録音したのは還暦の年で、1974年にウィーン響とこの第2番のシンフォニーについてでした。この年、ボストン交響楽団の客演でも同曲を取り上げ、また、ニューヨーク・フィルとでは第9番を演奏しています。1976年にはシカゴ交響楽団とこの第9番を録音、1982~83年にはロンドンで第7、8番を演奏しています。ジュリーニが他の番を好まなかったかどうかはわかりませんが、第7~9番は曲の完成度の高さと美しいメロディの聴かせどころでジュリーニ好みだったのかも知れません。その後、ウィーン・フィルと後期交響曲で名演を残したことは記憶に新しいところです。

 第2番はヨッフム、ヴァント、朝比奈など全曲を取り上げた指揮者でそれぞれ名演がありますが、そのなかにあってジュリーニの本盤はいまも独特の地位を保っていると思います。

[2006年5月14日]

【第7番】

ブルックナー:交響曲第7番 第7番  VPO 1986年6月 ウィーン楽友協会大ホール DG Deutsche Grammophon UCCG-5073

第7番では第2楽章の静寂さの表現が抜群です。孤独な心情、歩み寄る死への道程ではあっても、この遅い、遅い楽曲に込められているものは、この世への絶望でもなければ、死への戦慄でもありません。透明な空気のなかに、ほの明るく陽光がさしているような感じですが、それは朝日ではなく黄昏の残映にせよ、あくまでも肯定的なものであることを確信させる…。ジュリーニの演奏からはそうした人生のもつ重みが伝わってくるような気がします。

[2007年2月18日]

【第9番】

ブルックナー:交響曲第9番 第9番  VPO 1988年6月 ウィーン楽友協会大ホール DG Deutsche Grammophon UCCG-51012

ジュリーニ/ウィーン・フィルのブルックナー後期交響曲集の掉尾です(ノヴァーク版)。

第1楽章、遅く、重く、濃厚なトレモロの出だしです。はじめの頂点を迎えたあと、暗示的、悲哀にあふれた美しい主題のメロディに転じますが、その後繰り返されるこの主題こそジュリーニ円熟の感性と技法の結晶ともいえる聴かせどころです。

シューリヒト/ウィーン・フィルの恬淡として端麗な名演をもちろん意識しつつも、別の行き方を提示した1988年6月の収録です。同年11月、ウィーン・フィルはこれも、シューリヒトとは解釈が異なり遅く、彫琢の極みをみせるカラヤンとの第8番を収録していますから、ウィーン・フィルにとっても、この年は両巨頭のブルックナーでの全力の臨場を受け止めた忘れえぬ年になったかも知れません。

しかし、ジュリーニにせよ、カラヤンにせよ、この「遅さ」が果たして妥当なものなのかどうかは、リスナーの判断如何でしょう。チェリビダッケは、あえて「遅さ」を武器にして、遅くして破綻しない限界はどこかをオケに突き付け、これを験しているような風情もありますが、ジュリーニにはそうした作為は感じません。

第2楽章のスケルツォ、基本は重厚にしてはじめはイン・テンポ気味ながら、次第に速度が少しあがり、リズムの切れとときに軽やかさが加わります。滑稽さの表現のちょっとしたスパイス加味などでは巧者ジュリーニらしさも感じさせます。

第3楽章も遅く荘厳な運行です。ウィーン・フィルのような個々の名プレイヤーが揃っていないと粗が目立ってしまうほどの遅さです。カラヤンの第8番ほど、音を磨き込んではいきませんが、全弦楽器のメンバーに、心のなかで存分に歌え、歌え!と指示し表現の純度をあげようとしているかのようです。後半になるにつれて遅さはあまり意識しなくなくなり、むしろ、この至福の時間が永劫につづいてほしいといった感興も湧いてきます。詠嘆的な終わりは管楽器の息切れまで長く延ばされます。

いつものことですが、聴き終わっていささかの疲労を感じます。ブルックナーの最後の交響曲の完成された終楽章です。この演奏を聴き終わるとリピートをかけることに逡巡します。実はこれぞ、ジュリーニの狙いどおりなのかも知れませんが。

[2018年1月8日]

―――――――――・―――――――――

      

◆ベイヌム(Eduard van Beinum, 1901~1959年)

ベイヌムについては、その前任のメンゲンベルクとの関係なくしては語れません。先代メンゲンベルクは、約半世紀の永きにわたって、コンセルトヘボウに君臨したのみならず、初代ウイレム・ケスの跡目を弱冠24才で継いだあと、実質のファウンダーとでもいうべき功績を残しました。彼が、このオーケストラを鍛えぬき、オランダに名器コンセルトヘボウありと世に知らしめたのです。

 後任のベイヌムは、この先代の推戴により37才で、地元のコンセルトヘボウの首席指揮者となるのですから、非常に優秀で、かつオランダ指揮界のエースであったといえるでしょう。しかし、先代の存在があまりに大きかったので、彼自身の評価は結果的に地味な感も否めません。

 また、指揮者としては働き盛りの57才での他界、後任が同じオランダ出身の俊英、話題性のある若きハイティンクであったことから、ベイヌム時代は中継ぎのような印象があり、余計に地味に映ってしまいます。さらに、最盛期の録音時期が、モノラル時代の最後に重なっており、その後の怒濤のステレオ時代のエアポケットになってしまったことも、その見事な演奏を広く知らしめるには不利でした。

 加えて、ブルックナーに関しては、ハイティンクの後見人的に、ヨッフムがコンセルトヘボウを指導しましたが、彼はブルックナーの最高権威であり、また、ハイティンクもブルックナーを熱心に取り上げたことから、結果的に、ベイヌムの業績を目立たなくしてしまったようにも思います。

 マーラーと深い親交があり、それを積極的に取り上げたメンゲンベルクに対して、ベイヌムはそのデビューがブルックナーの第8シンフォニーであったことが象徴的ですが、ブルックナーも進んで演奏しています。そして、その記録はいま聴いても、ヨッフム、ハイティンクとも異なり、けっしてその輝きを失っていないと思います。

 1968年にヨッフムとの来日ライヴに接して以来、小生は、コンセルトヘボウの幾分くすんだ、ヴァイオリンから低弦まで美しく見事にハーモナイズされた弦楽器群のサウンドが好きで、そのテイストはブルックナーに良く合うと思っています。また、オランダは、オルガン演奏も熱心で先進国であるようですが、このホール専属オケ自体がオルガン的な響きを有しているようにも思います。だからというわけではありませんが、コンセルトヘボウ奏でるブルックナーは、いまや誰が振っても一定のレベル以上にはいくのではないかとさえ感じます。

 しかし、ベイヌムの弦楽器、木管楽器、管楽器の「鼎」のバランスはなんとも絶妙で、かつ、そのテンポの軽快感とオーケストラの自主性を重んじるような自然の運行あればこそ、ベイヌム独自の魅力的なブルックナー像を啓示してくれているのではないでしょうか。

第5番、第7、8、9番 アムステルダム(現ロイヤル)・コンセルトヘボウ管 第5番 1959年3月12日(オランダ放送によるライヴ録音) 第7番 1953年5月 第8番 1955年6月 第9番 1956年6月 アムステルダム Australian Eloquence/Decca 4807068

【第5番】

1959年3月12日 オランダ放送のライヴ録音です。ベイヌムのブルックナーは、この第5番に加えて第7、8、9番ともに秀でたものです(第4番もありますが、これは録音が良くありません)。

 はじめがヴィオラ奏者だったゆえでしょうか、ベイヌムは、ふくよかな弦の響かせ方が実に巧みで、それを基調に、木管は弦楽に溶け込ませるように用い、その一方、金管はクライマックスを除き、やや抑制気味に被せていきます。ライヴ録音の多少のノイズはありますが、端正で実に溌剌とした演奏は確実に伝わってきます。

【第7番】

1953年 アムステルダムにて収録した第7番です。コンセルトヘボウをスターダムに乗せた名匠メンゲンベルクはブルックナーをあまり取り上げなかったようですが、後任となったベイヌムは1945年首席指揮者就任以来、ブルックナーを得意とし、その遺産を後生に残してくれました。

名盤が多い第7番ですが、ベイヌムは、全く奇をてらうことなく弦楽・木管・金管の均衡をとりながら、じっくりと構えてブルックナーの音楽の美しさを伝えてくれます。テンポコントロールも安定しており、聴きやすく集中力にあふれた名演です。

【第8番】

1955年6月6~9日 アムステルダムにての収録です。1931年、弱冠30才で名門アムステルダム(現ロイヤル)・コンセルトヘボウ第二指揮者に任命されたベイヌムがはじめて取り上げたのがこの第8番でした。それからほぼ四半世紀ののち録音されたのが本盤です。

端正な演奏スタイルをきっちりと守りながら、レガートが美しく全体に均整のとれた演奏こそベイヌムの本領です。しかし、本演奏では少しく形相が違う彼のもう一面に接することができます。ここでベイヌムは途切れぬ緊張を維持し、ブルックナーの音楽の美しさと叩きつけるような激しき音響を相互に駆使して、熱っぽいブルックナー音楽の「使徒」を演じています。特に第4楽章、時に、こうした荒々しきダイナミズムもやるぞ!といった眦(まなじり)を決するような姿勢はちょっと驚きです。大変迫力ある1枚です。

【第9番】

ブルックナー演奏の名手ベイヌムのあと、ヨッフム、ハイティンク、シャイーとコンセルトヘボウはブルックナーを積極的に取り上げ、それを確固たるブランド化していきますが、ベイヌムはその路線をはじめに拓いた功労者です。

円熟期にさしかかった57才で急逝したベイヌムの晩年に近い演奏ですが、いつもながらの端正さのなか、遅いテンポの終楽章に内在する凝縮力は大変なものです。特に、ブルックナーファンにとっては、素直に楽曲を観賞できる価値ある1枚です。

[2014年1月5日]

―――――――・―――――――

◆マタチッチ(Lovro von Matačić,   1899~1985年)

マタチッチは、クロアチア(旧オーストリア帝国)のスーシャック生まれの指揮者です。彼の父親はオペラ歌手としてのキャリアをもち音楽的な家庭に育ちウィーンで学んだのち、1916 年にケルン市立歌劇場の副指揮者としてデビューしました。第一次世界大戦中も主としてウィーンで作曲、評論活動などで過ごしたのち、1933年ザグレブ歌劇場の第1指揮者として故国に戻り、1938年ベオグラード歌劇場の音楽監督およびベオグラード・フィルの指揮者に就任します。この間、ウィーン交響楽団や1936 年にはベルリン・フィルとも共演しました。第二次世界大戦中は、よく知られるとおりナチズムに協力し、それが原因で投獄されますが、著名な音楽家であったことで九死に一生の特赦をえます。

戦後は以上の経緯から国内に活動が限定され、ながく干されますが、シュワルツコップの『アラベラ』ハイライト盤録音(1954年)以降活動を本格化します。バイロイト、バイエルン州立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座などでオペラ指揮者として活動する一方、1956~58年にはシュターツカペレ・ドレスデン、1961~66年にはフランクフルト市立歌劇場、1972~79年にはモンテカルロ・フィルの音楽監督を歴任しました。1970年以降ザグレブ・フィルの専任指揮者、またN響の名誉指揮者も務めました。

【第5番】

第5番 チェコ・フィル 1970年11月2~6日 芸術家の家 プラハ Columbia COCQ-85322

マタチッチは早熟で、御年17才でケルン歌劇場にて指揮者としてデビューしました。そのマタチッチが大家となり(数字を逆にして)齢71才で気心の知れたオケ、そして得意のブルックナーで録音したのがこの第5番です。

第1楽章の導入部の沈んだ暗いスタートは驚きです。第2楽章は第5番でもっとも早く作曲され、巷間この時代のブルックナーの苦悩が最も顕著な時期ともいわれますが、この演奏はそれに捉われることなく淡々とリズムを刻み、大らかで全般にあっけらかんとした印象です。その一方、後半の2楽章は、反転、集中力を高め荘厳なコラールのフィナーレは得難い感動をもって終結します。

マタチッチは大柄ながらお顔はよく見ると整った風貌、そして流儀としては、オーケストラを燃焼させる「触媒効果」は抜群、しかもそこには強い作曲者の主張と指揮者独特の哀歓が籠められているといった印象です。チェコ・フィルの燻し銀の弦が熱量を徐々に蓄えていき、最後に一気に放出する過程は聴きものです。

[2010年12月2日]

【第7番】

第7番  チェコ・フィル 1967年3月27~30日 芸術家の家 プラハ Columbia COCQ-85313

マタチッチのブルックナーは、余人のおよばぬ大人(たいじん)の境地で、野太く、おおらかです。ただし、上記第5番などでは大幅な楽曲カットや一部改変もあり、いまは原典重視派からの批判もあります。自由度の高い解釈とオケ操舵は、いまの時代ではとても許される音楽仁義ではないのかも知れませんが、クナッパーツブッシュなどとともに、ブルックナー受容初期のひとつの流儀ではないかと思います。これは、1970年代頃までの古きよき音楽風景かも知れません。 

さて、第7番は異稿の問題が比較的すくなく、マタチッチの演奏についても素直に耳を傾けることができるでしょう。前半2楽章の充実ぶりがよく話題になりますが、後半の重量感も見事です。テンポは前半(特に第2楽章)やや速く、後半2楽章は標準より、じっくりと聴かせています。鷹揚として、その一方、密度の濃い演奏です。

【第8番】

第8番 NHK交響楽団 1984年3月7日 NHKホール NHKエンタープライズ、NHKクラシカル NSDS-13652[DVD]

2019年3月17日、NHK Eテレ/クラシック音楽館「N響 伝説の名演奏」でこの演奏が放映され久しぶりに見ました。1984年収録ですが、リマスターで映像はかなり鮮明です。マタチッチはカメラワークをおそらく一切意識していないようです。大汗かきで、しょっちゅうハンカチを顔にあてます。指揮棒は使わずにほぼ右手だけでリズムをとり、興がのると両手が連動し相貌の表情が豊かになります。指揮の動きは小さく強奏でもそれは変わりません。ブルックナー休止も指揮はとめず、わずかに眼光の鋭さや半開きの口によって表現を感じとれます。ふと、立派な耳と鼻から写楽の役者絵を連想しました。

さて、74分余のその演奏の特徴は。まずもって驚かされるのはN響の緊張感あふれる応対で、第1楽章から管楽器も実力を思いっきり発揮すべく、奮戦の気構えで臨場している様が伝わってきます。

マタチッチの音楽づくりは、いつもどおり隈取りくっきり、リズムも小刻み、よく切れる包丁でザクザクと刃をいれていく印象ながら、その切り口はけっして大雑把ではありません。否、細部に神経の行き届いた、それでいて生き生きとした溌剌さを失わせない統率力こそがその持ち味でしょう。頑固な名シェフといった趣ですが、N響はゲネプロまでおそらく徹底的にしごかれたことでしょう。

演奏へ没入しているからか、ハイテンションの気迫が最後まで衰えません。むしろ楽章がすすむほど熱気が籠もってくる感じで、こういう実演に居合わせたら、聴衆は徐々に「金縛り」の状況になっても不思議はありません。

全般にテンポは早く、第3楽章も一気に駆け抜ける爽快感があり、そのため弦、木管の叙情性あふれる表情は抑えられているように感じます。マタチッチの代表盤であるとともにブルックナー演奏の激戦区第8番にあって、いまでも独自の存在感があります。

―――――――・―――――――

テンシュテット(Klaus Tennstedt, 1926~1998年)

テンシュテットは東ドイツの指揮者(メルセベルク生まれ)だったので、早くから頭角はあらわしつつも冷戦下「西側」へのデビューが遅れました。しかし、豊穣なボリューム感をもった音楽性には独自の良さがあります。

当初は、フルトヴェングラー、クレンペラーに続く古式ゆかしい指揮者と思っていましたが、マーラーを聴き込むうちになんとも素晴らしい音づくりは彼独自のものと感じるようになりました。音の流れ方が自然で、解釈に押しつけがましさや「けれんみ」が全くありません。その一方で時に、柔らかく、なんとも豊かな音の奔流が聴衆を大きく包み込みます。そのカタルシスには形容しがたい魅力があります。

カラヤンが帝王としてベルリンに君臨していた時代にもかかわらず、テンシュテットは同時期に比較的多くの録音をベルリン・フィルと残しています。ライヴェルの存在には人一倍敏感であったといわれるカラヤンがなぜそれを許容したのか、という疑問は残りますが、東独出身でおそらくは自分とは全く違うタイプの演奏家であり、覇を競う相手とは考えていなかったのかも知れません。

【第3番】

Anton Bruckner: Symphony No. 3 第3番 バイエルン放送響 1976年11月4日/ミュンヘン・ライヴ    Profil  PH4093

第3番は、作品そのものに狷介なところがあり指揮者にとっては難物です。初稿版は繰り返しも多く長大な印象ですが、改訂がすすむ都度、カットが行われ演奏時間も短くなっています。テンシュテットは、ノヴァーク版(第3稿1879年)を使用し、演奏時間は52分強、比較的快速の演奏です。

録音のせいもあってか、バイエルン放送響の音感がやや軽く、テンシュテットにしては濃厚さをあまり感じさせませんが、その分、すっきりとした仕上がりになっています。

たとえば、ショルティ盤(ノヴァーク版1877年、59分)では分厚い音響美を構築しています(その反面、ややもたれる部分もあります)が、それとの比較では淡白に聴こえるかも知れません。

しかし、テンシュテット盤の魅力は、いつもながら作品に対する集中度とよどむことなき流麗さにあり、メロディラインの美しさは自然で実に好感がもてます。その点で本曲が苦手な向きにも受容しやすいかも知れません。

[2016年7月22日]

【第4番】

ブルックナー:交響曲第4番 第4番 BPO 1981年12月13、15、16日 フィルハーモニー ベルリン Cento Classics  CAPO-2004

 ハース1881年版による演奏です。第4楽章に顕著ですが、ピアニッシモで慎重に奏でられる弦楽器の幽玄の響きにリスナーの神経は引きつけられ自然に神経がそばだちます。その直後に、管楽器の光輝ある分厚い強奏が襲ってきますーそのコントラストの妙がこの演奏ほど見事に展開される例はあまりないのではないでしょうか。

 フルトヴェングラー的ともいっていい<技法>ですが、テンシュテットでは、その演奏に<技法>という言葉は似つかわしくありません。「それこそがブルックナーの企図したことなのだ」という強い信念が背景にあるような気がします。

 テンポはフルトヴェングラーのようには動かさず、振幅は大きく感じませんが、繰り返されるこのコントラストは累積するに及んで、じわじわと感動の原質になっていきます。

 レントラー風と言われる素朴なメロディ形成の部分では、本当に親しみのこもった暖かみのある明るい響きに包まれ魅了されます。第4番の名盤の一角を占めるにたるものです。

[2006年5月14日]

【第8番】

ブルックナー:交響曲第8番  第8番 ロンドン・フィル 1982年9月24~26日 アビー・ロード・スタジオ ロンドン WARNER MUSIC JAPAN TOCE-91064

 ノヴァーク1890年版の演奏です。全般に遅い運行で、特に第3楽章のアダージョ後半の第2主題を奏するヴァイオリンの引っぱり方などは限界に挑んでいるかのような緩慢さです。しかし、そこに籠められるのはとても深い豊かな響きです。

 フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、そしてチェリビダッケなどにも共通しますが、遅いテンポの持続は、その少しの変化でも微妙な表情づけを可能とします。第4楽章も同様で、速くなく(nicht schnell)どころではなく、第3楽章の長い延長線が続きます。フィナーレもコラール風の句の前後で若干、テンポは上がりますが最後までほぼ巡航速度は維持されます。フルトヴェングラーのようなアゴーギグにともなうクレッシェンドやディミニュエンドの多用はなく、使われる場合はかなり抑制的に(それゆえ効果的に)発動されます。

しかし内燃するエネルギーは迸るように激しく、なんど聴いても終了後深い感動があります。テンシュテットらしい名演です。

[2012年5月6日]

――――――――――・―――――――――

ブルックナー・コラム Ⅸ

帝都ウィーン小物語   ハプスブルク帝国の首都ウィーンについて少し見てみましょう。ブルックナーが後半生、ここに住まい、生活の糧をえ、いくたの苦労のすえ成功をおさめた帝都ウィーンです。                                     この都市も歴史的には厳しい冬の時代をなんども経験しています。ウィーンにはかってケルト人がいました。ローマ帝国はここに「ウインドボナ駐屯地」を設け、属州都市カルヌントゥムを監視しました。5世紀初頭には戦禍のもと廃墟となり、10世紀になるとドイツのバーベンブルク家の統治下におかれ、その後、13世紀からハプスブルク家がそのあとを継承したことは既に述べてきたとおりです。  しかし、このあとも要害の地にあたるウィーンには戦争の影がたえません。16世紀にはトルコ人がウィーンを包囲し周辺地域を蹂躙します。1683年にこのトルコを撃退しますが、1809年にはナポレオンが侵攻、一時占拠します。1848年には3月革命がおき、この後のフランツ・ヨーゼフ時代に世紀末の繁栄を謳歌しますが、第一次大戦で敗戦しハプスブルク帝国は瓦解し、「帝都」ウィーン時代もここに終焉します。  その後も混乱はつづき、1938年にオーストリアはナチス・ドイツに併呑され第二次大戦で敗北、戦敗国たるウィーンは連合国軍の管理下におかれ、1955年オーストリアの主権が回復されてウィーンも新たな「首都」としての顔をふたたび見せることになります。    フランツ・ヨーゼフ時代は、最後の帝都ウィーンらしい繁栄の時期でした。しかし、この都市を特色づけているのはいわずと知れた音楽の都です。  グルック(1714~87年)、ハイドン(1732~1809年)、モーツァルト(1756~91年)、ベートーヴェン(1770~1827年)、シューベルト(1797~1828年)、ヨハン・シュトラウスⅠ、Ⅱ世(1801~43年、1825~99年)、ブラームス(1833~97年)、そして我がブルックナー(1824~96年)に加えて、マーラー(1860~1911年)、ヴォルフ(1860~1903年)、ヴェーベルン(1883~1945年)、シェーンベルク(1874~1951年)、ベルク(1885~1935年)とならべてみても18世紀から20世紀にいたる2世紀にわたって、かくも著名な作曲家が数多の音楽芸術を生みだしていったことは驚異的です。モーツァルトは幼少期、ハプスブルク家から寵愛され、ヨハン・シュトラウス親子は、ワルツやポルカで皇帝と貴族の優雅な生活を存分に活写しました。    ほかにもグスタフ・クリムト、ジグムント・フロイト、ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインなど各界で著名なモダニズムの旗手や思想家を輩出しましたが、その一方、ウィーンは若きヒトラーが芸術家をめざした学舎(まなびや)でもあり、この街で暗い情熱を秘かに燃やした時もありました。  このように、たくさんの記録をいまにとどめるウィーンは、都市自身が歴史の証人であり、また街そのものが生きた博物館でもあります。   “Die erste und die letzte Begegnung zwischen Hugo Wolf und Anton Bruckner”:Friedrich Eckstein (F.エクシュタイン(1924)「ヴォルフとブルックナー 出会いの時と別れの時」高橋巌訳,『エピステーメ ウイーン明晰と翳り』1976年5月号 朝日出版社.)という随筆があります。    著者のエクシュタインは裕福な実業家の息子で音楽、文学、哲学、数学から神秘学までにつうじたディレッタントですが、ブルックナーやヴォルフに対しては最大の理解者であり一時はブルックナーの私設秘書およびパトロンだった人物です。  そのエクシュタインのはからいによって、それまで直接面識のなかったブルックナーとヴォルフがウィーンの郊外のクロスターノイブルク(Klosterneuburg)ではじめて共通の友人とともに会い、その後親交をふかめる経緯とブルックナーの死の病床での二人の別れが述べられています。当時の関係者による第一級の資料価値のあるドキュメントでしょう。しかし、ここでは別のことをメモしておきたいと思います。    ブルックナーはエクシュタインとともに往路は幌なしの小馬車でクロスターノイブルクへいき、帰路は鉄道でウィーンにもどっています。その小ピクニックの風景描写がとても魅力的です。当時の都市生活者がこうしてウィーンの郊外へ息抜きにいき、自然と人情にふれる様が生き生きと記述されています。一文を引用します。    「素晴らしい春の朝だったので、われわれは鉄道ではなく、無蓋の辻馬車を利用することにした。ブルックナーにとって、風に吹かれて、彼の言う『小馬車』(ヴァーゲルル)か橇で野外へ遠足に行くことぐらい大好きな楽しみはなかったのである。馬車からの眺めは素晴らしかった。フランツ・シューベルトの生まれた家のあるヌスドルファー街を通って、ホーエ・ヴァルテを越え、ハイリゲンシュタットを通ると、しばらくの間、かつて田園交響曲構想中のベートーヴェンに霊感を与えたといわれるあの小川に沿って進む。レオポルド山の嶮しい砂岩の崖とドナウの大激流の間にはさまれて鋭く曲折する道から、すぐにクロスターノイブルクの全貌があらわれる」(p.91)    地下レストラン附属のテラスで楽しく語らい、地元のワインに酔いしれ、美しい夕暮れとともに三等車でウィーンに戻るも、なお余韻さめやらぬ(あるいは酒の勢いがつき)ウィーンの行きつけの食堂で深夜まで語る・・という展開がこのあとも続きます。エクシュタインが経済的に豊かであったこともあるでしょうが、ここで語られるウィーン気質の生活は羨ましい限りです。環状道路建設で都市改造中のウィーンはおそらく、煤塵にまみれていたでしょうが、それゆえに郊外の緑への渇望はまたひとしおであったかも知れません。帝都ウィーンでの生活が偲ばれる貴重な随筆です。   ブルックナーの音楽はよく壮大な建築物にたとえられます。ここには「比喩」としての意味以上のものがあると思います。  まず幼年期から決定的な影響をうけたザンクト・フローリアン修道院(ST.Frorian)ですが、純粋バロック様式により、1686~1751年にかけてカルロ・アントニオ・カルローネによって建築された由緒正しき遺産です。    リンツ時代、もっともながくここで過ごしたであろう旧大聖堂ー聖イグナティウス教会(Alter Dom St. Ignatius)は17世紀後半、ピエトロ・フランチェスカ・カルローネ設計による市内でもっとも著名なバロック教会であり、ここにはブルックナーが12年のながきにわたってオルガニストとして務めたことを標す記念章(medallion)があります。   彼はロンドンではかねてから楽しみにしていたロンドン塔の見学にも行っています。そのロンドンでブルックナーが7万人の聴衆をオルガン演奏で唸らせた水晶宮(1851年竣工)ですが、この建物は当時、大量生産が可能となった鉄とガラスによる画期的な建築物で、ジョセフ・パクストンによる強大な温室であり装飾要素を一切排除したモダニズムにも特色があったといわれます。    さて、都ウィーンです。すでにハプスブルク帝国論でみてきたとおり、ブルックナーが生きたこの時代は、ウィーンの近代都市改造の最盛期にだぶっています。従来のランド・マークたるザンクト・シュテファン大聖堂、ホーフブルク(王宮)を核に、①フォーティフ・キルヒェ(奉献聖堂)、②国立歌劇場、③ノイエ・ホーフブルク(新王宮)、④裁判所、⑤美術史博物館、⑥自然史博物館、⑦国会議事堂、⑧市庁舎、⑨大学、⑩ブルク劇場、⑪銀行協会、⑫証券取引所、⑬営舎、⑭技術・職業学校が環状道路にそって相次いで建築されました。また、これらの建築物は、イタリア、フランスのルネサンス、ネオ・バロック、グリーク・リヴァイヴァルと復古調の様式がことなり、当時のウィーンっ子はブルックナーに限らず、きっと眼を白黒させたことでしょう。帝都ウィーンが最後の残り火を強く絢爛と燃やした白昼夢のような時代だったと思います。  それはまた、ブルックナーが黙々と自室で、音符によって壮大な音楽空間の設計に勤しんだ時代でもありました。   <参考文献> ・ヴォルフガング・ブラウンフェルス(1986)『西洋の都市ーその歴史と類型』日高健一郎訳 丸善. ・熊倉洋介他(1995)『西洋建築様式史』美術出版社. ・馬杉宗夫(1992)『大聖堂のコスモロジー』講談社. ・ハインリヒ・プレティヒャ(1982)『中世への旅 都市と庶民』関楠生訳 白水社.
カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

第10章 ライプチッヒ、ドレスデンらの巨匠たち

ブルックナーを聴くのなら、歴史と伝統に根ざした響きを求めてドイツ・オーストリアの楽団で、との見方もあります。本章ではそうした演奏を取り上げてみたいと思います。

まず、名門ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の関連では、アーベントロート、コンヴィチュニー、ノイマン、マズア、シャイーの5名を、次に、その双璧、シュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場)の関連では、カイルベルト、ケンペ、スウィトナー、ザンデルリング、ブロムシュテット、ハイティンクの6名を、最後に、「ドイツ的な響きに寄せて」として、アイヒホルン、ライトナー、ケーゲル、スクロヴァチェフスキ、レーグナー、ホルスト・シュタイン、サヴァリッシュの7名の指揮者について見ていきましょう。

  1. ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と指揮者たち

 

まず、カペルマイスター(一部はEhrendirigent)の系譜は以下のとおりです。

1895~1922年 アルトゥール・ニキシュ(Arthur Nikisch)プロローグ参照

1922~1928年 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler)第1章参照

1929~1933年 ブルーノ・ワルター(Bruno Walter)第6章参照

1934~1945年 ①ヘルマン・アーベントロート(Hermann Abendroth)

1946~1948年 ヘルベルト・アルベルト(Herbert Albert)

1949~1962年 ②フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny)

1964~1968年 ③ヴァーツラフ・ノイマン(Václav Neumann)

1970~1996年 ④クルト・マズア(Kurt Masur)

1998~2005年 ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)別項

2005~2016年 ⑤リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly)

2017年~    アンドリス・ネルソンス(Andris Nelsons)第11章参照

シャイーや最近のネルソンスまで、まるでブルックナー名指揮者一覧とでもいうべきリストです。ここでは①~⑤の5名を順次、取り上げます。

◆アーベントロート(Hermann Paul Maximilian Abendroth, 1883~1956年)

アーベントロートは、ブルックナーの弟子、フェリックス・モットル門下で、1934年以降ワルターの後任として10年以上もゲヴァントハウス管弦楽団のシェフを務めました。

ほぼ同時代のシューリヒト(1880~1967年)、クレンペラー(1885~1973年)、フルトヴェングラー(1886~1954年)、クナッパーツブッシュ(1888~1965年)らのなかにあって、東西ドイツの分断下、旧東独で活動したため、その演奏が知られる機会は乏しかったのですが、曖昧さのない自信に満ちたブルックナー像を構築しており、独自の地位を築いた名匠です。

小生保有のCD付属のライナーノート(大木正純氏)によれば、「人徳すこぶる豊かにして謙虚、しかも思いやりのある温かい心の持主」とのことで、1956年5月29日に逝去したときには何千人もの市民がお墓まで見送ったとのことです。

【第4番】

Bruckner;Symphony No.4 第4番 ライプチッヒ放送響 1949年11月16日 ライプチッヒ・コングレスハレ ドイツシャルブラッテンレコード 27TC-244

ハース校訂の原典版による演奏です。録音が良くないので、折々でストレスが溜まるでしょう。しかし、この迸るような演奏は、それを凌駕して我々にブルックナーの魅力を伝えてくれます。古き良きブルックナー・サウンドといっていいかも知れません。演奏の高品質なクオリティの追求(たとえば、セル)とは対極に、このやや雑然とした響きには凜とした美しさや調和はありません。その一方で、指揮者もオーケストラもブルックナーの音楽に純粋に奉仕しようといった気迫を感じます。第2楽章の行進曲風の快活なリズム感、静謐ななか沈降する音楽の共存には、ブルックナー音楽の多面性があらわれており、どちらの表現ともに強い説得力があります。 

[2019年1月27日]

ブルックナーでは、ほかに第5番(1949年5月27日)、第7番( ベルリン放送響 1956年2月)、第8番(1949年9月28日)、第9番(1951年10月29日)などの音源があります。

◆コンヴィチュニー(Franz Konwitschny, 1901~1962年)

コンヴィチュニーは、61才という指揮者としては働き盛りのときに他界しました。東西冷戦下にあって、その名声が当時、西側に十分かつ正確に伝えられていたかどうかはわかりませんが、残された記録によって稀代の大指揮者であったことがその後、知られるようになりました。彼は、ブルノとライプチッヒの音楽院で学び、ヴィオラ奏者をへて1927年に指揮者としてデビューしドイツ各地の歌劇場で活躍、その後1949~62年にかけて、ゲヴァントハウス管に君臨し、1953〜55年にはシュターツカペレ・ドレスデン、55年からは東ベルリンの国立歌劇場の音楽監督も兼ねた旧東独においてもっとも著名な指揮者の一人でした。61年に来日するも翌年急逝しました。

ブルックナー:交響曲第5番 第5番 ゲヴァントハウス管 1960年 日本コロンビア COCO-75402→3

【第5番】

1970年代、第5番の名演といえば、ヨッフム、カラヤン、ケンペ/ミュンヘン・フィルとともに、このコンヴィチュニー盤(晩年の1960年録音、ハース版)は最右翼でした。かつ、バトンタッチした後のマズアもこれにつづいて、名を馳せるなど、コンヴィチュニーの引いた路線は確実に継承されました。
 豪胆な演奏です。思い切り鳴らして迫力も十分、低弦の押し寄せる地響きにも似た音の広がりと金管楽器の劈(つんざ)くような咆哮によって、ブルックナー・サウンドの底力を強烈に印象づけています。小細工なし、正面突破型のスタイルながら、第2楽章のボヘミアン風のメロディの親しみやすさなども巧みに表現して、けっして一本調子の力押しばかりではありません。練達の指揮者と曲を完全習熟したオケによるこの時代ならではの成果といえましょう。

[2019年2月10日]

【第7番】

第5番にくらべて、第7番(ゲヴァントハウス管、1961年録音、ハース版)はやや“大人しめ”の印象ですが、第2楽章の充実感はなかなかのものです。凡長な演奏だと表現に濃淡のムラがでる難しいアダージョですが、テンポは一定、表現ぶりも平常心を忘れず、いわば淡々と進行しながら、深い感興をあたえてくれます。気心のしれたオーケストラに「いつもどおりに気負わずにやろう」と指示しているような感じ。録音の鮮度が劣るのが残念ですが、この鷹揚とした解釈から、素材の良さが自然と浮き上がってくるような演奏です。

[2019年2月10日]

【第8番】

ベルリン放送響との共演です(1959年モノラル 、ハース版)金管が高い山々の稜線をトレースするかのように朗々と鳴り響きます。実に雄々しく鳴らしています。解釈はオーソドックスでテンポは安定しており、多くの同番を聴いてきた者からすれば、重量感がある見事な演奏というのが大方の感想ではないでしょうか。弦楽器は録音の関係もあるかも知れませんがやや控えめな印象をぬぐえませんが、アンサンブルはしっかりしています。聴けば聴くほどに納得できる手堅くも堂々とした演奏で、ブルックナー名指揮者列伝の間違いなく一角を占める証左ともいえる成果です。

[2018年1月5日]

ブルックナーでは、ほかに第2番(1960年盤、ゲヴァントハウス管、1951年盤、ベルリン放送響)、第4番(1961年、ウィーン響)、第9番(1962年、ゲヴァントハウス管)などの音源があります。

◆ノイマン (Václav Neumann, 1920~1995年)

ノイマンといえば、チェコ・フィルで数々の名演を残したことで有名ですが、40才代壮年期には、コンヴィチュニーの後継者として1964~68年の間、ゲヴァントハウス管を振っていました。

【第1番】

Symphony 1 第1番 ゲヴァントハウス管 1965年12月13~14日、ライプツィヒ救世主教会(ハイランツキルヒェ)BERLIN Classics(輸入盤 0094662BC)

ここで注目すべきは第1番です。ブルックナー探訪の面白さは、ときたまこうした逸品の演奏に出会えることです。この初期作品はワーグナーの影響が強いともいわれますが、第4楽章でベートーヴェンの第9番のメロディの一部が垣間見えたり、また、第1楽章では同じく第7番と少しく共通するリズムの乱舞があるように聞こえる部分もあります。

 ノイマンの演奏は、そうした面白さも反映しつつ、とにかく音が縦横に良く広がります。打者の手前でビユーンと伸びる変化球のように、聴き手の予想を超えて音がきれいに伸張し、それが次に心地よく拡散していく瞬間の悦楽がたまりません。また、丁寧に、とても丁寧に音を処理していき、第4楽章などに顕著ですが繰り返しも忠実に行うなど、ノイマンらしい総じてとても真面目で端整な演奏です。

 それでいて飽きさせないのは例えば第2楽章において、そのメロディの歌わせ方が絶妙でこよなく美しいこと、全般に程良いダイナミズムが持続することにあります。陰影の付け方などはかなり工夫もあり、また、ここはベートーヴェン風に演奏しているのでは・・・と思わせるような隠し味的なところもあります。私見ながら第1番のベスト5に入る名演です。

[2015年1月22日]

◆マズア(Kurt Masur, 1927~2015年)

交響曲全集 マズア&ゲヴァントハウス管弦楽団(9CD) 交響曲全集 ゲヴァントハウス管 1974~1978年 RCA Red Seal 88843063682

ベルリン・フィルやウィーン・フィルと並んで、ゲヴァントハウス管弦楽団は老舗中の老舗です。本団のブルックナー(ステレオ録音)が一般的に評価されたのはマズアの時代以降です。

マズアは、アーベントロート、コンヴィチュニーといった偉大な先人の足跡を踏まえつつ1970~1996年の四半期以上の長期にわたって本団の実力を世に知らしめました。
 この時期のゲヴァントハウス管の演奏はハース版が中心です。たとえば、第1番のノイマン(1965年録音)はリンツ稿ハース版、第2番のコンヴィチュニー(1960年)は1877年稿ハース版、第3番ザンデルリング(1963年)は1889年版、第4番はその後のブロムシュテットもハース版、第5番は、アーベントロートもコンヴィチュニー(1961年)もハース版、第7番コンヴィチュニー(1961年)はハース版、第8番のアーベントロート(1949年)もハース版、そして、第9番のみは早くから知られていたことがあるかも知れませんが、コンヴィチュニー(1962年)に続きその後のマズアも原典版となっています。

 旧東独時代、外貨稼ぎの事情もあってか、マズアのブルックナーを世界に売り出す試みは成功し、深い響きと良き意味での古色蒼然たるハイマート感は日本でも話題となりました。しかし、今日から振り返ると、その素朴ともいえる(しかし、たっぷりの)情感とややぶっきらぼうとも思える非技巧性は、アーベントロート、コンヴィチュニーの伝統を引き継ぐものであることがわかります。ゲヴァントハウス管のブルックナーは、その後も実に良い演奏が続きます。歴史的には第7番の「初演オケ」には、連綿とし胸を張る伝統と各プレイヤーが引き継いできた楽器と音色に秘めた自信があるのでしょう。それを最大限引き出したマズアの功績もまた大きいと思います。

[2014年12月11日]

◆シャイー(Riccardo Chailly, 1953年~)

BRUCKNER/ 10 SINFONIEN 交響曲全集 Eloquence/Decca 4824454

シャイーのブルックナー全集は周到に準備されました。第7番の1984年から第8番の1999年まで、なんと15年をかけてのじっくりと構えた仕事であり、ベルリン放送響(第7、3、1、0番)に続けて、コンセルトヘボウ管(第4、5、2、9,6,8番)にバトンタッチして完成しました。スコアもノヴァーク版を基軸としつつも、曲によっては、原典、ハース、ウィーン各版を採用するなど独自の解釈を覗かせています。

【第1番】

第1番は初期のリンツ版の演奏が多いなか、本盤は作曲者晩年の1890/1891年改訂のウィーン版によっています。既にリンツ盤に親しんでおり、もう1枚は別の演奏で・・というリスナーには好適です。

ベルリン放送響の音質はブルックナーによくあっていますし、シャイーは「あえて、ウィーン版で勝負!」といった意気込みが感じられ、細部にも気をくばった緊張感あふれる演奏です。第1番はいまや全集で多くの音源に接することができますが、単独でなかなか良い演奏に巡りあわないなか、小生はかねてより座右に置いています(1987年2月、デジタル録音)。

[2012年4月21日]

【第6番】

第1番とともに優れた演奏だと思います(コンセルトヘボウ管、1881年原典版)。弦の響かせ方が明るく、かつ微妙な揺れが感情を豊かに表出します。しかし、甘美なセンティメンタリズムの一歩手前で抑制したかと思うと、次に雄渾な管楽器がブルックナー・サウンドを存分に聴かせます。その繰り返しが一種のスリリングな緊張感を生んでいきます。多分、計算され尽くされているのでしょう。部分的にはそれも垣間みえます。しかし、その術中にはまっていくのも心地よい気分です。こうした自信をもった演奏スタイルがあってこそ、ブルックナーの多様性が楽しめると思います(1997年2月、デジタル録音)。

[2012年4月21日]

【第9番】

第9番(コンセルトヘボウ管、1894年ノヴァーク版)では終始、<波動>が伝わってきます。大きな波動、小さな波動、強い波動、ゆるい波動、そしてその見事な合成ーそれらの“うねり”がひたひたと迫ってくるようです。そうした<波動>が心に浸潤してきます。第1楽章冒頭から「巧いなあ」と思う一方、いわゆる音楽への没入型ではなく、指揮者はあくまでも、醒めた感覚はもちつつも、独自の<波動>をつくっていく技量は本物です。

次にこうなってほしい、こういう音を聞きたいとリスナーに期待させる巧みな誘導ののちに、それを凌駕するテクスチャーを次々に繰り出してくるような感じです。ブルックナーの聴かせどころ、ツボを研究し尽くしているからこそできる技でしょうが、だからといってけっしてリスナーに安易に迎合はしていません。意図的に嵌めていくとすればそれは「えぐい」でしょうが、<波動>がとても美しく、力強く連続していく快感のほうが先にきて、技法の妙は意識させません。こんな演奏をできる指揮者はそうざらにはいません。2005~2016年に長きにわたって、ゲヴァントハウス管のシェフを務めたのもその実力のなせるところでしょう(1996年6月、デジタル録音)。

ブルックナー・コラムⅩ

<作曲家シリーズ> ワーグナー(1)   属啓成(1949)『音楽の鑑賞』音楽鑑賞全集第1巻 千代田書房.という第二次大戦後、比較的早いタイミングで出版された本があります。この時代に書かれたことを考えても先駆的名書であると思います。ブルックナーの交響曲も紹介されていますが、ここで取り上げられているのは第4番、第7番です。その第7番の紹介文を以下、引用します(漢字は新字体に直しますが、それ以外は原文表記です)。    「第7交響曲変ホ長調は、特に第3楽章のアダジオを以て名高い。この楽章は彼が崇拝するヴーグナーの死を予感しながら書いていたと云われるが、果せるかな完成半ばにして、ヴーグナーの訃報がヴェニスからウインにもたらされた。  『矢張りそうであったのか。自分は泣いた。おお如何に泣いたことか。それから自分はこの哀悼の音楽をかいたのだ』 と友人にもらした。この交響曲の初演は、1884年ライプチッヒに於てヴーグナー記念碑建造資金募集のために行われ、初演の時既に非常に人気を呼んで(第2楽章は3回もアンコールされたと云う)今日に至っている」(p.240)    ここで興味深いのは、ブルックナーの紹介がワーグナーとの強い関係において語られていることです。属氏は別のところで標題音楽と絶対音楽をクリアに切り離して解釈しており、ブルックナーに関しても第4番について「彼は標題音楽的な交響曲を書いたのはこの1曲以外にない」(p.239)と言っています。    ワーグナーとブルックナーが、その音楽的な特質とは別に「ある意味」で一体的に捉えられている点については、ナチスのプロパガンダの影響があると思います。    伊藤嘉啓(1989)『ワーグナーと狂気』近代文芸社.では「反ユダヤ主義」との関係においてワーグナーとナチズムの関係を考察しています。ワーグナーの反ユダヤ感情や攻撃的なユダヤ人批判を半世紀のちナチズムが利用したにせよ、その萌芽がワーグナーの音楽のなかにあることもアドルノなどの言葉を引いて明らかにしています。    一方、ブルックナーはどうでしょうか。ブルックナーの人生は、非政治的なものであったといえるでしょうし、何よりも彼には反ユダヤ的な言動などはありませんでした。しかし、ヒトラーはワーグナーとともにブルックナーの音楽を熱愛し、1937年にはヴァルハラにブルックナーの胸像を入れてその前で写真も撮っています。また、伝えられるところによれば、ハンブルクラジオは、先に引用したエピソードを踏まえて、ヒトラーの死を告げる放送の前に、ブルックナーの第7番のシンフォニーの演奏を流したとのことです。   枢軸国たる日本でも、ワーグナーとともにブルックナーの音楽もドイツからの映像のバックで鳴っていたかも知れません。ワーグナーの標題音楽やライトモティ-フLeitmotivとブルックナーの絶対音楽性の違い、純然たるドイツ人たるワーグナーとオーストリア人たるブルックナーの違いなどもあり、戦後、ワーグナーに比べてブルックナーは「鉤十字(ハーケンクロイツ)の呪縛」からは早く解放されたようですが、こうした歴史的な足跡でも両者の関係は浅からぬものがあります。  
  • シュターツカペレ・ドレスデンと指揮者たち

1930年代以降のシュターツカペレ・ドレスデンの歴代楽長および首席指揮者は以下のとおりです。

19341943年  カール・ベーム(Karl Böhm, 1894~1981年)第4章参照

1943~1944年  カール・エルメンドルフ

1945~1950年  ⑥ヨーゼフ・カイルベルト(Joseph Keilberth, 1908~1968年)

1949~1953年  ⑦ルドルフ・ケンペ(Rudolf Kempe, 1910~1976年)

1953~1955年  フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny, 1901~1962年)上記参照

1956~1958年   ロヴロ・フォン・マタチッチ(Lovro von Matačić , 1899~1985年)第9章参照

1960~1964年  ⑧オトマール・スウィトナー(Otmar Suitner, 1922~2010年)

1964~1967年  ⑨クルト・ザンデルリング(Kurt Sanderling, 1912~2011年)

1966~1968年  マルティン・トゥルノフスキー(Martin Turnovský, 1928年~)

1975~1985年  ⑩ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt, 1927年~)

1985~1990年  ハンス・フォンク(Hans Vonk, 1942~2004年)

1992~2001年  ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli, 1946~2001年)第7章参照

2002~2004年  ⑪ベルナルト・ハイティンク(Bernard Johan Herman Haitink, 1929年~)

2007~2010年  ファビオ・ルイージ(Fabio Luisi, 1959年~)

2012年~    クリスティアン・ティーレマン(Christian Thielemann, 1959年~ )

以下では⑥~⑪の6名を順次、取り上げてみたいと思います。

◆カイルベルト(Joseph Keilberth, 1908~1968年)

1945~50年にかけて、カイルベルトは、シュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者でした。

カイルベルトは、ワーグナーを得意とし40代でバイロイト伝説をつくった気鋭の指揮者でしたが、オペラのレパートリーは広くドイツものでもモーツァルトからリヒャルト・シュトラウスまで様々な音源があります。また、ウィーン・フィルなど一流のオーケストラや歌手との共演陣でも非常に立派な記録がありますが、60才で『トリスタンとイゾルデ』指揮中、心臓発作にて急逝しました。

カイルベルトとカラヤンは同年同月の生まれ。カイルベルトは惜しまれつつも還暦で逝去する一方、カラヤンはステレオ録音の高度化によって、その後、70年代に円熟期の名演を次から次に繰り出すことになります。

しかし、もしもカラヤンがいなければ、その実力からみてカイルベルトがベルリン・フィルのシェフになっていても少しもおかしくなかったともいわれます。

【第6番】

ブルックナー:交響曲第6番 第6番 BPO 1963年 Teldec WPCS-12153

さて、そのカイルベルトの第6番(原典版)です。本曲は、あえて比較すればブラームスの第2番のような駘蕩さがあります。暗さがありませんし滔々たるメロディの流れが神経を弛緩してくれます。しかし、それゆえに、ブルックナーらしい巨大な構築力では他番より控えめであることから、取り上げられる機会は多くありませんし、ほかの番にくらべて名盤も限られているように思います。
 そうしたなかで、カイルベルト盤は、巧者ベルリン・フィルを振ってのもので従来から高い評価をえています。小生も第6番を聴くときの有力な選択肢ですが、いくど聴いても飽きがきません。カイルベルトは折々では、ブルックナー特有の一種の土臭さも表現しつつも、全体としては調和を重視し端正な仕上がりに腐心しているように感じます。管楽器を目立たせずに弦楽器の高い合奏力を強調しています。第2楽章の引き締まった演奏は実に心地よく、特に緩やかに下降する音階の聴かせどころの美しさは妙なるものです。第6番の名品といってよいでしょう。

[2015年9月12日]

◆ケンペ(Rudolf Kempe, 1910~1976年)

ケンペについては、ワーグナーやR.シュトラウスの名演はよく知られていますが、ブルックナーに関しても、今後多くの未公開音源が世にでてくれば再評価されるべき指揮者だと思います。以下では代表盤を2つ掲げます。

ミュンヘン・フィルという重量級のオーケストラは、低弦は少し湿り気のある重い音、金管は安定感抜群で力量があります。これを総帥するのは、シュターツカペレ・ドレスデンの首席も務めたケンペです。この2曲の演奏は、構成の大きさ、曲想の豊かさ、美しく気高きメロディといったブルックナーの良さを十分に引き出した名演です。ケンペは惜しくも1976年、65才という円熟期に急逝しますが、結果的にその晩年の貴重な記録となりました。

ブルックナー: 交響曲第4盤、第5番 第4番 ミュンヘン・フィル 1976年1月18~21日 第5番 ミュンヘン・フィル 1975年5月25~27日 ブリュガー・ブロイケラー ミュンヘン Scribendum SC3

【第4番】

ミュンヘン・フィルの持ち前の重量感を生かしたオーソドックスな演奏です(ノヴァーク版1878-80年第2稿使用)。

第1楽章、テンポを一定に保ち、その中に豊かなボキャブラリーをきちんと整序しつつ凝縮していきます。同番では同じミュンヘン・フィルとのライヴ盤(1972年11月、ミュンヘン)もありますが、本セッション録音は実に緻密に慎重になされたのではないかと感じます。特に第2楽章の音のクリアさと美しさは“ひとしお”です。ケンペ逝去の約4ケ月前の録音です。

【第5番】

ブルックナーのこの曲への複雑な感情表出が、陰影を感じさせる深い響きから浮かび上がってきます。

全体にデューラーの少し暗い色調の絵を観賞するような趣きがあります。第2楽章のアダージョは、これぞドイツ的な音の渋さ、くすみ、幾分の暗さが微妙にブレンドされています。全体の見通しがよく、いささかもぶれず程良い一定のテンポを堂々と持続していくケンペならではの独自の音づくりには、静かな感銘があります。

[2019年2月10日]

◆スウィトナー(Otmar Suitner, 1922~2010年)

【第4番】

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」 第4番 シュターツカペレ・ベルリン 1988年10月 ベルリン・キリスト教会 キングレコード KICC-3533

スウィトナーによる第4番(ノヴァーク版)です。ホルンの慎重なソロに、霧のように忍び寄る低弦の重なりという出だしから、大切に本曲を再現しようとするスウィトナーの真摯なる姿勢が伝わってきます。テンポを崩さず曲をすすめるうちに、楽器の各パートの響きが見事にブレンドされていきます。第2楽章もさほど暗くなく色調の統一感にも周到な配慮がなされています。こうした“絶妙なバランス感覚”こそ、この老練な指揮者の持ち味なのでしょう。
 弦と木管をうまくコントロールしながら音を重くしない技法はシューリヒトに共通するようにも感じます。滔々とまろやかに流れるブルックナー・サウンドには快感があります。後半2楽章においても、必要なアッチェレランドは躊躇なくかけますが、激烈な音は残響の長いホールのなかで分散処理されて一切の刺々しさがありません。
 こうした演奏スタイルを評価するファンには、滋味あふれる良き演奏ですが、ときに苛烈さも求めたい向きには、やや平板な印象をもつかも知れません。小生はこうした節度ある、なによりも原曲の良さをどこまでも素直に表現しようとするスウィトナーの安定感ある解釈はとても好ましく思います。

[2019年1月24日]

◆ザンデルリング(Kurt Sanderling, 1912~2011年)

【第4番】

Symphony 4 第4番 バイエルン放送響 1994年11月4日 ヘルクレスザール ミュンヘン ライヴ Profil PH5020

ザンデルリングの第4番(ハース版)は、「柔よく剛を制す」に似て、角張ったところがなく音楽が緩めのテンポのなか自然に滔々と流れていく印象です。

一歩間違えば、締りのない弛みにも通じるリスクもありますが、そうならないのは指揮者、オーケストラともにブルックナーの音楽に対する強い愛着の気持ちが根底にあるからでしょう。そこを汲み取れるか否かで本演奏の評価も違ってきます。テンシュテットのような直截の“熱さ”は感じませんが、ライヴ盤ながら沈着さが全体を支配し、これはこれで心地よき落ち着いた演奏です。
バイエルン放送響の響きはヨッフム時代に鍛えられ、独特の透明感があって聴きやすく、じわりじわりと時間とともにその良さが心に効いてくるようです。

[2016年6月12日]

◆ブロムシュテット(Herbert Blomstedt, 1927年~)

ブロムシュテットは、1998〜2005 年 ゲヴァントハウス管のシェフ(のち名誉指揮者)を努め、その後2005〜12年の7年にわたって同団とブルックナーの交響曲全集を完成させその成果を世に問いました。

ブルックナー:交響曲第7番 第7番 シュターツカペレ・ドレスデン 1980年6月30日~7月3日 ルカ教会 ドレスデン デンオン COCO-70489

【第7番】


 本盤はそれに先立ってシュターツカペレ・ドレスデンを指揮して録音されたものです。ブロムシュテットは1975〜85年にわたって首席指揮者の地位にあり、ベートーヴェンやシューベルトの交響曲全集や、モーツァルトの後期交響曲集などを録音する一方、ブルックナーの取り上げは第7番、第4番の2曲に限られました。ブルックナーに関してはその後、サンフランシスコ響との第6番(1990年)、第4番(1993年)などもありますが、この第7番は1980年6月30日から7月3日にかけて、ドレスデンのルカ教会で録音したいわば最初のブルックナー・トライアルです。

 後述の第4番も同様ですが天晴れの演奏です。第1楽章冒頭のいわゆるブルックナー“原始霧”、弦楽器群の弱音のトレモロの深い美音を聴いた瞬間から、その清涼な響きに打たれます。ブロムシュテットといえば、その師、イーゴリ・マルケヴィッチ同様、痩身長躯の立ち姿が目に浮かびます。徹底した菜食主義者で知られ、かつて来日時に見た特集番組でも少量のサラダを時間をかけて食する場面があったように記憶しますが、全体として、緑陰に座って木漏れ日が葉脈を細密に映し出すのを下から眺めるような爽快な印象があります。
 イン・テンポで一音一音を慎重に磨きこんでいく一方、その音楽には生命感があり葉脈を通じる透明な溶液を連想させます。

第2楽章では打楽器は抑制され、ワーグナーチューバの厳粛な響きも控えめで弦楽器群の室内楽的統一感と静謐さが前に出ています。
 第3楽章スケルツォは一転、軽快に風を切る雰囲気があり、管楽器も躍動感をもって応答しますがトリオでは指示どおり減速し潔癖なハーモニーが重視されます。終楽章も過度なドライブはかけず、音量は感動とは正比例しないという信念があるかのように、管楽器の突出が巧みにセーヴされ高貴な響きが生き生きとしたリズム感とともに心の奥底に届いてくるかのようなアプローチです。

[2013年6月16日]

【第4番】

1981年9月ドレスデンのルカ協会での録音です。2回目の全集を同じドレスデン・シュターツカペレで収録中のヨッフムの第4番は翌1982年の録音ですから、この時期ドレスデンはブルックナーに実に集中して取り組んでいたことになります。薄墨をひいたような弦楽器の少しくすんだ音色も、ルカ協会特有の豊かな残響ともに共通しますが、ブロムシュテット盤も秀逸な出来映えで両盤とも甲乙はつけがたいものです。

ブロムシュテットは全般にヨッフムよりも遅く、かつテンポはベーム同様、実に厳しく一定に保っています(いずれもノヴァーク版使用。ヨッフム:ブロムシュテットで各楽章別に比較すれば、第1楽章、17:48、18:23、第2楽章、16:40、16:30、第3楽章、10:02、10:51、第4楽章、20:22、21:06)。

ブルックナーの音楽は本源的に魅力に溢れ聴衆に必ず深い感動をあたえるという「確信」に裏打ちされたように、小細工など一切用いず、素直に、しかし全霊を傾けてこれを表現しようとする姿勢の演奏です。どの断面で切っても音のつくりに曖昧さがなく、全体にダイナミズムも過不足がありません。

ブルックナー好きには、演奏にえぐい恣意性がなく、作曲家の「素地」の良さを見事に表現してくれた演奏と感じるでしょう。

[2012年4月30日]

◆ハイティンク(Bernard Johan Herman Haitink, 1929年~)

【第6番】

Bruckner:Symphony No.6 In A Maj 第6番 シュターツカペレ・ドレスデン 2003年11月3日 ゼンパーオーパー ドレスデン ライヴ Profil PH07011

若き日、ハイティンクの指導者はブルックナーの泰斗、ヨッフムでしたが、師も名演を紡いだシュターツカペレ・ドレスデンとの組み合わせです。ハイティンクは、2002~04年、ここのシェフも務めました。

第6番に関しては、1935年ドレスデンで原典版での初演が行われており、ご当地ならではの輝ける伝統とプライドがあるのでしょう。あたかもヨッフムの遺訓を受け継ぎながら、ハイティンクらしい豊かな感受性と変化する表情を備えた堂々とした演奏です。

第1楽章はライヴゆえオケとの噛み合いが微妙にずれて金管楽器に不安定なところもありますが、聴かせどころの第2楽章のアダージョは丁寧に美しく歌いこんでいきます。第3楽章は上昇気流に乗ったような高揚感があり、終楽章ではテンポもより自在で感情表出の造詣も深く、終結部のコーダの盛り上がりも十分です。なお、ハイティンクは録音に恵まれており、ブルックナーに関しても、ウィーン・フィルやコンセルトヘボウ管との幾多の共演もあります。そのうちウィーン・フィルとの第4番について以下、コメントします。

【第4番】

小生は、コンセルトヘボウのブルックナーではベイヌムの演奏が好きです。ヨッフムも第5番などは独壇場。その後任のハイティンクは、一所懸命、先人の背中を追いながら、なかなかその距離が縮まらないと思ってきました。そのうち、代替わりがあってコンセルトヘボウではシャイーがでてきます。シャイーはジュリーニばりに音楽を柔らかく包括的にとらえ、他方、その音を磨き込み、先人とは違うアプローチでブルックナー演奏でも独自の存在感を示しました。

さて、そのハイティンク/ウィーン・フィルの第4番、1985年2月の録音です。聴いていて、素直にいいなと思います。ハイティンク、会心の出来ではないでしょうか。不慮の水死を遂げたケルテスも、ウィーン・フィルとはブラームスで立派な業績を残していますが、この狷介で、ときにじゃじゃ馬的な天下の名門オケは興が乗れば、凄い演奏をします。第4番での典型はベーム盤でしょう。ハイティンクの本盤は、その求心力においてベームにはやや届かないものの、それ以来の録音を残したといってもよいかも知れません。

[2013年6月15日]

ブルックナー・コラムⅪ

<作曲家シリーズ> ワーグナー(2)   ワーグナーの伝記を読んでいると、疾風怒濤のごとき時代との「格闘」、華麗な人脈と各地へのあくなき「転戦」、何人分もの人生を一人で経験したかのような「巨大な活動エネルギー」に圧倒されます。およそブルックナーとは対極の生き方です。通常、ブルックナーの伝記ではワーグナーとの接触はハイライトといってもいい重要なイベントですが、ワーグナーの伝記中でのブルックナーの登場は、厖大すぎる事象にあって、ほんの一コマを飾るにすぎません。批判者ハンスリックとの関係の方が刺激的であるゆえに、より紙面が割かれているのではないでしょうか。    有名なエピソードですが、ワーグナーは1830年にベートーヴェンの第9シンフォニーをピアノ独奏用に編曲しています。また、1832年に交響曲ハ長調を作曲、これはプラハで初演されたのち、翌年にはゲヴァントハウスでも演奏されています。当時のワーグナーは19才です。40才をすぎてから交響曲の作曲に本格的に取り組みはじめるブルックナーとは大違いです。ワーグナーは、交響曲という作曲ジャンルでは自分のもつミューズを発揮できないとはやくから見切っていたのかも知れませんが、楽劇Musikdramaという独創的な総合芸術に挑戦していきます。対してブルックナーは宗教曲以外では、終始一貫し交響曲に特化してその芸術の高みに登っていきます。    ワーグナーの「お師匠筋」にあたるリストをして、既に交響曲から交響詩へと標題音楽への転換をはかっていたわけですから、野心家のワーグナーがそれをさらに踏み越えていくのは当然としても、リストともワーグナーとも親交のあったブルックナーが頑なに交響曲にこだわっていくのも、そのコントラストが面白いですが、リスト、ワーグナーとブルックナーとはリスナーとしての音楽体験でも不連続なものを多く感じます。    さはされど、ドイツ音楽という大きな包含のなかでは、ドイツ的な(と日本人が感じる)雰囲気はいずれにも通底していると思います。ワーグナーの楽劇に関心をもった頃、ヴェーバー『魔弾の射手』によく似ているなと思いました。  そのヴェーバーですが、ワーグナーの子供の頃、義父ガイアー家に親しく出入りし、ワーグナーは尊敬の念を抱き将来、ヴェーバーのようになりたいとひそかに憧れたようです。また、ワーグナーがマルデブルグ市立歌劇場の指揮者時代には、おそらくは人気メニューだったでしょうが『魔弾の射手』も演目として取り上げています。 さらに、1844年、ヴェーバーはロンドンにて客死しますが、その遺骸を母国に移送し葬儀、埋葬の労もワーグナーはとっています。 (高辻知義(1986)『ワーグナー』岩波新書,p.34,pp.30-38,p.71)。    ブルックナーが建設途上のバイロイトを訪問した際のエピソードは、彼が第3シンフォニーをワーグナーに献呈した経緯とともに有名です。祝祭歌劇場の建設現場の見学に思わず夢中になり彼はワーグナーを往訪する時間に遅れてしまいます。その夜、ワーグナーから酒をすすめられて、巨匠に会った極度の緊張感も加わってかブルックナーは不覚にも酩酊し、翌日、ワーグナーが第2番を所望したのか第3番だったか、宿酔の彼はこんな「人生の大事」が思い出せません。ブルックナーは同席者から当夜の会話を確認のうえ、ワーグナーに手紙でお伺いを立てます。その手紙を受け取ったワーグナーは名うての対人交渉上手、ドジなブルックナーの振る舞いに驚く一方で、苦笑を禁じ得なかったのではないでしょうか。同様な失敗に事欠かない小生は、ブルックナーに共感こそすれ到底、非議できる立場にはありませんが、微笑ましい挿話だと思います。

3.ドイツ的な響きに寄せて

ドイツ的な響きに寄せてというタイトルからは、本当に数多くの取り上げるべき指揮者がいますが、以下では上記1、2とも関係のある7人の名匠についてその代表盤についてコメントします。また、このグループでは親日家が多く含まれているのも特徴です。

◆アイヒホルン(Kurt Peter Eichhorn,1908~1994年)

【第5番】

ブルックナー:交響曲第5番 第5番  バイエルン放送響 1990年 ザンクト・フロリアン教会大ホール ライヴ Capriccio 10609

アイヒホルンもブルックナー指揮者の一角をしめ、リンツ・ブルックナー管弦楽団との諸作品などが残されています。ヴァント、朝比奈隆らとともに晩年、特にその動静が注目されました。ブルックナー演奏に関しては、「長生きは指揮者冥利」とでもいうべきでしょうか。ヴァントはベルリン・フィルを、朝比奈はシカゴ響を、そしてアイヒホルンはこのバイエルン放送響を振って晩年、大きな話題を提供しましたが、本盤はその代表的な1枚です。

1990年、聖フローリアン教会でライヴ収録したもので、生き生きとした息吹は「老い」というより「老練」という言葉を惹起させます。端整、オーソドックスな解釈で、第1楽章の充実ぶりに特色があり、4楽章全体の力の入れ方のバランスが実に良いです。その一方、第4楽章は引っぱるところは思いっきり伸ばし、残響豊かにブルックナー・サウンドを展開します。小刻みにアッチェレランドやリタルダンドも駆使する場面もありますが不自然さは感じさせません。テンポに関して小生の好みからいえば、いささか遅すぎ、ときに緊張感を削ぎますが、実演に接しているリスナーには別の感動があったのかも知れません。

[2019年3月10日]

◆ライトナー(Ferdinand Leitner,  1912~1996年)

【第0番】

ブルックナー:交響曲第0番 / エーダー:オルガン協奏曲  (BRUCKNER:SYMPHONIE D-MOLL / EDER:Concerto for Organ "L'Homme arme") 第0番 バイエルン放送響  1960年6月11日 ORFED C269 921 B 

ライトナーの第0番は名盤です。特に、第2楽章アンダンテでは、弦楽器の音色は透明感があって美しく、表情が豊かで、そのなかに仄かに優しさと哀愁がにじみます。ここでは、ヨッフムによって鍛えられたバイエルン放送響の自信に裏打ちされ、磨かれたブルックナー・サウンドを聴くことができます。第3楽章、ともすれば単調になりがちなブルックナー特有の上昇と下降を繰り返す音型処理も、豊かな表現力と魅力的なサウンドによっていきいきと息づき、ライトナーの巧手ぶりを感じさせます。終楽章は、第1楽章の牧歌的な主題が回帰され、素直でほのぼのとした雰囲気が満ちてきます。それが次第に速度を増し、ブルックナーらしい、しかし短いフィナーレに向かって高揚していく展開も見事です。

[2019年3月10日]

◆ケーゲル(Herbert Kegel, 1920~1990年)

ブルックナー:交響曲第4、7、9番 第4、7、9番 第4番 ライプツィヒ放送響 1960年4月3日 ベルリン・コンツェルトハウス ライヴ 第7番 ライプツィヒ放送響 1961年5月9日 ライプツィヒ・コングレスハレ ライヴ 第9番 ライプツィヒ放送響 1969年4月1日 ライプツィヒ・コングレスハレ ライヴ ODE CLASSICS

【第4番】

ケーゲルは、旧東ドイツ、ドレスデン出身の名指揮者です。1949年に、アーベントロートの助手としてライプツィヒ放送響、同合唱団を指導し、アーベントロート没後は後任としてほぼ30年の長きに渡り、同オケを東ドイツ有数の団体に成長させました。さらに、1980年代にはドレスデン・フィルの首席指揮者に転じます。1989年に同団と来日しましたが、翌年衝撃的なピストル自殺を遂げます。

ブルックナーについては、ユニークなジャケットとともに1970年代の録音があります。

第3番「ワーグナー」(1978年6月6日ライヴ)、第4番(1971年9月21日ライヴ)第5番(1977年7月6日ライヴ)、第7番(1971年5月17日~28日)、交響曲第9番(1975年12月16日ライヴ)などですが、本集はそれに遡る60年代の記録で、ライプツィヒ放送響を振ってのライヴ音源です。

ケーゲルの演奏にはファナティックさを強調する見方もありますが、本集を聴く限りそうした印象はあまりありません。むしろ、全体としてはベーム的なしっかりとした構成力に優れたうえ、ベームとの根本的な違いはテンポの可変性、揺れにあり、それはオーケストラに対して感応的・機動的な操舵が織り交ぜられているように感じます。このうち第4番は第1楽章冒頭から特に集中力に満ちており一聴の価値あるものと思います。

[2016年7月2日]

◆スクロヴァチェフスキ(Stanisław Paweł Stefan Jan Sebastian Skrowaczewski, 1923~2017年)

スクロヴァチェフスキはポーランド生まれ、ザールブリュッケン放送響でブルックナー交響曲全集を完成させました。

番別の取り上げは、第00番(2001年3月6~10日)、第0番(1999年3月22~25日)、第1番(リンツ版、 1995年6月13~18日)、第2番(1877年版第2稿、1995年6月13~18日)、第3番(1889年版、1996年10月)、第4番(1886年ノヴァーク版、1998年10月25~28日)、第5番(1996年5月31日~6月3日)、第6番(ノヴァーク版、1997年3月3~4日)、第7番(1885年ノヴァーク版、1991年9月27、29日)、第8番 (ハース版、1993年10月8、9日)、第9番(1894年原典版、2001年1月12~18日)となっています。

ブルックナー愛好家の特色は、一種の判官贔屓(レパートリーの広い大家よりもブルックナーに“強い”指揮者を好む)、来日演奏家への関心(いわゆる「畢生の演奏」をやった人)、年配者への敬意といった傾向があるように思いますが、この3要素をスクロヴァチェフスキは見事に満たしています。

【第2番】

ブルックナー:交響曲第2番(ザールブリュッケン放送響/スクロヴァチェフスキ) 第2番 ザールブリュッケン放送響 1995年6月13~18日 アルテ・ノヴァ BVCE-38029

聴いていて、根強いファンがいる理由がよくわかります。きめ細かい周到な解釈で、オーケストラを縦横にコントロールして渋い良さを引き出しています。76才の老練なブルックナー指揮者として充実した演奏です。朝比奈隆や訪日組ではマタチッチ、レーグナー、ケーゲルなどの系譜を継いで、スクロヴァチェフスキも日本で多くファンに親しまれました。

この第2番も自然体の良い演奏で、アクがない素直さが持ち味です。難を言えば淡泊すぎて突出した個性が乏しいことでしょうか。レーダーチャートで分析すれば、どの要素も平均をはるかに超えていますが、ここが一番といったところが際立ちません。しかし、そうした演奏スタイルがあってもよいと思います。たとえば同じ第2番でショルティ盤と聴き比べると、キュッキュと締めた演奏のショルティに対して、オーケストラを無理なく緩めにコントロールしているスクロヴァチェフスキの姿が浮かび上がりますが、これはこれで駘蕩とした雰囲気があります。

[2012年4月6日]

◆レーグナー(Heinz Rögner:1929~ 2001年)

レーグナーは、ライプツィヒに生まれで、ゲヴァントハウス管、シュターツカペレ・ドレスデンなどで振ったあと、1958年、ライプツィヒ放送響の首席指揮者、1962年ベルリン国立歌劇場の音楽監督、1973年ベルリン放送響の首席指揮者にそれぞれ就任しました。親日家でも知られていました。

ブルックナーではベルリン放送響との演奏が残っています。交響曲のほかミサ曲第2番(1882年第3稿)、テ・デウムなどの録音もあり得意の演目です。旧東ドイツ出身という点ではテンシュテット、マズアなどと共通し、近代的な機能主義とは少しく異なる良きロマンティシズムも感じさせます。

第4~9番 ベルリン放送響 第4番  1983年7月、1984年11月 ベルリン放送局 SRK 1 第5番  1983年9月、1984年1月  ベルリン放送局 SRK 1 第6番  1980年6月17~19日   イエス・キリスト教会 ベルリン 第7番  1983年5月、8月     ベルリン放送局 SRK 1 第8番  1985年5月、7月     ベルリン放送局 SRK 1 第9番  1983年2月9~12日    ベルリン放送局 SRK 1  Berlin Classics 0271BC

【第4番】

第4番(ノヴァーク版第1稿)では、疾駆感とダイナミズムが特色的です。一方で全楽章のさまざまな音楽シーンにおいて、それ以外の要素は制御されているようです。早業の剣技よろしく、むしろ抒情性を封じ込めたような独特な演奏です。その思い切った解釈をどう評価するかは難しいところですが、小生はこの疾駆感は、リスナーをけっして飽きさせず面白いと思う一方、原曲の指示は、第1、第3、終楽章ともにくどくも“ nicht zu schnell”(速すぎずに)であり、この速さゆえに複雑なニュアンスがやや減殺されていないかどうかは気になるところです。

【第5番】

原典版の演奏です。録音の技法もあるのでしょうが、ベルリン放送響の重たい低弦と声量の大きな管楽器を存分に押し出し、スケールの大きなブルックナー・ワールドを表現しようとしています。第4番と比べると要所要所で緩急をかなりつけていますが、全般にはきびきびとした運行です。特に駄演だとダレがちの第2楽章では、情感はややうすいものの緊張感をうまく持続しています。第3楽章は躍動感にみちており明るい表現に好感をもちます。折々のおどけたような、はにかんだような表情も可笑しく、こうした機微の濃やかさは彼の第6番の名演に共通するものです。終楽章では、大上段から打ち下ろすような迫力です。

【第6番】

かつてのカラヤン盤がそうであったように、教会での収録により残響がながく美しく響き、独特のブルックナー・サウンドを形成しています。これが第6番(原典版)緩徐楽章のもつ抒情性とよくマッチし聴いていて思わずその端麗な音楽に引き込まれます。他の番にくらべて際だった個性は表にでませんが、演奏の格調は高く実に魅力的な演奏です。

第7番】

ハース版の演奏です。清々しい出だしで、磨き込んだ弦楽器の高音域が心に浸み、それに木管のよく訓練された響きがかぶってきます。並々ならぬ気構えを感じさせる第1楽章では、低弦が控えめに寄り添いますが、管楽器は己の個性をときに堂々と主張します。レーグナーの場合、こうした展開は応用自在で、ブルックナー各番によって異なります。第4番の疾風迅雷に比べれば、第7番はイン・テンポ気味ながら、表情は豊かです。第2楽章前半はもっとテンポを落としてもいいのにとも思いますが、大家のブルックナーが一般に遅くなることへのこれはアンチテーゼでしょうか。短い第3楽章は波長がピタリと合っている印象でドライブ感も心地良く、その勢いのまま終楽章へ。ここでは重畳的な音が整然と響きます。

【第8番】

第8番(第1稿ハース版)は、一連の演奏の掉尾として収録されました。前半2楽章の速さと直線的なダイナミズム、後半2楽章のじっくりと構えたオーソドックスな演奏のコントラストが本盤の最大の特色でしょう。合奏の統一感とその残響の美しさにおいて、ブルックナー好きを唸らせるにたる見事なサウンドを提供してくれています。

しかし、前半2楽章のときに息せき切るような速さには賛否両論があるでしょう。一瞬もダルにさせない追い込み感からこの速度を良しとする見方がある一方、複雑で分析的なブルックナー音楽の妙味がこの速度ではいささかなりと減殺されるとの見解もあると思います。

また、後半2楽章ではテンポを緩め、ボキャブラリーを豊富に盛ろうとしていますが、前半とのコントラストが強すぎて、やや忍耐を要します。レーグナーのブルックナー解釈には基本的に共感するものの、全4楽章ともイン・テンポでも十分に良い演奏なのにと思うのは小生だけでしょうか。

【第9番】

第1楽章の遠雷が徐々に近づいてくるような出だしは、その複雑な音型と不協和音によって現代音楽の幕開けを連想させます。それが時代を遡るように古典的なメロディに回帰し、さらに両者がその後交差する。この不思議な音楽空間を、遅いテンポのなかでレーグナーはあるがままに周到に浮かび上がらせています。見事な演奏だと思います。

[2017年2月7日]

◆シュタイン(Horst Stein, 1928~2008年)

ホルスト・シュタインは1986~87年のドイツ滞在中、2回のビッグ・プロに立ち会いました。夏にはバイロイト音楽祭で『マイスタージンガー』を、冬にはハンブルクの教会で『ドイツ・レエクイエム』を聴きました。どちらも大変優れた演奏でした。

ホルスト・シュタインは、クナッパーツブッシュの故郷、ラインラント地方の都市エルバーフェルト(現在はヴッパータール市の一部)に生まれました。ケルン高等音楽院在学中は、これも同郷のギュンター・ヴァントに師事しました。 1951年にハンブルク国立歌劇場指揮者となり、翌年から1955年にかけてバイロイト音楽祭で、クナッパーツブッシュ、カイルベルト、カラヤンなどのアシスタントとして経験を深め、1962年に『パルジファル』を指揮してバイロイト・デビューを果たします。以降は、ベルリン国立歌劇場のカペルマイスター、マンハイム国立劇場音楽監督をへて、1970年から3年間はウィーン国立歌劇場第1指揮者を務めます。同年には、バイロイト音楽祭で『ニーベルングの指環』全曲を指揮して絶賛されました。1980年からスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督、1985年から1996年、病気のため辞任するまでバンベルク交響楽団の首席指揮者として活躍しました。

【第2番】

第2番 VPO 1973年11月 Decca UCCD-9528

 第1番で、ノイマン/ゲヴァントハウス管について、こうした名演に巡り合えるのがブルックナー探訪の楽しみと書きましたが、第2番に関しては、シュタイン/ウィーン・フィルの本盤(ハース版)について同様な感想をもちます。

 これもノイマン盤のよく伸びる音と共通しますが、当時のDeccaの録音技術の高さもあって、第2楽章を典型に全編にわたって、馥郁として美しく拡散するウィーン・フィルのサウンドを満喫できます。演奏そのものは力感に富み緊張感にあふれています。

 また、ショルティ/シカゴ響の初期録音(第0番~第2番)と同様、シュタインの手にかかると本曲の構造的な弱点などは一切、感じられません。表情付けはやや濃いめですが、テンポを巧みに操りながら、オーケストラを縦横に動かし、第1楽章終結部や第3楽章など、思い切ったメリハリでブルックナーらしい強奏も展開します。

シュタインの師、クナッパーツブッシュは第3番を得意とし、いまもウィーン・フィルとの名演(1954年4月、ウィーン楽友協会大ホール Testament SBT1339)は聴き継がれていますが、残念ながら第2番の録音は知られていません。そこを意志をもって補完するような熱演で、第4楽章の迫力は低弦の使い方の妙もあって見事なものです。随所でみられるオーケストラの大胆な操舵法には、往時のクナッパーツブッシュ流儀も垣間見える気もします。それを受け入れて実力全開で対応するウィーン・フィルの臨場も驚きで、シュタインの音楽づくりに共感しているからでしょう(ふたたびショルティの名前がここで思い浮かびます)。

第2番では最近、ムーティとのライヴ盤がでましたが、ウィーン・フィルの第2番や第6番のセッション録音はシュタイン盤がいまも最右翼です。

◆サヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch, 1923~2013年)

サヴァリッシュは、ミュンヘンに生まれ、第7章で取り上げたハンス・ロスバウトに師事しました。ロスバウト流の緻密なアプローチに特色がある一方、オペラ指揮者としても著名です。33才にして史上最年少指揮者としてバイロイト音楽祭に招かれたことはその証左でしょう。ベーム亡きあとR・シュトラウスの第一人者としても有名でした。

サヴァリッシュは、親日家で何度も来日し多くの素晴らしい成果をN響と残してくれましたが、日本では、あまりに人口に膾炙しすぎたせいか、かえって有り難みが薄れているようにも感じますが、欧州ではまぎれもない巨匠でした。

本集ではブルックナーでのサヴァリッシュの端整なアプローチが魅力です。

第1番、第5番、第6番、第9番 バイエルン国立管 第1番 1984年10月 ミュンヘン大学 第5番 1990年 9月、1991年3月 ミュンヘン大学 第6番 1981年10月 ミュンヘン大学 第9番 1984年12月 ミュンヘン大学 Orfeo C957188DR

【第1番】

サヴァリッシュ/バイエルン国立管弦楽団の演奏です。ブルックナーの第1番は、ブルックナーがリンツで初演し、その稿であるリンツ版とその後、ほぼ四半世紀をへて作曲者自身が大きな校正をくわえたウィーン版(作曲者晩年の1890/1891年改訂)があります。

サヴァリッシュは、1865/1866年リンツ版による演奏で、慣れ親しんだバイエルン国立管と息がぴたりと合っていて安定感があります。楽章別の演奏時間が版によって相当違いますが、若きブルックナーの並々ならぬ交響曲への意欲を感じるという意味で小生はリンツ版が好きです。サヴァリッシュのブルックナー音源のなかでも、この第1番は名演の誉れの高いものです。

【第5番】

第5番(初稿版)は、1990年 9月28~29日、1991年3月18~20日にかけてミュンヘンでセッション収録されたものです。

いかにもサヴァリッシュらしい重厚で整然たる演奏です。R.シュトラウス演奏を得意としたサヴァリッシュは、弦楽器と管楽器のパワーバランスを常に絶妙に保つことが特色の一つです。どちらかがけっして突出することなく、音の融合とクリアな各楽器の出番を完全にコントロールしながら、ブルックナー・サウンドを緻密に組み立てていきます。

第2楽章、緩徐楽章の充実ぶりを耳にすれば、この演奏に臨むサヴァリッシュの意気込みがよくわかります。一切の虚飾を排した純音楽的に磨かれたサウンドは豊饒で美しいものです。

しかし一方で、全般に遅めで安定したテンポ設定のなか、ときに滾るようなブルックナー特有のパッションもまた抑えられているようにも感じます。第4楽章ではやや大人しめの印象も残ります。

【第9番】

1887/1894年初稿版による演奏です。第1楽章、音は過度に重くならず、テンポはやや速めでリズムは軽快です。一方、ハーモニーの美しさが際立ちます。安寧と諦観がないまぜになったような主題の表現には深みがあります。木管楽器の囁きが効果的で、金管は抑え気味ながらメロディは明瞭に奏でられます。これらの構成要素がひとつになった終結部には演奏の完成度とともに、なんとも格調の高さを感じます。

第2楽章、演奏スタイルは変りませんが、テンポが上がり、リズムの刻み方がより鋭角的になります。いわば、贅肉部分の一切ない筋肉質な演奏といった印象です。ここでは、全体のバランスは均質に保ちながら一気に駆け抜けるような爽快感があります。

終楽章は減速して表現の濃度を高める演奏も多いですが、サヴァリッシュも同様なアプローチは意識しているようです。しかし、基本線はきっちりと守られ、室内楽的ともいえるハーモニーの美しさが一層追求されています。但し、本楽章の特質ですが、表現はモノトーンではなく複雑さを増していきます。不安な不協和音は、以降の現代音楽の前触れといった感じがある一方、古典的な均整あるフレーズが折々篝火のような揺らめきも見せます。サヴァリッシュは細部に目配りしながら、丹念に丁寧にこうした特徴を浮き彫りにしていきます。エンディングには静かで充実した感動があります。

[2019年6月23日]

ブルックナー・コラムⅫ

<作曲家シリーズ> ワーグナー(3)    ブルックナーのワーグナーとのコンタクト状況をピックアップすれば、以下のようになります。 年代(ブルックナー年令)  主要事項 場所 1863年(39才) 『タンホイザー』を聴く  リンツ   1864年(40才) 『ローエングリン』を聴く リンツ     1865年 (41才) ワーグナーとはじめて会う  『トリスタンとイゾルデ』の第3回上演を聴く 『さまよえるオランダ人』を聴く ミュンヘン  ミュンヘン リンツ 1868年(44才)  『マイスタージンガー』の終結部合唱初演  『マイスタージンガー』初演を聴く フロージン ミュンヘン  1873年 (49才) 第3シンフォニー:ワーグナーが献呈受諾 アカデミー・ワーグナー協会入会  バイロイト ウィーン   1874年(50才) 第3シンフォニーの献呈   1875年(51才) ワーグナーのウィーン訪問で会う ウィーン 1876年(52才) 『ニーベルングの指輪』初演を聴く バイロイト  1882年(58才)  『パルジファル』初演を聴く バイロイト 1883年(59才) ワーグナー没 バイロイト訪問   ウィーン バイロイト 1884年(60才)  ワーグナー協会名誉会員になる バイロイト訪問 ウィーン バイロイト (出典)高辻知義(1986)『ワーグナー』岩波新書,p.4.から作成    ブルックナーにとって、バイロイト詣でを含め、ワーグナーとの関係がいかに大切であったかがわかります。また、『マイスタージンガー』の終結部の合唱の初演は全曲の初演に先だってワーグナーが特別に許可したもので、ブルックナーにとってはワーグナーからの信頼を勝ち得た証でもあり、大変喜んだことでしょう。  『マイスタージンガー』は、ブルックナーにとって尊敬するワーグナーに対して名誉ある役目を果たしたという歴史的な意味において、他のワーグナーの作品とは異なった重みがあったと思います。  『ニーベルングの指輪』は1876年8月13日から17日にかけてバイロイトで初演されますが、第3シンフォニーをワーグナーに献呈したブルックナーは招かれてこれに参列しています。 ところで、敬虔なカトリック教徒の彼はGoetterdaemmerung『神々の黄昏』という含意をどう受け取ったことでしょうか。それともワーグナーには心酔しつつも、その標題音楽には結果的に与しなかったブルックナーは純音楽的にプロ作曲家としてこれを読解したのでしょうか。  9年後の1885年8月25日にブルックナーは第8シンフォニーの草稿を仕上げ、「聖フローリアンの守護聖人である聖アウグスチヌスの日、彼は、この新しい交響曲の幾つかの動機を、ワーグナーの『神々の黄昏』の中の幾つかの主題と織り合わせて、聖フローリアンの修道院聖堂において壮大なオルガンの即興演奏により公表した」(シェンツェラー,H.(1983)『ブルックナー』山田祥一訳,青土社,pp.117-118)。      ブルックナーの心の深奥に『神々の黄昏』は受容され、それがオルガン曲のなかに融合された瞬間でした。ワーグナーは『パルジファル』のバイロイト以外での上演を禁止し、特別な楽劇として「舞台神聖祝典劇」というタイトルをつけました。また、聖金曜日の奇跡を扱う題材であることからその前後に上演されることが多いといわれます。  ブルックナーはバイロイトでの初演に参列し、これがワーグナーとの永久の別れとなります。また、リストの葬儀では『パルジファル』の主題によるオルガンの即興演奏を行ったと伝えられています。ブルックナーにとっては、ワーグナーとの惜別の曲『パルジファル』を主題とし、ワーグナーの師リストを偲ぶ場でこれを演じることは、大きな意味があったのかも知れません。   <参考文献:コラム(1)~(3)> ・ジャン・ルスロ(1979)『小説 ワーグナー』横山一雄訳,音楽之友社. ・ジョージ・R・マレック(1983)『ワーグナーの妻コジマ』伊藤欣二訳,中央公論社. ・遠山一行・内垣啓一編(1967)『ワーグナー変貌』 ・ローベルト・ミュンスター(1983)『ルートヴィヒ二世と音楽』小塩節訳, 音楽之友社. ・属啓成(1991)『リスト 生涯篇』音楽之友社.
カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

第11章 多彩なるブルックナー・ワールド

ブルックナーの演奏は多彩な広がりをみせています。本章では若干の拾遺をふくめて、いくつかの視点から、優れた演奏を取り上げてみたいと思います。

1.米国のハンガリアン・ファミリー

イタリアから米国へ渡った“イタリアン・マフィア”をもじって、第二次大戦後、全米の音楽界を制覇したのは“ハンガリアン・ファミリー”ではないか、と思っています。1960~70年代に名を上げた全米5大オケは、クリーヴランドにはセルが、フィラデルフィアにはオーマンディが、シカゴにはライナーが、そしてショルティがいました。また、その後、セルの鍛えたクリーヴランドで活躍したドホナーニもそのルーツからみてハンガリアン・ファミリーの一員です。

ショルティは1968年ウィーン・フィルと、セルは1970年にクリーヴランド管との来日公演でライヴに接することができましたが、いまも忘れ得ない思い出です。

さて、プロローグで述べたとおり、ハンガリー出身の指揮者は、米国においてブルックナーの交響曲の受容に寄与したという意味において、大きな役割を担いました。

 彼らに共通するのは、オーケストラを徹底的に鍛え上げ、

①各オーケストラの独自のサウンドを磨きこむ

②完璧なアンサンブルを追求する

③広範なレパートリーを有し聴衆を引きつける(ブルックナーはあくまでもその一つにすぎない)

点にあり、その前提として抜群の“品質管理”があります。しかし若き日は皆、相当な苦労もしています。特にオーマンディは渡米直後ニューヨークで餓死寸前まで困窮したともいわれます。芸は身を助すく。セルとショルティはピアノの名手でしたし、欧州に残り不慮に水死したケルテスやオーマンディはヴァイオリンを得意としていました。しかも彼らはすべて困苦、艱難をバネに、オーケストラの名ビルダーとして、それぞれの手兵を一流の楽団に育てあげるという偉業を成し遂げています。

 ハンガリアン・ファミリーにとっての悲劇は、欧州に残った秀でた後輩2人が早世したことでしょう。フリッチャイとケルテスはもしも40代で亡くならなければどんなにその後、実力を見せつけたことでしょうか。

 さて、ブルックナーについてですが、ショルティ、セル、ドホナーニは積極的に取り上げています。しかもそれはそれぞれに卓抜なものです。

◆ショルティ(Sir Georg Solti, 1912~1997年)

第0番 シカゴ響  1995年 London POCL-1679 第1番 シカゴ響  1995年  London POCL-1652 第2番 シカゴ響  1991年 London POCL-1326

ショルティは、ブダペスト生まれでリスト音楽院に学び、1961年コヴェント・ガーデン王立歌劇場音楽監督、1972~74年パリ音楽院管弦楽団総監督、1979~83年にはロンドン・フィル首席指揮者、そして1969~91年の長きにわたり、シカゴ交響楽団常任指揮者・音楽監督を務めました。                  

ショルティのブルックナーは、そのオーソドックスな解釈、均質で隙のない演奏で見事の一言に尽きます。小生は、特に、初期ブルックナーのショルティらしいすぐれた構築力は抜群の成果だと思います。第3番以降は他に名演も多いながら第0番から第2番までの3曲についてショルティ盤は座右のものです。

【第0番】

ショルティ/シカゴ響の演奏です(ノヴァーク版1869年)。ブルックナーの第0番のシンフォニーは、それ以降の交響曲作品に比べて、未成熟な印象は否めません。ショルティ自身、はじめは録音を考えていなかったようですが、全集録音の最後に、第0番のもつ意味を考え「よし、やろう!」と思ったようです。演奏は大変立派です。

 ショルティは一種の完璧主義者ですが、厳密なテキストの読み込みをへて、第0番の未成熟さをオケの合奏力で完全カバーしてしまったような演奏です。ショルティの意図が手兵のシカゴ響にビシッと伝わっているからでしょうが、ショルティならではの類い希なる「構築力」の見事さに舌を巻く演奏です。

 第0番において、頻繁な休止の後の再開時の緊張の継続、第2楽章などの美調のメロディの丁寧な彫琢、リズムの切れ味などにおいて傾聴に値するものです。

[2007年6月10日]

【第1番】

ノヴァーク版(リンツ稿)による演奏です。第0番同様、この第1番も原曲の難を補完するような立派な出来栄えです。

ショルティの場合、あまりに均一な品質から、作曲家別の個性が浮き立たないとの評もありますが、ブルックナーにおいても音づくりにむらがなく、決めどころの収まりはけっしてはずしません。かつ、メロディの美麗さをいつもながら際立たせています。第1番には作品としていささか生硬さがありますが、こうしたショルティの演奏の妙、均一な運行を得意とする特質がピタリと嵌っており、本曲の良さをリスナーに印象づけるすぐれた仕上がりとなっています。

[2017年11月30日]

【第2番】

初期ブルックナーにおけるショルティの明快な解釈は、後期の円熟に比し相対的に原曲の構造的な弱さを補完していると感じますが、第2番も軽快なテンポと明瞭な縁取りで飽きさせません。第2楽章はもう少し抒情的でもよいと感じるかも知れませんが、これも均一なバランス感覚ゆえでしょう。

◆セル(George Szell, 1897~1970年)

ブルックナー:交響曲第7番 第3番 シュターツカペレ・ドレスデン 1965年 Sony Classical SICC-460 第7番 ウィーン・フィル 1968年 Sony Classical SICC-461

セルはブダペスト生まれ、ウィーン音楽院に学び、1946~70年クリーヴランド管弦楽団常任指揮者でした。正規録音番もありますが、ここでは欧州凱旋ともいえる2つのライヴ音源を取り上げます。

【第3番】

1965年8月2日、ザルツブルク祝祭大劇場におけるライヴ音源です。注目は、セルがドイツ本場の伝統を守るシュターツカペレ・ドレスデンを振って、彼には珍しいブルックナーを取り上げていることです(なお、第3番はクリーヴランド管とのセッション録音もあります)。録音は1965年時点ということを考慮しても、音が平板でなんとも残念極まりないものです。これが条件のよいステレオ収録であったら、もっとセルらしい緻密な“音づくり”を実感できて感動を呼んだことでしょう。

それでも妙味はあります。シュターツカペレ・ドレスデンは優れたオケですが、やや田舎臭い野趣あふれるところに魅力があります(ブルックナーの音楽自体が、そうした傾向をもっています)。それが、セルの手にかかると、第2楽章が典型ですが、弦楽器セクションを中心にいかにも洗練された音に変じます。それに折々、迫力ある金管楽器が大きく被さってきます。第3楽章の律動感も楽しめます。音が過度に重くならず、よく整ったアンサンブルからは明朗な響きを引き出しています。終楽章も熱演ですが、録音のせいもあって、突き抜けるような迫力は感じません。収まり良くまとまっている感じです。シュターツカペレ・ドレスデンの弾けるような強奏をのぞむ向きからはやや物足りなさがあるかも知れません。しかし、アンサンブルが整序され、一瞬もダレない、格調の高さこそセルの持ち味とすれば、本盤でもそれは十分に看取できるでしょう。

[2019年3月3日]

【第7番】

              

1968年8月21日、ザルツブルク祝祭大劇場におけるライヴ音源です。1965年シュターツカペレ・ドレスデンで第3番を振って注目されたセルが、3年後、今度はウィーン・フィルで第7番を取り上げたのですから、当時の関心は高かったことでしょう。

録音は、音が平板で深みがなく、かつ音域のレンジも狭く良くありません。馥郁たるウィーン・フィルの響きが感じられず、その点感動は明らかに減殺されます。しかし、演奏そのものは立派です。リズミックさ、明朗さ、そして速度設定の巧さの3要素に加えて、弦楽メロディの磨き方にセルの技能が光ります。当時、クリーヴランド管はニューヨーク・フィルを抜いて“全米NO.1オケ”の評価をえており、ウィーン・フィルのメンバーもそのシェフたるセルとの共演は興味津々であったのではないでしょうか。

第1楽章は遅めの運行ながら、主題の提示は実に入念に行われます。落ち着いて、奇を衒わぬ、いかにもセルらしい解釈です。第2楽章は、冒頭からウィーン・フィルの美しく表情豊かなアンサンブルが前面にでます(録音が良ければ、もっとそれに酔えるはずですが)。この楽章、金管楽器はあくまでも弦楽器の奉仕役に徹すべしと指示がでているような、弦楽器と木管楽器主体の室内楽のような音楽が続きます。これはこれで徹底しており特徴的です。

第3楽章はリズミックさ、明朗さ、そして速度設定の巧さがもっとも典型的にでており、爽快感があります。終楽章も明燦さ、快速性を基調に、柔らかな音づくりに配慮しています。セルの場合、第3番も同様ですが、ブルックナーの巨大な音の構造物を期待すると肩すかしを感じるかも知れません。しかし、セルによって整序されたアンサンブルで聴くブルックナーの緩徐楽章は、なんとも格調高く美しいものでありそこが魅力です。

[2019年3月3日]

◆ドホナーニ(Christoph von Dohnányi, 1929年~)

第3~9番 クリーヴランド管 第3番:1993年6月、第4番:1989年10月、第5番: 1991年1月、第6番:1991年10月、第7番:1990年8月、第8番:1994年2月、第9番:1988年10月 OWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus PROC-1320

 ドホナーニもそのルーツからみて広い意味でハンガリアン・ファミリーの一員に入れてもよいかと思います。生まれ、音楽修行はドイツですが、1952年に大先輩たるショルティの指名により、フランクフルト歌劇場の助手となり、指揮者人生をスタートさせています。米国での活躍では、ショルティ/シカゴ響がブルックナー全集を録音し、クリーヴランド管の先達セルもすでに見たとおりブルックナーを取り上げています。そして、ドホナーニですが、ここではセルの伝統をさらに磨き上げたような精妙なるブルックナー・サウンドを聴くことができます。

【第3番】

1877年エーザー版を使用しています。この版ではクーベリックの名盤がありますが、本版を採用する指揮者は多くはありません。録音のせいか金管がややきつく響き、その点はいささか気になりますが弦楽器のアンサンブルはさすがに表情豊かです。手慣れた印象で全体にクセのないオーソドックスな演奏ながら最終楽章のダイナミクスの起伏は十分です。

【第4番】

1878/80年ハース版を使用しています。はじめはまずは穏当な演奏という印象ではないでしょうか。テンポは動かさず、弦楽器の上質な響きの伸びやかさ、きびきびとしたリズム感が心地よいです。しかし、聴きすすむうち次第に、そこに不思議な深さの感覚が芽生えてきます。譬えれば、水の透明度が高いので、コバルトブルーの海底まで光が通っていくような感じでしょうか。こうした独特の”音”がだせるためには大変な技量がいると思います。第7番とも共通しますが、ここではブロムシュテットの演奏との共有点を感じます。

【第5番】

ノヴァーク版使用です。分厚い音響でも濁りがなく、弱音部の透き通った美しさも格別です。全体構成のバランスにも配慮は十分で、無理のない自然の流れが意識されています。

速度設定やリズム感も恣意性が感じられず、細部にいたるまで文句のつけようのないきちんと整序された演奏です。その一方、終楽章フィナーレなど全合奏においても少しも崩れることなく迫力も十分です。

【第6番】

ノヴァーク版使用です。この曲の面白さは冒頭楽章において、いつもの”構え”をはずしたような天真爛漫さにあると思います。ブルックナーにおいて、定番の”原始霧”からの立ち上がりではなく、あっけらかんとした、活動的な第1楽章です。通例のブルックナーの交響曲だと第3楽章に置かれるような明快なフレージングを、ドホナーニの演奏では、それをこの第1楽章で演じてみせ、聴きどころの第2楽章へ繋いでいきます。一方、後半2楽章は、クレンペラーのように速度をあげてスッキリと仕上げていきます。内容の密度ではクレンペラーに比肩する出来栄えともいえましょうが、クレンペラーほど個性的ではありません。むしろ、あくまでも自然体で本曲の良さを十分に表現しようという意欲が伝わってきます。

 【第7番】

ノヴァーク版使用です。第4番同様、オーソドックスな解釈です。テンポは速めでやや可変的で、ときに管楽器のアタックが強く響きます。弦楽のアンサンブルの見事さともに、第3番と同様な印象をもちますが、これは収録ホールの残響のせいかも知れません。重要な第2楽章では、テンポを落とした表現には奥行があり、ドホナーニが自らのブルックナー像の提示に注力する姿が見えるようです。一見クールな印象のドホナーニですが、彼の内なる”ブルックナー”はときに温かな鼓動とともにあります。そして、もっとも大切なのは、途切れぬ緊張感を維持すること、そこを意識した演奏だと思います。

【第8番】

1890年ハース版使用です。クリーヴランド管とのチクルスの最後の録音です。

ブルックナーの交響曲演奏で重要なのは、内在する一定の<波動>をコンスタントに維持することですが、ドホナーニも当然、それは意識しているでしょうが、細部の彫琢に関心が寄せられるとき、ふっとそれが途切れるような気もします。ドホナーニと分析型アプローチの似ているシノーポリもこの<波動>の持続には配意していますが、比較においてはシノーポリは崩れていない印象で、そこに微妙な差を感じます。

【第9番】

録音は1988年10月で、このチクルスの最初の音源です。その後、 第4番:1989年10月、 第7番:1990年8月、第5番:1991年1月、第6番:1991年10月、少し間をおいて、第3番:1993年6月、最後に第8番:1994年2月の収録です。初録音のせいか録音態度もやや生硬です。全体に通底しますが、後年の演奏に比しても、とくに個々の楽器の音が実にクリアに録れています。それは神経質なほどのクリアさです。楽譜と見比べて聴くにはこれほど良いテキストはないのではと思わせます。また、最後の作品といったセンティメントこそ感じませんが、ドホナーニにしては、かなり気負った演奏という気もします。

さて、以上の総括です。小生が個人的に感じるブルックナー音楽の魅力は、抑えに抑えても噴き出すようなパッション(たとえばテンシュテット)だったり、演奏の途中で思わぬ展開に一瞬たじろく意外性(たとえばクナッパーツブッシュ)だったり、というトリッキーさにもあります。ベームのような堅牢な演奏でも、一徹にテンポを変えないという特色があり、逆にチェリビダッケでは、なぜここまで遅く演奏するのかという疑問符とともに最後まで思わず連れて行かれるといった一種の“はめ手”も感じ、それはそれで面白い要素です。

そうした点で、本盤はトリッキーさを意図的に排除しているように思います。こういう緻密なブルックナー演奏はいかにも現代的であり、後進にあたえた教則本的な意義は大きいのではないでしょうか。その意味で、好みは分かれるかも知れませんが、ドホナーニはまぎれもなき現代の巧匠の一人だと思います。

2.欧州での名指揮者

◆クーベリック(Rafael Jeroným Kubelík, 1914~1996年)

クーベリックは、晩年の母国チェコへセンセーショナルな帰還を行い、そこでのスメタナやドヴォルザークの名演は日本でも大きく取り上げられました。クーベリックは若き日からその才能を開花させ、ウィーン・フィルとのブラームス交響曲全集を収録するなど精力的な活動が注目されました。その後ヨッフムのあとを継ぎバイエルン放送交響楽団の常任指揮者に就任し欧州では大きな地歩を築きますが、来日が晩年までなかったこともあり、日本での評価はいまひとつだったと思います。

 なによりも、その禿頭の風貌を含め、フルトヴェングラーⅡ世といった風評が一部にあり、日本におけるフルトヴェングラー神話(”Ⅰ世”への異常な関心)が吹きやまぬ状況にあって、マスコミが勝手に冠した”Ⅱ世”の呼号のせいで、クーベリックはいつもその後景にあったといえるのかも知れません。

 しかし、その大きな音楽の造型性、深い精神性の表出と真摯な迫力に魅せられていたファンも少なからずいたことも事実です。ことブルックナーに関しては、第3番、第4番、第8番、第9番の録音がありますが、構成力の大きな格調高いものです。

【第3番】

ブルックナー:交響曲第3番 第3番 バイエルン放送響 1980年 レジデンス・ヘルクレスザール ミュンヘン Sony Classical SICC-261

エーザー版第2稿の演奏です。テンポは全般にかなり早く、そのうえでアゴーギクは相当大胆に用いられます。ブラームスはブルックナーの音楽は買っていませんでしたがドヴォルザークの「メロディ創造力」は高く評価していたといわれます。しかし、クーベリックの演奏を聴いているとブルックナーのメロディがドヴォルザークと二重写しで錯覚して聞こえるような気すらします。クーベリックの織りなすメロディは生気に満ち実に溌剌としています。個々のメロディに愛着をもって音楽を再現している姿が眼に浮かぶようです。弦や管の各パートも、自由度のあるテンポで情感たっぷりにメロディを奏でているように聴こえますが、それでいて全体のバランスや統一感はきりりと引き締まっています。こんなにも胸に迫るメロディが満載された曲だったのかと思う一方、弛緩された部分は一切ありません。これぞ音楽に熱い「血のかよった」クーベリック・スタイルなのかも知れません。

[2007年5月3日]

クーベリックはヨッフムの後任として、1961~78年の長きにわたって、バイエルン放送響を指導しました。本盤に加えて第4、6、8番はその最高の成果の一つでもあります。

◆アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt,  1929~2016年)

【第3番】

Bruckner;Symphony No.3 第3番 ロイヤル・コンセルトヘボウ管 1994年12月 Teldec WPCS-11983

ブルックナーの第3番は、作曲者自身によるウィーン・フィルとの初演が大失敗で不幸な生い立ちをもった曲です。大改訂が1876~79年にかけて行われます(第2稿)。さらに、これでもブルックナーは満足せず、1890年に再度の改訂(第3稿)を行い、リヒター/ウィーン・フィルで演奏され大成功、ここで雪辱を果たします。よって、通常は第3稿の演奏が多いのですが、アーノンクールはあえて中間改訂のノヴァーク版第2稿を採用しています。

 管楽器のメロディも通常と微妙に異なり、またティンパニーの使い方なども独特で、ブルックナーに親しんだリスナーは「エッ、これが第3番!どこか違う」とはじめは思われるでしょうが、これはこれで聴き慣れると面白いですし、コンセルトヘボウの演奏自身は立派です。アーノンクールのややアクの強い演奏が嫌いでなければ、2枚目以降の第3番のチョイスに加えても損はしません。

[2006年6月6日]

◆アバド(Claudio Abbado,  1933~2014年)

アバドは、ミラノ出身で、ミラノとウィーンで音楽を学び、1960年にミラノ・スカラ座にデビューします。その後、ウィーン国立歌劇場の音楽監督などをへて、ベルリン・フィルでカラヤン後任として芸術監督を務めました。日本にもたびたび訪れ、2003年には「高松宮殿下記念世界文化賞」を受賞しました。

アバドのブルックナーでは、第1、4、5、7、9番について、1990年代ウィーン・フィルとのデジタル・セッション録音を聴くことができます。また晩年、ルツェルン音楽祭でルツェルン祝祭管弦楽団を振ってのライヴ録音もあります。

【第1番】

Bruckner: Symphony No.1 第1番 VPO 1996年1月 ウィーン(ライヴ)       DG Deutsche Grammophon UCCG-4170

1866年リンツ稿での演奏です。白熱の演奏でウィーン・フィルは実に巧く、「ブルックナーってこんなに面白かったのか」といった新たな発見があるかも知れません。

 しかし、これは何度も聴くには問題があります。フレーズにやや装飾的処理があり、はじめは新鮮、驚きをもって惹きつけられますが、繰り返し聴くとこの部分の作為性がいささかならず鼻につきます。

 CD付録の解説書を読むと、ヨッフム、ノイマンそして、カラヤンらに比べて、アーティキュレーションの技法に工夫があり、「アバドはアーティキュレーションのあり方を、音楽の進行(未来)に対して千変万化させる。それによって生まれる音楽の息づき方は、かつて出会ったことのないしなやかさを獲得する」と賛美、分析しています。この指摘自体は聴いていて得心できる部分はありますが、しかし、それをもって、「カラヤンの手法にくらべて、ポリフォニーが個々の楽器ごとに際だつことが、ブルックナー解釈の新たな行き方」だとするのはどうかなとも思います。

 そこで、アバドを聴きおわったあと、比較の対象になっているカラヤンの1番を取り出します。果たしてどちらが、長期、反復的なリスニングに耐えうるのか・・・。小生は、カラヤン盤であると思います。この第1番はサラリと処理し、全集のための消化試合といった穿った見方もありますが、完璧主義者で、あれだけ音楽に拘りのあるカラヤンが、大切なブルックナーでそんな安易な対応をするはずはありません。カラヤン盤では、弦楽器のアンサンブルが前にでて、木管のメロディの浮き彫りがこれに重なり、金管は距離をおいて抑制されたバランスで響きます。アバド盤のように、金管は熱く目眩るめく鳴ってくれ!というリスナーの要望は少しく裏切られるかも知れません。しかし、このある意味、禁欲的なブルックナーでは、硬質な初期ブルックナーらしさ(といっても何度も改訂をしているのでいわゆる「初々しさ」とは別物ですが)を看取できます。

 一方、アバド盤の熱気は若きブルックナー・ファンには受けると思います。しかし、俗にいう、おもちゃ箱をひっくりかえしたような矢継ぎ早の個々の楽器パートの次から次への投入は、4Dオーディオといった録音技術で一層倍加され、面白いけれどもブルックナーが本来、伝えたかったであろう素朴なメッセージを背後に隠してしまうように感じ、ここには、地味な内容の本を派手な装丁で売っているような違和感があります。

 それが、同じ第1番や第5番において、晩年のルツェルン祝祭管弦楽団とのライヴでは、そうした技巧的な要素が一切洗い流されているように感じます。

ブルックナー・コラム ⅩⅢ

ウィーン・フィル   ウィーン・フィルの設立時期を、ほかのメジャーオケとの前後関係で見てみましょう。   ≪ウィーン・フィルの創設と特色≫   1448年 デンマーク王立管弦楽団 1548年 ドレスデン・シュターツカペレ 1742年 ベルリン・シュターツカペレ 1743年 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 1772年 サンクトペテルスブルク・フィルハーモニー交響楽団 1828年 パリ音楽院管弦楽団 1842年 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1842年 ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団 1881年 ボストン交響楽団 1882年 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1888年 ロイヤル(旧アムステルダム)コンセルトヘボウ管弦楽団 1891年 シカゴ交響楽団    ウィーン・フィルを創設したのは、オットー・ニコライ(1810~1849年)でした。彼が初代の指揮者ですが、それ以降、第二次世界大戦までの主要な指揮者のバトンタッチは以下のとおりです(括弧内は在籍年数および登壇回数)。   カール・ニッケルト、オットー・デソフ、ハンス・リヒター(23年、定期演奏会数243回)、マーラー、フランツ・シャルク(30年、171回)、リヒャルト・シュトラウス(85回)、ワルター(154回以上)、ワインガルトナー(19年、420回)、フルトヴェングラー(330回)など。なお、トスカニーニもこの間、通算46回の登壇となっています。   中野雄(2002)『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』文春新書.は、音楽ファン向けの好著です。著者は『丸山眞男 音楽との対話』(2001)文春新書.では、丸山眞男氏が政治思想史とともに、いかに深く音楽を愛し研究していたかを多くの事例をあげて鮮やかに浮かび上がらせました。これはテーマ上、やや固い印象の労作ですが、続編ともいえる本書では、一転、むしろ名エッセイストとでもいうべき筆致で、並みいる強豪をまえに、ウィーン・フィルが他の追随を許さぬ独自の地位を築いていく「秘密」を多角的に分析しています。ときに軽妙に、ウイットとエスプリを程よく加味してウィーン・フィルの魅力を伝えています(以下の引用部分は本書からの抜き書きが中心です)。    ウィーン・フィルは「ウィーン(という土地で)の、ウィーン(人)による、ウィーン(に関係する作曲家)のための」オケであり、オーストリアが育んだ作曲家(オーストリア生まれでなくともよいが、ウィーンで活動することは暗黙の了解)の作品を取り上げることが目的とされて旗揚げされたようです。よって、そのメイン演目は、モーツアルト、ベートーヴェン、ブラームスらであり、特に、ベートーヴェンの諸作品はその中心におかれました。  1842年3月28日の記念すべき第1回演奏会での演目は、ベートーヴェンの第7シンフォニーとレオノーレ第3番ほか全9曲であり、第3回の1843年3月19日の演奏会ではベートーヴェンの第9シンフォニーを取り上げ、これが大きな反響を呼び、1週間後のベートーヴェンの命日に再演をしました。スタートアップ期を超えて1860年から年4回の定期演奏をもつようになりました。   ≪ブルックナーの交響曲初演≫   ウィーン・フィルによって初演されたブルックナーの交響曲は以下のとおりです)。 番数  初演年          指揮者 第1番 1891年 ウィーン稿  ハンス・リヒター 第2番 1873年        ブルックナー 第3番 1877年        ブルックナー 第4番 1881年        ハンス・リヒター 第6番 1899年 全曲     マーラー 第8番 1892年        ハンス・リヒター 第9番 1903年 改訂稿    レーヴェ  (出典)『ブルックナー 作曲家別名曲解説ライブラリー』(1993)音楽之友社.   第0番、第5番および第7番以外の初演はウィーン・フィルによって行われました。このように、いかにウィーン・フィルがブルックナーの交響曲の発表主体として重要であったかは一目瞭然です。    ウィーン・フィルの活動が軌道にのってきた頃、ブルックナーはオルガニストから本格的な作曲家としてのデビューの途上にありました。幾多の紆余曲折ののち、結果的にブルックナーはウィーン・フィルとの関係を深めていきますが、見方を変えれば、ウィーン・フィルは「十八番」のベートーヴェンのほかに、興業的にみても「新作」を求めていたといえるかも知れません。年令的には、いささかとうが立っていますが、ブルックナーも作曲家としては「新人」であり、ウィーン・フィルでの採択は、その登竜門。そう考えると苦労も仕方なかったのではないでしょうか。    1969年2月21日から26日にかけて、「125周年記念ウィーン・フィルハーモニー展」が西武百貨店池袋店7階ファウンテンホールで行われました。3度目の来日コンサート(ウィーン・フィルをはじめてライヴで聴いたのはこの時でした。ショルティのエネルギッシュな指揮もさることながら、ボスコフスキーの優雅で自信に満ちた身のこなしが粋でした)のための記念イベントの一環でしたが、そこにはブルックナーに関係する貴重な資料も出展されていました。     日付                 内容 ①1873年10月27日 ウィーン・フィルへ第2番献呈についてブルックナーからの手紙 ②1875年8月1日   ウィーン・フィルへ第2番演奏要請についてブルックナーからの手紙 ③1875年10月3日  ウィーン・フィルからブルックナーへ第2番の献呈受諾について(未発出) ④1885年10月    ウィーン・フィルへ第7番演奏見合わせ要請についてブルックナーからの手紙 ⑤1886年3月25日  ウィーン・フィルへ第7番演奏についてブルックナーからの手紙 ⑥1890年12月22日 ウィーン・フィルへ第3番改訂版初演についてブルックナーからの手紙 ⑦1891年12月16日 ウィーン・フィルへ第1番初演についてブルックナーからの手紙 ⑧1892年12月21日 ウィーン・フィルへ第8番初演についてブルックナーからの手紙 ⑨             第8番の総譜(ブルックナーのサイン入り) ⑩             ワーグナーの肖像入りのマッチ箱(ブルックナーの遺品) (出典)「125周年記念ウィーン・フィルハーモニー展」目録集(1969)から作成    いかにブルックナーが、この気位の高いオーケストラとの関係で苦労をしていたかを知る貴重な資料ですが、涙ぐましい努力です。    さて、ブラームスも自主運営能力の高いウィーン・フィルとの関係では相当に汗をかいていました。ウィーン移住後7年後の1869年にセレナード二長調の作曲者自身による指揮での再演に際して、ウィーン・フィル(のメンバーの一部)はこの演奏を拒否し、ブラームスは激怒。一応の和解ののちのブラームスが練習再開の際、楽員に向けての発言を本書から引用します。  「あなた方は私の作品の演奏を拒否されました。あなた方が私の曲をベートーヴェンのそれと比較してそのようなことをおっしゃるなら、『あのような高さにある作品は二度と創造されることはないであろう』と申し上げるほかないでしょう。しかし、私の作品は、私のベストを尽くした芸術的信念から産み出されたものです。この曲が、あなた方の演奏に値しないものでないことを、ぜひ、お解りいただきたい」(p.140)   ブルックナーが、3回ものウィーン・フィルの演奏拒否のすえ、足かけ3年をへての改訂ののち、なんとか初演に漕ぎ着けた第3シンフォニーで生涯最大の辛酸をなめるのはこの8年後のことでした。    <参考資料> ・「125周年記念ウィーン・フィルハーモニー展」目録集(1969). ・オーストリア友の会編『ウィーン・フィルハーモニー』(1973)三修社. ・『ブルックナー 作曲家別名曲解説ライブラリー』(1993)音楽之友社.  

(3)ロシアの名指揮者

◆ムラヴィンスキー(Evgeny Aleksandrovich Mravinsky, 1903~1988年)

吉田秀和『世界の指揮者』(1982)(初出1973年、文庫版 新潮文庫)では、ブルックナー関連でムラヴィンスキーについての分析が面白いと思います。第8

番の聴き比べを通じて、ムラヴィンスキーの演奏はフルトヴェングラーと共通点があるとの指摘のあと、次の文章が続きます。

 「・・・といっても、ムラヴィンスキーはフルトヴェングラーにくらべれば、ずっと『現代的』な音楽家であり、ロマンティックな趣は乏しく、細かなテンポやダイナミックな変化はずっと少ないのだが、それでいて、基本的テンポがこうであるために、そこにもやはりブルックナーの音楽の途方もない交響的拡がりは感じられなくはないのである」(p.106)。

 ムラヴィンスキーは1973年5月26日の来日公演をライヴで聴きました。ベートーヴェン:交響曲第4番、ショスタコーヴィチ:交響曲第5番でした。長身・痩躯の笑わぬ司令長官とその軍団(レニングラード・フィル)といった強烈な印象ととともに、音楽の凝縮力も凄まじく非常な緊張をしいられました。また、当時、上記文章は読んでいませんでしたが、もしもフルトヴェングラーが生きていたら、こんな感じかも知れないなと高校生ながら思いました。忘れ得ないコンサートです。

【第8番】

Bruckner;Symphony No.8 第8番 レニングラード・フィル 1959年6月30日 モスクワ Melodiya LC0316

モノラル・セッション録音(ハース版使用)で、音がくすんでいて悪く、この点は要留意ですが、ムラヴィンスキーは、独自のブルックナー演奏を世に示しました。ときに、空中にぐるぐると、とぐろをまいて渦巻き上昇していくような意志的な音の拡散を感じ、休止の処理も歯切れがよく鋭角的、スケールの巨大なブルックナー世界を構築しています。

パセティックで一瞬の弛緩もないピンと張りつめた演奏スタイルこそ、彼とレニングラード・フィルの最大の特色で、ブルックナーにおいてもこれは厳格に適用されています。レニングラード・フィルの管楽器とティンパニーなどの打楽器の大音量はかつてライヴで聴いてほんとうに圧倒されましたが、第8番ではむしろ低弦の分厚い威力を前面に感じます。

強音のエネルギーと、そののち変調したあとの、ときにクールにも感じる弱音の微妙な音調の交互に織りなす世界は、このオーケストラ特有の漆黒のような暗い響きとあいまって独特のブルックナー・サウンドを奏しています。

前半2楽章は緊迫感が支配し“ダレ”は一切ない一方、緩徐楽章の魅惑的なメロディの効果はかなり減殺されていますが(第3楽章)、その分強奏部の求心的で内燃的なエネルギーにあふれています。

第4楽章は、文字どおりの“鬼気迫る”展開です。磨きぬかれた弱音部も特有の緊張感をはらんでおり、それが勇壮なるファンファーレへいたると爆発的なエネルギーに転化されます。リズムの刻み方は深く鮮烈で、テンポ・コントロールは加速気味、オーケストラの各人がおそらくは真っ赤に顔面を染めて昂揚しながら全力で臨場しているさまが容易に想像できます。そしてムラヴィンスキー“司令官”のみが“全軍”を沈着冷静に指揮している点もまたしかりです。これほど巨大な音のアーチを築くフィナーレの演奏はそうはないでしょう。それは、この指揮者とオーケストラの伝説的なといってよい日頃の厳しい鍛錬による高度な演奏水準に負っているのでしょう。

 

◆ロジェストヴェンスキー(Gennady Rozhdestvensky, 1931~2018年)

全集(第00番、第0番を含む) Venezia  CDVE04240

ロジェストヴェンスキーは、ブルックナー指揮者としても有名です。ソヴィエト国立文化省交響楽団(現ロシア国立シンフォニック・カペレ)との全集(下表、1983~1986年 スタジオ録音)では、第00番、第0番、第2番はノヴァーク版、第1番はリンツ稿ノヴァーク版、第3番は第2稿エーザー版、第4番は第2稿ノヴァーク版、第5番、第6番および第9番は原典版、第7番、第8番はハース版によっています。

 ロジェストヴェンスキーは、この他にも第3番では、1889年第3稿、第4番ではレーヴェ+マーラー改訂稿、第9番では幻の第4楽章についてサマーレ+マッツーカによる1986年の復元版なども別に録音しており、異稿を同一演奏者で聴かせることで有名になりましたが、全集では自身のブルックナー解釈をもっとも自然に表現する版を選んでいるように感じます。

 この管弦楽団の特色でしょうか、前面に出がちな金管の大音響や、いささか情緒過多に聞こえる弦楽器の音色が気になるところもありますが、 残響は豊かで音楽の隈取りがくっきりとしており、佳演だと思います。ブルックナーに関する限り、ロジェストヴェンスキーも現代名指揮者の一人であることを実証した全集です。

【ロジェストヴェンスキーのブルックナー交響曲全集】

番数演奏版 (録音時点)備考 (作曲・主要な改訂等)
001863年原典版(N) 1983年録音作曲:1863.1-5/26(ノヴァーク版1973)
1869年原典版(N) 1983年録音作曲:(1863-64),1869.1/24-9/12(初版1924:ノヴァーク版1968)
リンツ稿(N)       1986年録音作曲:1865.1頃-1866.4/14、修正補筆1877、1884(ハース版1935、ノヴァーク版1955)リンツ稿 改訂:1890.3/13-1891.4/18(初版1893、ノヴァーク版1980)ウィーン稿
1877年稿(N)        1984年録音作曲:1871秋-1872.9/11(キャラガン版1990) 改訂:1873-76-77、修正補筆1892(初版1892:ハース版1938、ノヴァーク版1965、ノヴァーク版[ボンヘフト、キャラガン校訂]1997)
第2稿 エーザー版          1988年録音作曲:1872秋-1873.12/31(ノヴァーク版1977) 改訂:<第1稿>1872、1873 <第2稿>1874.1876初秋-1877.4/28(初版1878:エーザー版1950、ノヴァーク版1981) <第3稿>1888.3-1889.3/4(初版1890、ノヴァーク版1959)
第2稿(N)         1988年録音作曲:1874.1/2-11/22(ノヴァーク版1975) 改訂:1878.1/18-12月 <第2稿>1879.11/19-1880.6/5 <第3稿>初版1889[レーヴェ改竄編曲版]、ハース版1936、ノヴァーク版1953)
原典版      1984年録音作曲:1875.2/14-1876.5/16,1877. 5/16-1878.1/4、1878-87手直し(初版1896[シャルク改竄編曲版]、ハース版1935、ノヴァーク版1951
原典版    1984年録音作曲:1879.9/24-1881.9/3(初版1899[ヒュナイス改竄編曲版]、ハース版1935、ノヴァーク版1952
ハース版 1985年録音作曲:1881.9/23-1883.9/5(初版1885:ハース版1944、ノヴァーク版1954
1890年第2稿  ハース版   1984年録音作曲:1884.7-1887.8/10(ノヴァーク版1972) 改訂:1887.10-1890.4/10(初版1892[シャルク改竄編曲版]、ハース版1939、ノヴァーク版1955
原典版             1985年録音作曲1887.8-1894.11/30,1895.5/24-1896.10/11 <フィナーレ>(初版1903[レーヴェ改竄編曲版]:オーレル版1934、ノヴァーク版1951、サマレ・マッツーカによるフィナーレの復元版1986、サマーレ・フィリップス・マッツーカによるフィナーレの復元版1992、サマーレ・フィリップス・コールス、マッツーカによるフィナーレの復元版1996

(出典)http://www.geocities.jp/nob_miminy/hayami.html

門馬直美『ブルックナー』(1999年 春秋社)pp.224-235から引用・作成。(N)はノヴァーク版。備考欄は未定稿。

なお、ロシアの現代の指揮者では、小生はゲルギエフ(Valery Abisalovich Gergiev, 1953年~ )に注目しています。

ブルックナー・コラム ⅩⅣ

ハンスリック   ハンスリック(Eduard Hanslick, 1825~1904年)といえば、ブルックナーのファンにとっては知られた敵役です。しかし、彼の代表的な論文『音楽美論』(原題:Vom Musikalisch-Schönen/渡辺謙訳 岩波文庫 1960年)を読んでみると、少しちがった印象をもつのではないでしょうか。    ハンスリックはプラハ生まれでチェコ系のユダヤ人。はやくからピアノで音楽的な才能に開花するものの、ブラハ大学では法律を専攻し、またその一方で音楽評論を手がけていました。1849年法学のドクターの資格をえるとともに司法官試験に合格。1850年にクラーゲンフルトの税務署に勤務、その後、1952年にはウィーンの大蔵省に転任し、1856年にウィーン大学の美学および音楽史の講師、1861年に文部省の官吏からウィーン大学の助教授に転任、1870年にウィーン大学教授に昇進し、さらに1886年に宮中顧問官となり1895年に楽界から引退するまでウィーンでは音楽批評家として活躍しました。  この『音楽美論』は評論などをのぞけば、単著としては彼のデビュー作ですが、1854年大蔵省の役人時代に苦労して出版し、フランス、スペイン、イタリア、英語、ロシア語などに翻訳され彼の代表作になったものです。    ハンスリックの考え方は序言で簡潔にかたられており、①音楽は「感情を表現すべきである」という考え方の否定と、②「音楽作品の美は音楽以外の、音楽にとって異質的な思想範囲になんら関係なく、音の結合に内在している」ということです。そこで「音楽的に美なるもの(das Musikalisch-Schöne)とはなにかを解明しようとする試みが本書の意義であるとされます。序言の最後では痛烈なワーグナー批判をおこない、その音楽を「阿片陶酔」と言い切っています。  「音楽美」の内容の分析として、ハンスリックはベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲を例にとり、音符のシンメトリーな構造が聴き手に精神的な満足感をあたえることを説明します。  音楽の原要素は快音(Wohllaut)であり、音楽の本質はリズムである、とされ、さらにリズムとは「シンメトリーをもった構築の各部分が統一整合されていること」と「一定の時間尺度内の個々の構成要素が合法的に交代する運動」と定義されます。音楽の原料となる素材は楽音(Töne)で、ここに「旋律や和声やリズムに対する可能性が潜在して」おり、「旋律は音楽美の根本形体として無尽蔵であり、和声は無数の変転と転回と強化をもってたえず新しい基盤を提供する。リズムはこの2つを合して動き、音楽的生命の動脈となり、多様の音色の魅惑を色づける」と語られ、「音楽の内容は響きつつ動く形式である」と結論づけられます(pp75-76)。  さらに、この形式については、「音楽のように短期間にそしてまた多くの形式を使用しつくしてしまう芸術はないであろう。多くの転調、終止法、音程進行、和声進行等が50年はおろか30年の中に陳腐なものとなり、聡明な作曲家はそれらを利用できないことになり、つねに新しい、純音楽的な特性を作り出すように迫られる」(p.90)といった革新性を肯定します。  そこから古典的なシンメトリーに固執していては駄目で「音楽的な感性は常に新しいシンメトリックな形成を要求するのである」(p.100)と指摘します。  後段の部分では、心理学、生理学と音楽との関係にもふれ、音楽療法(「音楽の身体にたいする作用とこれを治癒目的のために使用する」p.123)といった可能性にも言及し博覧強記ぶりをアピールします。音楽と「自然美」との関係性や「哲学」的な意味での「形式」と「内包(Gehalt)」の関係性などもその後に取り上げられますが、こうした展開は、上記の考え方の枠内を繰り返し確認する作業のように思われ、そこからは新たな考え方の表出は乏しいように感じます。    さて、ハンスリックの以上の指摘からブルックナーははたして批判されるべき対象でしょうか。ハンスリックの矛先はもっぱらワーグナーの標題音楽、詩的なパッションに対して向けられていますが、ブルックナーの音楽については、一部のメロディの転用やアナロジーをのぞきワーグナーの音楽と異なっていることは明らかです。ブルックナーは、当時最高の音楽学者ジーモン・ゼヒター(1788~1867年)に弟子入りし30代後半の5年間にわたり、時には日に7時間も根を詰めて和声・対位法を研鑽したのち、はじめて本格的な作曲活動をはじめます。ブルックナーの交響曲のいささか煩瑣で度をすぎた場合すらあるといわれるシンメトリー性も多く指摘されるところです。そして、同時代からみたその独創性は、ヴォルフをはじめ多くのブルックナー支持者ですら、その真価を知るのに一定の時間を要したこともあるいは傍証材料かも知れません。  ハンスリックは、はじめブルックナーのミサ曲などを高く評価しさまざまな便宜をはかっていた時期もあります。愛憎紙一重で、ブルックナーのワーグナーへの傾倒と反比例して、ハンスリックの容赦のないブルックナー批判が展開されることになりますが、ブルックナーも多分読んだであろうこの『音楽美論』からみて、「どこが批判されなければならないのか・・・」、人知れずブルックナーは悩んだのではないでしょうか。    さらに、ハンスリックの言説をふまえレトリカルにいえば、この『音楽美論』こそ、皮肉にもブルックナーの音楽の素晴らしさを後生浮き彫りにする一つのテキストではないか、とさえ思えるのですが・・・。  

3.拾遺集

◆ブーレーズ(Pierre Louis Joseph Boulez, 1925~2016年)

ブーレーズを取り上げるのなら、なぜブルックナーの録音ではもっと実績があるマゼール(Lorin Maazel, 1930~2014年)やバレンボイム(Daniel Barenboim, 1942年~)などを取り上げないのかとの意見もあるでしょう。

まず、マゼールですが、彼は、ウィーン・フィルとは早くも1974年には第5番を、ベルリン・フィルとは1988年に第7番、1989年には第8番を録音しています。この時期は、カラヤンがウィーン・フィルとブルックナーの最後の録音をしている時期に重なります。さらに、その後、1999年の1月から3月にかけて、バイエルン放送響と第0番を含む全曲録音も行っています(フィルハーモニー・ガスタイクでのライヴ)。1993 ~ 2002年にかけてマゼールは、幾多の名演を紡いだこのオーケストラの首席指揮者の地位にありました。さらに、晩年の2012年9月には、チェリビダッケが手塩にかけたミュンヘン・フィルと第3番をライヴ録音しています。3つのメジャーオケを制覇して、バイエルン放送響とは全集まで録音をしているのですから、その実績は歴々たるものがあります。

バレンボイムについては、なんと3組のブルックナー交響曲全集を世に送りました。1972~81年にかけてのシカゴ響(テ・デウム、詩篇 第150番、ヘルゴラントを含む)、1990~97年にかけてのベルリン・フィル(ヘルゴラントを含む)、そして2012年に完結したシュターツカペレ・ベルリンとの全集です。

前人未踏の3度も全集を録音し、かつ、カラヤン亡きあとベルリン・フィルを従えてのブルックナー交響曲全集ですから、バレンボイムに衆目のまなざしが寄せられるのも当然でしょう。

さて、ここでの比較は最大のメルクマールたる第8番についてです。マゼール/ウィーン・フィルの第5番は、さすが大家らしい堂々たる演奏でした。一方、第8番ですが、前半2楽章の落ち着いた解釈には好感がもてますし、終楽章は一転、思い切り盛り上げます。しかしながら、第3楽章に耳をそばだてていて、ブルックナー特有の霊感(天から音楽が降臨するような感動)が乏しく、ここでは緊張が途切れます。音の磨き方はなんとも巧みなのですが、それがゆえにかえって、「音」に神経が向かい「音楽」の深部への心の共鳴をさまたげているようにも思います。

バレンボイムについてはベルリン・フィルとの第6番はその美しい和声がとても気に入りました。しかし、その後、期待とともに第8番を聴いて評価がかわりました。敢えて良さをいえば豪華な音、ピアニッシモの美しさでしょうか。第6番ではそれが魅力でしたが、精神の格闘技を演じるような第8番においては別です。ベルリン・フィルの場合、誰が振っても一定以上のレヴェルは示すでしょう。よって、第8番では「何を」リスナーに示すかが問われます。遅めの進行のなか、時にいささか不自然なテンポの緩急のつけ方にも納得できるものがありません。第3楽章に顕著ですが、テンポの改変によって、ふと求心力に空隙ができるような気すらします。その間、豪華で美しいメロディが流れていくので余計にそう感じます。バレンボイム盤にはブルックナーへの並々ならぬ熱意は感じます。しかし、曲想の大きな掴み方ひとつとっても、小生には最盛期のカラヤン/ベルリン・フィルとの差は歴然としているように思われます。

では、同じ第8番でブーレーズはどうでしょうか。

【第8番】

Bruckner: Symphonies No.8 第8番 VPO 1996年9月 ザンクト・フローリアン教会 ライヴ DG Deutsche Grammophon 4596782

ブルックナー没後100年記念として1996年9月、ザンクト・フローリアン教会でのウィーン・フィルとのライヴ録音(ハース版)です。それまでブーレーズがブルックナーを振った音源が一般に知られておらず、この記念すべきコンサートにブーレーズが起用されたこと自体、その話題性は十分でした。

ブーレーズはおそらく周到に準備をしたと思います。驚くべき解析力であり、さすがにスコアを読み尽くし音楽を再構成するという、自身も現代音楽の代表的な作曲家であるブーレーズならではアプローチの演奏です。

残響効果も巧みに計算に入れて全体構成を考えており、ウィーン・フィルの持ち前の木管楽器の最高水準の美しさは絶品です。その分、金管の咆哮はかなり抑え気味で(実際の臨場感は別で録音テクニックかも知れませんが)、全体のバランス感が見事に統御されています。

アゴーギクなどは抑制されほとんど感じないレヴェルです。いわゆる「激情型」とは無縁の理知的な解釈ながら、しかしクールな計算だけでない、音楽へのブーレーズ流の渾身の「入れ込み」が確実に伝わってきます。特に、テンポの微妙な変化、フレーズの絶妙な融合、両者のシンクロナイズ化によって、第3楽章では、休止や転調を区切りとする「局所変化」が多様でまったく飽きさせません。好悪はあるかも知れませんが、ブルックナーでもこうした「知的」演奏スタイルは実に有効といった見本のような立派な演奏です。

[2014年9月20日]

◆メスト(Franz Welser-Möst, 1960年~)

指揮者にとっても、還暦の年代を越えるかどうかはひとつの節目です。すでに見てきたベイヌムやシノーポリはそれ以前に大きな成果を残し、惜しまれつつも天に召されました。

現代、そうした年代の働き盛りの指揮者のうち、ボルトン(Ivor Bolton, 1958年~)、ホーネック(Manfred Honeck, 1958年~ )、ティーレマン(Christian Thielemann, 1959年~)、シモーネ・ヤング(Simone Margaret Young, 1961年~)らは、ブルックナー指揮者として確かな地歩を築いています。

特にドイツで活躍するティーレマンとシモーネ・ヤングは、ワーグナーの『指輪』の全曲録音を成し遂げ、ブルックナーも積極的に取り上げています。

また、ボルトンとシモーネ・ヤングは、ブルックナー交響曲全集をすでに収録していますし、ホーネックも最近、ブルックナーの録音で注目される指揮者です。そうした同世代の群像のなかで、小生が以前から期待しているが、メストです。

メストは、ブルックナーゆかりのリンツ生まれ。ミュンヘンで音楽を学び、1979年カラヤン国際指揮者コンクールで同国人のカラヤンに認められ19才の若さで衆目の関心の的となりました。いくつかの欧州の地方の管弦楽団で経験を積んだのち、1986年にロベス=コボスの代役としてロンドン・フィルを振って、これも同国人モーツァルトのレクイエムで大きな成功をおさめ、その後、テンシュテットの後任として弱冠30才でロンドン・フィルの音楽監督に就任します。

さらに、チューリッヒ歌劇場の音楽監督をへて、2002年には前述のドホナーニからクリーヴランド管弦楽団の音楽監督のバトンを受けます。この頃からオペラの演奏、録音も積極的に行い、2007年のシーズンではウィーン国立歌劇場でワーグナーの『指輪』を取り上げ、2010年からは小澤征爾の後任としてウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任しました。

ブルックナーは若き日から積極的に取り上げており、クリーヴランド管とのDVDの次のような選集もあります。

第4番(1888年版・ベンジャミン・コースヴェット校訂、2012年9月聖フローリアン修道院)、第5番(2006年9月 聖フローリアン修道院)、 第7番(2008年9月 クリーヴランド、セヴェランス・ホール)、第8番(1887年版・第1稿のノヴァーク校訂版、2010年8月 クリーヴランド セヴェランス・ホール)、第9番(2007年10月 ムジークフェラインザール 大ホール) 

小生がはじめてメストで聴いたのは第7番ですが、これは、ロンドンのプロムス・コンサートにおけるライヴで、音楽監督就任発表後の初レコーディングでした。ロンドン・フィルとの関係でも、マーラーとともにブルックナーを得意としたテンシュテットの後任という強い結縁があります。ここでは、第5番を取り上げます。

【第5番】

交響曲第5番変ロ長調 第5番 ロンドン・フィル 1993年 コンツェルトハウス ウィーン ライヴ WARNER MUSIC JAPAN TOCE-16120

 第5番はメスト33才の時の演奏です。カラヤンの第5番の「公式録音」は唯一ベルリン・フィルとのものですし、テンシュテットの同番の音源は知られていませんが、その二人の巨匠の空隙を埋めるように、この第5番は挑戦的に響きます。瑞々しく躍動し素直で聴きやすいサウンドです。ロンドン・フィルの音質は、ドイツ的なそれとは微妙に異なる「透明度」ですが、この明るさが第5番のもつ晦渋さをいささか緩和しているようにも感じます。ライヴならではの緊張感もありこの段階で大器を十分予想させるにたる佳演です。

この若き日の演奏を聴いていると、まず、カラヤン同様、同国人のブルックナーへの敬愛、あるいは母国作品に対して「己のテリトリーとしての矜持」があるのではと感じさせます。

[2013年2月2日]

◆ネルソンス(Andris Nelsons, 1978年~)

いま注目される新進気鋭の指揮者の一人がネルソンスです。ボストン交響楽団音楽監督とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団カペルマイスターを兼務するなど、米国、欧州双方での活躍に脂がのっています。しかも、彼は優れたブルックナー指揮者としても名乗りをあげています。

2016年からのゲヴァントハウス管とのブルックナー全集の録音は、新盤がでる都度、注目されています。

第3番 2016年1月 『タンホイザー』序曲

第4番 2017年5月 『ローエングリン』より第1幕への前奏曲

第7番 2018年3月 『神々の黄昏』よりジークフリートの葬送行進曲

第6番 2018年12月 ジークフリート牧歌

第9番 2018年12月 『パルジファル』第1幕前奏曲

ネルソンスのブルックナー・ラインナップは今後も続行されますが、ワーグナーの美しいメロディの曲とセットになっているのも特色です。このように、ワーグナーとブルックナーを「毎回」組み合わせて提示していくという方法論はいままでなかったアプローチです。冷静にして内省的な演奏で、音がまろやかに整えられ、かつ暗さがないのがネルソンス流です。全体に、管楽器の出番と音量はセーヴされていますが、自身が首席トランペット奏者であったことから、表情付けへの欲求は強いように思います。

【第4番】

Bruckner/Wagner: Symphony No 4 第4番 ゲヴァントハウス管 2017年5月(ライヴ)  DG Deutsche Grammophon 4797577

静謐ななか、歌劇『ローエングリン』第1幕への前奏曲が奏され、その消え入るエンディングからなんの違和感なく、ブルックナー第4番(ノヴァーク版1886年稿)の第1楽章冒頭の“原始霧”が立ちこめてきます。ここには密かな演出があると感じます。テンポをいじらず、落ち着き払った、そして弱音が美しくクリアな広がりをみせる独特の演奏スタイルです。強奏をきらい、あくまでも静かに内面世界にとどまろうとするかのようです。

それは第2楽章でも変わりません。弦楽器のハーモニーが一層磨かれ、主題の合奏は一糸乱れぬ統一感とともにあります。その一方で色調の濃淡づけも控えめで、上質な水墨画をみているような感覚すらいだきます。しかしこの嫋嫋たる雰囲気になじむと次第に心地よくなってきます。リズムの刻み方のうまさが隠し味になっているからでしょう。

第3楽章はそのリズム感が強調され全体としては躍動的ですが、管楽器は厳しく抑制されて、ファナティックさを回避して淡々とすすみます。終楽章、リズムはより生き生きと、テンポはやや可変的に、音量も次第に増していきますが、音のバランスはけっして崩さず、格調の高さが保たれています。聴き終わって、深淵なるメロディ・メーカーとしてのブルックナー像を実に丹念に浮かび上がらせた若きネルソンスの腕と老練なゲヴァントハウスの実力に感心します。

◇白神典子 (Fumiko Shiraga, 1967~2017年)

最後は、例外的に日本人女性ピアニスト、白神典子の作品集を取り上げます。

東京生まれ。両親も音楽家で、3才からピアノをはじめ3年後にドイツに移住。ピアノストとなってからもドイツを拠点とし、コンサート活動のほか、定期的に様々なドイツの放送局(NDR、BR、SWR、HR)にも出演。また、ブルックナーハウス・リンツでも演奏しています。

2001年、ブルックナーのピアノソロ作品の世界初の録音がリリースされ、世界的な話題となりましたが、2017年49才の若さで惜しくも逝去しました。

【第7番(第3楽章)】

ブルックナー・ピアノ独奏曲全集 Bruckner : Complete Piano Works/ Shiraga BIS  BIS1297

<1>ピアノ・ソナタ・ト短調  第1楽章(1862年)、<2>秋の夕べの静かな想い(1864年)、<3>シュタイアルメルカー(1850年頃)、<4>ランシエ・カドリール第1番(同左)、<5>ランシエ・カドリール第2番(同左)、<6>ランシエ・カドリール第3番(同左)、<7>ランシエ・カドリール第4番(同左)、<8>ピアノ曲変ホ長調(1856年頃)、<9>幻想曲ト長調(1868年)、<10>思い出(1868年頃)、<11>交響曲第7番ホ長調のアダージョ(オリジナル・ピアノ版)の11曲が所収されており、録音は2000年7月、ドイツ・ハンブルクのフリードリヒ・エーベルト・ハレで行われています。

<1>はベートーヴェンの中期以降の作品を思わせるソナタ形式の習作、<4〜7>は舞曲ですが、リズムは単純、メロディが明るくNHKの朝のラジオ体操か運動会 の入場行進向けといった感じです。その他<2>、<9>、‹10>などはシューベルト、シューマン的な抒情的な響きが垣間見えます。比較的早い時期の作品が多いことから総じて、交響曲、宗教曲でみせる特有のブルックナーらしさはあまり感じませんが、白神典子は愛情に満ちて丁寧にこれらの各曲を紡いでおり好感がもてます。

一方、‹11>はあえて遅いイン・テンポのなか、一音一音、入魂の気構えを感じます。残響を強く意識して、有名な後期交響曲の一楽章を選んで、ピアノでどこまでブルックナー・ワールドに迫れるかの実験を行っているようです。抒情的なメロディも表情付けは厚化粧をせず、一定のリズムをむしろピリオド奏法的に“ゴツゴツ”と提示していきます。したがって、ワーグナーの葬送といったセンチメンタルな様相は感じさせず、曲の強い構造線が際立ちます。しかし、それがかえってブルックナーらしさを、しっかりと表出することに成功していると感じます。27分弱、大曲に挑む真剣な姿勢がリスナーに伝わってきます。

[2008年8月11日]

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

第12章 ブルックナーの交響曲とともに

前章までで取り上げてきた各音源について、ここでは別の観点から振り返ってみたいと思います。それは、録音芸術における日本のブルックナー受容についてです。

手元に揺籃期からいまにいたるまでの連続したデータがないので、以下では各時点の断片的なデータの接合にすぎませんが、概ねの傾向は知ることはできると思います。

また、前章までの記述について、小生の個人的な好みに、一定のバイアスがあることもここで確認をしておきたいと思います。

1.年代別の変遷

(1)1959年~1980年代初頭まで

はじめに、『レコード芸術創刊30周年記念ーレコード芸術推薦盤全記録』(上下巻)から取り上げます。これは同誌第31巻第6号(通巻第381号)付録として販売されたもので、掲載対象は1952年3月号から1981年12月号までの30年におよぶ記録です。ここからブルックナーの交響曲について、推薦盤の変遷をまず見てみたいと思います(表1参照)。

<表1> ブルックナーの名盤(1959~1981年推薦盤一覧) 

               

対象年交響曲番号指揮者名掲載回数オーケストラ名
1959年第8番❺カラヤン1ベルリン・フィル
1960年第5番❸ヨッフム1バイエルン放送響
1962年 第4番❾ワルター1コロンビア響
 第7番❽クレンペラー1フィルハーモア管
1963年第4番②コンヴィチュニー1ウィーン・フィル
1964年第5番❸ヨッフム2コンセルトヘボウ管
 第7番❾ワルター2コロンビア響
 第9番❶フルトヴェングラー1ベルリン・フィル
1965年第5番❷クナッパーツブッシュ1ウィーン・フィル
 第8番        ❿シューリヒト1ウィーン・フィル
1966年第1番❸ヨッフム3ベルリン・フィル
 第3番 ❷クナッパーツブッシュ2ウィーン・フィル
 第6番❽クレンペラー2ニューフィルハーモア管
 第9番   ❸ヨッフム4ベルリン・フィル
1967年第1番③ノイマン 1ゲヴァントハウス管
 第3番❿シューリヒト2ウィーン・フィル
 第5番❽クレンペラー3ニューフィルハーモア管
 第8番⑲ショルティ1ウィーン・フィル
 第9番           ❺カラヤン2ベルリン・フィル
1968年全集❸ヨッフム5ベルリン・フィル、バイエルン放送響
 第7番❸ヨッフム6ベルリン・フィル
 第7番  ⑪ハイティンク1コンセルトヘボウ管
1970年第7番       ⓳マタチッチ1チェコ・フィル
1971年第3番❹ベーム1ウィーン・フィル
 第4番❺カラヤン3ベルリン・フィル
 第7番❺カラヤン4ベルリン・フィル
 第8番 ⑳セル1クリーヴランド管
 第8番⑪ハイティンク2コンセルトヘボウ管
 第9番 バーンスタイン     1ニューヨーク・フィル
1972年 第8番❽クレンペラー4ニューフィルハーモア管
 第9番     ❽クレンペラー5ニューフィルハーモア管
1973年第5番⓳マタチッチ2チェコ・フィル
 第5番  ❶フルトヴェングラー2ウィーン・フィル
1974年第4番②コンヴィチュニー2ゲヴァントハウス管
 第4番❹ベーム2ウィーン・フィル
 第5番   ②コンヴィチュニー3ゲヴァントハウス管
1976年第5番 ⑦ケンペ 1 
 第5番マゼール 1ウィーン・フィル
 第8番❺カラヤン5ベルリン・フィル
 第8番 ⑦ケンペ2チューリッヒ・トーンハレ管
 第9番    バレンボイム1シカゴ響
1977年第4番⑦ケンペ3ミュンヘン・フィル
 第7番❹ベーム3ウィーン・フィル
 第7番④マズア1ゲヴァントハウス管
 第7番 ❺カラヤン6ベルリン・フィル
 第9番 ❺カラヤン      7ベルリン・フィル
 第9番 ④マズア2ゲヴァントハウス響
1978年第0番       ⓮朝比奈隆   1大阪フィル
 第5番 ④マズア      3ゲヴァントハウス管
 第9番       ⓱ジュリーニ1シカゴ響
1979年第2番 ④マズア4ゲヴァントハウス管
 第3番❸ヨッフム7シュターツカペレ・ドレスデン
 第3番 ④マズア5ゲヴァントハウス管
 第8番 ❸ヨッフム      8シュターツカペレ・ドレスデン
1980年第1番❸ヨッフム      9シュターツカペレ・ドレスデン
 第6番     ④マズア 6ゲヴァントハウス管
 第7番⑪ハイティンク3コンセルトヘボウ管
 第7番 ❸ヨッフム10シュターツカペレ・ドレスデン
 第7番 バレンボイム   2シカゴ響
 第7番 ❿シューリヒト3ハーグ・フィル
1981年選集⓮朝比奈隆        2日本フィル、東京都響他
 第4番㉒クーベリック   1 バイエルン放送管
 第5番 ⑲ショルティ2シカゴ響
 第6番⑲ショルティ3     シカゴ響
 第6番 ❸ヨッフム11      シュターツカペレ・ドレスデン
 第7番⑩プロムシュテット 1シュターツカペレ・ドレスデン
 第8番 ④マズア7ゲヴァントハウス管
 第9番 ⓳マタチッチ3チェコ・フィル 

(注)1952~1958年、1961年、1969年および1975年は該当なし

1981年までの特色を要約すれば、以下のとおりです。

○各番別の順位(括弧内掲載件数)

まず、どの交響曲の推薦盤が多いかについてですが、以下のとおりです。

第1位:第7番(14)、第2位:第5番(11)、第3位:第8番、第9番(各10)、第5位:第4番(7)、第6位:第3番(5)、第7位:第6番(4)、第8位:第1番(3)、第9位:第0番、第2番(各1)となっています。第7番が多い一方、第4番が意外と少なく、第8番、第9番よりも第5番が多くなっています。また、この時代は初期の作品がなかなか聴きにくかったこともわかります。

○年別の推薦盤数の推移

1952~67年の15年間での推薦盤数は19枚(@1.3枚/年)にすぎませんが、後半4年(1978~81年)では20枚(@5枚/年)と増加しています。1950年代はカラヤン/ベルリン・フィルの1枚のみ。1960年代から70年代前半までは、マーラーなどと比較してもブルックナーの推薦盤数は低調でしたが、1976年以降、新たにブルックナーを取り上げる指揮者のヴァリエーションが豊かになり、この頃から推薦盤の厚みが増しています。

○指揮者別の推薦盤数

初期においてもフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒトなどは海賊盤をふくめ当時から根強い人気がありましたし、朝比奈隆の第0番ははやくも78年の推薦盤になっていますが、単純に推薦盤数のランキングでみると、全集を除いても、ヨッフム、カラヤン、コンヴィチュニー、そしてその後を継いだマズアがブルックナーを精力的に取り上げていることがわかります。   

特に、この時代において、ヨッフム、マズアがシュターツカペレ・ドレスデンやライプチッヒ・ゲバントハウス管弦楽団を率いて、ブルックナーの普及に努めた功績は大きいと思います。

(2)1990年代半ばまで

『レコード芸術編 名曲名盤300~ベストCDはこれだ』(1993年 音楽之友社)では、1983年、87年、93年の3時点での曲別のベストCDを掲載しています。ブルックナーの交響曲では、第3,4,5番、第7,8,9番の6曲について取り上げられています。

1983年から93年までの「3時点」における各曲の名盤について、時点間の違いや特定の曲での頻出を無視して、この6曲×上位3位×3時点(同順位1あり)の55サンプルを、次に指揮者別、オーケストラ別に一覧してみました。 

<表2> ブルックナーの名盤(1983年、87年、93年での評価)

番数掲載年順位演奏者録音年
第3番1983年❹ベーム/ウィーン・フィル① 1970年
  ❸ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデン①1977年
  ❺カラヤン/ベルリン・フィル①1980年
 1987年⓭インバル/フランクフルト放送管①1982年
  ❷クナパーツブッシュ/ウィーン・フィル① 1954年
  ❹ベーム/ウィーン・フィル② 1970年
 1993年❹ベーム/ウィーン・フィル③ 1970年
  ❸ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデン②1977年
  ⓭インバル/フランクフルト放送管②1982年
第4番1983年❹ベーム/ウィーン・フィル④ 1973年
  ❺カラヤン/ベルリン・フィル②1975年
  ❾ワルター/コロンビア響①1960年
 1987年⑩ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン①1981年
  ❹ベーム/ウィーン・フィル⑤   1973年
  ❾ワルター/コロンビア響②1960年
 1993年⑪ハイティンク/ウィーン・フィル① 1985年
  ❸ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデン③1975年
  ❾ワルター/コロンビア響③1960年
第5番1983年❺カラヤン/ベルリン・フィル③1976年 
  バレンボイム/シカゴ響1977年
  ❷クナパーツブッシュ/ウィーン・フィル② 1956年
 1987年❸ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデン④1980年
  ⑦ケンペ/ミュンヘン・フィル1975年
  ⓳マタチッチ/チェコ・フィル①1973年
 1993年❸ヨッフム/コンセルトヘボウ管⑤ 1964年
  ❸ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデン⑥1980年
  ⑪ハイティンク/ウィーン・フィル② 1988年
第7番1983年❺カラヤン/ベルリン・フィル④1975年
  ❶フルトヴェングラー/ベルリン・フィル1949年
  バレンボイム/シカゴ響1977年
 1987年⑩ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン②1980年
  ⓳マタチッチ/チェコ・フィル②1966年
  ❹ベーム/ウィーン・フィル⑥ 1976年
 1993年❺カラヤン/ウィーン・フィル⑤ 1988年
  ⑩ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン③1980年
  ⓳マタチッチ/チェコ・フィル③1966年
第8番1983年❶フルトヴェングラー/ベルリン・フィル1949年
  ❸ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデン⑦1976年
  ❺カラヤン/ベルリン・フィル⑥1975年
 1987年⓭インバル/フランクフルト管③1982年
  ❷クナパーツブッシュ/ミュンヘン・フィル③1956年
  ❿シューリヒト/ウィーン・フィル① 1962年
 1993年❺カラヤン/ウィーン・フィル⑦ 1988年
  ❸ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデン⑧ 1976年
  ❺カラヤン/ベルリン・フィル⑧  ⓱ジュリーニ/ウィーン・フィル① 1975年 1984年
第9番1983年⓱ジュリーニ/シカゴ響 ②1976年
  ❺カラヤン/ベルリン・フィル⑨1975年
  ❽クレンペラー/ニューフィルハーモア管1970年
 1987年❿シューリヒト/ウィーン・フィル② 1961年
  ⑪ハイティンク/コンセルトヘボウ管③1981年
  ⓱ジュリーニ/シカゴ響③1976年
 1993年❺カラヤン/ベルリン・フィル⑩ 1975年
  ❿シューリヒト/ウィーン・フィル③ 1961年
  ⑲ショルティ/シカゴ響1985年

○指揮者別の推薦盤数

カラヤン(10)が全番に登場、またヨッフム(8)とベーム(6)がこれに続きます。カラヤンは10/55の占有率ですからここでは圧倒的ですが、これ以降、ブルックナーに限らないでしょうが、リスナーの聴き方の深化や嗜好の多様化がすすみ、今日ではだいぶ受けとめ方はかわってきています。

各番号別では、第3番、第4番ともにベームの演奏が上位にあります。第5番はヨッフムの独壇場、第7番はカラヤン、ブロムシュテット、マタチッチの三つ巴といった感じでしょうか。第8番でもカラヤンの評価が高いですが、第8番、第9番ともにシューリヒトも根強い人気があることがわかります。

○オーケストラ別の推薦盤数

ブルックナーの多くの交響曲を初演しているウィーン・フィル(17)が多く、シュターツカペレ・ドレスデン、ベルリン・フィルが同順位(10)でこれに続きます。シカゴ響(5)も存在感を示しています。このあとにフランクフルト放送管、チェコ・フィルと続きますが、いずれもインバル、マタチッチという指揮者の個性が光ります。

(3)2010年の時点のスポット・データ

いまから約10年前のブルックナーの人気盤はどうだったでしょうか。以下はこの時点で整理した当時のチェックリストです。HMVで、ブルックナーのベストセラーをリアルタイム(2010年1月16日時点)で検索してみた記録です。CDに限定で(DVDを除く)、上位50をランキングしてみました。もちろん、これは文字どおりその時点での瞬間的なデータですが、興味深い点も多々あります。

第1位はパーテルノストロ盤の全集ですが、これは破格の安さが特色になっています。全体として、ヴァントが圧倒的な影響力をもっています。ミュンヘン・フィルとの選集(第4、5、6、8、9番他)に加えて、この組み合わせで第4、5、8番の各番が上位に入っているほか、ベルリン・フィルとの演奏で、第7~9番も取り上げられています。また、チェリビダッケの第5番(ミュンヘン・フィル)は、マタチッチ同様、晩年の日本公演の強烈なインパクトがいまも語り草になっているからかも知れません。ブロムシュテットも第7番、第4番(ドレスデン)、第8番(ゲヴァントハウス)がランクインしています。

ヨッフムでは、第7番(コンセルトヘボウ)、第9番(ミュンヘン・フィル)、新盤の全集が、また、ジュリーニでは後期3曲、第9番(ウィーン・フィル)、第8番,第7番(ベルリン・フィル)が目を引きます。

初期から中期の第2、3、4番ではシノーネ・ヤングの人気が高いことがわかります。シノーネ・ヤングは、①女性指揮者、②初稿採用、③ハイブリッド録音の3つの大きな特色を「武器」にしています。その他ではテンシュテットの第4番のライヴ、朝比奈隆の第5番(シカゴ響)、ヤンソンスの第3、4番(コンセルトヘボウ)が入っています。

<表3> 2010年時点の人気上位盤(2010年1月16日時点)

番数順序演奏
全集・選集パーテルノストロ/ヴュルッテンベルク・フィル(11CD)
 ❸ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデン(9CD)
 ❼ヴァント/ミュンヘン・フィル 第4,5,6,8,9番他 (8CD)
 ⑤シャイー/コンセルトヘボウ管、ベルリン放送響(10CD)
 ロジェストヴェンスキー/ソビエト国立響(第1、2集)
2番シモーネ・ヤング/ハンブルク・フィル(初稿) (SACD)
 ⓱ジュリーニ /ウィーン響(1974)
3番シモーネ・ヤング/ハンブルク・フィル(初稿) (SACD)
 ヤンソンス/コンセルトへボウ管(2SACD) 4番併録
 デニス・ラッセル・デイヴィス/リンツ・ブルックナー管
4番⑩ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデン
 ⓴テンシュテット&ロンドン・フィル(ライヴ)
 シモーネ・ヤング/ハンブルク・フィル(初稿) (SACD)
 ⑨ザンデルリング/バイエルン放送響
 ⓰ナガノ/バイエルン国立管(初稿)
 ❼ヴァント/ミュンヘン・フィル
 ❺カラヤン/ベルリン・フィル(1970 EMI)
5番❻チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル(1986年東京ライヴ)
 ⓮朝比奈隆/シカゴ交響楽団
 ❼ヴァント/ミュンヘン・フィル
 ㉓アーノンクール/ウィーン・フィル
 ❼ヴァント/ベルリン・フィル
 ⑲ショルティ/シカゴ交響楽団
 ⓳マタチッチ/NHK交響楽団(1967)
6番⑩ブロムシュテット/ゲヴァントハウス管
 ⑪ハイティンク/シュターツカペレ・ドレスデン
7番1❸ヨッフム/コンセルトヘボウ(1986)
 2⑩ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン
 3⓱ジュリーニ/ベルリン・フィル(1985)
 4⑩ブロムシュテット/ゲヴァントハウス管
 5ヤンソンス/バイエルン放送響
 6⓳マタチッチ/チェコ・フィル
 7⓱ジュリーニ/ウィーン・フィル
 8❼ヴァント/ベルリン・フィル
8番❼ヴァント/ ミュンヘン・フィル
 ❼ヴァント/ベルリン・フィル
 ⓱ジュリーニ/ベルリン・フィル(1984)
 ⑩ブロムシュテット/ゲヴァントハウス管(SACD)
 ⑪ハイティンク/シュターツカペレ・ドレスデン(2CD)
 プレートル/ウィーン響
 ⑥カイルベルト/ケルン放送響
 ⓴テンシュテット/ロンドン・フィル(1981ライヴ)
 ❽クレンペラー/ケルン放送響
 10❷クナッパーツブッシュ/ミュンヘン・フィル(1963ライヴ)
9番❸ヨッフム/ミュンヘン・フィル
 ⓱ジュリーニ/ウィーン・フィル
 ㉓アーノンクール/ウィーン・フィル(第4楽章フラグメント付き) (2SACD)
 ❼ヴァント/ベルリン・フィル
テ・デウム❺カラヤン/ベルリン・フィル、フレーニ、ギャウロフ、他 

(4)2020年の時点のスポット・データ

10年前と同じ基準での比較はできませんが、次に直近のデータを参考までに見てみましょう。Amazonの日本サイトでクラシック>ブルックナー>レビューの評価順で検索し、上位50を以下にノミネートしました。

<表4> 日本における2020年時点の評価が高いCD上位盤

(2020年8月28日時点)

番数順序演奏
全集1❸ヨッフム(旧盤)
 2⑤シャイー
 3❼ヴァント/ ケルン放送響
 4⑪ハイティンク/コンセルトヘボウ
 5❸ヨッフム(新盤)
 6⓭インバル
 7❺カラヤン/ベルリン・フィル
 8パーテルノストロ/ヴュルッテンベルク・フィル(11CD)
 9マゼール/バイエルン放送響
 10⑩ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管
 11シモーネ・ヤング/ハンブルク・フィル
選集1㉔アバド/ルツェルン祝祭管弦楽団
 2❻チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル
        3⓲ベイヌム/コンセルトヘボウ
 4❶フルトヴェングラー
 5❼ヴァント/ベルリン・フィル
 6❽クレンペラー/ニューフィルハーモニア管
第0番1シモーネ・ヤング/ハンブルク・フィル
第2番1ティントナー/アイルランド国立響
 2⓱ジュリーニ/ウィーン響
第3番1レミ・バロー/聖フローリアン・アルトモンテ管
第4番1❼ヴァント/ベルリン・フィル
 2❹ベーム/ウィーン・フィル
 3㉒クーベリック/バイエルン放送響
 4⑩チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル
第5番1❸ヨッフム/コンセルトヘボウ
第6番1⑰ホルスト・シュタイン/ウィーン・フィル
第7番  1⑩ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン
 2㉙ネルソンス/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管
 3❺カラヤン/ウィーン・フィル
 4⑪ハイティンク/コンセルトヘボウ
 5⑲ショルティ/シカゴ響
 6⓱ジュリーニ/ウィーン・フィル
 7❼ヴァント/ベルリン・フィル
 8❼ヴァント/NDR (1992年録音)
 9㉒クーベリック/バイエルン放送響
第8番1❼ヴァント/ベルリン・フィル
        2⓮朝比奈隆/NHK交響楽団
 3❺カラヤン/ウィーン・フィル
 4❼ヴァント/NDR第9番(1988年ライヴ)&第8番(1987年ライヴ)
 5⑩チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル(東京ライヴ)
第9番1マンフレート・ホーネック/ピッツバーグ交響楽団
 2⓱ジュリーニ/ウィーン・フィル
 3❺カラヤン/ベルリン・フィル
        4❿シューヒリト/ウィーン・フィル
 5㉔アバド/ルツェルン祝祭管弦楽団
 6❼ヴァント/NDR第9番(1988年ライヴ)&第8番(1987年ライヴ)
 7❼ヴァント/ベルリン・フィル
 8ラトル/ベルリン・フィル
 9㉓アーノンクール/ウィーン・フィル

比較の意味で、Amazonのドイツサイト(Deutschland)で同様な検索を行ってみました。クラシック(Klassik)>ブルックナー(Bruckner)>レビューの評価順で検索し、上位50を同じくノミネートしました。

<表5> ドイツにおける2020年時点の評価が高いCD上位盤

(2020年8月28日時点)

番数順序演奏
全集1❸ヨッフム(旧盤)
 2⑤シャイー
 3❺カラヤン/ベルリン・フィル
 4❼ヴァント/ ケルン放送響
 5⑩ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管
 6シャラー/フィルハーモニー・フェスティヴァ
 7パーテルノストロ/ヴュルッテンベルク・フィル(11CD)
 8バレンボイム/ベルリン・フィル
 9バレンボイム/シカゴ響
選集1㉔アバド/ルツェルン祝祭管弦楽団
 2❻チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル
 3❼ヴァント/ベルリン・フィル
第2番1ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管
第3番1⓴テンシュテット/バイエルン放送響
 2シャラー/フィルハーモニー・フェスティヴァ
 3ヤニック・ネゼ=セガン/シュターツカペレ・ドレスデン
第4番1❽クレンペラー/ニューフィルハーモニア管
        2❼ヴァント/ベルリン・フィル
 3ティーレマン/シュターツカペレ・ドレスデン
 4❹ベーム/シュターツカペレ・ドレスデン(第5番とのカップリング)
 5シャラー/フィルハーモニー・フェスティヴァ
第5番1❹ベーム/シュターツカペレ・ドレスデン(第4番とのカップリング)
 ❼ヴァント/ベルリン・ドイツ響
第6番❼ヴァント/ミュンヘン・フィル
 ⑰ホルスト・シュタイン/ウィーン・フィル
第7番㉙ネルソンス/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管
 ❺カラヤン/ウィーン・フィル
 ❺カラヤン/ベルリン・フィル
 ⑪ハイティンク/コンセルトヘボウ
 ❼ヴァント/ベルリン・フィル
 ヤルヴィ/フランクフルト放送響
 ❼ヴァント/NDR (1992年録音)
 ❼ヴァント/ケルン響
 ⑲ショルティ/シカゴ響
 10⓫ロスバウト/バーデン = バーデン ラジオ オーケストラ
 11⑩ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン
第8番1❼ヴァント/ベルリン・フィル
 2❺カラヤン/ウィーン・フィル
 ❼ヴァント/NDR第9番(1988年ライヴ)&第8番(1987年ライヴ)
 シャラー/フィルハーモニー・フェスティヴァ
 ❺カラヤン/ベルリン・フィル
 ユッカ=ペッカ・サラステ/ケルンWDR響
第9番1マンフレート・ホーネック/ピッツバーグ交響楽団
 2⓱ジュリーニ/ウィーン・フィル
 3❺カラヤン/ベルリン・フィル
 4ヨハネス・ヴィルトナー/ノイエ・フィルハーモニー・ヴェストファーレン
 5㉔アバド/ルツェルン祝祭管弦楽団
 6❼ヴァント/NDR第9番(1988年ライヴ)&第8番(1987年ライヴ)
 7❼ヴァント/ベルリン・フィル
 8バーンスタイン/ウィーン・フィル

 まず、最近の大きな変化として、ブルックナーの全集、選集の数の厚みがましていることとともに、CD価格の下落からこうした全集、選集がかつてに比べて非常に廉価になっていることです。単番で入手するよりも、全集、選集で購入するほうがお得なので、日本サイトでは全集11、選集6、計17が、ドイツサイトでは、全集9、選集3、計12が主流になっています。これにはほかの作曲家の録音を含む指揮者別のBOXセットなどは除外していますので、実際はもっとこの傾向は強いでしょう。

 各番別では、後期3曲への集中も顕著です。日本サイトでは第7番9、第8番5、第9番9、計23、ドイツサイトでは第7番11、第8番6、第9番8、計25と全体の約半数が集中しています。さらに両サイトともに第9番の人気が高いのも最近の特徴です。

2.本書のバイアス分析

次に上表から、本書のバイアスにもふれておきたいと思います。

本書では、歴史的な音源を多く扱っていることから、紙幅を相当さいている第1グループ(❶~⓴:第1章~第9章)とそれに比べて簡潔な第2グループ(①~㉙:第10、11章)に分けています。

<表3>では、第1グループ27、第2グループ15、それ以外8

(㉖ロジェストヴェンスキー/ソビエト国立響(第1、2集)は2でカウント)

<表4>では、第1グループ27、第2グループ15、それ以外8

<表5>では、第1グループ26、第2グループ9、それ以外15

となっています。

<表3~5>に共通し、第1グループが5割を越えており、高い評価が依然継続していることがわかる一方、<表3><表4>では第1グループ、第2グループ計のカバー率は9割以上ですが、<表5>では7割となっています。

全表を総覧して、順不同ですが、バーンスタイン、マゼール、バレンボイム、ラトル、ティーレマン、ヤルヴィ、ヤンソンス、プレートル、パーテルノストロ、ティントナー、シャラー、シモーネ・ヤング、デニス・ラッセル・デイヴィス、レミ・バロー、マンフレート・ホーネック、ヨハネス・ヴィルトナー、ヤニック・ネゼ=セガンなどは本書では取り上げていません。

このうち、マゼール、バレンボイムなどについては前章にて若干コメントしましたが、上記の中には全集を録音した指揮者も複数含まれており、第1グループ、第2グループと伍してもけっしておかしくない指揮者もいます。さらに、表外でも各番で佳演を残している指揮者の裾野が広いことも事実です。

たとえば、交響曲以外の曲目を聴くために小生が日頃、よく取り出す「アントン・ブルックナー エディション (Anton Bruckner  The Collection) (輸入盤20CD Box、Profilレーベル、WA-20697594)では、第00番、第0番はティントナー、第1番、第2番はシャラー/フィルハーモニー・フェスティヴァ、第7番はユーリ・アーロノヴィチ/ケルン・ギュルツェニヒ管、第8番はティーレマン/シュターツカペレ・ドレスデンが所収されていますが、総じて良い演奏です。

また、最近の傾向として、初稿採用や第9番第4楽章の補筆完成版への関心の高さがありますが、小生はどの稿をとっても本質的な部分では大きな違いはないと思っていますし、補筆完成版については否定的です。ブルックナーが徹底して詰めた姿勢で生み出す音楽には、彼しか判断しえない細部の積み上げがあり、そこから特有の霊感も生み出されてきます。残念ながら、どの補筆完成版からも、そうしたものは感じられません。第3楽章をもって終結でなんらの不満はありません。さらに、一時話題となった古楽器奏法などのブルックナーへの適用にもいささか違和感をもちます。

執筆方針として約50名の指揮者に限定したこともありますが、全体として、小生の好みゆえの強いバイアスがあるでしょうし、<表5>をみても、中堅、若手の取り上げが不十分であることも事実です。

これについては、ヨッフム旧盤全集へのコメント(2010年1月17日)を以下、自戒をこめて再掲したいと思います。

「2つの追加コメントがあります。第1に、本全集録音進行中は、しかしながら、今日のヨッフムへの正当な評価は(少なくとも日本では)一部の鋭利な観察者しかなかったと思います。同時代は、一般にいつもジャーナリスティックで、進行中の地味ながら画期的な営為には気づきにくい面があります。だからこそ、本全集選択にあたっても、ブルックナー演奏の後継者への配慮とそれとの比較考量が必要だと思います。第2に、私は長いヨッフム・ファンですが、その規範的な解釈に堅苦しさを感じる向きもあろうかと思います。そこは一応の留意事項として、本全集がいまも一つの規準盤である事実は動かしがたいと考えます」。

これからも中堅、若手の取り組みへの期待と関心を持ち続けることは、オールド・ファンといえどもとても大切であると思っています。

ブルックナー・コラム ⅩⅤ

ブルックナーの人物像    ブルックナーの人となりについては、すでに本コラムでもふれてきましたが、生涯独身の堅物、なかなか芽がでず金にも出世にも辛酸をなめた苦労人、聖地バイロイトになんども足を運んだ類まれなるワグネリアン、神経症を患い、みずからの作品をいくども手直しした優柔不断な性格といったイメージが一般的には強いのではないかと思います。しかし、それは真の姿なのでしょうか。もちろん、そうした「事実」はあるにせよ、見方をかえると少し別の人物像も浮かび上がってくるのではないかとも考えます。    第1に「生涯独身の堅物」ですが、一方で結婚願望が強く、生涯9回求婚してすべてかなわず、晩年(1892年)までトライを試みていたことは良く知られた伝記です。しかも、お相手はすべて10代の若きフロイライン(Fräulein)でした(クルト・バーレン(1996)『音楽家の恋文』池内紀訳,西村書店.ほかを参照)。 また、ご婦人とのダンスをこよなく愛したこと(ダンスは水泳とともに得意であったようです。あの風貌からは想像しにくいことではありますが・・・)、大食大飲の食いしん坊、大酒飲み(特にビールが大好きであったとのこと)で宴席では結構ユーモアのセンスももっていたことなどの気のおけない人物像への証言もあり、いわゆる敬虔なるカトリック信者で、生活の隅々にいたるまで戒律に厳格な使徒といった堅物のイメージ一辺倒ではどうもないようです。    第2に「金にも出世にも辛酸をなめた苦労人」という点ですが、これは主として若き日から保存されている彼の手紙などを根拠にしています。しかし、ブルックナーは金銭感覚には鋭敏で、駆け出しの若い頃は別として、リンツ以降は、出版費用などの一時的投資資金は別として、日常のお金の苦労はさしてなかったと思われますし、結果的には相続遺産ものこしました。また本人は上昇志向が強く(生活の不安からの防御的な対応であったにせよ)、いつも現状に沸々たる不満はあったでしょうが、客観的に見れば大いなる成功者でした。 雑用係ともいえる田舎の小学校助教からスタートし、その才能と刻苦勉励によって、帝都ウィーン大学の教授にまで栄達し、なんといっても最後の住処はときの宮殿内だったわけですから。    終生、教師として活動したブルックナーについて、名ヴァイオリニスト、クライスラーは、次のような感想を語っています。 「1882年、クライスラーはウィーン音楽院に入学を許され、…ブルックナーに和声学を学んだが、ブルックナーはこの少年に、お人好しと音楽的天才の同居した先生といった印象を与えた」(マルク・パンシェルル(1967)『ヴィルトオーソの世界』横山一雄訳,音楽之友社.,p.114)。 教師としてのブルックナーは、ほかの証言を見ても大変熱心な指導でとても良い先生であったようです。ゆえに多くの弟子にも恵まれました。     第3に、熱烈なワグネリアンであったわりに、自分で思っているほどにはその音楽はワーグナーとは近くはない(というよりも誰とも異なっているといった方がよいかも知れません)。たとえば、いわゆるライト・モティーフといった一貫性、リスト的な標題性はむしろ希薄で、絶対音楽的な技法では、ゼヒター先生に鍛えられたこともあり、バッハ、ベートーヴェンからの影響のほうがはるかに強いともいわれます。 改訂魔というほどいくども自稿に手をいれることはあっても、これも意外なほど、従前、修正後でその「本質」はかわっていません。堂々巡りといってはなんですが、後世からみて、部分的には改訂によって、その音楽が良くなっているのか、その逆なのかの評価は難しく、極論すれば、最後はリスナーの感性の問題に帰着するものかも知れません。  一方、伝統的な教会音楽の系譜は深く研究し、かつパイプオルガンでは当代きっての即興演奏の名手でした。その交響曲において、オルガンのもつ宏大で構築性の強い独自の音楽空間を設計、実現しました。    第4に、強度な神経症を患っていたこと、ここはたしかに他人が計り知れない多くの苦労、懊悩があったことでしょう。厳しい現実に直面し、ロシアやメキシコへの逃避を考えたり、親しき友人に自殺をほのめかしたりした事実からみても、躁鬱の症状がかなり深刻であった時期があるようです。  かつて、近江八幡の旧野間邸を改築し開館したボーダレス・アートミュージアムNOーMA(のーま)を訪問しました。そこで、はじめてアウトサイダー・アートを見て、アール・ブリュット(brut:フランス語で「生の、加工されていない」の意味)の存在を知りました。障害者の方々の精魂をこめた緻密で驚くべき規則性をもった努力の結晶は、見る者の心を揺さぶります。ふと、ブルックナーの音楽が耳の奥で鳴っているように錯覚しました。   しかし、ブルックナーにもくつろぎの時間がありました。「NHK 世界音楽紀行-オーストリア ザルツカンマーグート地方-」という番組を見ました。  その取材地のひとつが、美しい湖畔の町ハルシュタット近くのバート・イシュルです。ここは、オーストリアの湖水地方ザルツカンマーグート(塩の御料地)にあり、三方を山に囲まれた谷間の温泉保養地として、フランツ・ヨーゼフ皇帝が夏の間、別荘(カイザーヴィラ)で過ごしたところです。   音楽家もよく集ったようで、レハールゆかりの地として有名ですが、ほかにもブラームス、ヨハン・シュトラウスの別荘があり、また、メイン通りの角には、ブルックナーがオルガンを演奏したニコラス教会があります(記念のプレートが映っていました)。番組では皇帝の息女のために彼の地で演奏したことをブルックナーは生涯、自慢していたとのコメントがありました(オルガン曲で「バート・イシュルの即興」というのもあります)。また、大酒飲みのブルックナーは今も残るワインハウス「アットヴェンガー」に毎日のように通ったともいいます。オーストリアの有名温泉地で、皇帝とも知己があり、豊かな自然と美味しいワインの生活ときけば、ブルックナーもしばし、ここでの生活をエンジョイしていた姿も瞼に浮かびます。    こうみてくると、その人物像を過度にパセティックに見るのは如何かとも思っています。   さて、ブルックナーは、汲めども尽きぬ泉が湧き出るように、ときに美しく、ときに雄々しい稀代の「メロディ・メーカー」であると思います。  そのメロディ・メーカーの才能をもっとうまくいかせば、別の世渡りもあったかも知れません。これは、彼の天敵、ハンスリックもその才能を認めざるを得なかったブルックナーの“最強の得手”です。しかし、彼は、そうした点には無頓着で、美しいメロディをいとおしみながらもそこに深く拘泥はせず、むしろ交響曲全体の形式や構造を重視しました。ゼヒター先生から学んだ高度対位法は、「目的ではなく作曲のための手段」と言いきり、作曲手法としての禁則使用は「(大家)ワーグナーは使ってもよいが、教師の自分は排除する」と作曲後、その事後チェックに余念のなかったといわれるブルックナーは、いま風にいえば、あたかも規律に厳しい教務主任、音楽における頑固な「コンプライアンス・オフィサー」のようです。    執拗な(ときに度を超したとされ思われる)同一リズムの繰り返し、音階の規則的な上下動と逆行・反復的な使用、フレーズの異様な長さのあとの突然の休止といった「忍耐」のあとに、オアシスのように出現する美々しく高貴なメロディ。それは完結することなく、いつしか去り、また長い「忍耐」の時間に舞い戻る。しかし、そのスイッチバックの過程は、折り返すごとに確実に感動の高みに登っていく。    ブルックナー好きは、もちろん聴く前からこのプロセスは先刻ご承知ですから、「忍耐」も喜んで受け入れる。このあたりの所作は、ちょっと宗教的な儀式にも通じるものがあるかも知れません。また、いつしか、この「忍耐」も折りふせば、座禅にのぞむように快々とした愉楽にも通じる。  さて、待ちに待った“聴きどころ”の到来です。良い演奏とそうでないものとの分水嶺がここにあります。前者は何度聴いても心に「直入」してきます。そして、聴き終わって、またすぐに聴きたくなります。そして2度目、3度目と聴いても、また同じ所でぞくぞくする感興がわいてきます。これぞブルックナーの最大の魅力です。    「忍従のあとの歓喜」といえば、まず連想するのはベートーヴェンですが、ブルックナーは、その1点において楽聖の最良の弟子といえるのかも知れません。ブルックナーは、なによりも己のスタイルをあくまで頑なに貫こうとした筋金入りの作曲家でした。   <参考文献> ・エルヴィン・デルンベルク(1967)『ブルックナー : その生涯と作品』 和田旦訳,白水社. Doernberg, Erwin(1960). The life and symphonies of Anton Bruckner, Barrie &  Rockliff, London ・張 源祥『ブルックナー&マーラー 大音楽家・人と作品 』(1977)音楽之友社. ・『ブルックナー 音楽の手帖』 (1981) 青土社 ・H.シェンツェラー(1983)『ブルックナー : 生涯/作品/伝説』 山田祥一訳,青土社. Schönzeler, Hans‐Hubert(1974). Bruckner, Musikwissenchaftlicher Verlag, Vienna ・土田 英三郎『ブルックナー カラー版作曲家の生涯』(1988)新潮文庫 ・根岸 一美・渡辺 裕 (監修)『ブルックナー/マーラー事典』(1998)東京書籍. ・門馬 直美『ブルックナー』(1999)春秋社. ・『ブルックナー 作曲家別名曲解説ライブラリー 5』(2006)音楽之友社. ・根岸 一美『ブルックナー (作曲家・人と作品)』(2006)音楽之友社. ・レオポルト・ノヴァーク(2018)『ブルックナー研究』 樋口隆一訳,音楽之友社. Nowak, Leopold(1985). Über Anton Bruckner : gesammelte Aufsätze, 1936-1984, Musikwissenschaftlicher Verlag,Vienna  ・ハンス=ヨアヒム・ヒンリヒセン(2018)『ブルックナー交響曲』 高松佑介訳,春秋社. Hinrichsen, Hans-Joachim(2016). Bruckners Symphonien : ein musikalischer Werkführer, Beck’sche Reihe, 2225 . Wissen  

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

§ エピローグ

ブルックナーの交響曲の魅力はなんでしょうか。

古典的形式と近未来的音楽の相克、エネルギーの蓄積と放出の全過程、知覚的なものと啓示的なものの共存、自己を確立せんとする精神の葛藤と懊悩・・・。さまざまなものが、そこには混在しています。また、秘かに独自の構築力に自信をもちつつも、細部の整合性にとことん拘るある種の<矛盾>をかかえている音楽。

 ブルックナーの交響曲に接するとき、小生は作曲の背景や「表題性」はほとんど意識しません。ブルックナーにおける第3番「ワーグナー」、第4番「ロマンティック」などは、せいぜい「参考値」程度の受けとめ方にすぎません。

 それは、ブルックナー本人がどう考えたかともあまり関係がないようにも思います。第3番において、ブルックナーは細心の注意を払って、その扉のデザインに献呈する「ワーグナー」の文字を金泥による装飾で入れるべく手紙で発注したと伝えられますが、現代の聴き手にとっては史実としての興味とは別に、音楽を聴くうえではなんら想像力を刺激されません。それは第7番(ルートヴィッヒ2世)、第8番(フランツ・ヨーゼフ1世皇帝)、第9番(親愛なる神へ:dem lieben Gott)の各曲をブルックナーが誰に捧げたかについても同様です。

その一方で「無窮性」とでもいうべき特徴がブルックナーの交響曲にはあると考えます。1曲毎の完結とは別に、1曲はまた他の曲と連続し、いつまでも続く終わりなき曲想の流れに身をまかせることの心地よさがブルックナーにはあります。したがって同じ曲をエンドレスで聴いても小生は飽きがきません。

 ブルックナーが後期交響曲の作曲とともに、初期の交響曲の改訂を同時期にいくども行っていることもそう考えると違和感がありません。第5章でふれたとおり、チェリビダッケはこれを「終わりと始まりの同時性」(映画『チェリビダッケの庭』)と表現しましたが、小生はかねてよりこれに「無窮性」という言葉をあてています。そして、それこそが「表題性」と対置するブルックナーらしい特質のひとつではないかと思います。

ブルックナーは、生涯にわたって交響曲というジャンルで未完のひとつの巨大な作品を描こうとした。そのなかには至純のメロディがあり、また折々に、親しいフォークロアが挿入されていますが、長い階段を上っていくような我慢と忍耐ののち最後には壮大なフィナーレが登場します。そこに向かうとき、ブルックナーの神経は全集中し、前人未踏の管弦楽のスケールの大きさを示します。それは音量の問題ではなく、構えの大きさとでもいえましょうか。そこには青天のもと、とてつもなく壮大な門を足下から仰ぎ見ている観があります。

 また、ブルックナーの交響曲では、ある瞬間、「崇高なるもの」に大きく包まれている感覚になります。それは、ブルックナーの作品に真に共感し、「崇高なるもの」を“自然に”表現しえた指揮者とオーケストラだけからのみ聴くことができる気がします。ここでは天啓という言葉が浮かびます。

 “自然に”、と記したのは、これは作為的にはできないという意味です。名だたる巨匠であろうと、超一流のオーケストラであろうと、いかに指揮者が技巧を弄しようと、オーケストラが磨きに磨かれた音を奏でようと、「崇高なるもの」を表現できるとは限りません。その逆もありえ、名も知れぬ指揮者とオーケストラとの組み合わせであっても、天啓によって「崇高なるもの」を見事にそこに再現している場合もあります。

 もちろん、こうした考え方はあまりに主観的すぎるものでしょう。もっと客観的に表現できればと、もどかしくも思いつつ、また、そうした言葉にいつか巡り合いたいともかねがね希求しています。なによりも「崇高なるもの」とは何か。

根底に作曲家すら音楽の作り手ではなく仲介者ではないかと思わせる、より大きな、説明不能な音楽的エートス

おそらくは、敬虔なるカトリック教徒であったブルックナー本人においては、それは信仰する神であったのでしょう。しかし、極東の島国に生まれ育った小生ごときにおいて、そうした信仰心からの神を想起しているわけではありません。

しかし、俗世にあって、あるいはあればこそ、「崇高なるもの」の到来をしかと感じることができる瞬間の喜びこそ、小生にとってブルックナー体験の根幹にあると思っています。 

☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ 

ブルックナーについては、中学3年生の頃から聴くようになりました。高校生のときは、NHK―FM放送で流される海外のオペラやコンサートのエア・チェックに夢中で、ブルックナーについても毎回緊張して録音しました(いまでもアバド/ウィーン・フィルの第1番、カラヤン/ウィーン・フィルの第5番、ベーム/ベルリン・フィルの第7、8番など何点かそのコレクションは大切に保存してあります)。

また、この頃、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、といった名前を、生意気、ちょっと自慢げに覚えるようになります。しかし、ご多分にもれず、そうした演奏の凄さを実感するにはいたらず「ブラームスはいいなあ、でもブルックナーときたらなんとも長くて退屈だ」と正直感じていたように思います。

それが20代後半から、ブルックナーをよく聴くようになり、次第に「傾斜」が強くなっていきます。30代後半以降は、ブルックナー頻度がさらに上がり、自宅のラックにカセットやCDがいつしか多く並ぶようになります。この頃、好んで聴いたのが、ヨッフム、テンシュテット、シノーポリなどです。ドイツ在勤中の1986~87年には、車窓から森や平原の風景を眺めながらカセットを持ち歩いて聴いていきました。しっくりと心に響きました。その後、チェリビダッケや若杉弘のライヴにも東京で接しました。

聴きはじめてから、すでに半世紀をこえる月日が流れました。随分、人生の余暇時間をブルックナーとともに過ごしてきたなあ、よく飽きもせず、とみずから思いますが、おそらくこれからもこの習慣は変わりそうもありません。

ブルックナー・ブログ(織工)を2006年3月12日から始めました。15年近く前になりますが、だいぶ文章がたまってきました。同じ頃からAmazon掲載のCDについて、カスタマーレビューをコツコツと書いてきました(紹介した各CDの末尾の[年月日]がその掲載日です)。

これは単なるメモ書きにすぎません。なによりも多くの事実誤認や知識、認識の不足があることと思います。ご海容、ご叱正いただきますとともに、ご縁があって、お読みいただいた方々に心から感謝いたします。

2020年9月4日 ブルックナーの誕生日に

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

恭賀新年

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

織工

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

恭賀新年

ダイヤモンド富士 に対する画像結果

本年もどうぞ宜しくお願いします。

2022年 元旦

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

サヴァリッシュ ブルックナー 聴きなおし

ここのところ、再度、第1番から順番に聴いている。本当に精緻かつ生真面目なブルックナーで、サヴァリッシュのお人柄が偲ばれる。下記では第6番は、かねてよりコメントを必要としない名演なので、あえて取り上げなかったが、今回、聴きなおしてみて滲みるような演奏である。また、第5番の終楽章は「やや大人しめの印象」と書いたが、質量に過不足があるわけではない。なんど聴いても第1番は瑞々しく出色、各番ともに全体のバランス感が抜群。

以下は、2019年6月23日にAmazonに書いたレビュー。

サヴァリッシュは、親日家で何度も来日し多くの素晴らしい成果をN響と残してくれましたが、日本では、あまりに人口に膾炙しすぎたせいか、かえって有り難みが薄れていますが、欧州ではまぎれもない「巨匠」です。本集ではブルックナーでのサヴァリッシュの端整なアプローチが魅力です。

【第1番】
サヴァリッシュ/バイエルン国立管弦楽団の演奏。ブルックナーの第1番は、ブルックナーがリンツで初演し、その稿である<リンツ版>とその後、ほぼ四半世紀をへて作曲者自身が大きな校正をくわえた<ウイーン版:作曲者晩年の1890/1891年改訂>があります。
サヴァリッシュはリンツ版による演奏で、慣れ親しんだバイエルン国立管と息がぴたりを合っていて安定感があります。楽章別の演奏時間が版によって相当違いますが、若きブルックナーの並々ならぬ交響曲への意欲を感じるという意味で私はリンツ版が好きです。サヴァリッシュはブルックナーの交響曲では現状、知られる限りではこのほか3,4,5,6,9番などを録音していますが、特に6番は名演の誉れの高いものです。

【第5番】
サヴァリッシュのブルックナー交響曲第5番(初稿版)、1990年 9月28~29日、1991年3月18~20日にかけてミュンヘンでセッション収録されたものです。
いかにもサヴァリッシュらしい重厚で整然たる演奏です。R.シュトラウス演奏を得意としたサヴァリッシュは、弦楽器と管楽器のパワーバランスを常に絶妙に保つことが特色の一つです。どちらかがけっして突出することなく、音の融合とクリアな各楽器の出番を完全にコントロールしながら、ブルックナーワールドを緻密に組み立てていきます。
第2楽章、緩徐楽章の充実ぶりを耳にすれば、この演奏に臨むサヴァリッシュの真剣度がよくわかります。一切の虚飾を排した純音楽的に磨かれたサウンドは豊饒で美しいものです。
しかし一方で、全般に遅めで安定したテンポ設定のなか、ときに滾るようなブルックナー特有のパッションもまた抑えられているようにも感じます。第4楽章ではやや大人しめの印象も残ります。

【第9番】
第1楽章、音は過度に重くならず、テンポはやや速めでリズムは軽快です。一方、ハーモニーの美しさが際立ちます。安寧と諦観がないまぜになったような主題の表現には深みがあります。木管楽器の囁きが効果的で、金管は抑え気味ながらメロディは明瞭に奏でられます。これらの構成要素がひとつになった終結部には演奏の完成度とともに、なんとも格調の高さを感じます。
第2楽章、演奏スタイルは変りませんが、テンポが上がり、リズムの刻み方がより鋭角的になります。いわば、贅肉部分の一切ない筋肉質な演奏といった印象です。ここでは、全体のバランスは均質に保ちながら一気に駆け抜けるような爽快感があるでしょう。
第3楽章、終楽章は減速して表現の濃度を高める演奏も多いですが、サヴァリッシュも同様なアプローチは意識しているようです。しかし、基本線はきっちりと守られ、室内楽的ともいえるハーモニーの美しさが一層追求されています。但し、本楽章の特質ですが、表現はモノトーンではなく複雑さを増していきます。不安な不協和音は、以降の現代音楽の前触れといった感じがある一方、古典的な均整あるフレーズが折々篝火のような揺らめきも見せます。サヴァリッシュは細部に目配りしながら、丹念に丁寧にこうした特徴を浮き彫りにしていきます。エンディングには静かで充実した感動があります。

(参考)
Bruckner: Symphony No. 3 in D Minor
ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(ノヴァーク版)Bruckner;Sym No 4
Symphony 5
Bruckner: Symphony No. 5 in B-Flat Major
ブルックナー:交響曲第6番@サヴァリッシュ/バイエルン国立o. (D)
Symphony 6
モーツァルト:交響曲第39番、ブルックナー:交響曲第9番 (Mozart : Symphonie Nr. 39, Bruckner : Symphonie Nr. 9 / Wolfgang Sawallisch, Wiener Philharmoniker) [2CD ]
Symphony 9

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

マタチッチ 交響曲第8番 1984年東京ライヴ映像

NHKクラシカル マタチッチ指揮 1984年 NHK交響楽団 ブルックナー 交響曲8番 [DVD]

NHKクラシカル マタチッチ指揮 1984年 NHK交響楽団 ブルックナー 交響曲8番 [DVD]

2019年3月17日、NHK Eテレ/クラシック音楽館「N響 伝説の名演奏」でこの演奏が放映され久しぶりに見た。1984年3月7日 NHKホール収録だが、リマスターで映像はかなり鮮明である。マタチッチはカメラワークをおそらく一切意識していない。大汗かきで、しょっちゅうハンカチを顔にあてる。指揮棒は使わずにほぼ右手だけでリズムをとる。興がのると両手が連動し相貌の表情が豊かになる。指揮の動きは小さく強奏でもそれは変わらない。ブルックナー休止も指揮はとめない。わずかに眼光の鋭さや半開きの口によって表現を感じとれる。ふと、立派な耳と鼻から写楽の役者絵を連想する。

 

さて、74分余のその演奏の特徴は。まずもって驚かされるのはN響の緊張感あふれる応対で、第1楽章から管楽器も実力を思いっきり発揮すべく、奮戦の気構えで臨場している様が伝わってくる。

マタチッチの音楽づくりは、いつもどおり隈取りくっきり、リズムも小刻み、よく切れる包丁でザクザクと刃をいれていく印象ながら、その切り口はけっして大雑把ではない。否、細部に神経の行き届いた、それでいて生き生きとした溌剌さを失わせない統率力こそ持ち味だろう。頑固な名シェフといった趣である。N響はゲネプロまで徹底的にしごかれたことであろう。

演奏へ没入しているからか、ハイテンションの気迫が最後まで衰えない。むしろ楽章がすすむほど熱気が籠もってくる感じで、こういう実演に居合わせたら、聴衆は徐々に「金縛り」の状況になっても不思議はない。

全般にテンポは早く、第3楽章も一気に駆け抜ける爽快感があり、そのため弦、木管の叙情性あふれる表情は抑えられているように感じる。マタチッチの代表盤であるとともにブルックナー演奏の激戦区8番にあって、いまでも独自の存在感がある。

 

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

ギーレン/バーデン・バーデン南西ドイツ放送響  交響曲第8番

Bruckner: Synfonie Nr.8, C-moll, Gielen

ミヒャエル・ギーレン(Michael Gielen)が2019年3月8日、91才で逝去した。ドレスデン生まれの老大家はブルックナーを得意とし最近交響曲全集(下記:参考)を残してくれている。

一方、いま追悼の気持ちで聴いているのは、第8番(ハ-ス版)であり、これは1990年12月、13日~19日、手兵たる南西ドイツ放送響を振ってのハンス・ロスバウトスタジオでのセッション録音である。60代前半の円熟期の演奏で集中度、細心の音の錬磨ともに“天晴れ”のもの。南西ドイツ放送響の澄んだ響きと機能主義的巧さも相まって、クリアで明快な録音。特に後半2楽章の充実ぶりが顕著だが、遅い一定のテンポをかたくなに守りながら(それに慣れるまではいささかの忍耐を要するかも知れない)、ブルックナー特有の音の“うねり”を大きく描いてみせる。そのアプローチには迷いがなく、自信に満ちたギーレンの代表盤の一つだろう。親日家だった巨匠のご冥福をお祈りしたい。

 

【参考】ギーレン・ブルックナー:交響曲全集―エディション第2集(1968-2013年)―

・第1番:ウィーン版、2009年1月ライヴ

・第2番:1877年 第2稿、ザールブリュッケン放送響、1968年3月

・第3番:1876/1877年 第2稿、1999年5月

・第4番:1874年 第1稿、1994年4月

・第5番:1878年 原典版、1988年12月&1989年11月

・第6番:1881年 原典版、2001年3月

・第7番:1883年 原典版、1986年12月

・弟8番:1887年版 第1稿、2007年6月ライヴ

・第9番:原典版、2013年12月ライヴ

*第2番以外は、バーデン・バーデン南西ドイツ放送響

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ