ブルックナーを聴くのなら、歴史と伝統に根ざした響きを求めてドイツ・オーストリアの楽団で、との見方もあります。本章ではそうした演奏を取り上げてみたいと思います。
まず、名門ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の関連では、アーベントロート、コンヴィチュニー、ノイマン、マズア、シャイーの5名を、次に、その双璧、シュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場)の関連では、カイルベルト、ケンペ、スウィトナー、ザンデルリング、ブロムシュテット、ハイティンクの6名を、最後に、「ドイツ的な響きに寄せて」として、アイヒホルン、ライトナー、ケーゲル、スクロヴァチェフスキ、レーグナー、ホルスト・シュタイン、サヴァリッシュの7名の指揮者について見ていきましょう。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と指揮者たち
まず、カペルマイスター(一部はEhrendirigent)の系譜は以下のとおりです。
1895~1922年 アルトゥール・ニキシュ(Arthur Nikisch)プロローグ参照
1922~1928年 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler)第1章参照
1929~1933年 ブルーノ・ワルター(Bruno Walter)第6章参照
1934~1945年 ①ヘルマン・アーベントロート(Hermann Abendroth)
1946~1948年 ヘルベルト・アルベルト(Herbert Albert)
1949~1962年 ②フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny)
1964~1968年 ③ヴァーツラフ・ノイマン(Václav Neumann)
1970~1996年 ④クルト・マズア(Kurt Masur)
1998~2005年 ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)別項
2005~2016年 ⑤リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly)
2017年~ アンドリス・ネルソンス(Andris Nelsons)第11章参照
シャイーや最近のネルソンスまで、まるでブルックナー名指揮者一覧とでもいうべきリストです。ここでは①~⑤の5名を順次、取り上げます。
◆アーベントロート(Hermann Paul Maximilian Abendroth, 1883~1956年)
アーベントロートは、ブルックナーの弟子、フェリックス・モットル門下で、1934年以降ワルターの後任として10年以上もゲヴァントハウス管弦楽団 のシェフを務めました。
ほぼ同時代のシューリヒト(1880~1967年)、クレンペラー(1885~1973年)、フルトヴェングラー(1886~1954年)、クナッパーツブッシュ(1888~1965年)らのなかにあって、東西ドイツの分断下、旧東独で活動したため、その演奏が知られる機会は乏しかったのですが、曖昧さのない自信に満ちたブルックナー像を構築しており、独自の地位を築いた名匠です。
小生保有のCD付属のライナーノート(大木正純氏)によれば、「人徳すこぶる豊かにして謙虚、しかも思いやりのある温かい心の持主」とのことで、1956年5月29日に逝去したときには何千人もの市民がお墓まで見送ったとのことです。
【第4番】
第4番 ライプチッヒ放送響 1949年11月16日 ライプチッヒ・コングレスハレ ドイツシャルブラッテンレコード 27TC-244
ハース校訂の原典版による演奏です。録音が良くないので、折々でストレスが溜まるでしょう。しかし、この迸るような演奏は、それを凌駕して我々にブルックナーの魅力を伝えてくれます。古き良きブルックナー・サウンドといっていいかも知れません。演奏の高品質なクオリティの追求(たとえば、セル)とは対極に、このやや雑然とした響きには凜とした美しさや調和はありません。その一方で、指揮者もオーケストラもブルックナーの音楽に純粋に奉仕しようといった気迫を感じます。第2楽章の行進曲風の快活なリズム感、静謐ななか沈降する音楽の共存には、ブルックナー音楽の多面性があらわれており、どちらの表現ともに強い説得力があります。
[2019年1月27日]
ブルックナーでは、ほかに第5番(1949年5月27日)、第7番( ベルリン放送響 1956年2月)、第8番(1949年9月28日)、第9番(1951年10月29日)などの音源があります。
◆コンヴィチュニー(Franz Konwitschny, 1901~1962年)
コンヴィチュニーは、61才という指揮者としては働き盛りのときに他界しました。東西冷戦下にあって、その名声が当時、西側に十分かつ正確に伝えられていたかどうかはわかりませんが、残された記録によって稀代の大指揮者であったことがその後、知られるようになりました。彼は、ブルノとライプチッヒの音楽院で学び、ヴィオラ奏者をへて1927年に指揮者としてデビューしドイツ各地の歌劇場で活躍、その後1949~62年にかけて、ゲヴァントハウス管に君臨し、1953〜55年にはシュターツカペレ・ドレスデン、55年からは東ベルリンの国立歌劇場の音楽監督も兼ねた旧東独においてもっとも著名な指揮者の一人でした。61年に来日するも翌年急逝しました。
第5番 ゲヴァントハウス管 1960年 日本コロンビア COCO-75402→3
【第5番】
1970年代、第5番の名演といえば、ヨッフム、カラヤン、ケンペ/ミュンヘン・フィルとともに、このコンヴィチュニー盤(晩年の1960年録音、ハース版)は最右翼でした。かつ、バトンタッチした後のマズアもこれにつづいて、名を馳せるなど、コンヴィチュニーの引いた路線は確実に継承されました。 豪胆な演奏です。思い切り鳴らして迫力も十分、低弦の押し寄せる地響きにも似た音の広がりと金管楽器の劈(つんざ)くような咆哮によって、ブルックナー・サウンドの底力を強烈に印象づけています。小細工なし、正面突破型のスタイルながら、第2楽章のボヘミアン風のメロディの親しみやすさなども巧みに表現して、けっして一本調子の力押しばかりではありません。練達の指揮者と曲を完全習熟したオケによるこの時代ならではの成果といえましょう。
[2019年2月10日]
【第7番】
第5番にくらべて、第7番(ゲヴァントハウス管、1961年録音、ハース版)はやや“大人しめ”の印象ですが、第2楽章の充実感はなかなかのものです。凡長な演奏だと表現に濃淡のムラがでる難しいアダージョですが、テンポは一定、表現ぶりも平常心を忘れず、いわば淡々と進行しながら、深い感興をあたえてくれます。気心のしれたオーケストラに「いつもどおりに気負わずにやろう」と指示しているような感じ。録音の鮮度が劣るのが残念ですが、この鷹揚とした解釈から、素材の良さが自然と浮き上がってくるような演奏です。
[2019年2月10日]
【第8番】
ベルリン放送響との共演です(1959年モノラル 、ハース版)金管が高い山々の稜線をトレースするかのように朗々と鳴り響きます。実に雄々しく鳴らしています。解釈はオーソドックスでテンポは安定しており、多くの同番を聴いてきた者からすれば、重量感がある見事な演奏というのが大方の感想ではないでしょうか。弦楽器は録音の関係もあるかも知れませんがやや控えめな印象をぬぐえませんが、アンサンブルはしっかりしています。聴けば聴くほどに納得できる手堅くも堂々とした演奏で、ブルックナー名指揮者列伝の間違いなく一角を占める証左ともいえる成果です。
[2018年1月5日]
ブルックナーでは、ほかに第2番(1960年盤、ゲヴァントハウス管、1951年盤、ベルリン放送響)、第4番(1961年、ウィーン響)、第9番(1962年、ゲヴァントハウス管)などの音源があります。
◆ノイマン (Václav Neumann, 1920~1995年)
ノイマンといえば、チェコ・フィルで数々の名演を残したことで有名ですが、40才代壮年期には、コンヴィチュニーの後継者として1964~68年の間、ゲヴァントハウス管を振っていました。
【第1番】
第1番 ゲヴァントハウス管 1965年12月13~14日、ライプツィヒ救世主教会(ハイランツキルヒェ)BERLIN Classics(輸入盤 0094662BC)
ここで注目すべきは第1番です。ブルックナー探訪の面白さは、ときたまこうした逸品の演奏に出会えることです。この初期作品はワーグナーの影響が強いともいわれますが、第4楽章でベートーヴェンの第9番のメロディの一部が垣間見えたり、また、第1楽章では同じく第7番と少しく共通するリズムの乱舞があるように聞こえる部分もあります。
ノイマンの演奏は、そうした面白さも反映しつつ、とにかく音が縦横に良く広がります。打者の手前でビユーンと伸びる変化球のように、聴き手の予想を超えて音がきれいに伸張し、それが次に心地よく拡散していく瞬間の悦楽がたまりません。また、丁寧に、とても丁寧に音を処理していき、第4楽章などに顕著ですが繰り返しも忠実に行うなど、ノイマンらしい総じてとても真面目で端整な演奏です。
それでいて飽きさせないのは例えば第2楽章において、そのメロディの歌わせ方が絶妙でこよなく美しいこと、全般に程良いダイナミズムが持続することにあります。陰影の付け方などはかなり工夫もあり、また、ここはベートーヴェン風に演奏しているのでは・・・と思わせるような隠し味的なところもあります。私見ながら第1番のベスト5に入る名演です。
[2015年1月22日]
◆マズア(Kurt Masur, 1927~2015年)
交響曲全集 ゲヴァントハウス管 1974~1978年 RCA Red Seal 88843063682
ベルリン・フィルやウィーン・フィルと並んで、ゲヴァントハウス管弦楽団は老舗中の老舗です。本団のブルックナー(ステレオ録音)が一般的に評価されたのはマズアの時代以降です。
マズアは、アーベントロート、コンヴィチュニーといった偉大な先人の足跡を踏まえつつ1970~1996年の四半期以上の長期にわたって本団の実力を世に知らしめました。 この時期のゲヴァントハウス管の演奏はハース版が中心です。たとえば、第1番のノイマン(1965年録音)はリンツ稿ハース版、第2番のコンヴィチュニー(1960年)は1877年稿ハース版、第3番ザンデルリング(1963年)は1889年版、第4番はその後のブロムシュテットもハース版、第5番は、アーベントロートもコンヴィチュニー(1961年)もハース版、第7番コンヴィチュニー(1961年)はハース版、第8番のアーベントロート(1949年)もハース版、そして、第9番のみは早くから知られていたことがあるかも知れませんが、コンヴィチュニー(1962年)に続きその後のマズアも原典版となっています。 旧東独時代、外貨稼ぎの事情もあってか、マズアのブルックナーを世界に売り出す試みは成功し、深い響きと良き意味での古色蒼然たるハイマート感は日本でも話題となりました。しかし、今日から振り返ると、その素朴ともいえる(しかし、たっぷりの)情感とややぶっきらぼうとも思える非技巧性は、アーベントロート、コンヴィチュニーの伝統を引き継ぐものであることがわかります。ゲヴァントハウス管のブルックナーは、その後も実に良い演奏が続きます。歴史的には第7番の「初演オケ」には、連綿とし胸を張る伝統と各プレイヤーが引き継いできた楽器と音色に秘めた自信があるのでしょう。それを最大限引き出したマズアの功績もまた大きいと思います。
[2014年12月11日]
◆シャイー(Riccardo Chailly, 1953年~)
交響曲全集 Eloquence/Decca 4824454
シャイーのブルックナー全集は周到に準備されました。第7番の1984年から第8番の1999年まで、なんと15年をかけてのじっくりと構えた仕事であり、ベルリン放送響(第7、3、1、0番)に続けて、コンセルトヘボウ管(第4、5、2、9,6,8番)にバトンタッチして完成しました。スコアもノヴァーク版を基軸としつつも、曲によっては、原典、ハース、ウィーン各版を採用するなど独自の解釈を覗かせています。
【第1番】
第1番は初期のリンツ版の演奏が多いなか、本盤は作曲者晩年の1890/1891年改訂のウィーン版によっています。既にリンツ盤に親しんでおり、もう1枚は別の演奏で・・というリスナーには好適です。
ベルリン放送響の音質はブルックナーによくあっていますし、シャイーは「あえて、ウィーン版で勝負!」といった意気込みが感じられ、細部にも気をくばった緊張感あふれる演奏です。第1番はいまや全集で多くの音源に接することができますが、単独でなかなか良い演奏に巡りあわないなか、小生はかねてより座右に置いています(1987年2月、デジタル録音)。
[2012年4月21日]
【第6番】
第1番とともに優れた演奏だと思います(コンセルトヘボウ管、1881年原典版)。弦の響かせ方が明るく、かつ微妙な揺れが感情を豊かに表出します。しかし、甘美なセンティメンタリズムの一歩手前で抑制したかと思うと、次に雄渾な管楽器がブルックナー・サウンドを存分に聴かせます。その繰り返しが一種のスリリングな緊張感を生んでいきます。多分、計算され尽くされているのでしょう。部分的にはそれも垣間みえます。しかし、その術中にはまっていくのも心地よい気分です。こうした自信をもった演奏スタイルがあってこそ、ブルックナーの多様性が楽しめると思います(1997年2月、デジタル録音)。
[2012年4月21日]
【第9番】
第9番(コンセルトヘボウ管、1894年ノヴァーク版)では終始、<波動>が伝わってきます。大きな波動、小さな波動、強い波動、ゆるい波動、そしてその見事な合成ーそれらの“うねり”がひたひたと迫ってくるようです。そうした<波動>が心に浸潤してきます。第1楽章冒頭から「巧いなあ」と思う一方、いわゆる音楽への没入型ではなく、指揮者はあくまでも、醒めた感覚はもちつつも、独自の<波動>をつくっていく技量は本物です。
次にこうなってほしい、こういう音を聞きたいとリスナーに期待させる巧みな誘導ののちに、それを凌駕するテクスチャーを次々に繰り出してくるような感じです。ブルックナーの聴かせどころ、ツボを研究し尽くしているからこそできる技でしょうが、だからといってけっしてリスナーに安易に迎合はしていません。意図的に嵌めていくとすればそれは「えぐい」でしょうが、<波動>がとても美しく、力強く連続していく快感のほうが先にきて、技法の妙は意識させません。こんな演奏をできる指揮者はそうざらにはいません。2005~2016年に長きにわたって、ゲヴァントハウス管のシェフを務めたのもその実力のなせるところでしょう(1996年6月、デジタル録音)。
ブルックナー・コラムⅩ
<作曲家シリーズ> ワーグナー(1) 属啓成(1949)『音楽の鑑賞』音楽鑑賞全集第1巻 千代田書房.という第二次大戦後、比較的早いタイミングで出版された本があります。この時代に書かれたことを考えても先駆的名書であると思います。ブルックナーの交響曲も紹介されていますが、ここで取り上げられているのは第4番、第7番です。その第7番の紹介文を以下、引用します(漢字は新字体に直しますが、それ以外は原文表記です)。 「第7交響曲変ホ長調は、特に第3楽章のアダジオを以て名高い。この楽章は彼が崇拝するヴーグナーの死を予感しながら書いていたと云われるが、果せるかな完成半ばにして、ヴーグナーの訃報がヴェニスからウインにもたらされた。 『矢張りそうであったのか。自分は泣いた。おお如何に泣いたことか。それから自分はこの哀悼の音楽をかいたのだ』 と友人にもらした。この交響曲の初演は、1884年ライプチッヒに於てヴーグナー記念碑建造資金募集のために行われ、初演の時既に非常に人気を呼んで(第2楽章は3回もアンコールされたと云う)今日に至っている」(p.240) ここで興味深いのは、ブルックナーの紹介がワーグナーとの強い関係において語られていることです。属氏は別のところで標題音楽と絶対音楽をクリアに切り離して解釈しており、ブルックナーに関しても第4番について「彼は標題音楽的な交響曲を書いたのはこの1曲以外にない」(p.239)と言っています。 ワーグナーとブルックナーが、その音楽的な特質とは別に「ある意味」で一体的に捉えられている点については、ナチスのプロパガンダの影響があると思います。 伊藤嘉啓(1989)『ワーグナーと狂気』近代文芸社.では「反ユダヤ主義」との関係においてワーグナーとナチズムの関係を考察しています。ワーグナーの反ユダヤ感情や攻撃的なユダヤ人批判を半世紀のちナチズムが利用したにせよ、その萌芽がワーグナーの音楽のなかにあることもアドルノなどの言葉を引いて明らかにしています。 一方、ブルックナーはどうでしょうか。ブルックナーの人生は、非政治的なものであったといえるでしょうし、何よりも彼には反ユダヤ的な言動などはありませんでした。しかし、ヒトラーはワーグナーとともにブルックナーの音楽を熱愛し、1937年にはヴァルハラにブルックナーの胸像を入れてその前で写真も撮っています。また、伝えられるところによれば、ハンブルクラジオは、先に引用したエピソードを踏まえて、ヒトラーの死を告げる放送の前に、ブルックナーの第7番のシンフォニーの演奏を流したとのことです。 枢軸国たる日本でも、ワーグナーとともにブルックナーの音楽もドイツからの映像のバックで鳴っていたかも知れません。ワーグナーの標題音楽やライトモティ-フLeitmotivとブルックナーの絶対音楽性の違い、純然たるドイツ人たるワーグナーとオーストリア人たるブルックナーの違いなどもあり、戦後、ワーグナーに比べてブルックナーは「鉤十字(ハーケンクロイツ)の呪縛」からは早く解放されたようですが、こうした歴史的な足跡でも両者の関係は浅からぬものがあります。
1930年代以降のシュターツカペレ・ドレスデンの歴代楽長および首席指揮者は以下のとおりです。
1934~ 1943年 カール・ベーム(Karl Böhm, 1894~1981年)第4章参照
1943~1944年 カール・エルメンドルフ
1945~1950年 ⑥ヨーゼフ・カイルベルト(Joseph Keilberth, 1908~1968年)
1949~1953年 ⑦ルドルフ・ケンペ(Rudolf Kempe, 1910~1976年)
1953~1955年 フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny, 1901~1962年)上記参照
1956~1958年 ロヴロ・フォン・マタチッチ(Lovro von Matačić , 1899~1985年)第9章参照
1960~1964年 ⑧オトマール・スウィトナー(Otmar Suitner, 1922~2010年)
1964~1967年 ⑨クルト・ザンデルリング(Kurt Sanderling, 1912~2011年)
1966~1968年 マルティン・トゥルノフスキー(Martin Turnovský, 1928年~)
1975~1985年 ⑩ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt, 1927年~)
1985~1990年 ハンス・フォンク(Hans Vonk, 1942~2004年)
1992~2001年 ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli, 1946~2001年)第7章参照
2002~2004年 ⑪ベルナルト・ハイティンク(Bernard Johan Herman Haitink, 1929年~)
2007~2010年 ファビオ・ルイージ(Fabio Luisi, 1959年~)
2012年~ クリスティアン・ティーレマン(Christian Thielemann, 1959年~ )
以下では⑥~⑪の6名を順次、取り上げてみたいと思います。
◆カイルベルト(Joseph Keilberth, 1908~1968年)
1945~50年にかけて、カイルベルトは、シュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者でした。
カイルベルトは、ワーグナーを得意とし40代でバイロイト伝説をつくった気鋭の指揮者でしたが、オペラのレパートリーは広くドイツものでもモーツァルトからリヒャルト・シュトラウスまで様々な音源があります。また、ウィーン・フィルなど一流のオーケストラや歌手との共演陣でも非常に立派な記録がありますが、60才で『トリスタンとイゾルデ』指揮中、心臓発作にて急逝しました。
カイルベルトとカラヤンは同年同月の生まれ。カイルベルトは惜しまれつつも還暦で逝去する一方、カラヤンはステレオ録音の高度化によって、その後、70年代に円熟期の名演を次から次に繰り出すことになります。
しかし、もしもカラヤンがいなければ、その実力からみてカイルベルトがベルリン・フィルのシェフになっていても少しもおかしくなかったともいわれます。
【第6番】
第6番 BPO 1963年 Teldec WPCS-12153
さて、そのカイルベルトの第6番(原典版)です。本曲は、あえて比較すればブラームスの第2番のような駘蕩さがあります。暗さがありませんし滔々たるメロディの流れが神経を弛緩してくれます。しかし、それゆえに、ブルックナーらしい巨大な構築力では他番より控えめであることから、取り上げられる機会は多くありませんし、ほかの番にくらべて名盤も限られているように思います。 そうしたなかで、カイルベルト盤は、巧者ベルリン・フィルを振ってのもので従来から高い評価をえています。小生も第6番を聴くときの有力な選択肢ですが、いくど聴いても飽きがきません。カイルベルトは折々では、ブルックナー特有の一種の土臭さも表現しつつも、全体としては調和を重視し端正な仕上がりに腐心しているように感じます。管楽器を目立たせずに弦楽器の高い合奏力を強調しています。第2楽章の引き締まった演奏は実に心地よく、特に緩やかに下降する音階の聴かせどころの美しさは妙なるものです。第6番の名品といってよいでしょう。
[2015年9月12日]
◆ケンペ(Rudolf Kempe, 1910~1976年)
ケンペについては、ワーグナーやR.シュトラウスの名演はよく知られていますが、ブルックナーに関しても、今後多くの未公開音源が世にでてくれば再評価されるべき指揮者だと思います。以下では代表盤を2つ掲げます。
ミュンヘン・フィルという重量級のオーケストラは、低弦は少し湿り気のある重い音、金管は安定感抜群で力量があります。これを総帥するのは、シュターツカペレ・ドレスデンの首席も務めたケンペです。この2曲の演奏は、構成の大きさ、曲想の豊かさ、美しく気高きメロディといったブルックナーの良さを十分に引き出した名演です。ケンペは惜しくも1976年、65才という円熟期に急逝しますが、結果的にその晩年の貴重な記録となりました。
第4番 ミュンヘン・フィル 1976年1月18~21日 第5番 ミュンヘン・フィル 1975年5月25~27日 ブリュガー・ブロイケラー ミュンヘン Scribendum SC3
【第4番】
ミュンヘン・フィルの持ち前の重量感を生かしたオーソドックスな演奏です(ノヴァーク版1878-80年第2稿使用)。
第1楽章、テンポを一定に保ち、その中に豊かなボキャブラリーをきちんと整序しつつ凝縮していきます。同番では同じミュンヘン・フィルとのライヴ盤(1972年11月、ミュンヘン)もありますが、本セッション録音は実に緻密に慎重になされたのではないかと感じます。特に第2楽章の音のクリアさと美しさは“ひとしお”です。ケンペ逝去の約4ケ月前の録音です。
【第5番】
ブルックナーのこの曲への複雑な感情表出が、陰影を感じさせる深い響きから浮かび上がってきます。
全体にデューラーの少し暗い色調の絵を観賞するような趣きがあります。第2楽章のアダージョは、これぞドイツ的な音の渋さ、くすみ、幾分の暗さが微妙にブレンドされています。全体の見通しがよく、いささかもぶれず程良い一定のテンポを堂々と持続していくケンペならではの独自の音づくりには、静かな感銘があります。
[2019年2月10日]
◆スウィトナー(Otmar Suitner, 1922~2010年)
【第4番】
第4番 シュターツカペレ・ベルリン 1988年10月 ベルリン・キリスト教会 キングレコード KICC-3533
スウィトナーによる第4番(ノヴァーク版)です。ホルンの慎重なソロに、霧のように忍び寄る低弦の重なりという出だしから、大切に本曲を再現しようとするスウィトナーの真摯なる姿勢が伝わってきます。テンポを崩さず曲をすすめるうちに、楽器の各パートの響きが見事にブレンドされていきます。第2楽章もさほど暗くなく色調の統一感にも周到な配慮がなされています。こうした“絶妙なバランス感覚”こそ、この老練な指揮者の持ち味なのでしょう。 弦と木管をうまくコントロールしながら音を重くしない技法はシューリヒトに共通するようにも感じます。滔々とまろやかに流れるブルックナー・サウンドには快感があります。後半2楽章においても、必要なアッチェレランドは躊躇なくかけますが、激烈な音は残響の長いホールのなかで分散処理されて一切の刺々しさがありません。 こうした演奏スタイルを評価するファンには、滋味あふれる良き演奏ですが、ときに苛烈さも求めたい向きには、やや平板な印象をもつかも知れません。小生はこうした節度ある、なによりも原曲の良さをどこまでも素直に表現しようとするスウィトナーの安定感ある解釈はとても好ましく思います。
[2019年1月24日]
◆ザンデルリング(Kurt Sanderling, 1912~2011年)
【第4番】
第4番 バイエルン放送響 1994年11月4日 ヘルクレスザール ミュンヘン ライヴ Profil PH5020
ザンデルリングの第4番(ハース版)は、「柔よく剛を制す」に似て、角張ったところがなく音楽が緩めのテンポのなか自然に滔々と流れていく印象です。
一歩間違えば、締りのない弛みにも通じるリスクもありますが、そうならないのは指揮者、オーケストラともにブルックナーの音楽に対する強い愛着の気持ちが根底にあるからでしょう。そこを汲み取れるか否かで本演奏の評価も違ってきます。テンシュテットのような直截の“熱さ”は感じませんが、ライヴ盤ながら沈着さが全体を支配し、これはこれで心地よき落ち着いた演奏です。 バイエルン放送響の響きはヨッフム時代に鍛えられ、独特の透明感があって聴きやすく、じわりじわりと時間とともにその良さが心に効いてくるようです。
[2016年6月12日]
◆ブロムシュテット( Herbert Blomstedt, 1927 年~)
ブロムシュテットは、1998〜2005 年 ゲヴァントハウス管のシェフ(のち名誉指揮者)を努め、その後2005〜12年の7年にわたって同団とブルックナーの交響曲全集を完成させその成果を世に問いました。
第7番 シュターツカペレ・ドレスデン 1980年6月30日~7月3日 ルカ教会 ドレスデン デンオン COCO-70489
【第7番】
本盤はそれに先立ってシュターツカペレ・ドレスデンを指揮して録音されたものです。ブロムシュテットは1975〜85年にわたって首席指揮者の地位にあり、ベートーヴェンやシューベルトの交響曲全集や、モーツァルトの後期交響曲集などを録音する一方、ブルックナーの取り上げは第7番、第4番の2曲に限られました。ブルックナーに関してはその後、サンフランシスコ響との第6番(1990年)、第4番(1993年)などもありますが、この第7番は1980年6月30日から7月3日にかけて、ドレスデンのルカ教会で録音したいわば最初のブルックナー・トライアルです。 後述の第4番も同様ですが天晴れの演奏です。第1楽章冒頭のいわゆるブルックナー“原始霧”、弦楽器群の弱音のトレモロの深い美音を聴いた瞬間から、その清涼な響きに打たれます。ブロムシュテットといえば、その師、イーゴリ・マルケヴィッチ同様、痩身長躯の立ち姿が目に浮かびます。徹底した菜食主義者で知られ、かつて来日時に見た特集番組でも少量のサラダを時間をかけて食する場面があったように記憶しますが、全体として、緑陰に座って木漏れ日が葉脈を細密に映し出すのを下から眺めるような爽快な印象があります。 イン・テンポで一音一音を慎重に磨きこんでいく一方、その音楽には生命感があり葉脈を通じる透明な溶液を連想させます。
第2楽章では打楽器は抑制され、ワーグナーチューバの厳粛な響きも控えめで弦楽器群の室内楽的統一感と静謐さが前に出ています。 第3楽章スケルツォは一転、軽快に風を切る雰囲気があり、管楽器も躍動感をもって応答しますがトリオでは指示どおり減速し潔癖なハーモニーが重視されます。終楽章も過度なドライブはかけず、音量は感動とは正比例しないという信念があるかのように、管楽器の突出が巧みにセーヴされ高貴な響きが生き生きとしたリズム感とともに心の奥底に届いてくるかのようなアプローチです。
[2013年6月16日]
【第4番】
1981年9月ドレスデンのルカ協会での録音です。2回目の全集を同じドレスデン・シュターツカペレで収録中のヨッフムの第4番は翌1982年の録音ですから、この時期ドレスデンはブルックナーに実に集中して取り組んでいたことになります。薄墨をひいたような弦楽器の少しくすんだ音色も、ルカ協会特有の豊かな残響ともに共通しますが、ブロムシュテット盤も秀逸な出来映えで両盤とも甲乙はつけがたいものです。
ブロムシュテットは全般にヨッフムよりも遅く、かつテンポはベーム同様、実に厳しく一定に保っています(いずれもノヴァーク版使用。ヨッフム:ブロムシュテットで各楽章別に比較すれば、第1楽章、17:48、18:23、第2楽章、16:40、16:30、第3楽章、10:02、10:51、第4楽章、20:22、21:06)。
ブルックナーの音楽は本源的に魅力に溢れ聴衆に必ず深い感動をあたえるという「確信」に裏打ちされたように、小細工など一切用いず、素直に、しかし全霊を傾けてこれを表現しようとする姿勢の演奏です。どの断面で切っても音のつくりに曖昧さがなく、全体にダイナミズムも過不足がありません。
ブルックナー好きには、演奏にえぐい恣意性がなく、作曲家の「素地」の良さを見事に表現してくれた演奏と感じるでしょう。
[2012年4月30日]
◆ハイティンク(Bernard Johan Herman Haitink, 1929年~)
【第6番】
第6番 シュターツカペレ・ドレスデン 2003年11月3日 ゼンパーオーパー ドレスデン ライヴ Profil PH07011
若き日、ハイティンクの指導者はブルックナーの泰斗、ヨッフムでしたが、師も名演を紡いだシュターツカペレ・ドレスデンとの組み合わせです。ハイティンクは、2002~04年、ここのシェフも務めました。
第6番に関しては、1935年ドレスデンで原典版での初演が行われており、ご当地ならではの輝ける伝統とプライドがあるのでしょう。あたかもヨッフムの遺訓を受け継ぎながら、ハイティンクらしい豊かな感受性と変化する表情を備えた堂々とした演奏です。
第1楽章はライヴゆえオケとの噛み合いが微妙にずれて金管楽器に不安定なところもありますが、聴かせどころの第2楽章のアダージョは丁寧に美しく歌いこんでいきます。第3楽章は上昇気流に乗ったような高揚感があり、終楽章ではテンポもより自在で感情表出の造詣も深く、終結部のコーダの盛り上がりも十分です。なお、ハイティンクは録音に恵まれており、ブルックナーに関しても、ウィーン・フィルやコンセルトヘボウ管との幾多の共演もあります。そのうちウィーン・フィルとの第4番について以下、コメントします。
【第4番】
小生は、コンセルトヘボウのブルックナーではベイヌムの演奏が好きです。ヨッフムも第5番などは独壇場。その後任のハイティンクは、一所懸命、先人の背中を追いながら、なかなかその距離が縮まらないと思ってきました。そのうち、代替わりがあってコンセルトヘボウではシャイーがでてきます。シャイーはジュリーニばりに音楽を柔らかく包括的にとらえ、他方、その音を磨き込み、先人とは違うアプローチでブルックナー演奏でも独自の存在感を示しました。
さて、そのハイティンク/ウィーン・フィルの第4番、1985年2月の録音です。聴いていて、素直にいいなと思います。ハイティンク、会心の出来ではないでしょうか。不慮の水死を遂げたケルテスも、ウィーン・フィルとはブラームスで立派な業績を残していますが、この狷介で、ときにじゃじゃ馬的な天下の名門オケは興が乗れば、凄い演奏をします。第4番での典型はベーム盤でしょう。ハイティンクの本盤は、その求心力においてベームにはやや届かないものの、それ以来の録音を残したといってもよいかも知れません。
[2013年6月15日]
ブルックナー・コラムⅪ
<作曲家シリーズ> ワーグナー(2) ワーグナーの伝記を読んでいると、疾風怒濤のごとき時代との「格闘」、華麗な人脈と各地へのあくなき「転戦」、何人分もの人生を一人で経験したかのような「巨大な活動エネルギー」に圧倒されます。およそブルックナーとは対極の生き方です。通常、ブルックナーの伝記ではワーグナーとの接触はハイライトといってもいい重要なイベントですが、ワーグナーの伝記中でのブルックナーの登場は、厖大すぎる事象にあって、ほんの一コマを飾るにすぎません。批判者ハンスリックとの関係の方が刺激的であるゆえに、より紙面が割かれているのではないでしょうか。 有名なエピソードですが、ワーグナーは1830年にベートーヴェンの第9シンフォニーをピアノ独奏用に編曲しています。また、1832年に交響曲ハ長調を作曲、これはプラハで初演されたのち、翌年にはゲヴァントハウスでも演奏されています。当時のワーグナーは19才です。40才をすぎてから交響曲の作曲に本格的に取り組みはじめるブルックナーとは大違いです。ワーグナーは、交響曲という作曲ジャンルでは自分のもつミューズを発揮できないとはやくから見切っていたのかも知れませんが、楽劇Musikdramaという独創的な総合芸術に挑戦していきます。対してブルックナーは宗教曲以外では、終始一貫し交響曲に特化してその芸術の高みに登っていきます。 ワーグナーの「お師匠筋」にあたるリストをして、既に交響曲から交響詩へと標題音楽への転換をはかっていたわけですから、野心家のワーグナーがそれをさらに踏み越えていくのは当然としても、リストともワーグナーとも親交のあったブルックナーが頑なに交響曲にこだわっていくのも、そのコントラストが面白いですが、リスト、ワーグナーとブルックナーとはリスナーとしての音楽体験でも不連続なものを多く感じます。 さはされど、ドイツ音楽という大きな包含のなかでは、ドイツ的な(と日本人が感じる)雰囲気はいずれにも通底していると思います。ワーグナーの楽劇に関心をもった頃、ヴェーバー『魔弾の射手』によく似ているなと思いました。 そのヴェーバーですが、ワーグナーの子供の頃、義父ガイアー家に親しく出入りし、ワーグナーは尊敬の念を抱き将来、ヴェーバーのようになりたいとひそかに憧れたようです。また、ワーグナーがマルデブルグ市立歌劇場の指揮者時代には、おそらくは人気メニューだったでしょうが『魔弾の射手』も演目として取り上げています。 さらに、1844年、ヴェーバーはロンドンにて客死しますが、その遺骸を母国に移送し葬儀、埋葬の労もワーグナーはとっています。 (高辻知義(1986)『ワーグナー』岩波新書,p.34,pp.30-38,p.71)。 ブルックナーが建設途上のバイロイトを訪問した際のエピソードは、彼が第3シンフォニーをワーグナーに献呈した経緯とともに有名です。祝祭歌劇場の建設現場の見学に思わず夢中になり彼はワーグナーを往訪する時間に遅れてしまいます。その夜、ワーグナーから酒をすすめられて、巨匠に会った極度の緊張感も加わってかブルックナーは不覚にも酩酊し、翌日、ワーグナーが第2番を所望したのか第3番だったか、宿酔の彼はこんな「人生の大事」が思い出せません。ブルックナーは同席者から当夜の会話を確認のうえ、ワーグナーに手紙でお伺いを立てます。その手紙を受け取ったワーグナーは名うての対人交渉上手、ドジなブルックナーの振る舞いに驚く一方で、苦笑を禁じ得なかったのではないでしょうか。同様な失敗に事欠かない小生は、ブルックナーに共感こそすれ到底、非議できる立場にはありませんが、微笑ましい挿話だと思います。
3 .ドイツ的な響きに寄せて
ドイツ的な響きに寄せてというタイトルからは、本当に数多くの取り上げるべき指揮者がいますが、以下では上記1、2とも関係のある7人の名匠についてその代表盤についてコメントします。また、このグループでは親日家が多く含まれているのも特徴です。
◆アイヒホルン(Kurt Peter Eichhorn,1908~1994年)
【第5番】
第5番 バイエルン放送響 1990年 ザンクト・フロリアン教会大ホール ライヴ Capriccio 10609
アイヒホルンもブルックナー指揮者の一角をしめ、リンツ・ブルックナー管弦楽団との諸作品などが残されています。ヴァント、朝比奈隆らとともに晩年、特にその動静が注目されました。ブルックナー演奏に関しては、「長生きは指揮者冥利」とでもいうべきでしょうか。ヴァントはベルリン・フィルを、朝比奈はシカゴ響を、そしてアイヒホルンはこのバイエルン放送響を振って晩年、大きな話題を提供しましたが、本盤はその代表的な1枚です。
1990年、聖フローリアン教会でライヴ収録したもので、生き生きとした息吹は「老い」というより「老練」という言葉を惹起させます。端整、オーソドックスな解釈で、第1楽章の充実ぶりに特色があり、4楽章全体の力の入れ方のバランスが実に良いです。その一方、第4楽章は引っぱるところは思いっきり伸ばし、残響豊かにブルックナー・サウンドを展開します。小刻みにアッチェレランドやリタルダンドも駆使する場面もありますが不自然さは感じさせません。テンポに関して小生の好みからいえば、いささか遅すぎ、ときに緊張感を削ぎますが、実演に接しているリスナーには別の感動があったのかも知れません。
[2019年3月10日]
◆ライトナー(Ferdinand Leitner, 1912~1996年)
【第0番】
第0番 バイエルン放送響 1960年6月11日 ORFED C269 921 B
ライトナーの第0番は名盤です。特に、第2楽章アンダンテでは、弦楽器の音色は透明感があって美しく、表情が豊かで、そのなかに仄かに優しさと哀愁がにじみます。ここでは、ヨッフムによって鍛えられたバイエルン放送響の自信に裏打ちされ、磨かれたブルックナー・サウンドを聴くことができます。第3楽章、ともすれば単調になりがちなブルックナー特有の上昇と下降を繰り返す音型処理も、豊かな表現力と魅力的なサウンドによっていきいきと息づき、ライトナーの巧手ぶりを感じさせます。終楽章は、第1楽章の牧歌的な主題が回帰され、素直でほのぼのとした雰囲気が満ちてきます。それが次第に速度を増し、ブルックナーらしい、しかし短いフィナーレに向かって高揚していく展開も見事です。
[2019年3月10日]
◆ケーゲル(Herbert Kegel, 1920~1990年)
第4、7、9番 第4番 ライプツィヒ放送響 1960年4月3日 ベルリン・コンツェルトハウス ライヴ 第7番 ライプツィヒ放送響 1961年5月9日 ライプツィヒ・コングレスハレ ライヴ 第9番 ライプツィヒ放送響 1969年4月1日 ライプツィヒ・コングレスハレ ライヴ ODE CLASSICS
【第4番】
ケーゲルは、旧東ドイツ、ドレスデン出身の名指揮者です。1949年に、アーベントロートの助手としてライプツィヒ放送響、同合唱団を指導し、アーベントロート没後は後任としてほぼ30年の長きに渡り、同オケを東ドイツ有数の団体に成長させました。さらに、1980年代にはドレスデン・フィルの首席指揮者に転じます。1989年に同団と来日しましたが、翌年衝撃的なピストル自殺を遂げます。
ブルックナーについては、ユニークなジャケットとともに1970年代の録音があります。
第3番「ワーグナー」(1978年6月6日ライヴ)、第4番(1971年9月21日ライヴ)第5番(1977年7月6日ライヴ)、第7番(1971年5月17日~28日)、交響曲第9番(1975年12月16日ライヴ)などですが、本集はそれに遡る60年代の記録で、ライプツィヒ放送響を振ってのライヴ音源です。
ケーゲルの演奏にはファナティックさを強調する見方もありますが、本集を聴く限りそうした印象はあまりありません。むしろ、全体としてはベーム的なしっかりとした構成力に優れたうえ、ベームとの根本的な違いはテンポの可変性、揺れにあり、それはオーケストラに対して感応的・機動的な操舵が織り交ぜられているように感じます。このうち第4番は第1楽章冒頭から特に集中力に満ちており一聴の価値あるものと思います。
[2016年7月2日]
◆スクロヴァチェフスキ(Stanisław Paweł Stefan Jan Sebastian Skrowaczewski, 1923~2017年)
スクロヴァチェフスキはポーランド生まれ、ザールブリュッケン放送響でブルックナー交響曲全集を完成させました。
番別の取り上げは、第00番(2001年3月6~10日)、第0番(1999年3月22~25日)、第1番(リンツ版、 1995年6月13~18日)、第2番(1877年版第2稿、1995年6月13~18日)、第3番(1889年版、1996年10月)、第4番(1886年ノヴァーク版、1998年10月25~28日)、第5番(1996年5月31日~6月3日)、第6番(ノヴァーク版、1997年3月3~4日)、第7番(1885年ノヴァーク版、1991年9月27、29日)、第8番 (ハース版、1993年10月8、9日)、第9番(1894年原典版、2001年1月12~18日)となっています。
ブルックナー愛好家の特色は、一種の判官贔屓(レパートリーの広い大家よりもブルックナーに“強い”指揮者を好む)、来日演奏家への関心(いわゆる「畢生の演奏」をやった人)、年配者への敬意といった傾向があるように思いますが、この3要素をスクロヴァチェフスキは見事に満たしています。
【第2番】
第2番 ザールブリュッケン放送響 1995年6月13~18日 アルテ・ノヴァ BVCE-38029
聴いていて、根強いファンがいる理由がよくわかります。きめ細かい周到な解釈で、オーケストラを縦横にコントロールして渋い良さを引き出しています。76才の老練なブルックナー指揮者として充実した演奏です。朝比奈隆や訪日組ではマタチッチ、レーグナー、ケーゲルなどの系譜を継いで、スクロヴァチェフスキも日本で多くファンに親しまれました。
この第2番も自然体の良い演奏で、アクがない素直さが持ち味です。難を言えば淡泊すぎて突出した個性が乏しいことでしょうか。レーダーチャートで分析すれば、どの要素も平均をはるかに超えていますが、ここが一番といったところが際立ちません。しかし、そうした演奏スタイルがあってもよいと思います。たとえば同じ第2番でショルティ盤と聴き比べると、キュッキュと締めた演奏のショルティに対して、オーケストラを無理なく緩めにコントロールしているスクロヴァチェフスキの姿が浮かび上がりますが、これはこれで駘蕩とした雰囲気があります。
[2012年4月6日]
◆レーグナー(Heinz Rögner:1929~ 2001年)
レーグナーは、ライプツィヒに生まれで、ゲヴァントハウス管、シュターツカペレ・ドレスデンなどで振ったあと、1958年、ライプツィヒ放送響の首席指揮者、1962年ベルリン国立歌劇場の音楽監督、1973年ベルリン放送響の首席指揮者にそれぞれ就任しました。親日家でも知られていました。
ブルックナーではベルリン放送響との演奏が残っています。交響曲のほかミサ曲第2番(1882年第3稿)、テ・デウムなどの録音もあり得意の演目です。旧東ドイツ出身という点ではテンシュテット、マズアなどと共通し、近代的な機能主義とは少しく異なる良きロマンティシズムも感じさせます。
第4~9番 ベルリン放送響 第4番 1983年7月、1984年11月 ベルリン放送局 SRK 1 第5番 1983年9月、1984年1月 ベルリン放送局 SRK 1 第6番 1980年6月17~19日 イエス・キリスト教会 ベルリン 第7番 1983年5月、8月 ベルリン放送局 SRK 1 第8番 1985年5月、7月 ベルリン放送局 SRK 1 第9番 1983年2月9~12日 ベルリン放送局 SRK 1 Berlin Classics 0271BC
【第4番】
第4番(ノヴァーク版第1稿)では、疾駆感とダイナミズムが特色的です。一方で全楽章のさまざまな音楽シーンにおいて、それ以外の要素は制御されているようです。早業の剣技よろしく、むしろ抒情性を封じ込めたような独特な演奏です。その思い切った解釈をどう評価するかは難しいところですが、小生はこの疾駆感は、リスナーをけっして飽きさせず面白いと思う一方、原曲の指示は、第1、第3、終楽章ともにくどくも“ nicht zu schnell”(速すぎずに)であり、この速さゆえに複雑なニュアンスがやや減殺されていないかどうかは気になるところです。
【第5番】
原典版の演奏です。録音の技法もあるのでしょうが、ベルリン放送響の重たい低弦と声量の大きな管楽器を存分に押し出し、スケールの大きなブルックナー・ワールドを表現しようとしています。第4番と比べると要所要所で緩急をかなりつけていますが、全般にはきびきびとした運行です。特に駄演だとダレがちの第2楽章では、情感はややうすいものの緊張感をうまく持続しています。第3楽章は躍動感にみちており明るい表現に好感をもちます。折々のおどけたような、はにかんだような表情も可笑しく、こうした機微の濃やかさは彼の第6番の名演に共通するものです。終楽章では、大上段から打ち下ろすような迫力です。
【第6番】
かつてのカラヤン盤がそうであったように、教会での収録により残響がながく美しく響き、独特のブルックナー・サウンドを形成しています。これが第6番(原典版)緩徐楽章のもつ抒情性とよくマッチし聴いていて思わずその端麗な音楽に引き込まれます。他の番にくらべて際だった個性は表にでませんが、演奏の格調は高く実に魅力的な演奏です。
【第7番】
ハース版の演奏です。清々しい出だしで、磨き込んだ弦楽器の高音域が心に浸み、それに木管のよく訓練された響きがかぶってきます。並々ならぬ気構えを感じさせる第1楽章では、低弦が控えめに寄り添いますが、管楽器は己の個性をときに堂々と主張します。レーグナーの場合、こうした展開は応用自在で、ブルックナー各番によって異なります。第4番の疾風迅雷に比べれば、第7番はイン・テンポ気味ながら、表情は豊かです。第2楽章前半はもっとテンポを落としてもいいのにとも思いますが、大家のブルックナーが一般に遅くなることへのこれはアンチテーゼでしょうか。短い第3楽章は波長がピタリと合っている印象でドライブ感も心地良く、その勢いのまま終楽章へ。ここでは重畳的な音が整然と響きます。
【第8番】
第8番(第1稿ハース版)は、一連の演奏の掉尾として収録されました。前半2楽章の速さと直線的なダイナミズム、後半2楽章のじっくりと構えたオーソドックスな演奏のコントラストが本盤の最大の特色でしょう。合奏の統一感とその残響の美しさにおいて、ブルックナー好きを唸らせるにたる見事なサウンドを提供してくれています。
しかし、前半2楽章のときに息せき切るような速さには賛否両論があるでしょう。一瞬もダルにさせない追い込み感からこの速度を良しとする見方がある一方、複雑で分析的なブルックナー音楽の妙味がこの速度ではいささかなりと減殺されるとの見解もあると思います。
また、後半2楽章ではテンポを緩め、ボキャブラリーを豊富に盛ろうとしていますが、前半とのコントラストが強すぎて、やや忍耐を要します。レーグナーのブルックナー解釈には基本的に共感するものの、全4楽章ともイン・テンポでも十分に良い演奏なのにと思うのは小生だけでしょうか。
【第9番】
第1楽章の遠雷が徐々に近づいてくるような出だしは、その複雑な音型と不協和音によって現代音楽の幕開けを連想させます。それが時代を遡るように古典的なメロディに回帰し、さらに両者がその後交差する。この不思議な音楽空間を、遅いテンポのなかでレーグナーはあるがままに周到に浮かび上がらせています。見事な演奏だと思います。
[2017年2月7日]
◆シュタイン(Horst Stein, 1928~2008年)
ホルスト・シュタインは1986~87年のドイツ滞在中、2回のビッグ・プロに立ち会いました。夏にはバイロイト音楽祭で『マイスタージンガー』を、冬にはハンブルクの教会で『ドイツ・レエクイエム』を聴きました。どちらも大変優れた演奏でした。
ホルスト・シュタインは、クナッパーツブッシュの故郷、ラインラント地方の都市エルバーフェルト(現在はヴッパータール市の一部)に生まれました。ケルン高等音楽院在学中は、これも同郷のギュンター・ヴァントに師事しました。 1951年にハンブルク国立歌劇場指揮者となり、翌年から1955年にかけてバイロイト音楽祭で、クナッパーツブッシュ、カイルベルト、カラヤンなどのアシスタントとして経験を深め、1962年に『パルジファル』を指揮してバイロイト・デビューを果たします。以降は、ベルリン国立歌劇場のカペルマイスター、マンハイム国立劇場音楽監督をへて、1970年から3年間はウィーン国立歌劇場第1指揮者を務めます。同年には、バイロイト音楽祭で『ニーベルングの指環』全曲を指揮して絶賛されました。1980年からスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督、1985年から1996年、病気のため辞任するまでバンベルク交響楽団の首席指揮者として活躍しました。
【第2番】
第2番 VPO 1973年11月 Decca UCCD-9528
第1番で、ノイマン/ゲヴァントハウス管について、こうした名演に巡り合えるのがブルックナー探訪の楽しみと書きましたが、第2番に関しては、シュタイン/ウィーン・フィルの本盤(ハース版)について同様な感想をもちます。
これもノイマン盤のよく伸びる音と共通しますが、当時のDeccaの録音技術の高さもあって、第2楽章を典型に全編にわたって、馥郁として美しく拡散するウィーン・フィルのサウンドを満喫できます。演奏そのものは力感に富み緊張感にあふれています。
また、ショルティ/シカゴ響の初期録音(第0番~第2番)と同様、シュタインの手にかかると本曲の構造的な弱点などは一切、感じられません。表情付けはやや濃いめですが、テンポを巧みに操りながら、オーケストラを縦横に動かし、第1楽章終結部や第3楽章など、思い切ったメリハリでブルックナーらしい強奏も展開します。
シュタインの師、クナッパーツブッシュは第3番を得意とし、いまもウィーン・フィルとの名演(1954年4月、ウィーン楽友協会大ホール Testament SBT1339)は聴き継がれていますが、残念ながら第2番の録音は知られていません。そこを意志をもって補完するような熱演で、第4楽章の迫力は低弦の使い方の妙もあって見事なものです。随所でみられるオーケストラの大胆な操舵法には、往時のクナッパーツブッシュ流儀も垣間見える気もします。それを受け入れて実力全開で対応するウィーン・フィルの臨場も驚きで、シュタインの音楽づくりに共感しているからでしょう(ふたたびショルティの名前がここで思い浮かびます)。
第2番では最近、ムーティとのライヴ盤がでましたが、ウィーン・フィルの第2番や第6番のセッション録音はシュタイン盤がいまも最右翼です。
◆サヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch, 1923~2013年)
サヴァリッシュは、ミュンヘンに生まれ、第7章で取り上げたハンス・ロスバウトに師事しました。ロスバウト流の緻密なアプローチに特色がある一方、オペラ指揮者としても著名です。33才にして史上最年少指揮者としてバイロイト音楽祭に招かれたことはその証左でしょう。ベーム亡きあとR・シュトラウスの第一人者としても有名でした。
サヴァリッシュは、親日家で何度も来日し多くの素晴らしい成果をN響と残してくれましたが、日本では、あまりに人口に膾炙しすぎたせいか、かえって有り難みが薄れているようにも感じますが、欧州ではまぎれもない巨匠でした。
本集ではブルックナーでのサヴァリッシュの端整なアプローチが魅力です。
第1番、第5番、第6番、第9番 バイエルン国立管 第1番 1984年10月 ミュンヘン大学 第5番 1990年 9月、1991年3月 ミュンヘン大学 第6番 1981年10月 ミュンヘン大学 第9番 1984年12月 ミュンヘン大学 Orfeo C957188DR
【第1番】
サヴァリッシュ/バイエルン国立管弦楽団の演奏です。ブルックナーの第1番は、ブルックナーがリンツで初演し、その稿であるリンツ版とその後、ほぼ四半世紀をへて作曲者自身が大きな校正をくわえたウィーン版(作曲者晩年の1890/1891年改訂)があります。
サヴァリッシュは、1865/1866年リンツ版による演奏で、慣れ親しんだバイエルン国立管と息がぴたりと合っていて安定感があります。楽章別の演奏時間が版によって相当違いますが、若きブルックナーの並々ならぬ交響曲への意欲を感じるという意味で小生はリンツ版が好きです。サヴァリッシュのブルックナー音源のなかでも、この第1番は名演の誉れの高いものです。
【第5番】
第5番(初稿版)は、1990年 9月28~29日、1991年3月18~20日にかけてミュンヘンでセッション収録されたものです。
いかにもサヴァリッシュらしい重厚で整然たる演奏です。R.シュトラウス演奏を得意としたサヴァリッシュは、弦楽器と管楽器のパワーバランスを常に絶妙に保つことが特色の一つです。どちらかがけっして突出することなく、音の融合とクリアな各楽器の出番を完全にコントロールしながら、ブルックナー・サウンドを緻密に組み立てていきます。
第2楽章、緩徐楽章の充実ぶりを耳にすれば、この演奏に臨むサヴァリッシュの意気込みがよくわかります。一切の虚飾を排した純音楽的に磨かれたサウンドは豊饒で美しいものです。
しかし一方で、全般に遅めで安定したテンポ設定のなか、ときに滾るようなブルックナー特有のパッションもまた抑えられているようにも感じます。第4楽章ではやや大人しめの印象も残ります。
【第9番】
1887/1894年初稿版による演奏です。第1楽章、音は過度に重くならず、テンポはやや速めでリズムは軽快です。一方、ハーモニーの美しさが際立ちます。安寧と諦観がないまぜになったような主題の表現には深みがあります。木管楽器の囁きが効果的で、金管は抑え気味ながらメロディは明瞭に奏でられます。これらの構成要素がひとつになった終結部には演奏の完成度とともに、なんとも格調の高さを感じます。
第2楽章、演奏スタイルは変りませんが、テンポが上がり、リズムの刻み方がより鋭角的になります。いわば、贅肉部分の一切ない筋肉質な演奏といった印象です。ここでは、全体のバランスは均質に保ちながら一気に駆け抜けるような爽快感があります。
終楽章は減速して表現の濃度を高める演奏も多いですが、サヴァリッシュも同様なアプローチは意識しているようです。しかし、基本線はきっちりと守られ、室内楽的ともいえるハーモニーの美しさが一層追求されています。但し、本楽章の特質ですが、表現はモノトーンではなく複雑さを増していきます。不安な不協和音は、以降の現代音楽の前触れといった感じがある一方、古典的な均整あるフレーズが折々篝火のような揺らめきも見せます。サヴァリッシュは細部に目配りしながら、丹念に丁寧にこうした特徴を浮き彫りにしていきます。エンディングには静かで充実した感動があります。
[2019年6月23日]
ブルックナー・コラムⅫ
<作曲家シリーズ> ワーグナー(3) ブルックナーのワーグナーとのコンタクト状況をピックアップすれば、以下のようになります。 年代(ブルックナー年令) 主要事項 場所 1863年(39才) 『タンホイザー』を聴く リンツ 1864年(40才) 『ローエングリン』を聴く リンツ 1865年 (41才) ワーグナーとはじめて会う 『トリスタンとイゾルデ』の第3回上演を聴く 『さまよえるオランダ人』を聴く ミュンヘン ミュンヘン リンツ 1868年(44才) 『マイスタージンガー』の終結部合唱初演 『マイスタージンガー』初演を聴く フロージン ミュンヘン 1873年 (49才) 第3シンフォニー:ワーグナーが献呈受諾 アカデミー・ワーグナー協会入会 バイロイト ウィーン 1874年(50才) 第3シンフォニーの献呈 1875年(51才) ワーグナーのウィーン訪問で会う ウィーン 1876年(52才) 『ニーベルングの指輪』初演を聴く バイロイト 1882年(58才) 『パルジファル』初演を聴く バイロイト 1883年(59才) ワーグナー没 バイロイト訪問 ウィーン バイロイト 1884年(60才) ワーグナー協会名誉会員になる バイロイト訪問 ウィーン バイロイト (出典)高辻知義(1986)『ワーグナー』岩波新書,p.4.から作成 ブルックナーにとって、バイロイト詣でを含め、ワーグナーとの関係がいかに大切であったかがわかります。また、『マイスタージンガー』の終結部の合唱の初演は全曲の初演に先だってワーグナーが特別に許可したもので、ブルックナーにとってはワーグナーからの信頼を勝ち得た証でもあり、大変喜んだことでしょう。 『マイスタージンガー』は、ブルックナーにとって尊敬するワーグナーに対して名誉ある役目を果たしたという歴史的な意味において、他のワーグナーの作品とは異なった重みがあったと思います。 『ニーベルングの指輪』は1876年8月13日から17日にかけてバイロイトで初演されますが、第3シンフォニーをワーグナーに献呈したブルックナーは招かれてこれに参列しています。 ところで、敬虔なカトリック教徒の彼はGoetterdaemmerung『神々の黄昏』という含意をどう受け取ったことでしょうか。それともワーグナーには心酔しつつも、その標題音楽には結果的に与しなかったブルックナーは純音楽的にプロ作曲家としてこれを読解したのでしょうか。 9年後の1885年8月25日にブルックナーは第8シンフォニーの草稿を仕上げ、「聖フローリアンの守護聖人である聖アウグスチヌスの日、彼は、この新しい交響曲の幾つかの動機を、ワーグナーの『神々の黄昏』の中の幾つかの主題と織り合わせて、聖フローリアンの修道院聖堂において壮大なオルガンの即興演奏により公表した」(シェンツェラー,H.(1983)『ブルックナー』山田祥一訳,青土社,pp.117-118)。 ブルックナーの心の深奥に『神々の黄昏』は受容され、それがオルガン曲のなかに融合された瞬間でした。ワーグナーは『パルジファル』のバイロイト以外での上演を禁止し、特別な楽劇として「舞台神聖祝典劇」というタイトルをつけました。また、聖金曜日の奇跡を扱う題材であることからその前後に上演されることが多いといわれます。 ブルックナーはバイロイトでの初演に参列し、これがワーグナーとの永久の別れとなります。また、リストの葬儀では『パルジファル』の主題によるオルガンの即興演奏を行ったと伝えられています。ブルックナーにとっては、ワーグナーとの惜別の曲『パルジファル』を主題とし、ワーグナーの師リストを偲ぶ場でこれを演じることは、大きな意味があったのかも知れません。 <参考文献:コラム(1)~(3)> ・ジャン・ルスロ(1979)『小説 ワーグナー』横山一雄訳,音楽之友社. ・ジョージ・R・マレック(1983)『ワーグナーの妻コジマ』伊藤欣二訳,中央公論社. ・遠山一行・内垣啓一編(1967)『ワーグナー変貌』 ・ローベルト・ミュンスター(1983)『ルートヴィヒ二世と音楽』小塩節訳, 音楽之友社. ・属啓成(1991)『リスト 生涯篇』音楽之友社.