ブルックナー/メモランダムⅤ③ー ゲルマンの森(3)

 カール・ハーゼル(山縣光晶訳)『森が語るドイツの歴史』(1996年 築地書店)<原題:Forstgeschichte:Ein Grundriß für Studium und Praxis by Karl Hasel @1985 Verlag Paul Parey>からの示唆、最終回です。
 
 「ドイツ人には森への愛情があるといわれています。そして、それはドイツ人と南ヨーロッパの人々を区別する、といわれています。しかし、この森への愛情は、森の歴史の上では何も根拠がありません。ロマン主義は、歴史とはまったく関係なく、自らの感情をはるか昔の時代へと移し置きましたが、森への愛情という考えは、このロマン主義の思想から生まれたものでした」(p.263)
 
 この点ではブルックナーの森への愛情やまさにロマン主義の時代に生きた彼の心情は、「ゲルマン」らしさをあらわすものだったでしょう。一方で、「大ドイツ」のなかにあって、オーストリアの特殊性も本書で指摘されています。
 
 「ドイツとまったく反対に、オーストリアでは、地役権の重荷を負った国有林の収益の低さや国の恒常的な財政危機が原因となって、多くの国有林が私人に売却されました。国有林面積は、1855年には129万500㌶でしたが、1885年までに63万4400㌶に落ち込んだのです。オーストリア国立銀行は、66万㌶の国有地に抵当権を設定し、その大部分を投機家たちに競売しました。オーストリアに国有林がわずかな面積割合(15%)しかないのは、ここに原因があります」(p.159)
 
 ブルックナーが生きた時代に、オーストリアでは大変な国有林売却問題が発生していたわけです。シュタイヤーはブルックナーが愛した都市ですが、この都市が栄えたのは古くから製鉄業があったでした。その製鉄業は、一般に燃料の薪をたくさん使うことから森林との関係が深かったことが本書で指摘されています(p.78,p.82,p.89)。
 
 39歳になったブルックナーが作曲家として生きようと決意したのは、リンツ郊外の森のはずれの料亭「キュールンベルクの狩人」でした。また、世間や仕事に疲れたブルックナーが癒しを求めて滞在したクロイツェン、カールスバート、マリーエンバートなどの温泉地も森のなかにありました。ブルックナーは大自然を愛し、登山を好んだとも言われますが、こうして見てくるとブルックナーの音楽の源泉が森にあったと推論もできそうです。
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