晩年のカラヤンがブルックナー7、8番を残して急逝し、ウィーン・フィルとの9番が「幻」となったことはドイツ・グラモフォンにとってショックだったろう。そこに、カラヤンと人気を二分したバーンスタインが時をおかずに登壇しタクトを取った。当時の話題性は十分で注目度は大変高かった。
この演奏を幾度も聴いて、バーンスタインが数々の名演を残したマーラーの9番とのイメージの共有を安易に思ったが、どうも納得できない部分がある。没入型のバーンスタインらしくない、ある種「醒めた」部分(音量や激しいパッセージの処理を言っているのではなく)を意識させる。
次に、ウィーン・フィルの「音」に集中して耳を傾けると、それはなんとも充実している。さすが巨匠バーンスタインで、ウィーン・フィルの持てる能力を無理なく最大限引き出しており、とてもウマが合った演奏という気がする。
穿った見方だが、バーンスタインは、この9番でウィーン・フィルの<自主性>と<記憶>を極力尊重して「カラヤン追悼の気持ちでやろう」と暗に言っているのではと感じる。そういう聴き方をすると、遅いテンポ、音の彫琢感などで、意外にもその根本においてカラヤンの8番と相通じるところがあるようにも思える。