ブルックナー/メモランダムⅡ④ーH.ヴォルフ(1)

  ブルックナーをめぐる同時代人のうち、最近、特にフーゴ・ヴォルフ(Hugo Wolf18601903)に関心をもっています。主要な作品は以下のとおりです。

 

<歌曲集> (曲数、作曲年代) ヴォルフの年齢

<メーリケ集>(53曲、1880年) 20歳

<アイヒェンドルフ集>(20曲、1888年) 28歳

<ゲーテ集>(47曲、1889年) 29歳

<スペイン歌曲集>(34曲、1890年) 30歳

→ハイゼ(Paul Heyse;1830~1914年)の詩集

→ガイベル(Emanuel Geibel;1815~1884年)の詩集

<古い調べ>(6曲、1890年) 30歳

→ケラー(Gottfried von Keller;1819~1890年)の詩集

<いろいろな詩人による歌曲>(9曲、1888~1896年) 28~36歳

→1888年、89年;6曲、1896年;3曲

<イタリア歌曲集>(46曲、~1896年) 30~36歳

→1890年、91年22曲、1896年24曲

<ミケランジェロの詩による歌曲>(3曲、1897年) 37歳

(門馬直美『西洋音楽史概説』春秋社 1976年 pp.222-223から作成)

 

 ヴォルフはブルックナーと関係の深い作曲家にしてリート分野での彗星の如き存在。早熟にして溢れる感性の持ち主。精神病をやみ自殺未遂のすえ43歳で逝去しました。

 

 「かってのオーストリア領ヴィンディッシュグラーツ(現スロヴェニア領)に生まれたリート作曲家。貧しい靴屋に生まれたが、音楽への志望やみがたく、ウイーン音楽院で学んだ。しかし誇り高く、激高しやすい性格のために放校され、友人たちの援助で作曲に励んだ。ワーグナーの強い影響を受け、オペラ作曲を志しながらリート作曲家として名をなした。初期の習作的なピアノ曲、室内楽曲、交響詩、それに唯一完成したオペラ『お代官』以外はほとんどリートで、彼はこのジャンルの作品のみによって後生に名を残したといえる。心理を色彩化するひびきの新しい世界はこれまでにないめざましいものだ。彼はシューマンと同じく、晩年は精神病院で悲惨な療養生活を送らねばならなかった。」(p.42)

 「『詩と音楽の結婚』などといわれることもある歌曲を極限まで推し進めたのがヴォルフといえよう。詩と音楽の一体化ということを、シューマンにも増して徹底的に実践したヴォルフは、それまでの歌うこと、つまり音楽としての性格を否定しかねないところまで歩みを進め、むしろ詩が上位に立つほどの歌曲を書いた。事実、彼は歌曲集に『歌唱とピアノのための・・・による詩』という副題をつけることがあった。こうしてヴォルフの歌曲は朗読に近づき、音楽としては晦渋なものに傾いて旋律のよろこびは後退して、『隠棲』『散歩』『庭師』など、ひと握りの曲を除くとそれほど広く親しまれているとはいいがたい。しかし、こうしたヴォルフにはほかに求めがたい魅力があることは事実である。」(p.11)

(以上、中河原理『声楽曲鑑賞辞典』1993年 東京堂出版から引用)

 

  なお、ブルックナーとヴォルフの関係については土田前掲書(メモランダムの1)のp.102,150,152(ヴォルフの若き日の写真と解説),pp.177-178他を参照。

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