第6章 クレンペラー、ワルター、シューリヒト

◆クレンペラー(Otto Klemperer, 1885~1973年)

クレンペラーはフルトヴェングラー亡きあと、19世紀「最後の巨匠」との異名をとった人物です。特に、私淑したマーラーやブルックナーなどの演奏では独自のスケールの大きさを示すことで多くのファンがおり、その音源は、いまも続々とリリースされています。現代人に強くアピールするものがあるからでしょう。クレンペラーの復権といってもよい雰囲気です。

晩年のニュー・フィルハーモニア管弦楽団との録音としては、第4番(ノヴァーク版1953年、1963年9月)、第5番(原典版、1967年3月)、第6番(ハース版、1964年11月)、第7番(原典版、1960年11月)、第8番(ノヴァーク版、  1970年10月)、第9番(ノヴァーク版、1970年2月)がありますが、ここでは他の音源についても取り上げます。

【第4番】

オットー・クレンペラー 第4番 ケルン放送響 1954年4月5日(ライヴ)WDRフンクハウス Medici Arts MM001

 クレンペラーの第4番では、フィルハーモニア管弦楽団、ウィーン交響楽団、バイエルン放送交響楽団などとの録音がありますが、本盤はライヴ特有の音のザラつきもあって、只ならぬ異様な空気漂うライヴ音源です(ノヴァーク第2稿)。冒頭からいつ破裂するかもしれない爆弾をかかえながら時間がビリビリと軋んで経過していくような感じです。弛緩しない緊張感のままやっと第1楽章が終わりますが、第2楽章に入っても「戦闘状況」は解除されずに、静かな行軍は粛々と進みます。途中で管楽器が進軍ラッパのように激しく咆哮し、木管もあたかもまわりの様子を窺う斥候兵のような神経質な音で応えます。続く第3楽章冒頭は勝利を予告するファンファーレのように奏され、リズムが厳しく刻まれ、管楽器の雄叫びは連射砲のように撃たれます。木管楽器の田舎風のレントラーですら行軍の小休止にすぎません。終楽章、やおら行軍のスピードが上がり、全軍は総攻撃の準備に入ります。明るく曙光が差して勝利の予感ののち、その緩急の過程が幾度も繰り返され、その都度一層激しい音が響きわたり強奏をもって終結しますー以上、下手な比喩ですが、なんとも雄雄しき「ロマンティック」です。

【第5番】

第5番 VPO 1968年6月2日(ライヴ)ウィーン楽友協会大ホール Music & Arts CD751             

本盤の魅力はなんといってもウィーン・フィルとのライヴ録音であることです。音楽の構築が実に大きく、テンポは遅く安定しており滔々とした大河の流れのような演奏です。その一方、細部の音の磨き方にも配慮はゆきとどいています。録音のせいもあるかも知れませんが、ウィーン・フィルらしい本来の艶やかなサウンドを抑えて前面にださず、むしろ抜群の技量のアンサンブルを引き立たせている印象です。そこからは、ウィーン・フィルがこの巨匠とのライヴ演奏に真剣に対峙している緊張感が伝わってきます。

 また、ブルックナーの交響曲の特色である大きな構造的な枠組みをリスナーは聴いているうちに自然に体感していくことになります。マーラーが私淑していたブルックナー。そのマーラーから薫陶をうけたクレンペラーですが、マーラーの解釈が、クレンペラーを通じて現代に甦っているのでは…と連想したくなるような自信にあふれた演奏で、晩年のクレンペラーの並ぶものなき偉丈夫ぶりに驚かされます。

[2019年1月22日]

【第6番】

Sym 6/Wesendonck-Lieder 第6番 ニュー・フィルハーモニア管 1964年11月   EMI Classics CDM5670372

 第6番は、ハース版での演奏です。1964年の録音ですが、その古さを割り引いても大変な名盤だと思います。第6番は第1、2楽章にウエイトがかかっていて特に第2楽章のアダージョの美しさが魅力ですが、緩徐楽章の聴かせ方の巧さはマーラーの第9番などと共通します。一方、クレンペラーの照準はむしろ後半にあるように思えます。短いスケルツォをへて一気にフィナーレまで駆け上る緊縮感は他では得難く、ここがクレンペラーの真骨頂でしょう。第6番ではいまだ最高レベルの演奏と思っています。

[2019年2月2日]

【第8番】

ブルックナー: シンフォニー8(Bruckner: Symphony No.8) 第8番 ケルン放送響 1957年6月7日(ライヴ)WDRフンクハウス Medici Arts/Medici Masters MM021

クレンペラーの第8番では、最晩年に近い1970年ニュー・フィルハーモニア管を振ったスタジオ録音もありますが、こちらは第4楽章で大胆なカットが入っており、それを理由に一部には評判が芳しくありません。一方、本盤は遡ること13年前、カットなしのライヴ録音です。

 巨大な構築力を感じさせ、またゴツゴツとした鋭角的な枠取りが特色で、いわゆる音を徹底的に磨き上げた流麗な演奏とは対極に立ちます。また、第3楽章などフレーズの処理でもややクレンペラー流「脚色」の強さを感じる部分もあります。小生は日頃、クナッパーツブッシュ、テンシュテットの第8番を好みますがが、このクレンペラー盤は、その「個性的な際立ち」では他に例をみませんし、弛緩なき集中力では両者に比肩し、第1、第4楽章のスパークする部分のダイナミクスでは、これらを凌いでいるかも知れません。ケルン響は、クレンペラーにとって馴染みの楽団ですが、ライヴ特有の強い燃焼度をみせます。「一期一会」と、いまでも日本では語り草になっているマタチッチ/N響の第8番に連想がいきます。リスナーの好みによるでしょうが、小生にとっては第8番ライヴ盤でのお気に入りです。

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◆ワルター(Bruno Walter, 1876~1962年)

次はマーラー愛弟子ワルターについてです。クレンペラーよりも9才年上で、指揮者としてはマーラーの一番弟子ともいえる存在です。しかし、巨魁クレンペラーは自身、作曲家も任じており、「作曲家にして指揮者」マーラーの本来の跡目は自分であると思っていた“ふし”もあります。また、ワルターの解釈には異論をもっており、進歩がないとの批判的な見方もとっていたようです。ある時、それをワルターに直接話したところ(「お変わりない演奏ですね」といった皮肉な言い方だったようですが)、ワルターはクレンペラーに慕われていると思っていたのか、好意的に受けてお礼を言ったとの面白いエピソードもあります。

トスカニーニ/NBC交響楽団と同様、ワルター/コロンビア交響楽団は、指揮者の圧倒的な実力によって一時期に優秀なオーケストラが結成された稀有な事例です。もちろん、いまも小沢征爾/サイトウ記念オーケストラのようなアド・ホックな組み合わせはありますが、前二者のような永きにわたる事例はけっして多くはありません。

 ドラティなどハンガリアン・ファミリーが手兵を組織した素晴らしい名演の事例も思い浮かびますが、特定の分野にこだわらず、広範な演奏記録を残したという点において、やはりトスカニーニとワルターは傑出しています。

さて、ブルックナーの交響曲については、トスカニーニがあまり取り上げなかったことに対して、1929~1933年にはゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターも務めたのち渡米したワルターは積極的に紹介につとめたようです。

 そのワルター/コロンビア交響楽団によるブルックナーは貴重な記録です。ワルターはかって「ブルックナーは神を見た」とコメントしましたが、そうした深い心象が演奏の背後にあるのでしょう。クレンペラーにせよワルターにせよ、演奏に迷いというものがありません。己が信じる作曲家の世界をできるだけ自分の研ぎ澄まされた感性を武器に再現しようと試みているように感じます。この時代のヴィルトオーゾしかなしえないことかも知れません。

【第4番】

ブルックナー:交響曲第4番 第4番  コロンビア響 1960年2月 Sony Classical SRCR-2320

ワルターの第4番ではNBC響とのライヴ録音もあります。これはクレンペラーほどではないにせよ、思いがけず「剛の者」の男性的な突進力ある記録ですが、対して20年後の晩年の本盤は、はるかに緩やかで落ち着きに満ちています。

特に第2楽章の諦観的なメロディの奥深さは感動的で、永年この曲に親しんできた大指揮者自身のあたかも送別の辞を聴いているような感すらあります。第3楽章「狩のスケルツォ」は軽快ですが、中間部では一転テンポを落とし、むしろその後の安息や過去の追想を楽しんでいるかのようです。終楽章は引き締まった秀演です。メロディが流麗で胸に響く一方、終結部ではNBC響盤を彷彿とさせる渾身のタクトも連想させます。

発売後、「ロマンティック」の定番との評価がながく続きましたが、今日聴きなおしてみると、オーケストラの統制が折々でやや弱く緊迫感に一瞬空隙があるようにも感じます。されど、老練な大家らしく過度な強調を一切排除した、安定感ある自然体のブルックナーが好きな向きには、ヴァントや朝比奈隆とも共通し、いまも変わらぬ訴求力があるでしょう。

[2017年5月28日] 

<img width="62" height="62" src="" alt="Bruckner 第4番  NBC響 1940年2月10日(ライヴ) Pearl GEMMCD9131

これは、コロンビア響を振った前述の1960年スタジオ録音盤を遡ること約20年前のNBC響とのライヴ盤です。

  録音はレコードの復刻でしょうか、雑音、ヒスが多く「凄まじく悪い」ですが、この演奏の迫力はそれを凌駕して貴重な記録となっています。比較的ヒスが少なく音が録れている第3楽章から聴いてみるとよいと思います。このスケルツォのメロディのなんとも暖かな素朴さ、リズムの躍動感、次第に強烈なパッションが表出するオーケストラの高揚感、そして“ブルックナー休止”そのままの突然の楽章そのもののエンディング。こんな演奏にはめったにお目にかかれません。一点の曇りもない明快な解釈に裏打ちされ、しかも緊張感があり迫力も十分です。

 この第4番の演奏は、「ロマンティック」といった感傷性とはまったく異質な、「剛」のものの行進であり、晩年の柔らかなワルターのイメージとも一致しません。管楽器は輝かしく咆哮し、ティンパニーの連打は前面で多用されて全体の隈取りはくっきりと強く、テンポは全般にはやく(16:44,14:45,8:29,18:48/計58:48)、しかも大胆に可変的です。とても男性的できわめてパッショネイトな演奏です。原典版、改訂版といった厳密さとは無縁な大指揮者時代の貴重な遺産でしょう。

[2012年4月4日]

【第7番】

ブルックナー:交響曲第7番 第7番  コロンビア響 1961年3月 Sony Classical SRCR-2322

抑揚はありますが透明な響きとともに第1楽章は開始されます。低弦と金管は重厚に、ヴァイオリンと木管のメロディはクリアに奏され、これが見事に融合されます。色調は暗から明に、悲から喜に、そしてその逆へと変幻自在ですが、基本線はしっかりとしているので聴いていて安定感は揺るぎません。第2楽章は意外にも恬淡としておりテンポも遅くはありません。葬送音楽というよりも、ブルックナーの代表的な美しきアダージョを、丁寧に力感をもって再現しているようです。

第3楽章 スケルツォは律動感がありそれなりにドラマティックながら終始オーバーヒートしない抑制のきいた冷静さが滲みます。経験のなせる落ち着きでしょうか。終楽章、第1楽章同様、オーケストラを誘導しつつ旋律の明晰さ、豊かさが際立ちます。自然で無理のないテンポ設定、重畳的で素晴らしいハーモニーには、背後に大家の差配を感ぜずにはおきません。全体として、一切思わせぶりのない、堂々とした正攻法のブルックナーです。

[2017年5月29日]

なお、第7番では、ニューヨーク・フィルとのライヴ音源(1954年11月23日)もあります。

【第9番】

ブルックナー:交響曲第9番 第9番 コロンビア響 1959年11月 Sony Classical SRCR-2324

きびきびとした運行、しかし厳格なテンポは維持されています。つややかにフレーズは磨かれながら全体の構成は実にしっかりとしています。弦楽器の表情豊かな色彩に加えて、管楽器は節度ある協奏でこれに応え、第9番の良さを過不足なく引き出しています。しかも、演奏の「アク」をけっして出さずに澄み切った心象のみを表に出そうとしているように見受けられます。

[2007年5月25日]

第9番では古い放送用ライヴ音源でフィラデルフィア管(1948年2月)や、ニューヨーク・フィルとのライヴ(1946年3月17日Carnegie Hall、1953年2月7日)も知られています。

 

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◆シューリヒト(Carl Schuricht, 1880~1967年)

シューヒリヒトは、大器晩成型の演奏家です。律儀で真面目な人で1944年までドイツの小都市ヴィスバーデンの音楽監督を30年以上も務めていました。同時代人でありながら、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのようなナチズムとの切迫した関係についてもあまり語られていません。ここを退任した時点で64才。指揮者の世界は「50、60(才)は洟垂れ小僧・・・」のようですから、その後活躍することは珍しくはないにせよ、シューリヒトの場合、たとえばベイヌム(57才で逝去)との比較でも、どちらかといえば悠々自適な第二の人生で、突然大ブレイクしたような印象です。

シューリヒトは1956年のウィーン・フィルのはじめての米国への遠征に同行しその名を高めます。これははじめから予定されていたわけではなく、直前に急逝した大指揮者エーリッヒ・クライバーの文字通りの「ピンチ・ヒッター」として急遽首席に選出され登板したためでした。しかし、この成功が、その後の飛躍の大きなモメンタムになります。時に76才、遅咲きを超えて普通であればすでに枯淡の年齢です。

 1958年公演直後の「ウィーン・フィル、クナッパーツブッシュ、シューリヒトとのヨーロッパ演奏旅行の楽団員用スケジュール小冊子」なるものがあります。この2人の関係が気になります。シューリヒトは、晩年に大舞台で活躍したので、クナッパーツブッシュの方が直観的にははるか年上に思えますが、実は、シューリヒトはクナッパーツブッシュよりも8才年長であり、しかも2年近く長生きしていることをまず確認しておく必要があります。

 ウィーン・フィルとの関係では、シューリヒトは、その活動の最盛期が、クナッパーツブッシュより後になりますが、この二人は、「難物中の難物」ウィーン・フィルのメンバーが心から敬慕したといわれる数少ない生粋のドイツの指揮者でもありました。

しかし、その演奏スタイルは全く異なります。その典型が第8シンフォニーで、クナッパーツブッシュやチェリビダッケがミュンヘン・フィルを振った演奏は、どこまでもテンポを遅くとり、これでもかというくらいブルックナー・サウンドをじっくりと奏でていきます。その対極ともいうべき演奏がシューリヒトです。

【第8番】演奏時間比較

  シューリヒトクナッパーツブッシュ
   版 1890年レーヴェ等の改訂版 
第1楽章 15:31 15:51
第2楽章13:5815:54
第3楽章21:42  27:42
第4楽章 19:4226:00
録音 1963年12月1963年1月  

   

 ほぼ同時期の録音を比較します。版の違いは前提ですが、楽章ごとに両者の演奏時間は次第に乖離していきます。第1楽章は20秒の僅差、第2楽章は約2分の差、第3楽章は6分の差、第4楽章は6分18秒の差ですから小曲なら1曲がすっぽり入ってしまう位の大差です。よって聴き手にとっては、後半になればなるほど、じわり、ずしりとそのテンポの差が累積してきます。また、オケも重たい音色のミュンヘン・フィルに対して、柔らかなウィーン・フィルですから、そのコントラストも大きいと感じます。

  

【第9番】演奏時間比較

  シューリヒトジュリーニ
 原典版 ノヴァーク版
第1楽章 25:30 28:02
第2楽章10:25 10:39 
第3楽章20:15 29:30 
録音 1961年 1988年

次に第9番について、同じウィーン・フィルを振ったシューリヒトとジュリーニを聴き比べてみましょう。ジュリーニはとにかく遅く、フレーズをこれでもかと引っ張る演奏です、対してシューリヒトは第3楽章などは実に恬淡、スッキリと運行しており時間も9分以上も短い。

 さて、両者はどちらも名演ですが、この比較では小生はシューリヒトの方を好ましく感じます。同じウィーン・フィルでもジュリーニは、濃厚すぎて、少しくそこに「けれん味」を感じてしまいます。それにブルックナーなら、いくら遅くしてもよいということはないはずです。第3楽章はいささかテンポが重すぎて疲れます。これは、晩年のカラヤン、ジュリーニに共通しますが完璧な音の再現のためにテンポを犠牲にしているような部分がないでしょうか。それに対して、シューリヒトは音楽の流れが自然であり、凝縮感も十分で心が「たゆとうて」聴けます。それにつけても半世紀以上を隔てた2つの録音に共通してウィーン・フィルの柔らかな音色は喩えようがなく美しいもので本曲に実にあっている響きです。多くのブルックナー指揮者がこの曲ではウィーン・フィルと共演したい気持ちがわかる気がします。

以上のように、シューリヒト/ウィーン・フィルの第8番や第9番を聴くにつけ、その軽快なテンポ、絹のような手触りの弦楽器の響き、小鳥の囀りにも似た木管のよくぬける吹奏、金管の抑制されつつも十分なダイナミクスに惹かれます。作為がない、いかにも自然の音楽の流れが心地よく、しかもそれがゆえに一度なじんでしまうと、その精逸な演奏の独自性が他に代えがたいものに思えてきます。シューリヒトは天才肌の指揮者ではありませんが、しかし人間国宝的な「至芸」をもった音楽家なのだと思います。

【第3番】

第3番 VPO 1965年12月 EMI Classics  TOCE-3404

シューリヒト/ウィーン・フィルによるブルックナーの交響曲録音は、第9番(稿:原典版、録音:1961年、演奏時間:56:17)、第8番(1890年版、1963年、1:11:14)の順に行われ、本第3番は、1889年版による1965年12月2~4日の収録です(55:17)。なお他に、第5番については1963年2月24日(ウィーン楽友協会大ホール)ライヴ盤もあります。

このコンビによって第8番、第9番で歴史的名盤を生み出したわけですから、本盤への期待は否応なく高まりますが、その割に意外にも注目されないのは、同じウィーン・フィルで、先行してクナッパーツブッシュ(1890年版、1954年4月)、本盤の5年後のベーム(ノヴァーク版1890年、1970年9月)という非常な名演があり、ちょうどその谷間に位置していることも一因かも知れません。

クナッパーツブッシュの“快演”からは、第3番の分裂症的な心理のボラティリティが見事に浮かび上がってきますし、ベームの堅牢な演奏スタイルは、その心象をある意味、克服していくようなエネルギーに満ちています。

そうした点では、シューリヒトはいつもどおりの彼であり、第3番に限って特に対応をかえているわけではありませんが、両者に比べて温和な印象があります。

中間2楽章が実に美しく、その一方でシューリヒトらしい明るい力感にも富んでおり聴きどころかと思います。管楽器をあまり突出させない録音スタイルからは、メロディラインがくっきりと浮かびあがってきます。終楽章も沈着冷静な音づくりに最大限、集中している様子が感じとれフィナーレは感動的です。こうしたアク抜けした演奏もけっして悪くはありません。

さて、何度も聴いているとこの曲が当初、ウィーンの「目利き」の連中に受け入れられなかったことも理解できるような気になります。古典的な作曲ルールをけっして踏み外さないブラームスを堪能していたウィーン子が、はじめてライヴで聴く恐ろしく長くとても「異質の音楽」がこの第3番ではなかったか。

 アーノンクールやシノーポリは「やり手」でこの曲のポレミークさ(論争性)を結構うまく使って、当時においてはおそらく感じたであろうブルックナーの「不思議な変調」(現代人のブルックナー・ファンにとっては実は堪らぬ魅力の源泉)を強調しているような気がしますが、シューリヒトは平常どおり奇を衒わず淡々とこなしているように感じます。第3番は良くも悪しくもブルックナーの「地金」が強烈にでている曲であり、そこをどう表現するかどうかのアクセントの違いかも知れませんが、ここはアクの強い演奏に惹かれるか、それともシューリヒトのように“アク抜け”を好ましく思うかの選択肢でしょう。 

 

【第7番】

ブルックナー:交響曲第7番 第7番 ハーグ管 1964年 デンオン COCO-6591

1960〜70年代ですが「コンサートホール・ソサエティ」といったレコードの頒布会があり、ブルックナーのレコードが少なかった時代に手に入れて聴いたことを懐かしく思い出します。ハーグ・フィルといったあまり知名度のないオケで、今日、高度な演奏に聴き慣れたリスナーには物足りないかも知れませんが、シューリヒトとの相性は大変良く、もっともシューリヒトらしい飾り気ない、しかし軽妙な弦の響きや要所要所での管楽器の巧い使い方を聴くことができます。ウィーン・フィルとの名演がでる前にシューリヒトの名を日本で高らしめた歴史的な名盤です。

[2006年5月31日]

【第8番】

ブルックナー:交響曲第8番(クラシック・マスターズ) 第8番 VPO 1963年 ウィーン楽友協会大ホール WARNER MUSIC JAPAN  WPCS-50570

「おそらくスコアを読み尽くした深い解釈があるのだろう。83才の老巨匠である、タクトの微妙な振れによる隠された手練れの曲つくりもきっと・・!?」といった先入主をもって聴くと驚かれると思います。耳を傾けるとそうした通俗っぽい「思考の夾雑物」を一切合切、洗い流してしまうような演奏です。リスナーの全神経が音楽に知らぬ間に引きよせられていきます。それ以前に、演奏するオーケストラの面々も、もしかしたら同じカタルシスの状況にあるのかも知れません。シューリヒトは一途に、只ひたすらに、ブルックナーの音楽空間にリスナーを連れて行ってくれる音楽の伝道師のようです。

 クナッパーツブッシュを聴くと桁違いの音の設計スケールの大きさに驚きますが、シューリヒトの演奏の「至高」とは、例えばアルプスの山稜を遠望しながら清浄な大気を胸一杯吸い込んでいるような幸福感にひたれるところではないかと思います。精妙かつ快活感ある名演です。

[2018年1月14日]

【第9番】

ブルックナー: 交響曲第9番(クラシック・マスターズ) 第9番 VPO 1961年 WARNER MUSIC JAPAN WPCS-50571

日本には根強いシューリヒト・ファンが多くいます。自分もその末席に座しているなと思うこともあります。このブルックナーの第9番(原典版)からシューリヒトを好きになったリスナーも少なくないと思います。

 なんとも精妙な音づくりに、これぞシューリヒトならではと膝を打つ一方、そこに一種の「軽みの美学」を感じます。軽快なテンポで、音楽を重くせず、オーケストラの溜まっていくエネルギーを、自然に放出していくような独特のやり口にそうしたことを思う次第ですが、シューリヒトの演奏は最強音でも独特の品の良い美しさを失わず常軌を逸するということがありません。落ち着いていて深い、得がたい第9番の名品です。

[2014年7月16日]

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ブルックナー・コラム Ⅵ

<作曲家シリーズ> マーラー     ブルックナーとマーラー、この二人は一種の師弟関係にあり、同時代にウィーンで過ごし活躍した偉大な交響曲作曲家でもありますが、その特質はだいぶ異なっています。  マーラーの音楽は、世紀末のウィーンの都会的な雰囲気に満ちているように思います。日中、強い太陽光線に射られて、路上を鋭角的に切り取るビルの影絵のような隈取りがあり、その一方で、時に異様に派手なオーケストレーションは、夜の帳が下りてからのネオンサインのような華やかさを連想させます。    ブルックナーの音楽は、マーラーとの対比において都会的ではなく、田舎の畦道に注ぐ陽によって、むんむんたる土臭さが強烈に立ち上がってくるような、そして夜は、真鍮のような深い闇に煌々たる月光が注がれるようなイメージがあります。  もちろん、こんな感じ方自体が「書き割り」的であることは承知しつつ、マーラーの腺病質的な音感とブルックナーのある意味、素朴で健康的な響きの対比も同様にステロタイプ的ですが、それぞれ都市と農村に育った両巨頭の差異は大きかったと思います。    朝比奈隆がかつて語っていたことですが、オーケストラの楽員にとって、マーラーの音楽はスリリングで演奏への積極的な動機付けがあるが、ブルックナーはその点、面白さに欠けその執拗な繰り返しには忍耐を要するというのも頷ける気がします。これは、都会生活の刺激と大らかだが単調さに時に辟易とする田舎暮らしに通じるものがあるかも知れません。逆にいえば、都会では日々に共同体の紐帯が切られていく感覚がある一方、田舎にはどっこい、しっかりと根強いそれがある。朝比奈隆が、ブルックナーを「田舎の坊さん」と呼んだ含意には、そうしたブルックナーの特質をよく言い得ていると感じます。  洋の東西を問わず、都会と田舎の関係性のなかで人は、さまざまに移動しつつその人生を送ります。その点では文明国に生きる限り、マーラー的なもの、ブルックナー的なものにある時には傾き、また反発を感じることもあります。マーラーに惹かれる時、またブルックナーに魅せられる時、人は、心象における<都会>と<田舎>2極の振り子の振幅のなかに自らを置いているのではないかと感じます。小生は、ブルックナーもマーラーも聴きますが、ブルックナーにより惹かれるのは、鄙びた山村に生まれ育った原風景が心に内在する「田舎志向」にあるのかも知れません。都会生活によって、実はその利便性、快適性をふんだんに享受する一方、何か満たされないものを彼の音楽が無意識に埋めてくれているのかも、と思うこともあります。    さて、ブルックナーはマーラーがウィーンに戻る前年に世を去っていますが、マーラーは1899年のマチネーのウィーン・フィル定期演奏会で第6番のシンフォニーを初演しています。しかし全曲演奏といえども相当な短縮を行ったとされています。なお、マーラーは若き日に、ブルックナーの交響曲第3番を四手のピアノ用に編曲し、また第5番の短縮も行っています。    そのマーラーのいわば白鳥の歌たる『大地の歌』と交響曲第9番をマーラーの死後初演したのは、ブルーノ・ワルターでした。ワルターはブルックナーとマーラーの違いについて次のように語っています。「マーラーは一生を通じて神を探し求めた。ブルックナーは神を見た。」(ヘンリー・A・リー(1987)『異邦人マーラー』渡辺裕訳,音楽之友社,p.87他を参照)    マーラーの下でウィーン・フィルの副指揮者を勤め、また晩年のブルックナーの地元ウィーンでの盛名を耳にしていたワルターならではの何とも含蓄のある言葉です。   <参考文献> ・ブルーノ・ワルター(1960)『マーラー 人と芸術』村田武雄訳,音楽之友社. ・『マーラー 音楽の手帖』 (1980) 青土社 ・根岸 一美・渡辺 裕 (監修)『ブルックナー/マーラー事典』(1998)東京書籍.
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