第7章 ロスバウト、シノーポリ、インバル

◆ロスバウト(Hans Rosbaud, 1895~1962年)

ロスバウトはグラーツ生まれ、20 世紀の隠れた偉大な指揮者の一人です。ブルックナー選集を残していますが、ブルックナーに限らず、モーツァルト、マーラー、シベリウスといった演目に加えて、シェーンベルクやストラヴィンスキーの紹介にも熱心であり、現代音楽へのあくなき挑戦によって、 ブーレーズやシュトックハウゼンにも大きな影響を与えた先覚者ともいわれます。彼は、1948 年から亡くなるまで、バーデン = バーデン ラジオ オーケストラでその手腕を発揮しました。

さて、ブラームスにせよブルックナーにせよ、ドイツの地方で自前の管弦楽団で聴く演奏には地元ならではの土着の魅力があります。そうした意味ではバーデン・バーデンはドイツ有数の保養地で富裕層も集まり、そこを本拠とする当時の南西ドイツ放送交響楽団には、温浴療法のあとコンサートで心身ともにリフレッシュしたいといった潜在的なニーズもあったでしょう。保養地でも最高の音楽を!とまではさすがに期待はしないでしょうが、耳の肥えたリスナーに満足のいく一定のレヴェルは要求されます。永らく初代シェフを務めたロスバウトは、モーツァルトのオペラも得意とし広いレパートリーを誇った手堅き匠であり、ブルックナー演奏にも定評がありました。 

ブルックナー:交響曲選集[8枚組] 交響曲選集(第2番~第9番) SWR Classic SWR19043CD

【第2番】

1877年版を使用(1956年12月10日、13日録音)について。録音が悪く音がやせていますが、管楽器は弱いながらも弦楽器の響きは比較的きれいに録れています。全体として落ち着いた演奏です。ともすれば平坦な演奏になりがちで、聴かせどころの処理の難しい第2番ですが、第2楽章の生き生きとした表現ぶりは好感がもて、細かく気をつかいながら一時も飽きさせません。第4楽章に入るとオーケストラのノリが俄然良くなり、陰影に富み濃淡のはっきりとついた豊かな表現が迫ってきます。これで管楽器の質量があって録音がもう少し良かったら本当に素晴らしいのにと惜しまれます。

【第5番】

1878年版を使用(1962年5月24日録音)について。明解なブルックナーで骨格線が透視できるような演奏です。低弦の厚みある合奏が強調されて全体に重量感があります。第2楽章はコラール風の親しみやすいメロディよりも、リズムの切れ味のほうが際立つ感じですが音に弛みがありません。ヨッフム同様、オーケストラにエネルギーが徐々に蓄積されていくようなブルックナー特有の緊張感が次第に醸成されていきます。南西ドイツ放送響の一徹にブルックナーサウンドづくりに集中していく様が連想され好感がもてます。 

  思い切り明るい色調の第3楽章はテンポをあまり動かさず、小細工を用いずに「素」のままのブルックナーの良さを自信をもって提示しています。第4楽章もリズムの切れ味のよさが身上で、フーガ、二重フーガ、逆行フーガといった技法も、リズミックな処理と自然な「うねり」のなかで生き生きと息づきます。最強音の広がりは本録音の悪さでは実は十分には把捉はできませんが、以上の連続のなかでフィナーレの質量の大きさは想像でき、それは感動的です。ロスバウトの根強いファンがいることに納得する1枚です。

【第7番】

 1881-1883年版を使用(1957年12月30日録音)、沈着冷静にして、細部をゆるがせにしない丹念な演奏です。その一方で、曲想を完全にわがものとしており、その表現ぶりには曖昧さがありません。第1楽章の終結部の音量のリニアな増幅の効果、第2楽章アダージョのきらめきを感じさせつつも滔々たる流れ、第3楽章の厳格なテンポのうえでの凛としたスケルツォ(実に気持ちの良い整然さ)、終楽章も恬淡にキチンとこなしていきますが、ニュアンスは豊かでブルックナーらしい律動感が保たれて心地よく、聴き終わったあとの爽快感がひとしおです。

【第8番】

1887-1890年版を使用(1955年11月17日録音)、ロスバウトの演奏の基本は少しも変わりません。沈着冷静に作品を捉え、即物的(ザッハリッヒ)に忠実に再現していく。この人が並々ならぬ熱意をもって、現代音楽の先駆的な紹介者であったことがわかる気がします。古典であろうと現代音楽であろうと、どの作品に対しても向かう姿勢が一貫しており、おそらく読譜能力が抜群で、音楽の構成要素を解剖して、それを組み立て直して再現する能力に長けていたのでしょう。 

しかし、そればかりではありません。大指揮者時代を生きたロスバウトの演奏には、音楽の霊感といった技術を超えるものの自覚もあったと思います。第8番ではそれを強く感じさせます。それは本番が宿している「天上と地上の架け橋のような音楽」でこそ顕著にあらわれます。

諦観的、瞑想的な第3楽章ははるかに「天上」を仰ぎ見ているかのようですが、第4楽章は、ふたたび「地上」に舞い戻り、激しくも強靭なブルックナー・ワールドがそこに展開されます。好悪を超えて、分析的でありながら霊感にも満ちた演奏であることはブルックナー・ファンの首肯するところでしょう。現代の若手指揮者にも影響を与えるブルックナー音楽の真髄に迫ろうとする演奏です。

[2016年7月2日]

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◆シノーポリ(Giuseppe Sinopoli、1946~2001年)

 シノーポリは、存命していれば現在のクラシック音楽界の風景を大きく変えたであろう逸材です。多彩なレパートリーのなかでは、彼はブルックナーよりもマーラーを得意とする指揮者という見方が強いように思います。ブルックナーの録音は80年代後半以降、ドレスデン・シュタッツカペレと行われました。

彼は、ドレスデンを振った先人の仕事(代表的な首席指揮者:1934~43年:カール・ベーム、1945~50年:ヨーゼフ・カイルベルト、1949~53年:ルドルフ・ケンペ、1953~55年:フランツ・コンヴィチュニー、1956~58年:ロヴロ・フォン・マタチッチ、1960~64年:オトマール・スウィトナー、1964~67年:クルト・ザンデルリンク、1975~85年:ヘルベルト・ブロムシュテットなど)をよく研究しており、その奥行きのある深き響きに魅せられていたようで、この点はインタビューなどでも本人が語っています。この地へのデビューもブルックナー第4番であり、その後の連続録音も大変重要な意味をもっていました。その経過をみても、後期3曲は順に録音しており、(もちろん超多忙であったということもあるでしょうが)慎重に時間をおいて、第7番のあと3年をへて第8番を、さらに時間をおいて第9番をと計画的に取り上げ、最後の第5番まで約13年の時月が流れています。

ブルックナーへのアプローチについては以下の特色があります。

 第1に、重厚で緻密な音の響きを重視しています。それは伝統あるドレスデンとの共演ということももちろんあるでしょうが、ブルックナーの本源的な魅力をそこに見ているからではないかと思います。その一方、速度の可変性、フレージングの技法は意識的に抑制されています。この流儀は残された録音すべてに共通します。一切のデフォルメ(過度な劇的な様相)を感じることがなく、滔々たる流れは聴きこめば心地よき快感にかわります。

第2に、彼自身がすぐれた作曲家であったゆえに、ブルックナーの音楽の捉え方も、(ブルックナー自身が語っているように)その独特のメロディは天からの授かりものであり、同じ作曲家の感性で、それを徹底して追体験し再現してみようと試みているのではないかと想像させます。それは、「心情」に寄り添う(情緒的)というよりも、いわば作曲家の「頭」で考える(分析的)という方法にみえます。

  第3に、全体として作為的な要素がなく、上記のとおりアゴーギグなどの技法も抑制的で、原曲の特性を深く掘り下げることに専心しますが、いわゆる大向こうを唸らせるような派手さ、斬新さはありません。これは、彼のマーラーにおける“激烈さ”との対比では、平板な演奏とも受け取られかねません。ここで評価がわかれ、一般の人気に乏しい所以とも思われます。しかし一方、じっくりとブルックナーの楽曲の深部にふれたい向きにはこのアプローチは得心できるのではないかと考えます。

交響曲選集 TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus PROC-1182

【第3番】               

1877年ノヴァーク版を使用(1990年4月録音)。本番では、よく演奏される稿としてノヴァーク第2稿(1877年)と第3稿(1889年)がありますが、第3稿では相当なカットが行われていることから、演奏時間に影響しどちらをとるかには否応なく関心の集まるところです。最近はワーグナーの影響の濃い第1稿(1873年)を演奏するのも一種のブームですが、シノーポリ盤はブルックナーの自主的な改訂を踏まえた第2稿(ノヴァーク版)を採用しています。全般にテンポの可変性を抑えた運行です。        

第1楽章、ヴァイオリンを中心とする第2主題の提示ではドレスデンの良質な弦のアンサンブルを際だたせ、第3主題の管の強奏ではこれを存分に響かせるなど、この楽章は、オーケストラの力量をみせるいわば「顔見せ興業」のような感じです。                              

第2楽章以降もこの傾向はつづきますが、録音のせいかやや管楽器の物量が大きく出すぎているような場面もあります。弦楽器の残響の美しいルカ教会での収録なので、ドレスデンの薄墨を引いたような上品な良さがある弦楽器がもっと前面にでても良いのにと思うところもあります。また、ある楽章にアクセントをおき、それをもって全曲の隈取りをはっきりさせるといったヨッフム、クレンペラー的なスタイルはとらず、シノーポリは楽章毎に実に淡々とこなしていくといった流儀とみえます。

【第4番】

1878/80年ノヴァーク版を使用(1987年9月録音)。第4番の第2楽章、静寂な朝靄のなか、ほの明るき黎明、そして一気に立ち上がる日の出をへてふたたび静謐な空気に包まれていく・・・といったイメージが丹念な音の積み重ねによって見事に表現されています。他方、終楽章での激しい盛り上がりを期待すると肩透かしを食らいます。一種ユニークですが、背後の一貫した音響美を最後まで追い求めようする姿勢を感じさせます。

【第7番】

ノヴァーク版を使用(1991年9月の録音)。素材の良さを丹念に引き出せば、そこから自然に感動が生まれると、しかと確信しているような演奏です。第2楽章の音響美がそうした特質をもっとも端的にあらわしていますが、楽章ごとにかくあるべしというイメージはもっており、第3楽章の「ほどよき」快活さ、終楽章の「節度ある」盛り上げ方とも落ち着いた演奏スタイルを堅持します。

【第8番】

1890年ノヴァーク版を使用(1994年12月録音)。テンポを一定に保つ点では、たとえばベームを連想させます。一方、メロディづくりの特色では、第1楽章「死の予告」や「あきらめ」、第2楽章の「ドイツの野人」、終楽章「コサック隊の進軍」といった作曲者が語る標題性についてはどうでしょうか。  

シノーポリは一切標題にとらわれることなく、その背後にある音楽的な“直観”そのものに迫っているようです。ここがシノーポリの真骨頂で、彼は作曲家が創造的なメロディを記譜できるのは、単なる標題といった具体的なイメージを超えた一種の「天啓」と思っていたのかも知れません。それは彼自身が優れた作曲家だったゆえのアプローチという気もします。

【第9番】

ノヴァーク版を使用(1997年3月ライヴ録音)。すでにドレスデン・シュタッツカペレとの10年の関係をへての収録であり、確固たるアプローチにくわえて円熟味が増しているように感じます。ライヴ録音ゆえ、第1楽章にはいつになく熱気を感じさせますが、テンポの安定、内省的で深い音響はかわりません。第2楽章では強烈なリズムが刻まれ、諧謔的表情も垣間見せますが、全体としてはブルックナーにおける「ダイナミズムの総決算」といった集約度で一気に駆け抜けます。第3楽章の詠嘆的なアダージョは、響きがいっそうの深みを増しますが、それはいささかも混濁せず美しい透明感があります。天啓により、清浄さのなかに救済の予感がこめられているかのような感じすらします。遅めの運行、弦楽器と管楽器が融合した濃密な響きが支配し見事な充実度です。

[2014年1月10日]

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◆インバル(Eliahu Inbal, 1936年~)

  エリアフ・インバル(Eliahu Inbal)は、1936年エルサレム生まれ。ヴァイオリン、作曲、指揮法を学び、26才でグイード・カンテルリ指揮者コンクールにて1等賞をえて注目されます。1974年にフランクフルト放送交響楽団の首席指揮者に就任、以降、この楽団を世界のスターダムに乗せるべく活動を開始します。  

 シューマンやマーラーの交響曲全集を世に問う一方、ブルックナーに関しては、第3、4、8番について初稿初録音に挑戦し、また第9番ではサマーレ、マッツーカ補完版を収録し、世界中のブルックナー・ファンの度肝を抜くことになります。  

 既に、第3番は1946年にカイルベルトが、第8番は1973年にシェーンツェラーが、第4番は1975年にヴェスが初演をしています(1987年同管弦楽団の初来日の際の「プログラム」での金子建志氏の解説 )とのことですが、インバルはおそらく早くからスコアを研究し、作曲者のオリジナル版への回帰、初稿重視の方針を固めていたようです。  

 かつて、数ヶ月ずつですが、フランクフルトやデュッセルドルフに住んでみて、その都市の個性の違いを実感しました。もともとの連邦制における地域特性の相違はもちろんですが、それに加えて、戦後の連合軍の駐留の影響もあります。フランクフルトは米国、デュッセルドルフはフランスの駐留下におかれますが、フランクフルトは米軍基地の存在もあり、都市計画ひとつとっても、ドイツにおいては最もアメリカナイズされた都市といわれます。

 フランクフルト放送交響楽団については、現地でなんどもライヴで聴きましたし東京公演にも行きました。この都市の雰囲気が反映されているのか、そのサウンドは北ドイツの重厚な響きとは断然異なります。ドイツのオーケストラのなかでは、透明な、やや軽めで柔らかなサウンドに特色があるように感じました。イスラエル人のインバルは、バーンスタインにその才能を見いだされた一人とのことですが、フランクフルトの常任になっても、この都市の幅広い受容能力からは至極、自然に思えます。

【全集】

Bruckner: Symphonies 0 交響曲全集 フランクフルト放送響 1982~1992年 WARNER MUSIC JAPAN  WPCS-12440

  本全集は、上記の特質が前面にでた代表的な記録といえましょう。インバルの現代的な解釈とこのオーケストラのサウンドや自由で機能主義的な演奏スタイルはよくマッチしていると感じます。

インバルは「初稿」にスポットを当てているほか、第9番は未完の第4楽章にも挑戦するなどユニークさに特色があります。その後、「初稿」路線は継承者がつづくという点でその先駆的な取り組みは十分評価できます。

 そのラインナップは以下のとおりです。

第00番(ノヴァーク版)1992年5月

第0番(ノヴァーク版)1990年1月

第1番(ノヴァーク版リンツ稿)1987年1月

第2番(ノヴァーク版1877年稿)1988年6月

第3番(ノヴァーク版1873年第1稿)1982年9月

第4番(ノヴァーク版1874年第1稿)1982年9月

第5番(原典版)1987年10月

第6番(ノヴァーク版)1989年9月

第7番(ノヴァーク版)1985年9月

第8番(ノヴァーク版第1稿)1982年8月

第9番(原典版)1986年9月

第9番第4楽章(サマーレ、マッツーカ補完)1987年10月

 第00番はめったにかけませんが、聴く場合はインバル盤を標準としています。第0~2番は特にコメントすべき点はありません。第1、2番ともいつもはノイマン、ショルティなどを聴きます。インバル盤もけっして悪くはありませんが、両者のメローディアスな美しさや構築力には及ばない気がします。第5~7番も標準的な演奏ですが、なかでは第6番が見事だと思います。第6番では、なかなか良い演奏に巡りあいませんがこれは素直に心に響きます。以下は、第3、4、8番について。

【第3番】

1982年9月ノヴァーク版1873年第1稿での世界初の録音です。その後、ケント・ナガノ、ロジャー・ノリントン、ジョナサン・ノット、ゲオルク・ティントナー、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ヨハネス・ヴィルトナー、ヘルベルト・ブロムシュテット、マルクス・ボッシュ、シモーネ・ヤングなどがこの路線を踏襲していますが、インバルの先駆者としての貢献は大きいでしょう。

【第4番】

1874年(初稿ノヴァークIV/1)版による演奏です。この第3楽章はその後、結果的に抹殺されてしまった(ボツになった)音楽でそうした珍品が聴けるのも本全集の楽しみのひとつでしょう。

【第8番】

遺稿問題が複雑といわれる第8番ですが、インバルはよく初稿での録音を行ってくれたと思います。なお、第3、4番の初稿と改訂版の非常に大きな乖離に比べると、もちろん違いはありますが第8番での違和感の落差は、相対的には小さいと思います。インバルによるノヴァーク版第1稿を用いての初演は、1980年2月29日にフランクフルト・アム・マインにて(1998年7月8日には東京都交響楽団を指揮して日本での初演も)行っています。

[2010年12月5日]

 さて、インバルの第3番、第4番を聴いて、第1稿をオリジナル重視の観点から高く評価することには個人的にはいささかの疑問を禁じえません。それは、第9番に第4楽章の補筆版についても同様です。

もちろんブルックナー・ファンとして、埋もれたメロディがいわば「原石」として随所に発見できる喜びはあります。また、後の整序された演奏にくらべてブルックナーの創作の苦しみを感じる部分もあり、タイム・スリップしてそれを追体験できる興味もあります。

 しかし、ブルックナー本人がその後の研究を重ねて、苦心惨憺のうえ改訂した作品はやはり完成度の点では高いと思います。ハースやノヴァークらの地道な改訂の努力もあって、後の版のほうがはるかにスッキリと聴こえます。

 どの版をとるかどうかにもよりますが、全般に改訂実施後の作品にくらべて、初稿においては、メロディの洗練不足、不要なまでの楽句の繰り返し、変調の際の不自然さなどがどうしても気になってしまいます。交響曲としてのまとまりからは、少なくとも初稿のほうが良いと感じる部分はあまりないように思われます。

 その一方、第4番の第3楽章のように結果的に抹殺されてしまった音楽はなんとも勿体ないとも思います。せめて、この第3楽章だけ独立に改訂後第4番の前に「序曲」として演奏してもそう違和感はないのではないかと感じました。

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ブルックナー・コラム Ⅵ

<作曲家シリーズ> ヴォルフ   マーラーとヴォルフ、二人とも1860年の生まれ。マーラーは1875年に音楽院入学のために故郷のイーグラウからウィーンに出てきますが、ここで同期生としてヴォルフと会います。マーラー、ヴォルフおよびクルシシャノフスキー(後のヴァイマール宮廷楽長)は一時期、同じ下宿で共同生活をする仲になります。この3人は若きワグネリアンとして大いに談論風発をしたようです。また、ブルックナーのウィーン大学での和声学の講義をマーラーは聴講しています。  マーラーはその後、指揮者として身をたて1897年にウィーン宮廷歌劇場指揮者という栄えあるポジションをえてウィーンに「凱旋」しますが、ここでヴォルフから自作のオペラの指揮を頼まれ、これを断ったことから「二人の古き友情は決裂した」といわれます。ヴォルフはこの後、坂道を転げ落ちるように悲劇的な人生を歩んでいきますが、マーラーは逆にウィーンで登り竜のような音楽家としての活動を展開していきます。ヴォルフの死後、かつての親友の追悼のため7年をへた1904年に、このオペラ「お代官様」をマーラーは初演します。    ヴォルフはブルックナーと関係の深い作曲家にしてリート分野での彗星の如き存在です。早熟にして溢れる感性の持ち主で精神病をやみ自殺未遂のすえ43才で逝去しました。  「かつてのオーストリア領ヴィンディッシュグラーツ(現スロヴェニア領)に生まれたリート作曲家。貧しい靴屋に生まれたが、音楽への志望やみがたく、ウィーン音楽院で学んだ。しかし誇り高く、激高しやすい性格のために放校され、友人たちの援助で作曲に励んだ。ワーグナーの強い影響を受け、オペラ作曲を志しながらリート作曲家として名をなした。初期の習作的なピアノ曲、室内楽曲、交響詩、それに唯一完成したオペラ『お代官』以外はほとんどリートで、彼はこのジャンルの作品のみによって後生に名を残したといえる。心理を色彩化するひびきの新しい世界はこれまでにないめざましいものだ。彼はシューマンと同じく、晩年は精神病院で悲惨な療養生活を送らねばならなかった。」(p.42)    「『詩と音楽の結婚』などといわれることもある歌曲を極限まで推し進めたのがヴォルフといえよう。詩と音楽の一体化ということを、シューマンにも増して徹底的に実践したヴォルフは、それまでの歌うこと、つまり音楽としての性格を否定しかねないところまで歩みを進め、むしろ詩が上位に立つほどの歌曲を書いた。事実、彼は歌曲集に『歌唱とピアノのための…による詩』という副題をつけることがあった。こうしてヴォルフの歌曲は朗読に近づき、音楽としては晦渋なものに傾いて旋律のよろこびは後退して、『隠棲』『散歩』『庭師』など、ひと握りの曲を除くとそれほど広く親しまれているとはいいがたい。しかし、こうしたヴォルフにはほかに求めがたい魅力があることは事実である。」(p.11) (以上、中河原理(1993)『声楽曲鑑賞辞典』東京堂出版.から引用)   ヴォルフは気性の激しかった人のようで「ブルックナーのシンバルの音一つはブラームスの4つの交響曲にセレナードを加えたもの全部に匹敵する」と論評したといわれます(シェンツェラー. H.(1983)『ブルックナー』山田祥一訳,青土社,p.132,pp.137-138を参照。なお、ブルックナーではなくリストの名前を書いた本もあります)。    「親に似ぬ子を鬼っ子と言うが、親に似すぎた子も鬼っ子だ」といった台詞を聞いたことがありますが、ブルックナーとヴォルフは36才の違い、いわば親子ほどの年齢差があったわけですが、ヴォルフはブルックナーにとって実に「鬼っ子」だったかも知れません。    人と争うことを嫌ったブルックナーに対して、ヴォルフは同業者に対しても仮借なき批判者でした。小さな資格でもこまめにとり続け安心立命を願ったブルックナーに対して、そうしたことに無頓着でウィーン音楽院を放校になったヴォルフ。生涯女性と縁のうすかったブルックナーに対して、梅毒が原因で狂い死するヴォルフ。40才を超えてから本格的に交響曲の作曲をはじめるブルックナーに対して、結果的に30代までに全ての音楽的な仕事を終えてしまったヴォルフ。交響曲と宗教曲の作曲に集中したブルックナーと歌曲に傾注したヴォルフ…。こうして見てくるとその生き方においては「親に似ぬ子」としてのヴォルフ像が結ばれます。    他方で、ともにワーグナーを崇拝し、その共感とともにブルックナーも深く敬慕したヴォルフ、その極端な言い方が先のブラームス批判にもなります。ハンスリックを向こうにまわして、ヴォルフはブルックナーのために徹底して戦った闘士でした。二人は一緒に旅行もしています。1894年のベルリン紀行では70才のブルックナーに34才のヴォルフが同行し、彼地の1月8日のコンサートでは交響曲第7番とともにヴォルフの合唱曲「火の騎士」「妖精の歌」が演奏されました。「ブルックナーの名前が初めて作曲家としてのヴォルフの名前と並んだ」といわれます。作曲家としての異常な集中力でも二人は共通する部分があります。ある意味では「親に似すぎた子」という側面をヴォルフはもっていたのかも知れません。最晩年、ブルックナーはヴォルフを遠ざけたようですし、カール教会での葬儀でも、「正式」な音楽協会の会員ではなかったゆえに、ヴォルフは教会に入ることが許されなかったとのことです。    最後に、二人の愛憎する思いを知っていた重要人物、それがマーラーです。ヴォルフと同年生まれで同じ音楽院で学び、ともにブルックナーの音楽に共感したマーラーは、両作曲家とも強く意識していたことでしょう。これが、マーラーの音楽の「複雑性」に、何らかの影を投じているのかどうかはミステリアスな問題です。   <参考文献> ・エルンスト・デチャイ(1966)『フーゴー・ヴォルフ 生涯と歌曲』猿田 悳・小名木栄三郎訳,音楽之友社. ・アルマ・マーラー(1971)『マーラー 愛と苦悩の回想』石井 宏訳, 音楽之友社.  
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